292話 つかの間に ●(セイラム挿絵)
大会の熱気も、冷めやらぬ舞台。だが、出口から不穏な気配を感じる。
「で、こいって出てきたか?」
なにを言っているのだろう。この娘っこは。
意味がわからない。鯉ではないなら、恋なのだろう。恋って、簡単に生まれるものか。
いや、恋人を作って歩いている姿を見ると殺意が湧いてくるけれどさ。
「いや?」
「いやって、そんなさー。ここは、恋しちまったぜっ。おらぁとかって、襲いかかってくる場面じゃねーの」
頭をどこかで打ってしまったのかもしれない。
ふわふわした金色の髪の毛を三角帽子にしまった幼女は、口を尖らせて言う。
周囲では、座布団ではなくて空き瓶が舞台に投げ込まれている。
「それは、どうなんだろうね。ただの変態じゃないかな」
エリアスの妄言は、相変わらずだ。
空き瓶は、仕方がないだろう。まったくの無名。ダークホースが勝利してしまったような物だ。
帽子の鍔をしきりに直す幼女は、指輪をしげしげと見てから箱を鞄にしまう。
「っかしーな。父ちゃんとかーちゃんは、大会に出てたら恋に落ちたとか言ってたぜ。嘘なのかよ」
嘘に決っている。或いは、苦戦に次ぐ苦戦で吊橋を渡っているような気分になったのかもしれない。
存外、男と女は単純なものだ。
「で」
続きを言う前に、飛来した拳を受け止める。エリアスの腹を撃ちぬく軌道だった。
「勝負するしかあるまい」
「そうですわ。いまさら、間に入ってこられても困りますし」
拳の主は、セリアで入口から入ってくるのはフィナルだった。どうして、こうなるのか。
「お前ら、妨害しないんじゃなかったのかよ」
「あら、大会は終わりましてよ。そして、ここからが貴方の死地ですの。乗り越えられるならば、合格です。天才さん」
優雅に、しかし、フィナルの目は座っている。違和感を感じた。そして、視線も。その視線の主を探すと、アルーシュが上段の舞台を見下ろす場所に座っている。
隣には、ミミーとモニカ、ミーシャの姿があった。
「ふん。私を出し抜こうとはな。度し難いぞ。魔女如きが」
斜め後ろには、金髪を垂らす男の姿がある。ローブを着た立ち姿に、立ち上る魔力はさながら天に伸びる柱そのもの。
魔術師でも、高位の術者なのだろう。観客が、戸惑っている。出ようとしていた人々が。
「あれは、フィナル様? どうして、このような場所に」
声を他所にして、
「ここで、勝つ!」
地面を、剥がしながら破片を飛ばしてくる。目くらましと牽制か。
同時に、猛然と突っ込んでくる。その拳からは、雷鳴がして光はエリアスを撃ち抜こうとした。
当然、させない。受け止める手の平からは、白煙が上がり続けて痛い。
「必勝、必殺のっ」
連続しての物理攻撃。大概の相手なら、お肉になっているだろう。そこへ、割り込む。
「暗黒覇道」
セリアの拳と言わず身体に、黒いタールの如き液体が巻きつく。
セリアの攻撃をまともに受けていれば、余波でエリアスが死んでしまいかねない。
瞬時に展開する方陣が、彼女から魔力を吸い上げる。
だが、セリアの背後ではフィナルが膝を付いて祈っていた。
セリアは這いよってくる。どうして、そんなに力強いのか。
「今日こそ、勝つ」
無駄だ。
「勝って、お前に、並び立つ」
無理だ。
「どうして、届かないんだ」
無謀だから。
断崖絶壁にして、不退転の童貞道に敗北の文字はない。
なぜなら、生きながらずっと敗北しているからだ。
その生涯に、一点の曇りも無し。玉無し。
故に、勝利しなければならないのだ。せめて、戦いくらい勝ちたい。
必ず、勝利を。
「うぉおおおおおおおっ。我に、力をっ。まだだっ、まだ終われない。フィナル、もっと力を寄越せっ」
「もちろんですわ」
全身全霊。黒い縛りを解かんと渾身の力を込めている。フィナルから、輝く伸びる糸。それが、セリアに繋がっている。『補給』だ。いつの間に『補給』を身につけたのか。振りほどこうとする黒が、霞んでいく。
だが、そうはいかない。さらなる追撃を。
「我は、闇。奈落の底にて、飢餓に怯えるものなり。定めに抗いし、気高きものよ。落ちよ、須く。汝、全てを押し潰すものなればこそ。押し込め、断絶し、望みを消し去るだろう。黒き獄蝶!」
漆黒の蝶が、集い。鞭のように幾条も軌跡を描く。蝶が沼地となって、セリアとフィナルを捕える。影よりもなお濃い。闇夜よりもなお暗く。フィナルの光を吸い込む。
「ぐぅ」
がりがりになったフィナルが先に地面へ倒れると。
次いで、セリアも倒れ伏した。全身から、血を噴き出しても動いているけれど進まない。
「ちっ。やはり、勝てないか。勝負あり。最初の一撃が、駄目だったようだな」
