163話 橋の上2 (ゼーメルド)
(この戦い。勝ったな)
兵数は、10倍以上。橋を守る兵士は、対岸に達しようとしている。
確信した。
密偵の情報によれば、ウォルフガルド国内は荒れているという。ミッドガルド兵が撤退し、怖いものはない。狼の獣王ウォルフガングも子供に負けたという噂も流れている。噂は、噂だとしても兵がまともに居ないというのは好い機会。
コーボルト王国は、長年にわたって狼国に悩まされてきた。ミッドガルドに敗北した時などは、援軍を送る事を良しとせずに見守った位だ。おかげで、獣人国連合ではやり玉にされる事も多いが。それは、それとして。胸のつかえがすっとするような、そんな感じなのである。
空は、灰色で雨が降っている。然るに、橋の上ではコーボルトの兵がウォルフガルドに侵攻せんと歩を進めている。軍団を指揮するのは、ゼーメルド。橋を渡る兵の先鋒は、渡河までもうほんの僅かだ。そもそも、兵数が少なすぎて一方的な展開になるはず。
橋は、魔術がかけられていて優に千年を超える年代物だ。兵数が少ないのもあるが、何よりも装備。士気。練度。この日の為に、コーボルトが温存していた精鋭部隊。それを幾つもに分けたのは、橋が何箇所も有るせいだ。目の前にかかっている橋の名前は、ユースティアと言ったか。特に、意味が見つけられない。
ウォルフガルドとコーボルトを分ける大河で、女が祈りを捧げてできた橋だとか。その女の名前を取ってつけられたという。川の名前も似たような物で。ヒリトラインと。ウォルフガルドとコーボルトが分けられているのは、ありがたい事であった。
でなければ、とっくにコーボルトは飲み込まれていただろう。獣人族は、数多いるが狼というのは強い。少なくとも、犬では勝てない。目の前にした瞬間、動けなくなってしまうのだ。それだからか。反目し合うのは。彼らとは、争う運命にあるのだ。
(!?)
異変だ。敵か。見たのは、前方で人が舞い上がる姿だ。そんな事は、普通ではないし。おかしい。
人が宙を飛ぶとか。ミッドガルド兵は撤退したはず。でなければ、ウォルフガルドに侵攻したりしない。
騙されたのか。
(何が起きているのだ)
とはいえ、兵数では圧倒している。戦いは、数だ。
密偵の話では、500から1000という報告なのだから。
ユースティア橋は、広い。100人が横にならんで歩いても渡れる。ゆえに、数の有効性は高い。これが、狭い橋ならば大軍を動員することに意味はない。そして、魔法と技術でできた橋だ。
今もウォルフガルドとコーボルトをつなぐ複数の橋が、今も戦闘に突入しているはず。そして、自軍の数は20000。圧倒的なのだ。勝てぬ道理はない。
それも、各軍団の数が2万以上。不安な点があるとすれば、ミッドガルドからの介入だ。そして、全面的な敗北は許されない局面である。
(一応、後退しておくか。そして、策を)
「将軍?」
「うむ。一旦、下がって陣形を作っておくとしよう。空蝉を使う」
空蝉とは、ニンジャの使う術ではない。
伝令の兵には、まさか逃げるとは言えないし。前に行っている兵たちと後方の兵を分けると、策を弄するのだ。ウォルフガルドが現れたのなら秘密兵器をぶつけるまで。でなければ、密かに考えていたとしても侵略を決意できなかっただろう。
万が一という事もある。ウォルフガングに対する備えとしておきたかったが、仕方がない。
「勇者様。よろしいですかな」
「お? 出番なの? そんじゃ、いっちょやりますか!」
この軽い感じの少年。どこにでも居そうな体格で、頼りない雰囲気である。しかして、コーボルトでも屈指の剣術家に指南されている。戦闘となれば、雰囲気はともかく武器としては有用だ。もともとは、別の世界の人間だという。異邦人。
さても、重用するべきか悩むところだが―――
「お任せください。将軍、見事、敵を打ち破ってご覧に入れましょう」
大言壮語を吐くのは、少女だ。異邦人たる少年の足かせである。首に括りつけた鈴となればいい。そういう役目を負った少女だ。手をつけられたのか。そこの所は不明だが、体を使ってでも籠絡する価値がある。異邦人には。
