156話 とある獣人の夕暮れ (ロメル、マズル、ミーシェ)
後始末が、大変だった。結界があるのにも関わらず、現れた魔族。
広範囲すぎる場所には、それも効果が薄いらしい。それはそうだろう。
広く展開すれば、防御も薄くなる。人員を満遍なく配置した結果が、これだ。
死者だけでも10名を超えた。黒い化け物の手を避ける事のできなかった者達だ。生き残ったのは、キャシーとロメルだけだった。援軍が来てくれなければ、今頃は揃って土に還っていた頃だろう。死体は、原型を留めておらず蘇生もできない。どうしようもない惨事だ。
本来ならば。以前はなかった女神教の神殿がある。そこに死体を持っていけば、なんとか蘇生してもらえる事もある。ゾンビ化、老化、病死。いろいろな条件が重なると、蘇生できないという。今回は、不幸にもそのケースに当てはまってしまった。
(さすがに、肉塊では……。だめか)
死体の原型が、ある事が求められるようだ。流石に、何がなんだかわからないようにされてしまっては蘇生もできないという事だろう。死から蘇るだけでも、とんでもない恩恵だ。今やウォルフガルド国内では女神教の信者が爆発的に広がっている。
後始末と、警戒をしてから事務所に戻ると。
「戻りましょう。アル様! キャメロットで一大事ですよ!」
「ふむ。どうでもいいんじゃね? 俺は、自由!」
青い鎧を着た男の幼児と銀髪を後ろで止めた女の幼女がアル王子に、話かけている。察するに、連れ戻しに来たという事だろう。キャメロットといえば、ブリテン島にある城でありミッドガルド軍が駐留する最大の拠点だ。
床は、滑りかねないくらいに磨き上げられて埃すらないように輝いている。困ったのか、眉を寄せて訴えるが金髪の王子様は取り合わない。どうもストレスが溜まっているようだ。向かい側の料理屋から、金属の箱を持った男が到着した。
扉は幅が広く設計されているはずなのに、横幅と男の威圧感で狭いように見える。蝶ネクタイにシャツをつっぱるようにしているのは、グレゴリーという男だ。帝国から来たという冒険者。しかして、帝国では貴族で軍に所属しているというのは調べがついている。
―――さて。
「アル様。料理を用意しました。お食事をされてから、お話をしてはいかがでしょうか」
「ほう。気が利くな。ならば、奥の方で、食べるとしよう。アドルも食ってくだろう? かまわんぞ」
「しかし……」
金と赤の混じった髪の毛をした幼児は、困った様子でアルの後を追う。彼は、ミッドガルドの騎士なのである。驚くべきことに、部下も持っていて剣の腕も魔術の腕もあるという。青騎士団にあっては、青い彗星とまで呼ばれている有名な子供だ。
隣にいるのは、クリスという子供だろう。銀髪を短く揃えて、腰には剣を下げている。身にまとっているのは、青い革鎧に赤いマントだ。魔術に長けていて、アドルをよく助けるのだとか。どちらも9歳だったか。
グレゴリーが、すっと料理を置くとその足でロメルの所に寄ってきた。
「料金を払ってください」
「いくらになるんだったかな」
「若鶏の唐揚げを丸く拵えた物が3品。枝豆を3皿。メロン味の炭酸飲料を3つ。計4500ゴルです」
各500ゴル程度か。安い。これであっても料金設定は、高い方だ。高級料理屋が未だにないウォルフガルドでは、ウィルドが経営する店の価格が水準となっている。むちっとした服から、鍛えあげられた筋肉が見える。これは、ウィルドの趣味なのだろうか。
グレゴリーは、低い声で。
「確かに。そういえば、魔族が出現したとか? お手伝いをできるならば致しましょうか」
「よろしいのですか」
「もちろん。我々、地上に生きる者にとって魔族というのは不倶戴天の敵。しばし、矛を納めて手を取り合うのもいいでしょう。鉄騎兵を出しても?」
鉄騎兵とは。いきなりの申し出だが、断る理由がない。残念ながら、魔族に対する備えがあるようでないのが現状だった。腕で三角を作ると、グレゴリーは筋肉を引き締める。シャツは、無駄に膨らんだ。町の中で、いきなり暴れられては困る。
