345話 帰らずの地メラノ~小屋過ぎて
迷宮への入り口は、曖昧だ。
普通は、招き入れるも宝を見せつつ奥へと誘い込む。というのが、定石。
しかし、この迷宮は入り口から殺しにきている。
「どうすんだ? 一人で入るのは危険だぞ」
腕組みをした幼女は、目をじっと見ながら言う。あまり、人の目を真っ直ぐに見ないでほしい。
「やりようはあるよ」
考えるに、この迷宮は風船だ。入れない訳ではない。入るには、どこからでも入れるのだから。
インベントリを開いて、石を取り出す。
「それで、どうすんだ?」
まじまじと見るが、そこいらへんに転がっていそうな石だ。
「閉じた結界に、穴を開ける。奥に引きこもっているやつは、慌てるだろうね」
ぎりぎりのところに立つと、ただの変哲もない灰色の石を置く。大きさは漬物石くらい。
「そんで、どうすんだよ」
「聖別された水で、清めてルーンを刻むんだ。死を反転させる」
概念とかそんなものを信じたくないのだが、そうも言っていられない。
迷宮では、骨が勝手に動いている。死んでいるようにしか見えない死体も動く。
石に、ルーン文字を刻み魔力を込める。
「これで、中の瘴気を払おうってわけさ」
「むぐぐ、せっかく魔道具を売りつけようと思ったのに」
手を上下にするアルストロメリアは、何か棒状の物を手にしている。
殴りかかってくるかと思ったが、違った。
「なにそれ」
「お祓い棒。溜まった汚れを落とすやつなんだけど、お前には必要なさそうだぜ。お守りにこれでも持ってくか?」
変わりに鞄から出してきたのは、一枚の布切れだった。幼女が広げるのは、パンツである。
「どういうつもりなのかな」
意味がわからない。
「いや、だってさ。迷宮に入るやつにはお守りがいるじゃん。毛とかは駄目だけどさ。んで、考えた訳よ。これなら、まあいいやって」
お守りにしたって、大きすぎる。
白い布のかぼちゃのパンツだ。手にとって見ると、茶色い染みがあるではないか。
「これ、なんなの」
「落ちなかったんだよ」
洗ったにしても、雑だ。怪しい。
ひょっとして、他人のではないだろうか。先程履いていたパンツは、どうしたのだろう。
鼻につんとくる。異臭が漂ってきた。
パンツを返すと。
「お前、ウンコ漏らしてんじゃないよな」
「いやー」
すると、
「アルちゃん! わたしのパンツ返して!」
とんでもない奴だ。エッダが、涙目になって掴みかかっている。足元で羽の生えた猫は、寝っ転がったままだ。
「いやー、どうしてもユーウが欲しいっていうからさ。これで、掴みもばっちしだぜ」
「あげてないもん。勝手に持ってったんじゃないー」
見れば、エッダは布で身体を覆ったままだ。水が滴っているから、気がついて出てきたというところか。
「んなこと言ったって、おめー、何もしねーじゃん。影のうすーーーい何かで、1人寂しく製薬してさ。ババアになってどうすんの。目指せ、最強。目指せ、最高の錬金術師! だぜ? ババア錬金術師とかはやんねーよ」
こんな事を言っているが、漂ってくる異臭はアルストロメリアからだ。
こいつ。うんこを漏らしているんじゃ。さりげなく近寄る。ますます、匂いがきつくなってきた。
首筋に汗が浮かんでいる。
「わたし、そんなの目指してないもん。ふつーの女の子なの。ふつーなんだから」
「ふーん。で、1級錬金術師になれんの? 女で? 財産を食いつぶすような錬金術師は錬金術師とはいえねえ。金を生み出す黄金錬成にだって辿りつけやしねえんだ。普通でいい? 甘ったれんな。チャンスがあるなら、這ってでもくらいつけや」
なんて言っているが、スカートをこっそり捲ってパンツを見るとこんもりした形をしている。うんこに違いない。
「お前、何して…」
「うん子。お風呂入ろうか」
「人のパンツを勝手に覗いてんじゃねえ!!!」
顔を赤くして、走っていく。エッダも「待ってよ~」と言いながら追いかけた。
迷宮の方へと振り返ると、石が淡い光を放っている。効果は、あるのか。
2つの石が印になっている。
そこを越えて、
(さすがに、さっきの今では魔物もいないか。あれ、聞き忘れたな。あいつと話してると、パンツとうんこの話にしかならない・・・なんなんだろう)
入り口の骨を眺める。右は、何もない岩肌の平地だ。
左も同じ。本来なら、森が広がっているはずである。
正面には、傾斜のある道が続いていた。
(瘴気が魔物になったりする事もあるみたいだけど)
死体は、そのまま。骨が動き出すこともない。ひょっとしたら、骨の騎士がボスで倒すと復活しないのかもしれない。錆びついた槍が転がっている坂道を上がりながら、左右を警戒する。
骨の犬が出てきたポイントに差し掛かっても、骨犬はでてこない。
(無駄だと、悟ったのかね)
謎に満ちているが、緑色の巨大な赤ん坊に襲われた小屋へ差し掛かる。
中を探索していなかったが、
(中に入っている間に、また赤ん坊の化物がきたら生き埋めにされてしまうな)
チラリと覗くと、骨になった人間があちこちに倒れている。動かないようだ。
蝿にくわれて、肉が残っていない。灯りは、ないので薄暗く入って行く気にもなれなかった。
(あーしまった。火がない。カンテラが必要だ)
