337話 蜥蜴は、怖いらしい
無限のような。
時が、進まない。して、打ち据えられてしまう。
残酷だ。
切り札の霊光波が効かない。
魔に対しては、絶大な威力を発揮するのだ。
セリアに対抗するために身につけた技。
(負けられないっ)
相手は、悔しい事にフィナルよりも動きがよい。
そして、接近戦にあっても劣勢だ。
一打放つ間に、加速された拳が腹を打ち据えて胃液が逆流する。
(どうして)
素早いだけではない。技巧でも負けている。一打で勁を通された身体が、動かなくなった。
その度に回復するのだが。
上かと思えば、下。右に、雷で手が見えない。見えないのだ。
足を上げていれば、掴まれて地面へと叩きつけられた。
後ろ蹴りも、当たらない。
「僧侶は、経文を唱えるべきでしょう」
憎たらしい。放つ気弾は、悉くかわされる。そして、相手が放つ雷撃を受ければ即死に近い。
すぐに、治癒が追いつかなくなった。
「うぐっ」
たった一つ。
「姫様っ」
たった一つだけの願い。
ただ、それだけの為に。
「もうおやめください」
瞼が重い。
魔力尽きているのか。補給があれば、再生できるのに。
気を纏う事もできないらしい。
拳に力を込めたが、相手は様子を見ているだけだ。
「やめましょう。もはや、優劣ははっきりと見えたはず」
馬鹿な事を。
だが、一歩も動けない。口から出てくるのは、呻き声だった。
馬鹿な。
そんな、馬鹿な。セリア以外に負けるなど。あってはならない事だ。
足を前に出すのだ。
「おやめに! 失礼します」
黒髪が端に映った。許さない。日本人風情が、触れるなど。
メイドが。
◆
どんどん頼仲が匿っていた人を送っていくと、気絶していたエリアスが起き上がった。
代わりに、フィナルがじゃがいものような顔になって戻ってくる。
いったい、何時になったら挑戦は終わるのだろうか。
「お前も、面倒ならやめろよって言っていいんだぜ? 切りがいいとこでさ」
アルストロメリアは、頬を掻いて言う。彼女は、挑戦しないようだ。賢明である。
「……」
無言だ。顔は、治癒魔術で元に戻るのだ。が、テーブルに突っ伏すように寝てしまった。
泣いているようなので、そっとしておくしかないだろう。
「あんなん無理だろ。いくべ」
「行くべって、どこにですの!」
目が真っ赤になって、鼻汁を垂らしている様はフィナルを信奉している教徒たちには見せられないだろう。
「いや、なあ?」
「なあ、じゃありませんの。全く、悔しくないのですか」
「や、だって魔術師が殴りあうのってそれおかしいだろ」
とはいえ、接近戦が弱いと寄られただけで敗北する量産型になってしまう。
標準以上だが、それ以上でもない。
「そうそう、錬金術師に戦闘しろとか鬼かっつーの」
「あなた達、いつ、いかなる時に戦闘が起きると思っているんですか。鍛えておけば良かったでは、すみませんのでしてよ!」
「んなこと言われてもなあ。箒にのって、ゲロビでいいじゃん」
ぐぬぬという顔をして、エリアスは向きを変える。
「という訳で、異論はなさそうだし。でも、セリアと戦うには足りねえかもな」
「セリア、さんですか」
「どっちかっつーと、セリアちゃんだけど、あいつは…狂気入ってるからなあー。ま、今後はお手柔らかにお願いするぜ」
エリアスは、挑戦する気がないようだ。もうちょっと根性を見せてほしいものだ。
この分だと、二刀流の女の子テスタにも遅れをとるかもしれない。
戦闘力ランキングは、複雑怪奇の模様。
「いこーぜー」
「うん」
「こいつは、俺が面倒みとくからよ」
そこはかとなく百合の雰囲気がした。白い手ぬぐいを噛んでいるフィナルの鼻へと指を突っ込むエリアス。追いかけっこが始まる。百合は気のせいだったようだ。
困ったようにしている黒髪のメイド姿をした女の子は、見かけない顔をしていた。
転移門を開いて、移動する。
夕暮れ時だった。西に赤い太陽が見える。
