120話 帝国皇子の憂鬱
帝国の皇子であるウィルドは、苛立っていた。華美に満ちた調度品に当たるわけにもいかない。かといって、酒を飲むなど下等だ。椅子に座って、書類に目を通しながら入ってきた男に声を出す。
「おい」
「はっ。どのような処分でも覚悟しております」
「そうじゃない。それは、いい」
処分などできようはずがない。
グレゴリーがいなくなってしまっては、ウィルドが困る。手駒の中では、武技に優れ判断力があるのが少ない。そして、第一の家臣であり忠実な配下だ。ウィルドが便りにしているのは、グレゴリーだけといっていい。他に、戦力として期待できそうな人間はウィルドよりも兄たちを選んでいる。将軍クラスで、ウィルドについている者はグレゴリーとゴルドフだけ。セプテントリオンになったばかりのキースに至っては、若輩なだけに配下の兵もいない。
飛行船は、ウィルドの虎の子だ。
落とされれば、面目もあったものではない。鉄騎兵と呼ばれるゴーレムを輸送するのに使ったが、結果は散々な物だ。グレゴリーの厳しい顔には、縦筋がうっすらとできている。苦労が滲んでいるようだ。その内の何割かは、己が作ったものだろう。酒でも振る舞ってやらねばならない。領地も加増してやりたいが、戦がなければウィルドに仕事もない。
ハイランドとハイデルベルクを攻略するには、ミッドガルドが邪魔だ。なんとしても、邪魔な人間を動けなくする必要がある。ユークリウッドだ。
「奴をなんとかしなければ、帝国に明日はない。なんでわからないんだ」
「はあ」
グレゴリーは、忠誠を誓っているのは間違いないだろうが腰が引けている。とはいっても、他に頼れる配下がいないのが問題だ。ウィルドの兄たちは、ウォルフガルドにちょっかいをかける事に反対でありそのせいで補給もままならない。増員を要求しているが、手持ちの駒だけでは全くといって足りない。ミッドガルドにいては、手を出す事もできない。だから、千載一遇のチャンスなのだ。
なぜわからないのか。
「ユークリウッドを始末できそうな人間がほかにいるか」
「現段階では、数に頼むのは愚策でしょう。あれは、数で押しきれる者ではありませぬ。周囲から包囲していくか、はたまた地震か洪水のような天災とかんがえるべきかと」
グレゴリーは、諦めているようだ。セプテントリオンとして並ぶ人間が居ない実力を持つ。にも関わらず、ユークリウッドに対しては、引け腰だ。解せない。
「まさか、グレゴリー。貴様、ユークリウッドから調略をうけているのではあるまいな?」
「滅相もない。このグレゴリー、殿下に忠義を誓っております」
「ならば、なぜあやつを始末する算段をつけぬ。黙っていれば、倒せる時を失う事になるぞ」
グレゴリーが、黙りこむ。毒殺、不意打ち、なんでも有りならばできるだろうに。迷宮で罠を張っているのに、討てないのは雇った人間の質が低いせいではないか。であるならば、それ専門の冒険者なり暗殺を稼業にしている者を雇ってくればよい。人間の限界を超えた程度であろうか。であるならば、十重二十重に囲んで、矢で屍に変えてやればよい。
―――所詮は人間風情。
違うのか。刈り上げた短髪のグレゴリーは、瞑目し腕組みをしたまま直立している。ゴルドフというと、兜が邪魔で顔色が見えない。室内だというのに、ヤカン状の兜を被って樽よりも太い身体を鎧で覆っている。ヤカンからは、短く髪が出ているので長髪だろう。ぼさぼさかもしれない。彼はグレゴリーの言うがままなのが、欠点だ。
軍団を編成すると、指揮にしろ互いに連携を取って無類の強さを発揮するのだが。
「されど、彼には隙がございません。下手に手を出すよりも、状況を見て考えるべきかと。帝国にとって何が重要なのか。国土の維持であり、国力の増大です。見えぬ藪を突くのは、お止めください」
