149話 苦労人 (アドル、クリス、フィナル他)
ここは、ブリテン島。島単体の大きさは、ミッドガルドに比べてはるかに小さい。
しかして、無視できないのだ。アルには、繋がりがあるらしく。侵攻して、城を押さえても反抗してくる蛮族たちの戦意は衰えない。それどころか、勢いを盛り返している。
風光明媚な白い尖塔が特徴的な白亜の城が有名だ。そして、その湖上にある城では大騒ぎになっていた。というのも、城の主であるはずのアルトリウスがこつ然と姿を消して家出してしまっているような状態。幼い王子を探して、城内はてんやわんやの大騒ぎだ。ちょくちょく見つからなくなるので、駐在している武官から文官まで探すのに必死になっている。
「ねえ。あれ、止めなくていいのかな」
「言ったら、言ったで僕らが探しに行かないといけなくなるね」
「じゃ。探しに行こうよ」
「どこに?」
アドルは、癖っ毛をいじりながら真向かいに座る幼女に話を返す。頬杖をついて、面白そうに城内を見ていたけれども状況が状況だ。すると、1人の青年が走り寄ってきた。娘と一緒に走ってくる青年は、だれであろうか。青騎士団の長になったドスである。アドルの上司であったが、後任に納まってアルトリウスの側仕えをしているのだ。
そのせいか、銀髪が鼠色から白色が混じっているようだ。
「おい。お前ら、あの馬鹿を見なかったか」
あの馬鹿とは、アルトリウスの事だろう。人を馬鹿にしたりしないドスが、そんな事をいうのは相当な事があったに違いない。頭に着ているのか。足元で、こっこっこっこと靴を叩いている。青く染めた鎧に白いマント。背には、大きな盾を持っている。腰には槌と剣の2本差しだ。真向かいにいるクリスが顔色を伺うようにいう。
「どうせ、ユークリウッドの所じゃないですか? 急に消えるのは、何か考えがあっての事だと思いますけど。馬鹿じゃないんですし」
「いーや。馬鹿だろう。降伏してきた連中との謁見の時間だぞ」
「そりゃ、またどうして謁見しないで逃げたんでしょうね」
すると、耳をつんざくような音がする。
どこか? 空ではない。間近であれば、耳が破けていそうな音だ。音がした方向を見ると、
「嘘だ。塔が!」
尖塔が煙を上げている。火は出ていないが、崩れ落ちていく。これは。これを予見していたというのか。アルトリウスが、王宮を空けている時に都合よく爆発するなど。それをもってどうしようというのだろう。ただし、この場合はミッドガルド軍にとって都合の悪い事だ。これ幸いと、敵が攻めてこないとも限らない。敵は、島の原住民だ。
「これは、いかん。王宮が破壊されたと知ったら、蛮族が攻めてくる可能性が高い。お前ら、アル様がどこ行ったのか知ってんだろ。知ってるなら、ささっと連れ戻してこい。たくっよおお!」
ドスは、凄みを利かせていう。痩けた頬に、苦労が偲ばれる。アルトリウスは、なんでも押し付けてくるのだ。それを凌ぐにはドスでは役不足であった。明らかに、内政に関してユークリウッドに劣る。彼を比較にすると大抵の人間が間抜けになってしまうのでいけない。しかし、周囲は比較したがるのだ。可哀想な事に。
後ろをとことこと走る幼女を抱えると、青い鎧をきた青年は、その場を去った。崩落する城に向かって急行しているのだろう。何がしかが起きる可能性がある。
「これ、さっさと探さないといけないわよね」
「もちろん。でも、ユークリウッドの所に行ってるとなると遠いなあ」
何しろ、海を超えているのだ。船で、数時間とはいえ海には魔物がでて危険だった。それをなんとかするべくエリアスとフィナルが空間転移装置を取り付けようとしていたが、
「おーっほっほっほ。どうやら、お困りのようですわね!」
「あ、フィナル。どうして、ここに?」
「な、なんですの。その、邪魔っていう雰囲気。折角、助け舟を出して差し上げようとしていたのに。興が削がれましてよ」
クリスの横にある椅子に、幼女が当然のように座る。後ろには、身長の高い細面の男が立っている。名前は、アイスマンといったか。フィナルの執事役を担う騎士だ。もっとも、フィナルは複数の人間を使うのでアイスマンが専任という訳でもない。冷たい眼差しに、
「おいおい。冷たい事をいうぜ。これは、いちゃもんだよなあ」