「グレゴリー様とゴルドフ様だけならば、よろしいかと。残念ながら、ウィルド殿下には前科がございますから」
「面目次第もない。殿下も、反省はしているようなので経験を積んでいただければよいのですがね」
「殿下は、まだお若いのでしょう。あちらにいる王子様よりは、立派に見えますよ」
「はは。あれは……いえ、なんでもありませぬ。それでは、仕事がまだありますので。今後も、ご贔屓に」
ぺこりと、頭を斜めに下げる厳しい顔をしたグレゴリー。
(彼は、帝国の将軍だというのになぜこのような場所にいるのだろうか)
疑問だ。
すすっと巨体を扉まで持って行く。身のこなしからして、できる男だ。武器を持って、相対すればアキラでは歯がたたないだろう。ロメルならどうか。獣化して、ようやく互角かもしれない。
獣化には、準備する時間が若干いるのが問題だ。理性が飛んでしまうくらいに獣化すると、もはや敵も味方もなく暴れまわってしまうのでいけない。奥のテーブルでは、アル王子が「自由、自由」と連呼している。何が自由なのだろうか。
大国の王子として生まれたのだから、責任がつきまとうはず。だからだろうか、彼は奇怪な事を言っているのは。ころころと変わる性格も、彼の責任の重さを物語っているのかもしれない。ミッドガルドと違って、このラトスクの町は警備がゆるゆるだがいいのか。
良くないに決まっている。といっても、警備を強化できるだけの予算がほとんどなくて生活向上の為に割り振られている。今後も、死人が増えていくのは予想していた。吸血鬼でもないのに、Aランク相当の魔族が安々と町に侵入したのも頭が痛い。
「お茶をお持ちしました」
「ありがとう。そうだキャシー」
「はい? 何でしょう」
お茶を持ってきてくれたキャシーは、不思議そうに耳を揺らしている。黒狼族なのだから、黒い毛だ。
揺れる尻尾が見える。
「私が、逃げろといったらさっさと逃げてくれ。でないと、死んでしまうぞ」
「はあ」
茶が、どんっと置かれた。機嫌が急に悪くなったようだ。キャシーは、時々癇癪を爆発させるのでいただけない。これだから、女は感情で生きていると言われるのだ。それに比べれば、ユークリウッドは子供だというのに感情を見せない。冷静な判断を下す。
でしゃばるのが嫌いというよりは、アル王子に功績を持って行かれているらしい。ウォルフガルドに来るまで、ロメルはその名前を耳にした事がなかったくらいだ。長く美しい曲線を描く尻尾をピンっと立てて去っていく美女の姿を目で追うと。
「こんにちは」
声をかけられたのは、キャシーだ。受付をしているのは、専ら女性となっている。ここでは、出入口という事もあって人間の戸籍を管理している。問題があれば、町に入る事を許さないという仕事だ。相手は、初老の獣人だ。皺と痩せた手に、子供を連れている。
「本日は、どのようなご用件でしょうか」
「う、うむ。実は、こちらにくれば家に入れると聞いてやってきたんじゃが。この通り、身一つしかない。どこか空き家でも紹介してくれるとありがたいのだが」
「失礼ですが、身分証となる物はないでしょうか」
「う、うむ。それが、貧しい村の出でこれといった物がないのじゃが」
身分証の無い者は、冒険者として登録するのが普通だ。しかし、老人ではそれも難しいだろう。なので、ギルドからこちらを紹介されたか。或いは、門の方で紹介されたか。
「では、こちらの方にお名前と出身の村、年齢を記入してください」
「字が、かけないのじゃ。すまんが、記入してもらえるとありがたい」
どうやら、老人は、字も記入できないようだ。子供を連れているところを見ると、親とは思えない。
「では、まずお名前からよろしいでしょうか」
「わしの名前は、マズル。こっちの孫は、ミーシェじゃ。村の名前は、ポピン。バーム村からずっと南の方にあるネトリッツエに近いところにある。歳は、50。ミーシェは9つじゃ。この子の両親が死んでしもうて、立ち行かなくなってしもうた。ここでなら、魔獣にも怯えんでええとか。住むのをお許し願いたいのじゃが」
