215話 もしかして6 (ユウタ)
葛真は、歩いた。
歩きに歩いた。しかし、行けども行けどもそこがどこなのかわからないほど。
終わりの見えない逃避行に、姫も女騎士も従者も疲れきっている。
「もしや、これは罠だったのでは」
「それは、ありません。お父様が、逃げろと言ってくれたのですから」
女騎士ことレイラは押し黙った。不安は、隠せない。なにしろ、葛真はその政策能力を評価されていた一方で他者を省みなかったから。彼が良かれと思って実行したことを当の本人が検証していただろうか。こういった敗戦となれば、そのツケが身に降りかかる物。
湿った空気が、不安を増加させる。ニャルルンが塞いだ壁だっていつまで持つのかわからない。
後ろからやってくる水で溺死するかもしれないのだ。
意を急くようにして、葛真が立ち上がる。
「次に休憩を取るのは、姫が動けなくなった時だ。それまで歩こう」
「はい」
ニャルルンは、疲れているようだ。しかし、歩かないといけない。一刻も早く外へ出なければならないのだから。重くなった足。姫の体調は、悪いだろうに。
そんな馬鹿な、とレイラは思ったが口に出せない。止まれば水に飲まれるという不安。それが、一行の歩みを急がせた。その結果、姫が歩けなくなる可能性もあるが。
「姫様。具合が悪いのでしたら、背中をお貸しいたします」
「いえ。それよりも、ニャルルンは大丈夫なのですか。彼女の消耗は、私の比ではないでしょう。レイラ、頼めますか」
「はい。先に行っていてください」
ニャルルンを気遣う姫の心に、レイラは心が暖かくなった。だが、それでニャルルンの精神力が回復するわけではない。ニャルルンは、術者として高い能力を持っているけれどずっと土壁を使いっぱなしだ。このままでは遠からず、ニャルルンは気絶してしまうだろう。そして、動かなくなった人間の体重たるや動くそれとずっと違う。
「ニャルルン。大丈夫か」
「あちしは、大丈夫にゃ。レイラも追いかけるにゃあ…」
大丈夫ではない。ぷるぷると震えるように杖を支えにしている。限界なのだ。ここで代わってやりたいが、レイラは魔術士を持たない。つまり、代わりにはなれない。すると、
「にゃる…ん、置いていくにゃあ」
「なに?」
「ニャルルン、恩返しをするのもどうやらここまでのようにゃ。もう少しで外に出られると、思うにゃ」
「なら、連れていくぞ」
姫のおかげで暖かくなった心が、土砂降りに見舞われる。まだ、行ける。怪我は、ない。まだ、諦めるには早すぎるではないか。
しかし、猫人族の女従者は頭を横に振った。
「ニャルルン。耳がいいにゃ。レイラには、聞こえないにゃ? 壁、壊してくるのがいるにゃ」
「何? ならば、ここで私も戦うぞ」
「それじゃあ、誰が2人を守るにゃあ…」
言葉に詰まった。誰が、いや2人で護る。違うのか。ニャルルンは、座り込んだままだ。
目尻に涙が貯まるのを感じる。泣くには、早い。彼女の決意が、硬かろうとも連れて行くべき。
「にゃるるん…」
「さっさと、行くにゃ。あちしがやれるのは、壁を張る事くらいにゃ。外に出たら、すぐに隠れるのにゃ」
「だがな、あ」
杖で、ニャルルンがレイラを押しのけた。そこに、土の壁が盛り上がる。半分ほど。
ずずずっと、上がっていく。
「さあ、行くにゃ。もうすぐそこまで来てるのにゃあ。最後の力を振り絞って大きな壁を作るにゃ」
死ぬ気だ。ニャルルンは。レイラが、後ろ髪を引かれながら出口に向かっていく。敵が何者かわからないけれど。
それでいい。ニャルルンは、もう動けない。何回、土壁の魔術を使った事か。
土でできた壁は、永続的に持つ物ではないから。如何にニャルルンが頑張っても半日が限度だ。
それ以上は、張っているのも無理。そして、迫ってくる相手が水であればまだよかった。穴を掘ってやり過ごす事もできたろうに。
生きた追手だ。ニャルルンは、思い出す。いつも。いつも、言われのない攻撃を受けていた。それをなんとかしてくれたのは、姫であった。葛真というぽっとでの勇者には、勿体無いくらいの姫様だ。
暑い夏の日。
ニャルルンを姫が助けてくれなければ、犬人の大人が持っていた棒で叩き殺されていただろう。
その恩。
飯を買う金がなくて、道端で缶を前にしていた時。
腹が空き過ぎて、食物を盗んだ時。
ニャルルンを犯そうとして、犬人たちが襲いかかってきた時。
ニャルルンにとっての勇者は、姫だった。それが、どんなに都合よくても。
「とっても、とっても、嬉しかったにゃ」
つーっと鼻から垂れてきた血が、限界を教えてくれる。