すると、キースが、
「殿下は、奴を倒せと言っている。グレゴリー殿がやらないのであれば、私めにお任せを」
声を上げていう。きんきんするような声だ。少女は、若い。ウィルドよりも年上だが、能力も経験も見識も浅い。先だっても、大した活躍もなかった。鉄の巨人は、強力無比な性能である。鋼鉄の鎧に、魔術を減衰する装甲。刃も砲弾も術も効かない。と思われていた。しかし、箱の蓋を開けてみればどうだ。ウィルドのハンマーよりも早く魔術を発動させて、鉄騎兵の足を斬った。ありえない。
―――どうしたものか。
如何に人間離れしていようと、痺れ薬を塗った矢や毒を仕込めば倒せるのではないか。更に言えば、包囲して矢で射ち殺すという手もある。手練の兵を呼び寄せれば、可能であろう。
「グレゴリーが無理だというのだ。正面から、討ち取るしかないだろう」
「それもまた危険です。一体、今までどれだけ失敗してきたのか。あちらが見逃しても、次はない可能性だってあるでしょう。今、戦いを挑むのは無謀です。私は、手を出さずに観察しておくほうがよいかと」
「何だと」
観察するだけでは、倒せない。だというのに、観察しておけとグレゴリーはいう。観察して、倒せるようになるのならそうするべきか。
「近くで、どうやって観察しておくのか。そんな事ができようはずもない」
すると、グレゴリーが手近にいた男に声をかける。男は、貧相な顔に驚いた表情を浮かべて腰から筒を受け渡す。
「これで、ござりまする」
筒だ。中を覗くと、よく見える。なるほど。遠くから、観察しようというのか。それならば、可能かもしれない。魔術が絡めば、感知されるおそれがあるが魔力をともわないのならば可能かもしれない。
「これは?」
「望遠鏡という代物だそうで。これであれば、監視をすることもできましょう」
「行動を監視するのはいい。それで、倒せる見込みがでるというのか」
ウィルドは、椅子から立ち上がって歩き出す。向かうのは、格納庫だ。グレゴリーも部屋の外に出ると、追従した。
「それで、隙を見つけるしかありますまい。もっとも、隙だらけなのですが」
「それで、何度も失敗しているからなあ。どうしたものか。というのもわかる」
格納庫は、飛空船の後部にある。ちょうど船の腹に当たる部分だ。通常の船と違うのは、丸みを帯びて居ないところだろうか。四角い箱が空に浮かんでいるような格好だ。今は、ラトスクの郊外に停泊している。空を無断で飛んだら、撃墜するというのだから仕方がないだろう。次に飛ぶのは帰るときだ。しかも、無断で帰ろうとするとそちらでも撃墜するという。
ユークリウッドの魔術なら簡単に撃墜できるだろう。だからといって、大人しくしているのは癪に障る。木の板を魔術で精製して、羽のように軽くしているのが船の特徴だ。それでいて、重い物を乗せても大丈夫という物理法則に反した事をやっている。軽量化と強度は、反比例するのが普通なのだが。
ウィルドの愛機は、下半身がない。
「糞っ。奴に、あんな技があったとは……」
「おそらくは、プラズマブレードの類かと。恐るべき攻撃力です。殿下の機体を一瞬でなぎ払うとは、尋常な相手ではないでしょう。かつてない強敵かと」
思い出せば、瞬く間もない。青い光が走って、崩れ落ちた。何があったのかもわからなかった。倒れてわかったくらいだ。やられたのが。ありえない、と。だが、認めるしかない。
「うん。わかっている。ミョルニルハンマーでもあれを再現できるかどうか」
ウィルドが考えていたのは、鉄騎兵に震え上がる幼児の顔だったのだ。完全に裏切られて、しかも惨めに見逃される始末。兄に助力を頼んでも、馬鹿にされるであろう事は明白で。本国に、どういった事情でウォルフガルドに滞在しているのか説明もできない。異民族の制圧を依頼される事もあるが、それほど手こずる事はなかった。今までは。
