212話 もしかして3(ユウタ)
アルトリウスに先を越されるとは。
普段なら、憤怒で顔が真っ赤になっただろう。
しかし、
(馬鹿め、すでに事象収束器は私の手の内にある。全ては、計画通りだ。もはや変態すら敵では、ない。見てろよ、勝つのは私だ)
眼帯と幽霊がラグナロクをぶん投げてどっかに消えたのは、計算外だったが。
せいぜい、目先の勝利に溺れていればいい。
エンシェントゴーレムが稼働しているのは、アルルとアルーシュでどっこい。
黒き剣のあるアルーシュ側の方が、むしろ優勢だろう。
アルトリウスの竜機兵は、未だに稼働の目処が怪しいという報告だ。
(最後の角笛は、何時、鳴ってもおかしくない。手駒の数では、奴の方が上なのが困ったところだが…。む!?)
コアが、奇妙な反応を見せた。と、思ったら水が吹き出してきた。
(始めの上にはでもあるまいに…。心臓部から、水が? どうして、水が出てくる!)
部屋が、瞬く間に水で飲まれていく。中心部に至る通路からそれは、吹き上がっている。
「アル姉。これは、不味いのでは?」
「わかっている。水が、どこから来たんだ」
セリアは、押し流そうとする水に逆らって近寄ってきた。
「コアを見に行かないと、これは原因がわからないと思う」
「わかっている」
しかし、ますます水が勢いを増している。押し流されそうな水量だ。水が噴出してくるなどありえない話なのだが。浮遊城には、排水施設なんてない。そもそもが、水がこないような作りだ。水が入り込んでも、勝手に流れ出すとはいえ。
押し流す水をかき分けて、動力源に通じる水晶に手から神力を通す。
がこっと音がして、下への道ができたら。
「なにっ」
水が、勢いを増して部屋の中に溢れていく。セリアが扉を開けている。そこに猛烈な勢いで、水が流れていく。樹で、ある程度の方向を決めてやる事ができるとはいえ。水の不可解な発生は、下層に甚大な被害を与えそうだ。
溢れてくる水は、夢幻石が配置してある場所だ。最重要機関を囲むようにして、浮遊石を制御している。そこへ通じる路から水が大量に溢れて止まることがない。
「おかしい。これは、まるで石から水がでているようだ。何か心当たりは…」
そこで、気がついた。魔力を補給しているのはユークリウッドだ。そう。浮遊城を浮かしているのはユークリウッドの魔力。であるのなら、彼の身に何かがあったと見るべきだろう。水が出てくるからには、某かの影響で感情が現れているのかもしれない。水といえば、
(よもや…なあ。想像しづらい。ユーウが泣いているのか?)
泣く理由がわからない。昔から、すまし顔だ。なんでも言う事を聞くので、都合よく使ってきたが。彼は、人間ということだ。悲しいことがあれば、泣くのだろう。アルーシュにとっては、理解しがたい感情である。神族は、哀れんでも悲しむという事からことほどに遠い。
長く生きる神ほど、その傾向が強くある。
セリアが、口だけ狼に変えて飲み込んでいく。すると、
「ごっ、ごふっ、おげええええ」
七転八倒。水が、猛毒であったかのようだ。セリアに、大ダメージを与えるような水には見えないが。
手ですくってみると、それを舐めてみる。
舌が、燃えるかのようだ。
意識が遠くなってきた。
(なっ、なに・・・これは、聖なる水界の)
石畳を剥がして、その下に水管を配置していく。
頭の上には、太陽。その日差しは、南側から照らしていく。城が、影になって貧民街には影になるのである。通りを歩いている住人たちは、奇異の視線を送っていた。灰色の壁からクリーム色に塗り替えたの前では、鍋をかき混ぜるレウスの姿。子供たちが、群がっている。
うどんだ。それなりに具が入っている。
ユウタといえば、家の下に配管を送る作業をしている。大変だ。普通なら。何しろ作る前に配管を設置していないといけない。ビニールパイプ管の傾斜を考えて配置しないと下水も糞も流れていかないのだ。開発の遅れは、まるで意図的な物がある。全く見ていなかった。そもそも、開発を担当している大臣は何をしていたのか。
どうせ、お決まりの言葉でも言うのだろう。貴族を第一に。その次に商人、職人、都民と。日当たりの悪い場所に追いやられた日陰の人間の事など、どうでもいいようにしか見えない。
王制は、いい方向に王自らが仕向けて行かなければならないのに。どうして、アルーシュは軍事を優先したがるのか。星の再生が先だとかいうけれど。
足元をしっかりとできていないようでは、本末転倒ではないか。
彼女に対する不満とやるせなさで、身体がずっしりと重たい。1人でやっている分には、なんとも思わないのだが。通りかかる住人の視線ときたら、冷ややかな物だ。盗賊騎士団は、貧民街で何をやっていたのか。それが、わかろうと云うもの。
「あんちゃん」
「おう。どうした」
「うどんさん。なくなったよ」