そもそも、獣人には魔術の適正が低い。だから、魔術士なんてやっていると馬鹿にされるか鼻つまみ物。しかも、ニャルルンは白猫族で真っ白な毛並みをやっかんだ犬人にいじめを食らっていた。
白いというのは、どうも犬人にとって特別であるらしく。猫人である事も迫害の対象になっていた。それは、耐えられた。どうしてか。
もっと言えば、猫人は国を失って久しいからか。虎やら獅子やらに比べれば、貧弱で。猫は借りてきた猫と言われるくらいに貧弱で。12支に入らなかったりする。
「ニャルルン、最後のご奉仕にゃよ。姫様、どうかお達者で、にゃあ…」
杖に力を込めて、最後の魔術を行使する。命も燃えよと、全力の土壁だ。
(おとうちゃん。にゃるん、頑張ったにゃ)
給金で、両親の為に立派な家を建てた。猫人の仲間に、仕事を用意できた。兄が犬人と結婚できた。
まるで、夢のよう。
目の前に、土壁が出ると火花が散った。
◆
レウスは、歩き疲れて地面に浮いた板の上で寝ている。
残念ながら、普通だ。
普通の幼児に、何を求めようというのか。冒険者にしようとするのも、兵士にしようとするのもユウタのエゴでしかない。やりたいように、やりたい事をさせてやるべきなのだ。レベルだけを上げたところで、ただの殺人兵器が出来上がりかねない。
「こいつ、とても弟とは思えないのだ。普通っぽいのだな」
「そうですね」
「あの区域を掃除するのはいいが、その後にビジョンとやらはあるのだろうな」
「もちろんありますよ。仕事がないから、ああなるのでしょう。道路をよくして、物流拠点でもいいですし。工場を作るのもいいですね」
「工場は、嫌いではなかったか。やりたいのなら、禿げどもとやりあう必要があるのだ」
「決めるのは、アルーシュさまですから」
「ふむ」
てくてくと進んでいく内に、2階のボス部屋まできてしまった。2階は、1階よりも人が多い。しかも、引き狩りまでしている。魔物よりも、人の方が多いのではないか。火を付与する術を使う冒険者が多く見かけられる。喧嘩を売ってきてもおかしくないのだが。
ガイドブックをぱらぱらとめくっていると。金色の鎧を全身に纏った騎士には、声をかけないようにという注意書きがあった。なるほど。納得の文言だ。声をかけたら、何を言われるかわからない。どけ、で済めばいい方なのだ。
「ぷにぷにしてるな。うーむ。もっと下まで降りた方がいいような気がするのだ」
レウスの頬をアルルが引っ張って言う。
「お言葉ですが、シグルスさまを待ってから降りた方がよろしいのでは?」
「む、鍵が掛かっていないぞ。中は、ボスが居そうだな。進むのだ」
まるで待つ気がないようだ。後ろからつけてくる冒険者はいないようだ。
中に入ると、
「いないのだ。また、倒された直後なのか」
いる。ボスではない。何者かが。待ち伏せをしている。しかし、隠れていられるような場所はない。
微弱な振動だ。
ぼこっと地面から手が生える。すかさずそれを蹴飛ばした。腕の先が無くなって、真っ赤が血が噴水を描いた。そのまま真上に上がってくるところで、顔を横に叩く。頭が取れて、壁に激突した。地面を割って出てきたようだ。身体は、青黒い。モグラでもしていたのか。
鑑定すると。魔族の死体と出てきた。
リヒテルの配下なのだろうか。段々と、別の勢力ではないかという疑念が湧き上がってくる。
仮にも、魔王の娘を預かっているのだ。ユウタを倒して取り返そうという一派かもしれないが。
「こいつ、なんだったのだ。地面に潜っているとか。しょうもない雑魚なのだ」
まだ終わっていない。板で呑気に寝ているレウス。攻撃されては、大変だ。
狙いは、ユウタなのかそれともアルルなのか。攻撃が集中しているのは、ユウタの方。
レウスが狙われるとしたら、人質にでもしようというところだろう。
ぼこっと、地面を上げてレウスのいる板を掴もうとする手。
「むっ。レウスを狙ってくるとは」
しかし、手は掴めなかった。そのまま空を掴む。ユウタの手が、レウスを抱えると。
「はっ」
手は、壁に叩きつけられて。上半身が、出てきたところをまたも蹴る。
壁の染みになった。
「フシャアッ」
別の場所から出てきたのは、のっぺりとした顔の魔族。穴が1つと眼らしき赤いものが付いている。腕からは、爪が伸びている。右から、左から。数が多い。
「我、求めたり。至高の愛を。我、守護る、愛しき人を。聖域!」
「火嵐よ、奔れ」
柔らかな光がアルルとレウスを包む。ついで、間髪を入れない炎が部屋の中を乱舞した。