足を組むアルーシュが、不穏な事を言う。沼地を消しても、壊れた人形のように動いている。
「なるほど。これは、素晴らしい。私が、調べても?」
長い髪に端正な面持ち。伏せられたまつげが、中性的な男は涼しげに言うと。
「それには、及ぶまい。というよりも、捕える事が不可能だしな。魔術師、お前といえど消す事になる」
「それは、怖い」
肩をすくめた。
「ラムサスもユークリウッドには手を出すなよ」
髭を伸ばした老人が、立っている。腰を斜めに下げて頭を下げた。
「あんま、本気で魔力を吸い取ると死んじゃうかもしんないぜ」
「ああでもしないと、止まらないよ」
セリアが、剣を使っていても結果は同じだろう。エリアスは、心配しているがちょっと手を抜いたら殴られかねない。劣勢になれば、エリアスは自身の身を心配する必要があった。わかっているのか、わかっていないのか。
彼女たちは、真剣だった。同時に、子供なのに重すぎる。
ユウタは、信じていないけれど。フィナルとセリアに回復魔術をかけると。
「この愛は、不滅。この恋こそ、永久。この想いは、不変。そ…」
フィナルは、顔面を近づけてくる。
危ない。デコピンで、よだれを垂らした。
セリアは、血まみれの顔を綺麗にしてやる。そうして、2人共に動かなくなった。
どうして、こんなにも必死なのか。
理解し難い。なぜなら、この世に愛などないからだ。恋など、性欲だからだ。
欺瞞に満ちた世界よ。腐れ堕ちろ。
「いいのかよ」
「何が?」
「何がって、あいつは本気だぜ? 餓鬼のころから、お前の事一筋じゃん」
嘘なのだ。彼女は、吊り橋の上を歩いているだけ。信じるに値しない。
舞台の周りでは、観衆が血走った目で見ている。誰を? 己をだ。
フィナルを殴っていないのに、どうしてそんな目で見られるのか。
「いこう」
「あー、やばい事になりそうだけどなー。いいのかなー」
エリアスは、腕を頭の後ろに組んで歩いていく。
アルーシュの姿は、ミミーやモニカと共に消えていた。
控え室には、黒髪の少年が女の子と一緒に立っている。ゼクスとファムだったか。
ゼクスは、『ループ』のスキルを持つ。とても、興味深い。
「おめでとう。強いんだな」
白々しく思える。この少年から漂ってくる気配は、おもねりだろうか。おひねりなんて出せない。
「ちょっと、ちょっとー。ごめんなさい。こいつってば、初対面のひとに失礼だよ」
「初対面、つってっても何百回と殴られてるんだぜ。もう、勘弁してくれよって言ってるだろ。たまんねーよ」
「そういう事じゃなくって、失礼だって話を聞いてるの?」
どうも、お世話焼きの恋人のようだ。耳に指を突っ込みながら、
「わかってるって、貴族さまだから失礼ないようにって事なんだろ。で、だ。あんた、転生者か?」
ずばり、聞いてきた。しかし、ばらしたものか。アキラには言ってしまったが、バラさない方が痛くもない腹を傷めずに済む。ゼクスを味方にする選択肢ではありそうだが?
⇒
白状する。
しらばっくれる。
「いえ。転生者とは?」
すっとぼけてみることにした。
「いやいや。どうして、知らないふりをするんだか。まー、警戒するよな。でもって、おかしなスキルを持っているんだ。ばらしたって、危険は無いと思うんだがねえ」
あるでしょ。チートをもった日本人ほど危険な生物はいない。小説にあっては、チンピラ同然の言動と行動。ゼクスのような慎重派というのは、実に少ない。
挑発をしない。煽りもしない。
大抵は、神だかなんだか得体の知れない存在からチートを授けられて無双するという。
召喚する側も側だが、首輪も無しに悪魔召喚するという頭の沸いた連中だ。
日本人であるにも関わらず、原住民を殺害するのに抵抗を感じず大量虐殺するのはお手の物。
自分で、敵を葬る巻き添えに村人を殺しまくっても良心の呵責なんてない事が多い。恐ろしい連中なのだ。
己だってそこまではしない。敵は、敵。
だが、暴走して関係ない人間まで殺しまくらない。
(ゼクスは、チンピラには見えないけど)
日本人の転生者、転移者というのは脅迫と恫喝が大好き。
棚ぼたの力を背景にして、異世界の王族に対して「潰すよ?」なんてことは当たり前。
(隠している可能性だってあるんだよなあ)
仮にも宮仕えしているのだ。であれば、出会ったが最後互いに殺し合うのは必定ではないだろうか。
たまたま、ロシナとは殺し合いにならなかったしアキラとも拓也とも上手くやっている。
と、勝手にユウタは思っていたし。
これからも、ユウタが折れてアキラや拓也が無茶苦茶な事を言い出したりしなければ援助するのはやぶさかではない。強者とは、許す事のできる人間だと信じているから。