「そうか。まだまだあるからな。好きなだけ食わせてやるといい。手伝ってくれそうな奴がいれば、土を運んでくれると有難いんだけどな。頼んでみてくれ。重たいかもしれんが」
土の魔術があれば、改造も楽々。人力でやったら、到底できっこないような真似だってやっていける。でこぼこした地面を平らにならすのは、ユンボもないので水平器を使うしかない。その水平器の変わりにバケツにいれた水とホースを使う代物。ピタゴラスの定理という。
(水盛は、家を建てるわけじゃないからやらんでもいいような気がするんだがな)
時間がかかるのは、
(んー。ここら一帯を全部作り変えるには、無理やり叩いて行った方が速いかもしれん)
やめだ。地面を均すのには、T字のトンボでもあればいい。大きな物を取り出して、地面に走らせていく。昔ならすぐに諦めただろう広さを。ずっずっずっと。排水用の側溝と配管を埋めては、均していく。これで、難しい作業なのだ。簡単そうに見えるのだが。振動で均す道具を開発する必要があるだろう。
横に目を向ければ。遠巻きに見ている住人たちは、ひそひそと話をしている。
「おい、あんた」
顔を上げると。薄汚れた灰色の麻の服を着た男がいた。手は、止めない。
「なんだ? 用件は、手短にわかりやすく言ってくれ」
男の顔には、無精ひげと皺がある。それなりの年齢だろう。手には、革のグローブと腰に剣を差している。
「誰に断わって、ここでそいつをやっているんだ? 盗賊騎士団が黙ってないぞ。あんた、死にたいのか?」
「なんだ、そんな事か。それなら、もう解決した。話は、それだけか」
「いや。まだある。あれは、なんの真似だ。あんな事をして、俺らが喜ぶとでも思っているのかよ。何がしたいんだ」
「何って、自己満足以外に何があるんだ。他に何かあるっていうのなら、聞かせてくれ」
「…邪魔して悪かったな」
感謝されたくてやっていると思っているのか。どうでもいい事だ。生活の水準を高めれば、自ずと勝手に人は幸せになる。貧しくなれば、心までも貧しくなるのだから。ユウタは、ユウタの周りしか見てこなかった。己の手が届く範囲以外までもやれると思うのは、思い上がりだと。そう思うから。しかし、弟かもしれないレウスがからんでいるなら話が違ってくる。
一旦、ウォルフガルドもまた計画のまま復興を進めなければならないだろう。あれもこれもとやろうとしてどれもこれも失敗する予感がしてならない。どこかに軸点を置かないといけないのだが。ペダ村は、ゴメスを筆頭とした協力者がいた。シャルロッテンブルクは、ユーウが手ずから手がけた。配下を揃えて、いるが。
昨今、大量の移民が大変な問題になっている。領地に入ろうとして、境界を無視して侵入してくるのだ。彼らは、彼らの領主を捨ててやってきているから問題になっていた。そこに、逃亡奴隷や犯罪者が紛れている事もあってアルーシュからは叱責されている。防ぐには、彼らを捕らえて送り返すしかない。万里の長城の如き壁を築くには、兵隊が足りないので。
作業を見ていた住民たちが、押しやられていく。押しやっているのは、白い鎧に赤いマントを羽織った騎士たちだ。嫌な予感がする。
レウスの方を見ると、そこには子供が輪を作ってお代わりの列を作っていた。
(配達は、やった。蘇生に行ってないが、仕方がないよな。また、明日で)
今は、蘇生よりも道路を整える方が先だ。うんこが、ちゃんと下水に流れていくようにしないといけない。それには、貧民街を一通り工事しないといけない。いかにユウタといえば、1人で配管から排水用の側溝を整備していくのは難儀だった。
(ぶっ壊すのは、簡単なんだけどなあ。職人さんに依頼したら、いったいどんだけ取られるかわからんし)
邪魔な木が立っていれば、それを避けるようにして道をつくらないといけない。抜くのは簡単なのだが、何か曰くがある木かもしれないし。人が、減っていく。見ていた住人は、騎士に追い払われるようにして追いやられて。代わりに現れたのは、真白いローブを着た幼女だった。隣には、面白くなさそうな三角帽子を目深にした魔女っ子が。
「ご苦労さま。作業を住人が見物する事を禁じます。よいですわね」
「仰せのままに」
(げっ。フィナルじゃないか。どうして、こんな場所に)
反対側からは、
「なんだここは。えらく汚い場所なのだ。どうして、こんな場所が放置されていたのだ? シグルスは、何か知っているか」
「おそらく、アルーシュさまが放置されていたのではないでしょうか。軍事費に、比率を高めておられましたから。そのしわ寄せがここに出てきたと見られます」
「アルカディアに攻め込む前から、ここの事はなんとかするはずだったろう。あいつは、何をやってるのだ」
ニンマリと笑みを浮かべた羽兜をした子供と白銀の甲冑を着た少女。
「これは、アルさま。ご機嫌よう。このような場所でお会いするとは奇遇でございますわ」
「ふふん。白々しいのだ。お前らは、帰れ。ここは、この私が預かる」
