155話 とある獣人の昼 (ロメル、キャシー他)
男たちが、畦道の草をむしっている。こうしなければ、害虫が湧くのだとか。ロメルの元には、こうした案件が任されるのだ。奴隷に鞭を打って働かせるよりもパンで釣った方がはやい。自由になりたければ、自分で自分を買うとか。
米は、早い段階で収穫されて食料となっていく。3月に植えて7月に収穫できるという。気温が高い必要があるのが難点だ。米を植えるには、気候が適していないミッドガルドで、魔術を使って生産しているという。信じがたい話だが、ウォルフガルドでも米を作っているので信じるしかない。
北に行くと、気温が下がってきて米の生産には向かない。寒くても成長する米を作れればいいのだが。
「食い逃げだー!」
男が、必死に逃げる。しかし、すぐに追いつかれて殴る蹴るの暴力を貰った。食い逃げは、犯罪だ。犯罪を犯せば、それ相応の報いを受けなければならない。豊かに広がる大地に、一面の緑。かつて、これほどの作物ができる事を一体誰が想像し得ただろうか。
部下の獣人が、寄ってくる。
「ロメル様。用意が」
「わかった」
米と麦を生産する農地がどこまでも広がる。それを見て、心に甘い水が広がるのを感じた。この豊かさをもっと国民に行き渡らせなければならない。ウォルフガングでは駄目なのだ。かの王では、国民を力で押さえつけるべきだろう。
畦道を歩く子供たちがいる。痩けた頬をしていないふっくらとした頬だ。目の奥から、じんわりとした物が出てきた。いつだって願っていたのだ。誰かが、この状況を変えてくれると。でも、誰も変えてくれなかった。
仲間を集めて、ロメルは抗議活動をしてみたが……。結果は、禄でもない町のチンピラとして認識されるようになる。絶望しかなかったし、親であるドメルとは衝突が絶えなかった。土の道だ。幅は、馬車がすれ違う事ができるように設計されている。
さらに、歩行者を考えて幅が取られているのでそれこそ畑が1つできそうなくらいだ。どうして、道を大きくするのかというと。軍隊が通行する事も考えれば、そうなるという。何も考えていない点では、ロメルもアキラも大した違いがなかった。
違いは、努力だろうか。道をいくと、男たちが集まっている場所がある。
「せいれーっつ! ロメル様に敬礼!」
敬礼で返すと。
「良く集まっていただきました。今日は、他でもない。魔族を相手にした合同訓練です。町の中に潜んでいる可能性がある場所を隈なく点検して、街を守りましょう。冒険者ギルドからも、応援を呼んでいいます」
男たちは、各自で持ち寄った鎧に身を包んでいる。レベルを持たない獣人で、戦闘をも辞さない好戦的な者たちばかりだ。レベルを持っている者が全員戦闘に向いているかというと、そうでもないのであった。獣人でも、向き不向きがある。
隊列を組んで、ラトスクへと進む男たちを見送ると。
「お昼は、いかがされますか」
女の獣人が、話かけてくる。キャシーだ。手には、書類を抱えている。予定は、ギルド長との面会が控えているくらいか。会議では、魔族を撲滅するべく民間の力を吸い上げて戦力の増強という風になった。ギルドには、お灸を据えるかどうかが焦点になるだろう。
「そうだな。パンと珈琲でどうだろうか」
「では、事務所で」
「うん」
本来ならば、奴隷を揃える場所。そこを活用して、兵隊を揃えるという。魔族の力は、脅威だ。吸血鬼に、下僕となればそこが巣になってラトスクの町を滅ぼすかもしれない。急に姿が見えなくなった獣人だとか、怪しげな商売をしている者を重点的に洗う事になっている。
対策を立てていても、やはり事は起こるべくして起こる。
「キャシーは、ユークリウッド様の事をどう思う?」
「アルブレスト様は、ご立派な方だと思いますわ。今でも、人間の子供だというのが信じられないくらいです。まだ、小人族の方が信憑性がありますね」
「ふむ。信じられなくとも、信じていくしかないだろう」
抽象的だが、部下は概ねこのような感じだ。あからさまに反対するような獣人は、置いて置けないのも事実だが。
「それと。居ないと、不安になってしまいます」
「それは、ちょっと危ういな。我々でできる事はしていかなければ、休む暇もなくなってしまう」
「そうでしょうか」
田んぼが両側に広がる道を通り抜けると、獣人たちの住処が広がる。突貫工事で行われた家は、木製であった。火をつければ、あっという間に燃えてしまうので消防団が作られている。井戸から水を汲み上げる獣人を見て。