収まると、そこには黒焦げになった魔族の死体。数の方は、両の手ほど。身体は、大型の熊といった大きさだ。焦げているので、食物にもならない。
「大丈夫ですか。アルルさま!」
「むむ。全然、余裕だったのだ。というか、火の嵐なんてつかったらレウスが危ないぞ」
普段は、自爆するアルルが口を尖らせて黒いとんがり帽子を被った幼女と白いフードを目深に被った幼女に言う。
「心配ならさずとも、ちゃんと障壁を張りましたもの。安心でしてよ」
「まー、ほら、ひと網で打尽ってことだぜ!」
「むー。ところで、こいつ、大物だな。音もすごかったはずだぜ。なのに、平然と寝てやがる」
銀髪の幼児は、がびがびになった白いシャツに革鎧のまま寝ている。子供なのだ。そんなに歩けないし、一足飛びにレベルが上がっていく。なので、身体が睡眠を欲しているのかもしれない。
「んー。げえっ」
エリアスが、レウスから何かをまさぐって見ている。
「なんですの。さっさと歩きますわよ。このようなところ、経験値になりませんの」
「い、いや。グスタフって、ユウタの親父だよな」
「ええ。それが?」
「いや、それがって。こいつ、ちょっとステータスカードを見てみろよ」
「勝手に見るのは、プライバシーの侵害ですよ」
「いやいや。見とけって。こいつは、とんでもない事になっているぜ」
何がとんでもない事なのだろうか。
ステータスカードを手渡される。勝手に、人のカードを見ていいはずがないのだが。と、思ったがやはり好奇心が優った。グスタフとの関係が気になる。それが、違ったらどうするのか。という内心のざわめきを他所に。
そこには、【名前:レウス】
【年齢:8歳】
【種族:人族】
【レベル:7】
【職業:貧民】
【スキル】なし
普通だった。普通というよりも、貧民が酷い。すぐに転職させるべきだろう。10で兵士か冒険者に。それがいい。しかし、エリアスはどこに驚いたのか。よく見ると、【家族】の欄が。
「ははは、あの糞親父っ」
思わず地面を殴っていた。ぶわっと空気が浮き上がって、迷宮の床がめこめこと下方向に破壊されてなくなった。思い切り力を入れていた。幸いな事に、本気ではなかったのと下に冒険者がいなかった事だろうか。
カードの【家族】そこには。
「XXX。これは抹消された人のようですわね。死んだのかしら。それとも…奴隷、養子にされたというのが妥当ではなくて?」
「うむ。だが、あの生活を考えれば仕方がないのだ。きっと、生活に困って泣く泣くだったに違いないのだ」
アルルは、非常に楽観的だ。どこまでも突き抜けているというか。
一方で、フィナルは非常に現実的な物を言う。常日頃は、メルヘンの住人であるのに。
ユウタとしては、奴隷でも養子でも頭が沸騰しそうな感じになっている。
もう、狩りどころではない。
奴隷商人には、伝手がある。セリアを買った奴隷商人かそれともコルトかはたまたゴメス辺りにでも探させればいい。死んでいない事を祈るばかり。
それにしても、
「アルブレスト卿は、謹厳実直な方だと思っていたのですが。それは、彼の一面でしかなかったという事ですね。ユウタ様も見習っては、いかがでしょうか」
「いやいや」
シグルスはとんでもない事を言い出した。明らかに不倫である。ユウタは、不倫と聞いて眉をひそめた。
ハーレムは、憧れだ。現実をみれば、厄介極まりない。セリア1人でも持て余している。あんな暴力女が嫁になったら、寝ている間に殴り殺されかねない。今は、まだいいが。未来は、ぼこられるのである。
ハーレムを実際にやるとなれば、それは大変なのだ。だから、過ちとして過去の物にしたい。
未だに、愛は見つからないけれど。きっと可愛いお嫁さんは、見つかるはず。
「大丈夫なのだ。まだ、後宮にはフィナルとエリアスしかいないけれどなっ。そのうち、十万人くらい用意してやるからな!」
「流石です、アルル様」
流石でもなんでもない。ふんぞり返るアルルに、シグルスが拍手している。
「側室をあんまり増やされると、ユウタのあれが薄くなってしまいますわ」
「ふーむ。しかし、ルナとティアンナは確実に入れんと反逆しかねんのだ。オルフィーナとオヴェリアはキープ枠で、と」
幼女は、手帳をつけている。嫌な手帳だ。燃やしたい。
女性陣で、どうにかなってしまいそうな会話をしている。アキラがいれば、まだこのような会話を防げる。ユーウのように殴って黙らせるのは、無理だ。会話しながらの狩り。魔族の追撃は、ない。レウスが寝ているので、下の階まで行って解散となった。
寝ている間に、レベルだけ上がるのはいただけないような。