コーボルトのみならず、獣人の国では異邦人を勇者として召喚するのが流行していた。どうやって召喚するのか。召喚には、手順が必要だ。魔術か或いは己たちが信奉する神々に祈りを捧げる。そうして、異なる世界から力の有る人間を喚び出す。
喚ばれた方にとっては、甚だしく不本意な事だろう。意思を無視して喚ぶのだから、拉致といってもおかしくない。ゼーメルドは、不本意ながら彼―――ヒロユキの力を認めざる得ない側だ。その力とは、剣だ。普通は、そのような力を持っている人間などいない。
剣でもって、国内の魔物を平らげ、実績を示した。他にも軍団として、配置させている勇者がいる。勇者とは、魔王に対抗する為に祭り上げられた者の称号だけれども。今は、兵器として扱われている。それが、悪いのは認めるしかない。
兵器なのだ。彼らは。
黒髪の少年たち。
「将軍。後退でよろしいのですよね」
「うむ」
少女ことネールが去った後。問いかけるのは、側近の獣人オゴトイだ。ゼーメルドよりも高い背丈と、分厚い肉体。牛の角を生やす猛牛族。その血が色濃くでた戦士でもある。鋼鉄の鎧を纏って、斧を持てば戦場では敵なし。そのように、評価されている。
ネールが去って、女が居なくなってしまった。
寂しい。
戦いとはいえ、年端もいかない少女を戦場に連れてくるなど。しかし、ネールが望んでいるのだ。そして、ヒロユキは奴隷を抱えていた。いずれも女で、戦場には連れて来られない。いくら勇者の奴隷だろうと、何が起きるかわからないのが戦場だ。
負ければ、獣と化す。よって連れてきてはいない。
「して、下がった後どうするので」
「それはな」
前線が、抜かれるような事になった場合。相手の勢いを削いで、味方の兵を逃がす必要がある。橋の手前に要塞を築いている。よって、渡るには数倍の戦力が必要だ。コーボルトは、20倍の兵力を用意したがそれでも足りるか。
ミッドガルドの騎士が味方をした場合でも、陥落だけはさけねばならない。よって、砦で応戦する必要もあるだろう。そして、その場合には―――
「味方、もろともだ。私ごとやるがいい」
「本気ですか。誰が、指揮を取るのです」
「決まっている、貴公だ。もちろん、策は2重、3重にある。あるが、罠を食い破ってこないとも限らない。勇者がやられるような事になれば、脅威は飛躍的にあがる。食料がない事も含めて、な」
喉が鳴った。オゴトイは、周囲の騎士を見る。納得してないのか、しているのか。鼻を鳴らしたのは、ジェイム。ゼーメルドの配下にいる騎士で、2番手の男だ。こちらは、黒い毛並に覆われた手に剣を前にした。
「将軍閣下。オゴトイ卿に、務まりますか。将軍が居なくなれば、北部方面の戦略が狂ってきます。その役目、私にお任せください」
「いや。死ぬ気ではないぞ。しかも、起きなければいい策だ。そして、砦の陥落のみならば貴公らで指揮を取る方がよい。もっと言えば、砦が陥落するような事があらば侵攻作戦そのものが瓦解しかねん。わかってくれ」
心配なのは、わかる。まだ、全軍を指揮した事もない青年たちだ。しかして、やらねばならないのだ。後方に下がったからわかる。敵の突破力は、尋常ではない。十重二十重と列を作っていた、陣が一発の魔術で破壊される様。
「油の用意だ。貴公らは、砦に控えよ」
「将軍!」
油の罠。矢の罠。落とし穴。そして、自爆。これだけ考えても、ミッドガルドの兵が混じっているとなれば油断できない。油を染み込ませて、兵士たちには耐火靴を履かせる。地面が燃えているとなれば、敵の兵は削がれるはず。
そして、ぐるりと囲む石壁。橋の根本まで押し返されたとしても、コーボルトの領内には入らせはしない。ゼーメルドは敗北主義ではないが、ミッドガルド兵の強さを知る者だ。単騎であっても、犬人族では100人がかりですら倒せるかどうか。
レベルを持つ者と、持たない者では天と地の差がある。橋の出口で、高台の登ると。
「やつら、どうやって」
敵兵は、人の壁を突破して切り倒していく。白い馬に乗っているのは、ミッドガルド兵か。黄金の鎧!?
