158話 妹、親 (ユウタ、他)
家に帰ってくると、様子がおかしい。
家人がばたばたと走り回っている。家の門は、大きくて分厚い板だ。アルトリウスは、しぶしぶといった体で帰っていった。アドルが可哀想なので説得に回ると、あっさり折れた。見返りは、おはぎを10セットだ。高いか安いか図りかねる物。
扉を開けると、背が少し伸びた弟がよってくる。出迎えのメイドは、いないようだ。
「兄ちゃん、た、大変だ! シャルロッテが! ちょっと来てよ」
弟のクラウザーだ。歳は、あまり変わらないのだが顔つきだけは大人顔負けである。そして、ちょっと小心なところがあった。慌てて手を引く彼の後を追うと。目に入ったのは、大きな黒い羽だった。
(蝙蝠の羽だと? 何故だ)
ベッドの上で、うつ伏せになっている幼女。
妹の部屋には、白衣を着た男がいた。その横で額の汗を拭っているのは、父親のグスタフだ。
「来たか。シャルがこのような状態だ。どうにかできるか?」
息子に頼み事をするのも珍しい。本宅には、継母のエリザと弟たちがいるはずだが見えない。このような姿を見せられないという配慮なのだろう。黒くつややかな羽は、小ぶりであるが……。
「やってみましょう」
白衣を着た男をグスタフが下がらせると。立ち登る闇の魔力。暗い色をしたそれを人に当てれば、たちどころに昏倒するだろう。兄弟やルナの姿が見えないのは正解だ。闇の魔力に当たっていた医者は、どうなったのか。部屋の外で、悲鳴が上がっている。
倒れたという事だろう。
「父上も離れてください。これはいけない」
「ふむ。お前が、そういうのならそうなのだろうな。頼むぞ」
整った金色の口ひげを触って、ぽんと肩を叩いて退出していった。クラウザーは、残りたそうにしていたが出て行って貰う以外に道がない。見ていても仕方がないのだ。フードから、セリアを引っ張りだすと。
「治せる?」
「……」
瞼を閉じて、動かない。訓練で、疲れたようだ。触っても、手で払うばかり。後ろから、
「吾がなんとかしてやろうか。このような事態も、経験があるのでな。どうじゃ、任せてみぬか?」
「お願いします」
帰るというのに、ついてくるという女はしつこかった。帰れというのに、邪険にするでない、という。
敵、ではない。が、セリアの作った空間に平然と入ってきた度胸。並ではない。獣人は、魔力が低いのではないのか。セリアは、別としても獣人の魔力という物はたかがしれている。
シャルロッテの身体に近づく。レンは、濃密な魔力を手に宿すと。
「これは。あれじゃな。魔族の血が濃いのじゃ。今頃になって、出てきたという訳じゃろう。さて、どうする? この娘が魔族と人の間にできた子供だというのは、確定的じゃな」
「……」
そんな馬鹿な。親は、2人とも人間のはず。しかし、現実には妹の身体に真っ黒な羽が生えている。人間には、このような羽が生えてきたりしない。そして、強烈な負の魔力。濃密な黒でもって、妹が苦しんでいる。人間だ。そう思い込んでいただけで、実は違ったのか。では、一体誰が親なのだ。
グスタフが親でないと知ったのなら、どういう事になるだろう。廃嫡。なかった事にされる可能性がある。元の時系列では、会った記憶が無いために訳がわからない。ユーウは知っていたのだろうか。彼女が魔族の生まれである事を。このまま行けば、ミッドガルドの社会から爪弾きにされてしまうだろう。
貴族社会には、出られない事は間違いない。
暴れる妹を取り押さえると。口元には、犬歯が大きくなっている。吸血鬼のように。しかし、ステータスはどうだろうか。
魔族:人種 能力:不明 名称:シャルロッテ
名前は、そのままのようだ。そして、魔族になっている。魔物になってしまったということか。
「ふふふ。このままでは、魔族化が進んでしまうのう。じゃが、安心せい。吾がついておる。こやつの魔を封印してしんぜよう。しかし、代価が必要じゃな」
「それは?」
「ふむ。さて……。どうしたものかな。金では安い。ふふふ」
じーっと考えこむ。
「まあ、よい。これは、貸しにしておくとしよう。ふふふ。貸しじゃぞ? 貸し」
「それでよければ……」
背中がぞくぞくする。何か良くない事を考えているのは、間違いなかった。空中に描かれる梵字にも似たそれが黒い魔力を吸い込んでいく。札を取り出すと、ぺたり。