「ここが」
「でかすぎるだろこれ」
領城は、大きい。いざというときの為に、頑丈にした結果だ。
「この中に、入れるのかよ」
「うーん」
城の中は、貴族がいる訳でもない。管理している騎士はいるけれど。
「中で宿泊してもらいましょう」
迷ったが、いきなり大勢の人間を逗留させるような場所がない。
町が拡大するにしたがって、人を切り分ける物ができていた。
隔壁だ。
門の前に立つ兵士は、不審そうに見ている。
大丈夫だろうか。
「あの~」
「誰だ、貴様は。ここは、シャルロッテンブルクを治めるアルブレスト家の居城だ。貴様のような貧相な餓鬼がくるところじゃない。さあ、帰った帰った」
なんという事だ。どうやら、髪の毛を黒くしていたら認識されないとでもいうのだろうか。
「ぷっ」
アルストロメリアが吹き出したので顔面パンチをかましそうになった。
くすくすと、笑う幼女にドロップキックするのは犯罪だろう。大人だ。やらない。
「どう、しました?」
「いや、その、家に行きますか」
恥ずかしい。まさか、預かっている領地の兵に貴様呼ばわりされる日がこようとは。
とはいえ、染色した髪の色を元に戻すのも一苦労だ。
「家ね。いいじゃん。俺も、そっちに行ってみようかな」
入れたくない女の子だ。
一塊になっている人たちを再度の転移。
「家とは、こちらが家、なのでしょうか」
「いや」
「ぷぷっ」
チョークスリーパーをかける。一瞬で墜ちるだろう。
「今度は、入れるんだよなあ?」
煽ってくる幼女に、腹パンをしたい。今、切なる願いだった。
「ええ、もちろんです。駄目でも、隣に言えばなんとかなるかと」
オデットたちは帰っているだろうか。わからないが、やってみるしかない。
消えるころになって、驚いた表情をする兵を見る。記憶にないが、顔がわかるのかもしれない。
仮面を付けるべきかも。
幻覚を見せる魔術で、騙せればいいのだが。
転移門を抜ける頃には、陽が落ちていた。
しかも、結構な感じで暗い。
「あーーー! 今頃、来たであります!」
屋台をしまった幼女が、がーっと火の出る剣幕で飛びかかってくる。
すっと避けたら、着地してぴったりと横に付く。
仮面をかぶっているのに、ばれてる。
「ユーウ、この人たちは?」
「うん。その世話するんだけどね。ちょっと、困った事になってて」
「ふーん」
なんだが、冷たい。
「姉ちゃん、そんなに邪険にしたら駄目であります。引き受けておくでありますよ」
「いいけど、寝るところを用意すればいいのかな」
「うん」
店は、まだやっているようだ。そして、近所の土地を買い占めたので家が広くなっている。
そこへ、
「じゃ、ともかく付いてくるでありますよ。この貸しはでっかいでありますねえ」
「うん」
不手際で、しょうもないことになっている。戻って、頭の色を変えていたらそれはそれで時間がかかった事だろう。仮面の手触り。取ると、インベントリへ入れる。
「それ、止めんのか?」
「面倒だしね。どうどうとぶつかればいいんだよ。もう」
ばれたら、ばれた時の事なのだ。
髪を弄ったら別人とは。全然、領地に行かなくなっているとはいえ悲しいものがある。
「はいろーぜ」
門を開けて入る。
「こっちは?」
「こっちは、家だよ」
「それでは、あちらに。また、明日出直します」
「うん」
と、トゥエルノはクマ人形を肩に乗せて去っていった。生きていた母親と妹も一緒だ。
ラトスクにはテスタとヴィクトルという捕虜というか、そんな感じの存在もいる。が、疲れたのだ。
「帰らないの?」
「あー、今日はここで泊まってくかもな」
「なんで?」
「なんで、ってあいつの身体を作って欲しいんじゃなかったっけ」
そうなのだが、泊まっていく理由がわからない。
「だけどさ」
歩きながら、チィチとミーシャを見る。
「2人も、泊まってくだろ?」
「いえ、わたしたちは」
