324話 夕暮れ時に雨あられ(ディアス、ピエール)
曇天から夕暮れ時。
「噂じゃ、10万とか20万って話じゃねえか。俺たちだけで、どうにかできる数じゃねえよ」
アルカディアの国境警備隊は、蜂の巣をつついた騒ぎになっている。
連日のように、噂が流されて戦う前から脱走兵が相次ぐ始末。
敗戦から兵力の補充がされないままで。経路となる要害を守れるかすら怪しい。
「南と北が同時に攻め込んでくるってさあ」
「北っていうよりは、西だろ。連中がまとまるなんて信じられねえんだが?」
万年、戦争をしているような地域だ。
南東部は、ロゥマと接しており南側の山脈が自然と国境になっている。
西もそのようなものだった。
石で組んだ鍋に、汁物が注ぎ込まれる。味は、あまりいいとは思えない。
「ここを抜かれたら、バイヨンヌは駄目だろうなあ」
「んだあ」
地元の人間ばかりだ。南に山脈、西にも山脈。だが、2つの国に近い接点になり得る場所だけにアルカディアへ侵攻してくる際には真っ先に狙われる。町の壁は分厚くて、そうそう陥落しないはずだ。が、敵に空中騎兵を始めとした戦力が整っていればどうか。
歩兵だけでは、いかんともしがたい。
「おらあ、けえったら結婚すんだあ」
「そりゃ、死ねねえな」
といっても、戦争だ。生きて帰れる保証なんてどこにもない。
現に、アルカディアと西の大国アスラエル王国は血縁を結んでいながら小競り合いが絶えなかった。
山頂にある小屋を巡って、殺し合いをしては殺し合い。
暗殺者が領主のところへと差し向けられるのだって珍しい話じゃないのだ。
「ねっか?」
「ばっか、そっただしている暇はねえ。退却すんのか抗戦すんのか決めねえと」
一兵卒であるピエールには、関係がない話だ。
逃げたところで、帰る場所なんてない。親兄弟が困るだけだ。
(バイヨンヌは、やらせるわけにはいかねえよなあ)
ひと時見た空を飛ぶ機械が、補給に来なくなってどれくらいであろうか。
「おい。おめえさもくんだ~」
隊長の男は、指をくいくっと動かす。
「はい」
関係ないと思ったのに、呼ばれるとは。同じように座っている同僚たちは、力なく手を振っている。
やる気は、ないが死にたくもないと。そんな感じであった。
「おめえ、士官大学まで行っただべ? 聞いたぞー」
「はあ」
昔の話だ。途中で、戦争が激しくなって予備役に入れられて終戦を迎えたという。
故郷に帰ってみれば、第何位だかしれない王子が反乱を起こしたりと。
救国の聖処女は、現れなかったし。やるせない腐った毎日だった。
それを知ってか知らずか。
「おらあ、故郷を守りてえ。親戚も多いし、乱暴狼藉に姪っ子を遭わせたくねえんだあ。力を貸してくんろ」
悪い気は、しない。
「できる限りの事はします」
一兵卒の言。それで、どうにかなるとは思えないが。
天幕をくぐって、そこを見ればげんなりした。
テーブルの上には食材がところ狭しと並べられていて。
兵隊では食うことのできないような物が並んでいる。
「そやつが、目端の利く者かえ」
いけ好かない貴族だ。膝を落として、頭を下げる。決して、顔を上げてはいけない。
貴族は、気まぐれだ。
「んだー。なんでも、都じゃ有名な大学の出で学がある~ち。山岳での戦いも、もちっと時間があったんだば有利に終わってたかも知んねえ」
「ふん。向こう側まで、攻め込むのは良かったがな。そのあとが、締まらんではないか」
乱暴狼藉をやらかした。戦争ではつきものだが、今回ばかりは藪蛇だ。
「そっただ……」
「黙れ。今は、その軍議をしておるところよ」
全然、そのようにはみえない。ちらりと、斜め上へと視線を移動させれば苦虫を噛んだような顔が並んでいる。地元の兵なのだろう。
防衛線が破られれば、どうなるのか知っているからだ。彼らには、家族がいて土地がある。
土豪とでも言うべき存在。
本来ならば、彼ら国人衆が防衛の指揮を取っているはずなのだが―――