「馬鹿な。なぜ、魔王がここに」
ヒロアキが、剣を投げつけている。そして、それを無数に召喚するのが彼、固有の技能だ。名前を何と言ったか。
「静まれ、勇者には剣覇邪斬がある! 負けるはずがない!」
どうだか。名前だけは、大仰なそれ。無数の剣を喚び出す。空中から降り注ぐ剣という剣。受ければ、普通の魔物は一撃で仕留められる。だが、どうしてか。ゼーメルドには、嫌な予感がしてならない。剣といっても、魔力を帯びた剣だ。
威力は、十分だし破壊力も抜群。デメリットもなく、瞬時に出現させる剣の雨を受けてはひとたまりもあるまい。普通ならば、そう考えるだろう。しかして、剣でなくても矢でいいではないか。そう。軍ならば、多数の人間がいる。それで討ち取れるならば、アルカディア軍がそうしていたはず。
「剣が……」
ジェイムとオゴトイは、砦に去った。側近の一人が顎が外れたようにしている。目を疑うような光景だ。光が、剣を斬っている。光で、剣を斬っているのか。どちらなのかわからないが、無数に飛来する剣を馬に乗った小柄な騎士は苦にしていない様子だ。
赤い光だ。しかして、この橋には強力な魔術の保護がある。破壊は、されまい。
更に、希少な魔術士が控えて魔術障壁を展開している。というのに、味方の術者は血まみれになった。
硝子が割れるように、淡い光が降り注ぐ。これはいけない。
「味方の収容を急がせろ! 術者の手当を」
魔術士は、20000に対して100といないのだ。高位の術者となれば、5人となる。それくらい、魔術士というのは少ない。そして、貴重だ。コーボルトでは、子供の内から魔術に適正があるか調べられる。魔術の素養があるだけで、エリートとして官僚か軍への道が開けるのだ。
というのも、魔物を倒すのには魔術が一番。剣では、倒しようのない魔物が多くいて。民間にいる魔術士でも、それはもう冒険者なり何なりにひっぱりだこである。ゼーメルドの嫌な予感は、とどまらない。頭痛がするときには、大抵ろくなことになっていない。
こんな事では、降格か或いは営巣行きになってしまうはず。しかし、ゼーメルドの妹が国王の后になっていたりする。そういう訳もあって、逃げるに逃げられない。結果、どういう因果か。不退転のゼーメルドなどという、不名誉な渾名をいただいた。
平民上がりの兵士と貴族の兵士を分け隔てなく使っているので、評判はまずまずだ。
死ぬならば、良い評判で死にたいものである。将軍というのは、人気商売であるのだから。
良い評判を保って死ねるのならば、悔いもないというものだ。
「連中。どうするつもりだ? 後に続いている兵士は、僅かだろうに」
「左様で」
兵に狙いを後続に絞らせた結果。先頭を走る5人の子供以外を減らす事に成功した。しかし、減ったといっても半分。500か。そんな物で、コーボルト側は、どうだろう。死屍累々だ。死体で、山ができそうな勢いでやられている。勇者は? 勇者ヒロアキは、負傷したようだ。腕から血を流している。
ネールが、背負って一目散に逃げている有り様。どうしたものか。
敵の魔術士。黒いローブを着た少年が、赤い魔術光を放つ度に獣人が倒れる。
自軍の術者も障壁で、防いでいるが一撃で気絶しているようだ。
「あれか。魔導王でも、出てきたのか」
ミッドガルドには、魔導王が何人も居るという。名称や称号ではない。職だ。職を持った獣人というのは、それはもう強い。兵器として成り立つ。地上に、どうしてこのような物があるのかというくらいに。
コーボルトの最大戦力は、いうまでもなく国王だ。しかし、国王が出てくるようでは負け戦である。
仮に、この場にいるのがミッドガルドの王子ならば討ち取っておくのは悪手。といっても、戦場なので、討ち取らざる得ない。彼が本物なら。
問題は、味方もろともに敵を倒すべきなのか。
(勝てば、よかろう。しかし、勝てなければ生き地獄よな。どうした物か)
策があっても、通用しない相手というのは……。
しかし、ついてこれない味方の方を振り返った幼児はくるりと馬を反した。
好機だ。
追うべきだろう。だが、
「味方を下がらせろ。負傷した兵の収容を急げ!」
「追撃は、なさらないのですか」
「ならん。敵の思う壺だぞ」
敵の魔術士が、手加減しているのは明らかだ。最初に撃った一撃を容赦なく射っていれば、今頃砦も陥落していたかもしれない。しかし、密集していた兵を薙いだそれだけ。多用できないのか。それとも、怖気づいたのか。わからないが、助かった。
(罠に気がついた。とか、ないだろうな。運のいいやつだ)
死ぬ気はない。といいつつ。何時も、自爆技を用意しているのだ。
化け物を相手には、自爆しかない。引きつけておいて、向こう岸の兵は少ない。
砦の兵士が減ったところで対岸をいただく。
2の矢、3の矢を考えつついると。黒、一色に赤がついた少年が、少女に背負われているのを見つけた。重症か。
(まさかな。見抜ける人材がいるとは思えんが……)
狼国は、総じて脳が筋肉。そのはずだ。だというのに、急の転身。解せないのだ。
ヒロアキが、青い顔をして砦に運ばれていく。回復魔術が使えないほどやられたらしい。
後退していく敵軍を見送った。つまり、振り出しに戻されたという事だ。
やられた。犠牲が多すぎる。北は、停滞するだろう。士気が、下がるのは目に見えている。
対岸を見据えた。攻めてこい、と。