「いいけどさ。部屋は一杯あるし」
「ならいいじゃん。俺らが泊まったって問題は、連絡ってことだろ? 使いの人間を送るか、念話で済ませばいい話だものな」
なんだろう。この流れ。なんというか。飲まれている。強引だ。
「ルナとかいるけど」
「おー。いいね、たまにはあいつらとも話をしなくっちゃあな。面白い話が、たっくさんできそうだぜ」
嫌な予感がする。
「パンツを盗み見てる野郎の話とかよ?」
「…どうぞ、なんなりと申し付けください」
まさか。
(この女、妹に告げ口する気じゃねーだろうな)
それは、ヤバ過ぎる。築いてきた兄の面目が消し飛んでしまうではないか。
ちらっと、顔を見れば。
「うっふっふっふ」
気持ち悪い笑みを浮かべている。今すぐに、気絶させてどこかに放り投げてくるべきだろうか。
「おっと、証人がここにいるんだぜ? それと、俺と3人の秘密じゃん。何もなかったよな!」
「女の子のパンツを勝手に見るのは、いけない事だと思います」
チィチの正論に、全く反論ができない。
「ご主人様が欲しいのなら、ミーシャのパンツもらっとく?」
思わず、顔が熱くなった。
「いや、ごめん。なさい」
「まー、男なら女の子のパンツを盗むくれー普通よ」
いや、普通じゃねーよ。それ、スティールとか使うの犯罪だから。
犯罪者になるわ。ありえねー。
男にパンツ盗まれても笑って許す女がいたら、ぜひ結婚して欲しい。
もう、女神としかいいようがないだろう。どんなプレイでもしてくれそうだ。
「その、ごめんって」
「いいから、気にすんなよ。だから、殺されそうになったらくれぐれも守ってくれよな? この秘密が世間に漏れるかどうかはお前にかかってんだからよ」
脅迫しているのか。そうに違いない。
道は、林にさしかかり兵士の姿も詰め所でみたっきりだ。ぬっと出てくる蜥蜴の頭に。
3人は、飛び上がった。
文字通り。
そして、指差す。が、気になっているのは匂いだ。小便の匂いがする。
「お、お、おい……」
「なんで…ひっ」
青い頭は、鱗に覆われていた。その口から、ちろちろと舌が出てくる。
かまって欲しいのかもしれない。右往左往してから、去っていった。
残ったのは、崩れ落ちた女の子たち。
「あれ、本物、ですか。全く気配がしなかったのですけれど!」
「実物、だよな。あれ」
「怖かったです」
と、鼻につんと付く匂い。糞の匂いだ。まさかとは思うが、恐怖のあまり脱糞をかましたのだろうか。
立ち上がろうともしない。
「大丈夫?」
「その、馬鹿にしてごめん」
「うん。映像にして保管しとくよ」
「頼む。絶対に止めてくれ」
インベントリから取り出したのは、スマートフォン。
充電が、可能だ。
まさか、ウンコを路上でするなんて。冒険者もやったりするが、蜥蜴に出会ってウンコをするのは聞かないのではないだろうか。
のろのろと動く女の子たちを浮く板で運ぶ。
真っ先に風呂に入れてやるべきだろう。
玄関には、誰もいないようだ。馬車が止まっていることもない。
「良かったね。誰もいないかも」
なんて言いながら扉を開けると。
「おかえりなさいませ。マスター。お風呂にしますか?」
駄目だった。その横には、ルナの姿がある。見られたくないだろうが、もはや手遅れ。
「臭い! ユーウ、あんた何してんのよ! また、ドラちゃんけしかけたんでしょ」
人の顔を信じられないものでも見るかのようにして、
「酷え、そりゃ、まいりました…」
アルストロメリアの心を砕いてしまったようだ。
残りの2人は、というと。
「そう、なのですか?」
「そんな事、しません」
「怪しいです。ご主人様、変態?」
違うというに。
「最近、あたしがトイレに入ってたら入ってくるし!」
幼女の記憶が、作られてる。捏造だ。メイドさんは、にこにこしている。
「まあ、そんな事が」
なんて言うのだ。
さっさと寝るはずの玄関が、修羅場となってしまった。