「敵は、2方向からだけくるとは限りません。一旦、バイヨンヌでの防備を固めるべきです。広い防衛線を守りきれる兵力がありませんので」
今ごろ、ボルドーも大慌てだろう。東のトゥールが早く動けば違ってくるのに。
「というがな~。易々と、国境を突破されてみぃ。我らの面子は、どうなる。泥まみれもいいところではないか。一矢報いんでどうする」
貴族の言わんとするところはもっとも。ならば、やるべきは。
手を上げる。
「ふむ? 何か案があると申すか。発言を許す」
存外に、頭が柔らかいのだろうか。
「失礼、いたします。こちらをご覧下さい」
手に掲げたのは、一枚の羊皮紙だった。
「ふむ……言わんとしておるところは理解できん。これでは、負けているようなものだぞ。あえて、逃亡する振りをするとな? しかして、伸びきった点で反撃すると。勢いで、飲まれるのではないか。危険な策であろう。皆は、どう思う?」
まじまじと見るが、面々の顔は赤い。
これでは、勝てる戦いだって負けるだろう。何を呑気に構えているのだか。
とっとと逃げ出す準備でもするべきだったのかもしれない。
禿げ上がった頭と奇怪に膨れ上がった腹をした赤ら顔が、
「心配ご無用。連中が到着する頃には、ミッドガルドからの援軍も到着しているでありましょうよ。さすれば、陛下のご威光の元へひれ伏す事まちがいなし。大ミッドガルド万歳、うっぷ」
明らかに敵を侮っている。軍監が、これではほとほと困る。
「して、その援軍とやらは何時? 到着なのでしょうな」
「魔導通信を送った故、そうですなあ。1時間もすれば、王国最強の兵団がやってくるでしょう。アルカディアの精鋭を次々に葬った、おっとこれは失言でしたな。あっはっは」
「ほう……」
赤ら顔に、含むところがあるのか。1人の貴族と思しき男が眼を細める。
「ディアス、ならんぞ」
「わかっとります」
副官か。中心となっている男は、
「この案は、残念ながら高度なようじゃ。仕掛けるにしても、我が軍が採用するには難しいな。従って、別の案を期待する」
「はっ」
東方にて、最強の戦術と呼ばれた釣り野伏。その変形を仕掛けるのだ。
が、難易度を理由に却下されてしまった。阿呆呼ばわりされないだけマシか。
そこで、顔面の青白い男が。
「閣下。提案ですが、ここは偵察部隊を設えて強行軍でくる敵に夜襲を仕掛けては?」
「うむ。それを儂も考えておったところだ。しかし、これはこれで危険があるな」
「何もせずに、籠城していたのでは周辺住民の避難もままなりますまい」
上手い言い様だ。某かを理由に、時間だけが過ぎ去っていくのを嫌っているようにも聞こえる。
ピエールも時間稼ぎというのは、有用だと考える。
だが、元々少ない兵力で位置まで悟られかねない案だ。
魔術で、通信妨害を受ける事を考えれば。
小出しにする偵察すら勿体無いとも言えるし。そうであっても、出す価値があるとも言える。
「うーむ」
「閣下。時間は、迫っております。敵が空中騎兵団を先行してきた場合……」
そこで、耳をつんざくような音がする。
慌てて外へ出ると、空には黒い影。
「やばい! 魔術の使える者は対空迎撃。爆弾の落下を阻止しろ!」
ヘリか。魔獣か。高々度から降らされる物体が、夕暮れ時の光に照らされる。
真っ暗になってしまえば、それはそれで投下しずらい。
(空中兵団は、何をやっていたんだ? まさか、こっちの航空兵力が全滅したんじゃ)
悪い予感。
そうなると、もう逃げるしかない。アルカディアが誇ってきたゴーレム兵や飛空艇のほとんどが先のミッドガルド戦で消耗されている。国内に伸びていた鉄道だって、復旧するのが精一杯だった。
淡い光を嘲笑うかのように、円筒形をした物が落下してくる。
爆弾か。
「対空! 何をやっている。上へ上がって迎撃戦用意!」
わずかな兵しか上がれない。そもそも、飛行自体が高難度の魔術だ。
怒声も爆音と相まって、羽の生えた獣に乗った兵が飛んでいる。
敵だ。
味方の騎兵はどこへ?