「そうは、参りませんわ。わたくしも、用がありますの。アルさまにおかれましては、アルカディアにお帰りになられた方がよろしいかと。西方攻略の段取りで忙しいのでは、ないですの?」
「どーとでもなるのだ。そんなん、どーとでもなる。お前らが、すっこんでいろ。どーせ、ゼンダックが来れば煙に巻かれるのがオチだろうに」
他所でやってほしい。無視していたら、怒るし。子供たちは、事の成り行きに怯えているようだ。これでは、レウスの人気を上げる作戦が台無しではないか。しかも、
「ユ…むぐっ」
口を開けかけた。が、セーフ。フィナルが、名前で呼ぼうと口を開ける事を咄嗟に防いだ。汚い手だったが、仕方がない。
念話で、
『ユウタと呼んで。ここでは』
「おい、ユ…ぶっ」
反対側に、滑り込んで。アルルの口を塞ぐ。シグルスも驚いた様子だ。
『お願いします。ユウタとここでは呼んでください』
『む。何か、訳があるのだな。しかし、大胆だな。こんなところでぷれいに及ぶなど』
『ぷれい違いますよ!』
『フィナルが、口の周りを舐めているぞ』
振り向けば、エリアスも仰け反る変態がそこにいた。子供たちに見えないように、騎士が壁を作っている。あんなのが、聖女と呼ばれるのだから世も末だ。世紀末だって、あのような変態は居ないに違いない。口に、土が入ったであろうに喉を動かしているとは。
『なにか、訳を仰ってくださいませんと。隠し事をされては、わたくしたちもフォローができませんわ』
『そうだぜ。水臭いやつだなあ。頼れる時に、ダチに頼るもんだぜ』
『ふふ。及ばずながら、私もお手伝いができそうですね』
『いや。…』
言っていいのだろうか。確定ではないのだ。ただ、確証も無く弟扱いしていいのか。それにしても、感じる親近感というのはぼっちだったからだろうか。言いようのない繋がりというのは。確信めいた予感が、そう告げている。なんにしても、血が繋がっていなかろうと。
(義兄弟でもいいか)
救われたいと思っているのなら、救うのだ。生前では、できなかったやりたい事であるはずなのだから。 間違いではない。
『あの子に、正体を知られる訳にはいかないのです。そこをご理解ください』
『ほう? 似ていないのだ。よもや、弟、か?』
『可能性があるのです』
『弟! ユーウの弟!? ええ、それが何故このような場所に?』
フィナルは、鼻息を荒くして間合いを詰めてきた。距離があったのに、間近まで。鼻息がかかりそうだ。
『ばっか。おめー。こんなところにいるって事は、察しろよ。想像力がない聖女さまには、困ったもんだぜ』
『なるほど。事情は、読み込めました。弟さんに正体がバレては、不味いと。そのために、そのような格好をなさっているのですね』
『なんで、わかったんですか』
不思議だ。仮面をつけているし、ローブも変えている。フードを被っているので、髪の毛はすっぽりと隠れて見えないくらいだ。これで、ばれるのがおかしい。
『愛、故にですわ。きゃっ』
『ふふふ』
『すぐわかるのだ』
『なんつー恥ずいセリフを言ってのけんだ…こいつは、埋めようぜ!』
愛だとか言って顔を赤らめるフィナルと首を締め上げるエリアス。その後ろでは、白い鎧を着た聖騎士と黒い鎧の魔導騎士が取っ組み合いをしている。反対側のシグルスとアルルは澄ました顔で、手が伸びてきた。
『こ、こら。ずるいぞ!』
シグルスの手が、後ろに回された。
『ふふふ。悲しい時には、もっと泣いていいんですよ。それが、人間なのですから』
『アッーー! おい、こら、あっち、あっち』
声で振り向けばエリアスが、フィナルにヘッドロックをされていた。アルルまでもが、手を握ってくる。
『ちょっと仕事があるんですが』
『ふむ。では、我々も手伝うのだ。白騎士団総出で、アルーシュに嫌がらせなのだーっ』
いつのまにやら集まった白騎士たちが、鎧を脱いで地面を掘り返していく。コンクリートでできた型枠を埋めて、排水用の側溝が完成していく。
『いいのかなあ』
『うむ。皆でやれば早いのだ。我々は、向こうでお茶にするのだ』
『それが、いいですね。フィナルさまとエリアスさまもご一緒にどうですか?』
顔が、りんごになっていたフィナルと青くなって泡を吹いているエリアス。
『もちのロンですわ! 行きますわよ』
『し、死ぬ、んだぜ…』
ピクピクと小さな手が痙攣していた。レウスは、気がついていないようだ。
子供たちに囲まれて、空のお椀が積み上がっている。家の前で蓙を敷いて、そこに寝っ転がっている子供も。
アルルとシグルスに手を引かれていく。
アルルに、ばしっと背中を叩かれる。
『お前は、全知じゃないのだからなっ。知らない事は、どうしようもないのだ。そんなに落ち込まなくてもいいのだ! 助けがいらなくても押し売りするからな』
両手は、握られたままだ。離す気がないかのように、強く握り締められていた。