「なるほど。理由は、わかりました。記入された事が、後で虚偽があると罰則があります。その点をご了承ください」
「そうかの。それで、町に住まわせてもらえるんじゃろうか」
そんなに、すぐすぐにはいくわけがない。魔族が出現しているのだ。この老人からして、魔族が化けていないとも限らない。現に、吸血鬼が奴隷商人と結託して邪知暴虐の限りを尽くしていた。まずは、身元の照会からだ。
しかし、老人は貧しい村の出。そこでは、まともな戸籍の管理もしていなかっただろう。魔獣に襲われて村が全滅しましたとかいう話は、ウォルフガルドなら掃いて捨てるほど転がっている。魔獣に襲われなくたって、干ばつであったり冷夏だったりすれば不作で飢饉だ。
そう、食うのにだって困る。だから、一攫千金を求めて冒険者というやくざまがいの商売が繁盛するのだ。老人には、とても向かないだろう。筋肉もほとんどついていないし。しかも、連れている子供は目に布が巻かれている。尻尾は、白い。老人の尻尾も白い。
白狼族か。
「ええっと。少々、お待ちください。上司と、相談してきます」
黒髪にぴょこんと耳を動かす美女。尻尾は、硬さが取れて揺れている。
「聞いていましたよね」
「まあね。それで、君個人としての意見が聞きたい」
それによって、黒狼族の意見が伺える。そういう者だ。つまるところ、ネリエルと一緒で一族の息がかかっている。どこでも、彼らの手が伸びている。伸びていない場所を見つけるには、それこそ苦労する事だろう。
「こほん。それでは……長老たちなら反対するでしょう。理由は、いくつかありますが最もな理由は獣人の習性にあります」
「なるほど。君の意見が入っているのかな?」
「個人的な意見が喋れるような立場にないので。私は、下の方ですから」
表情は、変わっていない。笑顔のままだ。ユークリウッドならどうするだろうか。彼が、このラトスク市の支配者だ。ロメルの父親は市長だが、大した力はない。ユークリウッドが、街から去れば一気に没落していくだろう。
そもそも、配給として出している食料ですら金を払って食べる代物なのだ。それをドメルが用意できるはずもない。商人たちとて、塩の件で大きな借りがある。奴隷商人からして、上客の彼を下にも置かないだろうし。この世は、柵で動いている。決して、人の情からは無縁で居られない。
―――さて。
「そうだな。黒狼族の意見は、もっともだがね。彼は、激怒するだろう。毛の色で区別するなど、不毛だと言いそうだ。黒狼族の意見を伝えれば、彼と敵対関係に陥りかねない。ひょっとすると、黒狼族の方が街から追放されるという事もあり得る。そこまでして、白狼族を排除する意味はないと思うね。この件に関しては、俺の独断で居住を許可しよう」
「さようですか。でしたら、そのように致しましょう」
表情から、意思が読み取れないのが難点だ。女は、幾つもの仮面を被っていたりするのだ。騙されてはいけない。あの女のように。白い耳を上げた老人は、満面の喜色を皺顔に浮かべている。ぺこぺこと頭を下げて、穴の開いた鞄を肩に下げて扉の前に立つと。
入り口から、幼児が入ってきた。
「あっ」
叫んだのは、ロメルだけではないだろう。幼児に倒される大人もいないが、ぶつかったのは老人だ。前を見ていても注意していなかったのか。ぶつかって、弾き倒される格好になった。幼児は、老人と幼女を支えている。危ない。地面と老人の枯れ木が如き肉体で挟まれてしまう所だった。
「すいません」
「う、うむ」
うむ。ではない。ユークリウッドは、なぜ謝っているのか。強者が謝る必要はない。そして、ぶつかったのは老人の方で反動で倒れる有り様だ。前を向いていない方が悪いのではないか。だというのに、老人は謝る素振りもない。子供だから、馬鹿にしているのかもしれない。