「平和だな」
「そうですね。アルブレスト様がここに来るまでは、井戸もありませんでしたから」
「まったくだ」
のどかな昼下がりだ。家からは、食事をしているのだろう。煙が上がっている。金が貯まった家は、いろいろと内装を変えたり商売に手を出しているという。なんとしても守らねばならない。飲む水1つで争っていた頃とは違うのだ。
昼だからか、木製の車輪がついた台車で商売をしている者がいる。
「あれは、なんという物なのでしょう」
「ん? いや、わからないな。ちょっと、寄ってみるか」
列が出来ているが、見るだけならば接近して見ても問題はあるまい。なので、観察すると。それは、台に車輪がついた感じであった。その上に、箱のような物を乗せて食べ物が湯に浸かっている。こういう物をなんというのであったか。
「食べ物がはいってますね。野菜でしょうか」
「ああ。見覚えが、あるような。ないような。ユークリウッド様が作っている物に似ているような気がするな。なんだったか思い出せない」
「不思議ですね」
キャシーは、興味津々だ。すると、台車で仕事をしている鳥人と視線があった。並べ、という事なのだろう。日本人から、仕事を教えられたのかもしれない。日本では、列をきちんと作って並ぶサホーなる物があるという。
「ま、行くか。ここで時間を費やしている訳にもいかないからな」
「わかりました」
しぶしぶといった感じで、キャシーがついてくる。獣人の悪い癖だ。興味が湧くと、そこから離れられないという。列を通り過ぎて、道を行くと。もっさりとした顔の輪郭に潰れた鼻を乗せた男が、近寄ってくる。
「こんちわでござる。ロメル殿は、デートでござろうか」
山田だ。元は、日本人だという男。ぽっちゃりとした身体に二重あごが出来ている。頭には、赤い丸のついた布が巻かれていた。眼鏡をずり上げながら、汗を拭いている。
「こんにちは、山田さん。デートでは、ありませんよ。ちょっとした用事の帰りです」
「ふんふん。なるほど、まだ清い交際というわけですな? ユーウくんには黙っておくのでどれくらい進んだか、おっさんに教えてほしいでござるよ」
「いえ、そういう関係ではありませんので。けっして、ユークリウッド様には言わないようにお願いします」
「ほう。ならば、これは貸しという事ですな。いや! まさか、そのような趣味の方だったとは。薄々感じてはおりましたが、ええっと。……応援しているでござる」
言っている意味がわからない。そして、何故か顔を赤らめているキャシー。反論しろ! と怒鳴りたくなるのを堪えながら、眼鏡をくいっと上げた。
「山田さんは、あれが何なのかご存知ですか」
あえて、変えるしかない。ばればれだろうが、乗ってくるだろう。
「急でござるね。あれ、ああー。あれでありますか。屋台でござる。大根やらこんにゃくを味付けして、売る商売でござるよ。いい商売になるのは、酒を出す時間帯でござる。今は、昼下がりなので売れませんのー。あれが、何か? 商売でも始めるのなら相談に乗るでござるよ」
商売。ユークリウッドと同じ知識を持っているのなら、様々な方策に通じているのだろう。しかし、異世界。にわかには信じ難いが。山田は、ウォルフガルドよりも進んだ文明を持つ世界から来たという。こんにゃくという物を売る商売は、繁盛しているようだ。
ロメルもそういった仕事に興味が無いわけではなかったが、やるべきことがある。
「いえ。商売は、もう間に合っています。大根、こんにゃくですか。あの、ふにゃふにゃしたものは?」
指で示すと。山田は、眼鏡をずりあげていう。
「灰色のやったら、こんにゃくでござる。丸っこいのやったら、ちくわでござる。どっちもおいしいでござるよ」
「ふむ。それは、どうも。ところで、住宅の方はどうですか」
「んー。魔族なんて危ないもんが出てきているで、進まんようになる。かもしれんし、どうとも言えないでござる。ここが、危ないので帰るっちゅうのが出てきたら作業が止まりそうやけど。変わりのもんを寄越すからどうにかなりそうではありますなあ。あ、拙者も危険な場所には居たくないので撤退を考えているでありますよ。やはり、死んでは花も実も付かないと思ってるでありますし」
「我々は、逃げる訳にはいかないですから。それが、正しい判断なのでしょうね」