若い時には、わからないんだよな。
「さて、ね。これ以上、話をしても進展はないように思えますが」
馴れ馴れしいし。謙虚さが、鼻につくし。
「わかった。俺は、転生者だ。これで、正直になってもらいたい。あんたとは、仲良くしたいんだよ」
疑わしいし。急に接近してくる相手とは、つるめない。
「転生者ですか。それで、ハーレムのお手伝いが必要になりましたか」
ハーレムなんて作らねーよという奴ほど、どんどん作るのだ。
しかも、婚約者とか嫁とか公言するのである。
「間に合ってるって。あー、わかってんじゃん。だったら、どうしてそんなに警戒するかねー」
堅実なのが、いらだたしい。アキラのようなのも面倒だが。
「こらっ。ゼクスは、突拍子もない事をいって困らせちゃだめだよ。ごめんなさい。たまに、こんな事を言い出すんです。頭は、おかしくないはずなのに。可哀想な子なんです。勘弁してください」
「はあ」
とっくに、尻に敷かれているようでもある。
ファムは、耳を引っ張ってどうにか連れていこうをするけれど。ゼクスに手を握られて、うんともすんとも動かない。
そして、
「興味深いな。転生者か。話してみろ」
アルーシュとラムサスが控え室に入ってくる。
「これは」
ゼクスが、片膝をつくようにしてしゃがむ。ファムも同じようにした。
なので、というわけではないがユウタもしゃがむ。
「その転生者というのが、真の話ならば然るべき地位につけてやるのも働きしだいではありえるな。ゼクス某とやら」
「はっ」
ゼクスは、頭を下げたまま返事をする。まともすぎる。怪しいではないか。
ミミーがさっと椅子を用意して、アルーシュがそれに座る。まるで、長年いる侍従のようだ。
後ろにラムサス、モニカと立つ。
騎士に取り立てるとなれば、性格はもちろん家柄だとかなんだとかが絡んでくる。
アキラが、ミッドガルドで騎士になろうとするのはすごぶる難しい。
なにしろ、警察と軍隊がごっちゃになっているのが騎士なのだ。
武士は、切り捨て御免があるといっても実際には斬れなかったという。
「ゼクスの、なるほどな。スキルは、一応ユニーク持ち。『ループ』というのは、珍しいな。ユークリウッドと戦わなかったのは、そのスキルを利用した為か?」
「そうです。倒すのは、無理でした」
無理だったのか。『術理』とか気になるスキルだ。
「ふむ。ちなみに、どれくらい対戦したのだ」
「90回くらいでしょうか。倒れる寸前で、ループしていたんですけどね。無理だと思いました」
ユニークスキルを使いまくれるようだ。
べらべらと話をして大丈夫なのだろうか。だんだんと、このゼクスが心配になってきた。
なにしろ、アルーシュの気分で死体になったりするのだ。
そういう世界で、そういう国なので。
「ふーむ。ところで、随分といい能力を持っているというのにとんと聞かなかった。どうしてだ? 年齢は、14。シグルスとは同級生だろ。話を聞いてもおかしくない。学校には行っていなかったのか」
「あー。その学校では、スキル測定を避けていたので」
保健室通いだったのだろうか。あるいは、
「偽装は持っていないのに、測定日だけ仮病でも使ったか」
「えっと。実家の方で、受けてそれをですね」
片田舎に住んでいるらしい。それで、よくも抜けられたものだ。ファムの方が協力したようである。1人では、困難だったろう。
「では、これから色々とユークリウッドの任務を手伝ってもらうとしようか。それでももって、従騎士とする。魔術師としても位階を高める事も可能だ。どうする?」
「えー、あー、と。今更、逃げられませんよね」
アルーシュを伺うように言う。書類に目を通しながら、
「可能だが、部屋住みでは苦しかろう?」
冷たい視線だ。アルーシュは、値踏みしてやがる。部屋住みというからには、次男、三男、或いはもっとか。
「冒険者としても…」
「可能だな。武者修行という名目で、迷宮への探索も可能だ。ただし、レベルを上げられない。ようでは、困る。急な出撃に合わせられる者だけだからな。空間魔術が使える。或いは、金があって飛空船でも持っているとかだ」
「ですよねー。よろしければ、お引き立てのほど願いたく。非才の身ながら全力を尽くします」
「うむ。よろしくな。今日は、良い日かもしれん。また、宴会でもやるか」
己の足がもつれて倒れそうになった。
花見ではない。ダンスパーティーになるのが困りものだ。ユウタは、踊りなど踊れない。
話が盛り上がる横目に、エリアスとさっと抜け出す。
ザビーネは、興奮した様子だがルドラの方は当然といった風だった。