「これで、小康状態になったの。吾の力で、魔力を循環できるようにしてやったわ。後は、慣れじゃ。しかし、この角と羽は隠しようがないがのう。どうしたものやら」
「それには、心当たりがありますので」
幻術を使うのは、アルーシュたちが得意だ。それを利用させてもらえばなんとかなる。その際に、シャルロッテの変貌を告げねばならないのが問題だった。どういう反応を示すだろうか。グスタフもそうだし、兄弟とは接触させられないだろう。一時的な隔離が必要だ。
「じゃが、これから先が大変じゃろう。妹が、魔族などと知られればお前さまもここには居られまいて。さても難儀なことよな。ウォルフガルドに、引っ越すがよかろう。そうじゃ、それがよいの」
「それには、及びません。既に、手は打ってあります」
部屋に入ってきたのは、桜火だった。手には、ぐったりとした幼女を抱えている。
「うがあ……。私は、眠いのだ。寝かせてくれ」
夜、とは言っても8時くらいだというのに。光合成ができないせいか、アルーシュは夜が早かった。逆に言うと、彼女の弱点は夜かもしれない。桜火は、一体どのようにして連れてきたのか。寝所から、誘拐してきた可能性がある。
「一大事ですけど、よろしいのですか」
「う、うーん。あ、あげえっ!」
寝間着のままで、空中を飛んだ。文字通り、飛び上がって天井にぶつかると地面で頭を押さえる。
ヒールをかけてやると。
「おおお! いって”て”て”。ぐお”お”」
呻いている。ベッドの上では、寝ている幼女が起きてくる気配はない。
「ふふふ。お早いお出ましどすなあ。なんぞ、見てたんとちゃいますか」
「もちろんです。貴方の行動は、全て監視させて貰っていますよ」
扇子を手に着物をひらひらとさせる美女と冷たい氷を取り出してアルーシュの頭を冷やす美女。困った事に、この2人の仲はよくなさそうだった。
「あうう。おお。これは、……魔族、ん? シャルロッテが魔族になっているぞ」
「そうです。ですから、一大事と申し上げているのに起きないのでシグルス様にお話をしておきました」
「そ、そうか。それで、こいつが問題……。あるのか?」
「あるでしょう。魔族といえば、人類の敵でございますよ。という風に人間は、考えておりますから」
「ふむ」
アルーシュは、寝間着の格好で腕組みをするとシャルロッテの羽をぺたぺたと触る。じゅっと湯気が上がった。
「こいつは、かなり強力な魔族の血を引いているな。が、問題ないな。ユーウが、何処かに行くとか言わない限り私の名前で保護しよう。おお! いいことを思いついたぞ。これをばらされたくなかったら、私の言うことをはごっ……」
桜火が、首筋に手刀を打ち込んだ。そして、口に布を当てると。
「そういう訳です。ご心配なさらずに」
「ふふふ。相変わらず、強引な奴よ。これでは、どちらが主かわからんではないか。いや、歳くったか?」
「貴方も、口が減らないようで。客人でなければ、尻尾を引き抜いて食わせるところですよ」
やめてほしい。2人で喧嘩をし始めそうなのだ。昔からの知り合いのようで、彼女たちの因縁を知ろうとも思わないけれど。喧嘩すると、間違いなく屋敷が崩壊してしまうだろう。セリアとの戦闘を観戦していられるくらいに、狐の獣人さんは強い。
口から涎を垂らす幼女を抱えて、部屋を出ていく。
ひとまず、一難は去った。
「吾も、眠たいのう。食後は、寝るのが一番じゃよ?」
「それがね」
すたすたと、音がする。恐らく、エリアスとフィナルにルーシアとオデットだ。DDと白い玉がもぞもぞと動く。位置が悪いのか、寝相も悪い。喉が引っ張られないようにしなければならなかった。
「ユーウ! 話は聞かせて貰いましてよ?」
バアンッと扉を勢いよく開けると、いの一番に乗り込んできたのはくるくるとした巻き毛を揺らす幼女だ。青いドレスに、羽を象った杖を手に皮のポーチを下げている。
「やあ。もう、夜だけど」
「もう夜だから、修行にでなくてはいけませんの。それと、その子はわたくしが預からせてもらってもよくってよ。重荷になるのでしたら、あ、失言でしたわ」
「なんてこと言ってんだ。ばーか。魔封じね。結構、……うめえじゃねーか。見なおしたぜ」
「や、僕がやったんじゃないよ」
と、隣のレンを手で紹介すると。納得が、行ったのか行かないのか。