黒い三角帽に、箒を握りしめた幼女が現れた。黒いメイド服と白いエプロン。料理でもするのかという具合。それと真向かいに座ったエリアスは、帽子の鍔を掴むと中から肌色の氷菓子を取り出す。ぺろぺろ。舐めるそれは、アイスクリームといったか。まだ市場ではほとんど出回っていない高級品だ。
「なんで、君までここに?」
「んあ。ああ、なんだ。察しろよ。それとも、ぶん殴られねえとわかんねえのかよ。ちょっと、高い高いしようぜ!」
「いや、それは困る。なる、ほど」
「どういう事なの?」
アドルには、このからくりが見えてきた。要するに、フィナルが邪魔だという事だ。エリアスは、そのおまけだろう。ちょっといいかんじになってきたという事か。アドルには、容易に察する事ができる。目の前の幼女で、手一杯だ。アドルは、何でもできる幼児のように言われている。だが、実態はそうではない。
ユークリウッドは、ウォルフガルドで田んぼを作っているだとか畑を作っているだとかいう。アドルに同じ真似ができるかというと、経験がないので無理というしかない。小さい頃も、言われるがままに手伝いをしていたけれどその作り方がわからない。米の適温だとか、収穫する時期だとか、収穫するまでにどうしたらいいだとか。一体、どれだけの人間が米の作り方をわかるというのだろう。
クリスは、まだ……
「うん。つまり、アル様の悋気に触れたってことだよ」
「そんなのわかるの?」
「だって、なんか理由をつけてこっちにやったようにしか見えないじゃない。しかも、都合よく暗殺未遂事件が起きた訳だよ。怪我をしている人もでるだろうし、すぐにフィナルが片付けてもそのあとの始末がでるからね。なかなか、どうして……」
それは、推測だが当たっているだろう。目の前にいるお嬢様2人の口元がひくひくと、痙攣しているからだ。だからといって、「お嬢様、どうかなされたのですか!?」というような真似をして爆弾を爆発させるのは愚の骨頂だ。
「で? 死にてえのか。てめえはあ!」
怖い。女の子が使うような言葉ではない。周囲には、聖堂騎士がずらっと並んで剣呑な雰囲気だ。今にも切り捨てられそうな。そんな感じである。必竟、クリスは顔を青くして泡を吹き出すかもしれない。なので、
「僕が、行って邪魔をしておきましょう。これで、いいですか」
「おっっと。フィナル。そこまでだぜ」
「変わり身の速い事ですのね。いいでしょう。そういう事で、転移装置の使い方を教えて差し上げますわ」
いつの間にそのような装置を取り付けたのか。空間転移は、魔術師でも滅多な事でお目にかかる事のできない秘術だ。それこそ、ユークリウッドは自由自在にどこへでも移動するけれど。余人にとっては至難の技。なので、十分な魔力を持たない未熟な術者が壁に入ってしまうなどという事故も起きていたりするらしい。それくらい、難儀な術なのだ。
傘を差し出した男を連れて幼女が青いドレスをつまむ。優雅にお辞儀をしてみせると。
「さあ、早く。行って、あの馬鹿の邪魔をしてくるのですわ。おーっほっほっほ」
「このおーっほっほっほ。無理やりすぎ。じわじわくるぜ!」
掴みかかった。醜い争いだ。古来より、争いとは絶えないもの。喧嘩は、身を守ろうとしていても吹っかけられるのだ。望むと望まぬとに関わらず、人は他人の領分に手を突っ込むのだから。その手足となっているアドルは、精神的な重みを感じているというのに。幼女たちは、民に見せられないような格好で取っ組み合いだ。
―――ユークリウッドが居れば。
こんな事は、すぐ解決なのに。
「なんですの、このドチビ。あんたがいるから、こんな事になったんですのよ?」
「うっせー。便利なのは、間違いないんだぜ? 空間転移を実用化した稀代の魔術師として俺の名前が歴史に記されるってーのに。ん? 便利だろうが、最高だろう? じゃねえってんなら、使わせねえぞ」
この2人。喧嘩をするのも、日常の事だ。ユークリウッドがいれば、大人しくなるが。居ないと、
「やるってのかよ。ああん?」
「受けて立ちますわ!」
静かに過ごすはずだった休憩場所が、格闘する道場に変わってしまうから大変だ。幼女の金髪を巻き上げるようにして、霊力が高まっていく。モルドレッセ家の次期当主だというのに、彼女は分別がなくなるのが早過ぎる。
「はあああ!」