(許可を取り消すべきか……これは)
「おじいさん。すいません。……良ければ、ご飯でも食べますか?」
ぐぅーっと大きな声が腹の方から聞こえてきた。ユークリウッドの目は、幼女の尻尾に釘付けだ。
「その、金はないぞい」
「あはは。お金は、要りませんよ」
じーっと金髪の幼児は、白い尻尾を見ている。触りたいようだ。ユークリウッドは、白い生物が大好きだ。黒い物も好きなようだが。飼っている犬やら鳥やらは、白い。鶏は、白くないので残念そうに話をしていた事がある。
老人と幼女をつれて、奥のテーブルに行くと。
「なんだ、この貧乏くさい奴は。ユーウ。お前も、物好きな奴だな。まあいい。さっそく食う、あががががああああ」
ユークリウッドが、アル王子のこめかみをぐりぐりした。このような真似ができるのは、彼しかいないだろう。他の誰が、できるというのだ。
「ちょっと、ユーウ。アルさまは、帰って仕事があるんだよ」
「人に、貧乏臭いとか失礼でしょう。帝王は、礼儀も知らないとか冗談にもほどがある」
「でも、みんながいるところでこんな真似をしちゃ駄目だって。威厳が……」
こめかみをぐりぐりされているというのに、アル王子は痛いのか嬉しいのかわからない顔をしている。鼻水がでていて、とても王子とは思えない。マズルが、アル王子の横に。ミーシェは、その隣に座った。ユークリウッドは、皿を取り出すと。
「じゃーん。特製ステーキです。召し上がれ」
「おお! これは」
香ばしい臭いが、漂ってくる。なんとも食欲をそそられる。どのような肉でも食べれそうないい臭いだ。臭いというのは、重要だ。肉を食べるにも、いい肉と悪い肉がある。日が経っている肉は、腐ってしまって食べれなくなる。アイテムボックスを持たない獣人の悩みだ。
レベルを持っていたとしても、それがないのだ。獣人には。
「食べていいのかな」
「いいですよ。久しぶりだね。元気みたいで嬉しいよ」
「君こそ。相変わらず、人がやれない事をやってのけるんだから。そうだ。ユーウからも言ってやってよ」
アドルは、ユークリウッドに泣きついた。確かに、彼ならばアルを仕事に追い返す事もできるだろう。食卓の上には、こつ然とひよこと白い玉と銀色の小さな狼が現れた。食おうというのか。一皿をさっと奪って、壁際に移動する。
呆れた目をクリスが送っていた。
「うーん。どうなんですか?」
「あへぇ。もっと、も? ……はっ。こほん。戻るのは、やぶさかではないがちょっと間を置いた方がいいのだ。敵になる奴をはっきりさせてから、叩くのが効率がいい。わかるな?」
「ですが」
「フハハハ。そう心配するな。敵は、倒す。味方は守る。そして、敵をはっきりさせるのは基本だぞ」
王子には、考えがあるようだ。これで、6歳だという。信じがたいが、ユークリウッドは9歳。普通は、老人の横にいるミーシェのようにおどおどと大人についているものなのだが。
尻尾から、包帯を巻かれた目に視線がいく。彼は、
「これは、どうしたんですか」
「う。その、目のことじゃろうか」
湯気の上がる肉を口で咀嚼したマズルは、表情に影を落とした。
「栄養が足りんかったので、の。目が見えんように……。げえっ」
ユークリウッドの手が白く輝く。回復と治癒をこなす彼にとってみれば、些事なのかもしれない。
「あ、あの」
白い髪の下にあった包帯が取られると、そこには真っ赤な目があった。
「お金は、ないのですぞ」
穴の開いた鞄を見せる老人を、アルが手で制する。
「こいつが、貧乏人に金を要求する奴に見えるのか? それはけしからんな。しかも、尻尾が白い……。ちぎって捨ててくるなら。気分がいいから、やめてやるが……。白い、尻尾、羨ましい」
王子なのか甚だしく疑われるような事を言っている。
ユークリウッドは、ミーシェの耳と尻尾を交互に見ていた。どうしても、触りたいようだ。
(触りたいのなら、さっさと触ってしまえばいいだろうに。彼は、一体?)
未だに、わからない。