「こいつ。……セリアの同類かよ。たまらないぜ。どうなってんだよ」
「ふふふ。吾の正体をあまり言いふらすと、バチが当たるのじゃ。触らぬなにやらに祟りもなしというではないか」
シャルロッテは、苦しげだったのが取れてすやすやと寝息を立てている。手元が寂しそうだ。フードの中から、ひよこと白玉を取り出す。ついでに、セリアも置くとぎゅっと抱えた。抱えられた方は、苦しそうだ。羽が生えたままなのを、エリアスの幻術で、隠すと。
「今日は、ネトリッツエの……」
言いかけて、屋敷の外で轟音がした。外か。何事。
「なんなのでありますか」
槍を片手に、オデットが駆け出す。次いで追いかける。レンは、追いかけないのか。部屋から出てこない。ちらっと、陽動という単語が脳裏をよぎった。
玄関には、メイドが槍を持って待機していた。しかし、外へはでないようだ。扉を開けると。
「ぐう”っ。おのれ、よくも」
地面をさっと円を描くちびっこい竜たちが、半裸の男を包囲していた。男は、右半分が血で見えない。に左半分は炭化している。2色にされて、しかも土に倒れているのは。
「魔族。ここを狙って来たであります。恐らく」
オデットが、槍を構える。竜たちが光を帯びると、
「シッ」
身体が、渦を撒いて宙に掻き消えた。が、
「くそっ」
ぶぅんと鱗が振動して、男ことリヒテルの足が竜の体当たりで破壊された。恐るべき速度だ。目が、真っ赤に染まった赤く小さな竜の攻撃。人の目では、追うことも難しいだろう。
「引き戻されたようですわ。ふふ。あの魔王が、死ぬ可能性はありますわね」
ウォルフガルドで、暴れていると見せかけてここに現れるとは。存外に、フットワークが軽い。
しかし。ふと、考えれば点が線になってつながる。死地とわかって、ここに現れた魔王。是が非でも手に入れたいのは、何か。そうだ。そういう事なのだ。
(なら、殺してはいけないような気がする。少なくとも、彼女が決める事なのだ。敵、敵なのだけれど。どうしたらいいんだ。親なら、殺してはいけない。とすると、ユーウとシャルロッテは血が半分しかつながっていない事になる。いや、もしかすると)
そこまで考えて。目の前では、魔力を貯めた魔王がいる。逃れられないと知って、自爆でもするつもりか。もっとも、あれで分身体というオチが待っていそうだ。
シャルロッテの写真を、ローブのポケットから取り出すと。
「ちょっと、黙ってても」
「わかりましたわ。でも、説明してくださいませ」
フィナルを手で制した。
魔王に、確かめないといけないのだ。もしも、シャルロッテが魔王と母親との子供なら魔王となんの為に戦うのだろう。人を殺す為だろうか。そうであるのならば、このような場所に来るのは理解し難い。ちび竜たちが足元にちょこちょこと歩いてくる。こう見えて、中身は高位の竜だ。普通の人間では、戦う事もままならないだろう。
膝をついている男の近くまでよると。
「シャルロッテは、無事だよ。彼女は、僕が守る。例え、魔神だろうが神だろうが彼女を幸せにするのが僕の使命だからね」
写真を投げると、男は虚空に消えた。
足元には、小さな竜たちが寄ってきて動けない。低温だったり、高温だったり、竜たちの体温はばらばらだ。ひとしきり、撫でていると。
「ちょっと早くしてくれよ。そろそろ、狩りにいかないと時間が惜しいぜ」
おはぎを口に突っ込んでいく。エリアスは、三角帽子に黒いローブだ。魔族でも狩りに行くべきか。
竜たちを連れて、部屋の中に戻る。室内には、変わった様子もない。杞憂だったようだ。
だが、
「ふふふ。お前さまも存外に甘いんじゃな。敵は、敵。すぐに始末しておくのは、鉄則じゃぞ? どうして、甘くなったのか。そこのところを説明してもらわねば、なあ。皆の衆」
妹が寝ている部屋で待っていたレンに言われて、困った。ルーシアとオデットは説明を求める視線を寄越すし。フィナルとエリアスは、魔王を逃した事におかんむりだ。
(殺す、方が良かったのか? わからない。どっちがいいのかわからないだろ)
妹が、どう反応するのかわからないのだ。父親を殺した。という風になったら。
仇となってしまう可能性があるし。どっちに転んでも、苦しい。
狩りの前に、長々と推察を説明する羽目になった。当たっているのだろうか。
間違っていたら、恥ずかしいことこの上ないのだが。