そして、相対するレンダルク家の次期当主も負けてはいない。箒をくるくると回すやいなや、真っ直ぐに突く。一撃。受け損なえば、死亡確実。そんな突きを見ても、周囲の護衛は微動だにしない。鍛えあげられた騎士たちの連携と忠誠心は、ミッドガルドでも高い位置にあるだろう。そう、この城で慌てている兵士とは訳が違うようだ。
「ちぃっ」
エリアスにつられて、フィナルも杖を取り出して対応する。ぎゃりっと耳に響く嫌な音。さっさとこの場を離れるとしよう。すると、
「こちらでございます」
細面をした男が、声をかける。そして、隣には黒い布を羽織って顔を鷲の面で隠す魔術師が並ぶ。
「こやつら、役に立つのであるか?」
「それは、もう。何しろ、エリアス様のご友人ですよ」
「……なるほど、な。ならば、案内しようぞ」
手に持った杖は、茶色く使い込んだ代物だ。激しくなりつつある金属音を尻目に、そこを離れた。時間をかけていると、そこで大魔術を使ったりしるので危険である。時に、聖堂騎士と魔導騎士の障壁を吹き飛ばす事もあるのだから。
崩落した尖塔に向かって、人間が殺到している。下手人を探すのも大事だが、こういう場合にあわてて動けばさらなる被害に遭いかねない。慎重に行動する必要がある。城の通路を伝って、敵と遭遇する可能性とどちらが大きいか。さても、アドルとて未来予知を持たぬ身。よもや、黒い布を纏った集団に出くわすなど。
「何者だ! 顔を見せろ」
無言だ。顔を見せられない。名乗れない。そして、短剣だ。手に短剣を持っている。或いは、それに類する武器だろう。
「ふっ」
―――ソードウェイブ。
先手を取った。空を裂く一撃は、黒い布を纏った人間を思しきそれを切断する。
「ぐっ。おっ、おのれぇ」
ばたばたと血が刹那に弧を描く。地面に落ちる身体は、動かない。何かを出そうとしたが、それよりも絶命する方が早かったようだ。黒い布の内には、何があるのだろうか。しかし、
「アイスマン卿。危険だな。近寄るのは、安全が確認されてからの方がよいぞ」
魔術師は、年配のようだ。
「ありがとうございます。導師」
導師。と、付くからにはそれなりの立場にあるのだろう。魔術師といっても、術を教える事のできる術者というのはそういない。いや、教えないといった方がいいだろうか。魔術にしても、様々なやり方があるので魔を扱う術式が千差万別。千も万もあってアドルに理解するのは、難儀だ。
死体に猫が走ると、それをごそごそと衣類の中に潜り込む。果たして、爆発物でもあるだろうか。
「当たりだ。しかし、このような物であれだけの爆発を起こしたのか。錬金術士にでも見せるべきであろうな」
猫が咥えてきたのは、なんであろう。四角い筒だ。円筒に紐がついている。それで、爆発せしめたように見える。アドルの記憶には、アルカディアでの戦争で使われていた物によく似ている事に気がついた。
「それは、その紐に火をつけると爆発する仕組みになっているんですよ」
「ほう。博識だな。どうやって、こやつらがこのような物を手に入れたのか知らぬ。だが、このような物で暗殺を目論むなど……。一体誰が考えた?」
「それは、後にしましょう。それにしても……」
アイスマンは、顔の目をすっと細めた。通路は、薄暗くてよく見えない。近寄っていった部下が、死体を運んでいく。
「ためらいの無い一撃。見事な切断面です。まだ幼いのに、よくも剣を磨かれましたな」
「はは。手加減している場合では、ありませんでしたから」
ためらって、死者が出ることが多くあった。アルカディアとの戦争では、それこそ何人の部下がそれで犠牲になった事だろう。幼いと言われて、後ろに控えていればどんどん積み上がる部下の死。耐え切れなくなるのに、そう時間はかからなかった。ためらわない。それをかの戦争で学んだのだ。彼は、何も学ばなかったようであるけれど。
悪いことではない。
積み上がった死体に、その価値があるのだから。騎士とは、そういうものだ。躊躇えば、何もかもを失って、悲しみの海でのたうち回る羽目になる。すっと、背中のマントが引かれる。
「大丈夫?」
「うん。平気さ。さあ、進みましょう!」
彼ほど、手は長くなくて。彼ほど、器用でもない。彼ほど、魔力もなくて、知識もない。ならば、如何にして勝つか。考えた。必死になって考えた。恐らくは、同僚もそうだろう。幼い同僚は、1人しかいない。彼もまた同じ悩みを抱える幼児だった。なぜ、彼と同じ時代に生まれてきてしまったのか。何もかもをこなすユークリウッドが妬ましい。