ロープと食料でいいと思ったが、そうもいかない。魔術が使えない事をすっかり忘れている。
アルストロメリアに持ってきてもらいたいところだが、彼女は戦闘向きではない。
先に進んでから、戻ってくるという事でもいいだろう。
敵が、石を放置するなら迷宮という名前の世界を侵食する結界が崩壊するまでだ。
緑色の化物は、脅威であるが。
黒い岩肌の道は、真っ直ぐに続いている。
小屋の横には、白骨が散らばっている。
そして、枯れた木があり緑はどこにもない。地面に落ちているのは、黒ずんだ葉っぱだ。
道を歩いていくと、やがてくり抜かれたような岩場に出る。
右に道が続き、そこへと下っていくようだ。
元は、畑だったのか。その周囲に耕されたものとみられる形跡がある。
そして、下がっていく道に潰れた死体が転がっていた。
化物に踏み潰されたようだ。擦り切れた服の切れ端から、人間だったと推察される。
中心部から建物が広がり、住居を形成していた。
(町、いや村かな)
ここが、そうなのか。それとも、違うのかわからないが規模からすると。
(もっと大きいはずだ)
村なら、消し飛ばしてもいいではないか。広さが広さなので消し飛ばすなといったのかもしれない。
そこのところを勘案して、坂を下っていく。坂から、石で作られたとみられる橋がかかっていた。
下は、川だ。だが、そこには黒いとしか形容できないものが流れている。
果たして、水なのかも怪しい。かつては、川岸で水遊びをしていたと思われる。
石を積み上げて作られた堤防のようなものがあった。
細い橋を渡って進むのだろうか。
牛車がなんとか移動できるくらいの幅である。人がわたるには、十分であるが?
橋の伸びた先に、突き刺さっていたものがあった。矢だ。
(おかしい。矢が突き刺さってる。橋には、なんらかの仕掛けがあるのかも)
橋のきわに立つと。向こう側には、門がある。崩れそうな気もした。
橋を壊すのは、一発芸だ。恒常的な罠だとすれば、なんであろうか。橋が上がり、戻れなくなる。
とか。
(門が崩れかかってるから、そのまま中に入れそうだけど)
左右を見れば、これみよがしに伸びた円を描く岩。
岩というよりは、サークルのようにも見える。
それを支えるのも岩で、魔術でも使わないと作れない代物だ。
(あれに乗って、反対側に行けそうだな)
まずは、下見だろう。生きている人間がいればいいのだが。
10年だ。10年も耐えられるだろうか。人間は、そこまで強靭ではない。
橋の左右を調べるも、白骨くらいしかなかった。
仕掛けが、あるのかないのか。
よく見ると、丸い腰掛けのような。
落ちている骨の量は、異常だ。ともすれば、緑色の化物が食事にしていたような。
(気色悪いぞ。んー、村の中に人はいるのか?)
居ないのであれば、寄る必要もない。ただ、敵の手がかりが得られるかもしれないというだけ。
ともあれ、迂回することにしよう。
崩れる確率でいえば、どっちもどっちと。
岩に足を乗せて、移動すると。
(あれは、なんだ?)
村を囲っている塀を乗り越えて、黒い人型が歩いてくる。
走って移動すると、それもまた走り出した。黒い髪に、乳房が見えたような気がする。
生きている女にしては、異常だ。
背丈が、2強m近い。汚れで、黒いのかと思えば太い岩の柱をよじ登ってくるではないか。
「ほー」
鶏か何かか。声が、する。どんどん迫ってくる。走っているものの、それがよじ登ってきた。
前からも敵が来ないのが救いか。
四つん這いになって追いかけてくる。手は、2つで安心していると。
(なんて、追いかけっこだよ)
「ほー。ほー」
口から奇怪な声を出している。別に追いつかれたら迎撃するまでなのだが、足場が不安定では心配になる。なにしろ、高いのだ。重力の法則に従って、落下した場合。無傷でいられるかどうか。
スキルが使えないということも大きい。
この手の怪しげな魔物は、隠形スキルで姿を隠してから観察して倒すべきなのである。
(まー、意外と弱い事もある!)
だが、走っている。遠くから、豆粒のように見える鳥らしき物が向かって来ている。
あれと、後ろにいる女の化物が連携したら厄介な事になる。
切れ目が見える。下へと下がっているので降りられるようだ。
なんのための円環だかわからないが、女の化物に距離を詰められていない。
下がっていっても追いかけて来ている。
右には村の門が見えた。左手には、道だ。
結界の終着点が見えない。中心点まで行かないと行けないという事になる。
(こいつは、面倒くさい!)
と、寄ってきた相手の足を掴む。放り投げるように、引っ張ると。
「ほひゅっ」
手へ向かって腹筋するかのように頭を曲げてくるではないか。口に、歯がない。
伸びてくる舌は、イソギンチャクかナマコか。奇怪な桃色をしていた。
(まったく、珍妙なものを)
巨体だ。そして、蹴ろうともがいている。地面に足がついている分、有利だ。
蹴り上げる要領で、腹を押し出す。
目の玉がない顔の女は、放物線を描いて飛んでいった。生きているのかどうか。
(ほーほーうるさいやつだったな)
村に入るべきだろうか。また、ほーほー女が出てきかねないけれど。