山田は、逃げるという。しかし、それが正解だ。ロメルだって、魔王なんて危険な存在と真っ向から勝負しろだなんて言われたら逃げかねない。できないのは、ここがウォルフガルドが故郷で守らねばならないからだ。ラトスクで生まれて、ラトスクで死ぬのだろう。熊人族の国は、はるか南東にあるというが。
―――さて。
「まあ。彼がいれば魔王もちょちょいのちょいなんやろうけど。おらん時に来られたら、お手上げでござるよね。敵が、慎重だとユーウ殿も安全、安心とは行かないわけで。僕らとしては、応援はできるけどそれ以上の事はできないので」
ぽりぽりと頭を掻く。山田としても、逃げるようにしか見えない行動に心を痛めているのか。ばつが悪そうだ。すると、突然。
「きゃははは。魔王さまにたてつこうっていう、獣人ども! てめえらは、死刑! ひゃー!」
何たる事か。守ろうという獣人は、腰に下げている得物を抜く。建物上から、蝙蝠の羽を生やした化け物が立っている。魔族か。顔は、黒くのっぺりとした魔人タイプだ。手にあまる敵だが、なんとか切り抜けなければならない。
「住民の避難を!」
しかし、魔族が待ってくれるわけもなかった。魔族は、何をしようというのか。屋根の上にいる魔族めがけて矢が飛来する。軽く手で払っただけで、矢が落ちた。矢が効かないのか。非常に不味い。そして、ロメルの思考を読んだかのように地面へと。
「おおお!」
飛び上がる。魔族の身体へ、飛び蹴りだ。空中で、それを捉えて外縁部の方へと蹴った。それで、倒せる魔族ではないだろう。空中で、姿勢を取ろうとするところだ。ロメルは、自由落下の体勢に入っている。魔族が、ロメルを捉えている。ぎょろぎょろと目を動かすと。光が、
「くっ」
襲う。目潰しか。側には、人がいない。と、盾を構えた兵士が槍を手に魔族へめがけて殺到する。警備の兵だろう。数だけではない。必死の兵だ。死を覚悟した彼らの役割は、レベルを持つ獣人のサポートだ。魔族を倒すには、レベルなしでは不可能なのである。紙切れのように、飛ばされる兵士を横目に。
―――絶。
「はあっ」
破斧。
投げた斧は、スキルに寄って誘導能力を得る。魔族が、避けようともそれは当たる。通路を塞ぐ格好の魔族の顔面に、それは当たった。しかし、
「ほう。いやいや。どうして、侮れませんねえ。ヴォルスさんもやられたとか。まさか、貴方がやったのではないですよね」
膝が鳴っている。やられる。魔族には、ロメルの力が効いていなかった。目の前の魔族は、格上で黒い巨体に腕が何本も生えている。周りに立ち向かおうという兵士は、いるけれど。一様に歯をがちがちとならしていた。怖ければ、逃げればいいのだ。
「まあいいでしょう。死になさい!」
手が、一斉に伸びてきた。だが、それでやられる訳にはいかない。
「散開して、迎撃。各自の判断で撤退しろ。敵を誘導するんだ」
手を払いながら、叫ぶ。魔族の手が、レベルを持たない兵士たちを次々と捕らえると。
赤い花が咲いた。わかっていた事だ。レベルがないとは、そういう事だ。
囮にしかならない。抗うことのできない恐怖。もう残っている兵士は、いない。
「お供します!」
「馬鹿。なぜ、来た!」
「えっ……」
「逃げろと言っただろう!」
魔族は、待たない。「仲良く、死になさーい」と。
伸びてくる手に、死を覚悟した。無数の手が伸びてくる。どうしようもない。
どうしようもないのだ。キャシーと、呟いて。
「フハハハ。何を怯えている! 光覇無限斬!」
光が、魔族を貫く。眩い光が消えた後には、魔族の姿はなかった。
「ふっふっふ。やったぜ。なあ、俺のかっこいいところを見ていたか?」
幼児が剣を手にふんぞり返っている。その横には、眉間に皺を寄せた幼児だ。
ああ、と。声にならない、声が。
「ひっ。ちょ、タンマ。ちゃんと、攻撃したじゃん。なんで? あぎゃああ!」
アルは、なぜかユークリウッドに羽交い締めを食らっている。闇あるところに、光もまた。
恐らく、彼にもいいところを見せようとしたのかいいところを取られたという嫉妬心があったのかもしれない。死にそうだったのに。
「泣いているのですか?」
「馬鹿野郎。これは、嬉しく、じゃない。お前だって、泣いているじゃないか」
強くなりたい。アキラのように迷宮に潜るべきかもしれない。ロメルは、そう思った。