見えないという事は、死体にでもなったのだろう。
「閣下。ここは、お下がりください」
タイミングが悪い。鋼鉄の箱が、高度を下げてくる。
空を切って、押し寄せる死の雨。
盾で防ぐも、敵の攻撃は止まない。味方の攻撃で、落ちるだろうか。
「貴様、でかした。そのままだぞ」
死ねという気か。そんなつもりは毛頭ない。どんな事をしてでも生き残るつもりである。
ただ、己の身を守ったまでだ。
逃げ出そうと馬へ乗る貴族たち。見捨てるのか。
見捨てるのだろう。
捨てられる兵士たちは、いい面の皮だ。
「やつら、戦闘ヘリを持ってんのか。落とせる奴は!」
魔術しかない。その魔術士もA級のが欲しい。
罵声と怒号が飛び交って、死体とかしていく味方。音速を超えて、飛来する死傷の種がばらまかれると。
重装甲職以外は、生きていけない。なんだって、鋼鉄の箱にまで魔力が乗るのか。
騎兵の職を持つ物が、文明の利器を魔力とスキルで操ると桁が違ってくる。
「精霊術師、魔術師。ローダーだ。回っている羽、そこを狙え! それと、治癒が使える奴は木陰に」
仲間は、残念ながら救ってやれそうにもない。といって、敵もまた羽への攻撃を見越していたかのように高度をとる。なんとも、憎らしい。周囲に待機する獣に乗った兵が、羽狙いを妨害するし。
初戦から、完敗だ。
爆発する音が盛大にする。後方だ。ピエールいる場所は、天幕から出たところ。
東から太陽が上がって西に沈むのだから、東側の方だ。
「生きている奴は、砦に走れ。もしくは、バイヨンヌを目指せ」
砦では、持たないだろう。
声をあらん限りにして、叫ぶ。もう、散り散りになって逃げるしかない。
敵は、強襲をかけてきた。
結界は、いつの間に破られたのだろう。
「しっ」
裂帛の気合を込めて、手甲で矢を払う。一応、ピエールは重戦士持ちだ。
幼馴染もいる。でなければ、故郷に帰ってきたりしないだろう。
錦を飾るはずが、当の幼馴染が別の男とねんごろになりそうな感じだったりして。
泣けてきた。
(まったく、どうかしているぜ)
「いくべえ。おまいも、走れえ」
「はっ」
隊長の男と並走する。ついてきている人間といえば、それはもう酷い有様だった。
「まいったべ。こりゃあ、負けだかんなあ」
「負けとは限りませんよ。あの、戦鬼が来るなら」
「そっただ、嘘なんじゃないべか。あんだら、まだ9歳っていうでねえか」
そうなのだが、尾ひれがついていたって騎士が幾人も倒されるだろうか。
そんな事はない。現物こそちらっとしか見た時はないが。
「こいが、いくさの変わり目になんだべか」
「常識が、通用しませんね。ええ」
まさか、初手から航空戦力で勝負をかけてくるだなんて誰が想像しただろう。
ピエールもそうだが、大抵の職業軍人は一番槍だとかそういうのを誉とする。
一騎駆けだって、いつかはやってみたい。
そんなものは、夢物語と知っていても。
「んだば、バイヨンヌまで逃げ切れるのが一体どんだけいっかだなあ」
「さて、それは!」
馬が、空を飛んでいて。しかも、鋼鉄のからだをしているなんて。
ちょっと前までは、歩兵と歩兵のぶつかり合いが常態だったのに。
鋼鉄の兵器にスキルを乗せて、こられればこういう事になるなんて。
「あぶねえっ」
太い腕に突き飛ばされて、転がる。林に差し掛かって、後ろを見れば。
機銃で、倒れた兵士たちの姿があった。
こんな物を望んでいたのか。
なぜ、夕闇でも敵はピエールたちの姿を見つける事ができるのだろう。
そして、腕を無くした隊長が。
「ピエール。はよいけ~」
というのだ。隊長の腕は、どこにある?