灰色の帽子と服を着た整備兵が寄ってきた。
「これは、殿下。このような場所に、ようこそおいでくださいました」
「うむ。世辞は、いい。状況はどうだ」
「修復には、3週間はかかりましょう。それも、足を持って来れればの話です」
ユークリウッドの事務所の前に、腰から下を切断された格好で置き去りになっている足。
脳に痛みが走るような。そんな怒りが湧いてくる。
取り返したいが、そうするとウィルドが機体を修復している事を気づかれるのだ。困った物である。鋼鉄製の足は、他で替えが効かない。まさか木製にするわけにもいかない。しかも、ワンオフ機体。ウィルド専用に調整されている為に、グレゴリーたちから足を取るとか無茶をするわけにもいかなかった。
困った。
「ふむ。それがしが、頭を下げてきましょう」
「いや、しかし……」
グレゴリーに迷惑をかけっぱなしである。ここは、ウィルド本人が行くべきだろう。このまま株を下げっぱなしでは、グレゴリーがセップクしかねない。
「俺が行く。奴とは、話をすれば隙が見えてくるかもしれないからな」
「でしたら、私もついて行きます」
キースがついて来るという。赤毛の少女は、慕ってくれるが。ウィルドにはその気がない。
「ふむ。馬を使われますか。鳥馬を用意させる事もできますが」
「馬だな。別に、斬り合いに行くわけでもないし」
「さようで」
グレゴリーが、整備兵を指揮する作業長と話をすると。馬を連れた灰色の服を着た整備兵がやってくる。何かにつけ気がきく男だ。飛行船には、様々な物が乗っているので人も多い。物も沢山の品が運べる。ラトスクに売りつける品を見繕うのもいいのではないだろうか。帝国でしか作れないような代物であるとか。ウォルフガルドの未開ぶりは言語に絶する物がある。
キースの機体もグレゴリーの機体も整備中なのか。機体には、整備兵が張り付いている。電気で動かしている部分が故障しているのだとか。それがどう故障しているのか、ウィルドにはわからない。ともかく、3騎とも使えないという状態だ。魔術に対する絶対の防御があると。そう言われてきたが、とんでもない間違いだった。魔術抵抗があるだけだ。それを上回れば、貫通してくる。
キースが馬に乗った。ゴルドフは、グレゴリーと一緒に残るようだ。
「それっ」
馬に乗って、後部開口部から出ると。
「殿下」
「なんだ?」
馬に乗ったキースが身体を寄せてくる。
「更なる兵を集めましょう。必ずや、奴を討ち取ってご覧にいれます」
「ふーむ」
賭けはしない主義だ。不意打ちで倒せないのだから、鉄騎兵を持ちだした。しかし、それでも倒せないとなると戦いを挑むには早すぎる。ユークリウッドが使ったスキルなのか魔術なのか。それもわかっていない。偵察をする兵だとか草の育成が急務だろう。
「殿下?」
「いや、無理をしては死ぬな。ここは、大人しくしておくとしよう。奴が油断した時が、死ぬ時だ」
「しかし……いえ、なんでもございません」
キースは、何かを言いたげであった。ウィルドには少女の心の中なんてわからないし、言わなければどうしようもない。馬を走らせていると、ラトスクの外門に行き当たる。獣人が異様に増えていた。どこから湧きだしたのか。色とりどりの狼、犬系の獣人が老男女を問わず集まっている。町の外に町が出来て、しかもそれなりの出来具合だ。帝都に比べれば、貧弱だがそれでもウォルフガルドの王都に比べて立派であろう。
道は、アスファルトと呼ばれる代物が敷き詰められている。そんな技術が、獣人の国にあっただろうか。
「これは、また立派な代物を作ったな」
「はい。この道は確か日本人が作る物と同じですね」
「ああ」
ミッドガルドも日本人を囲っているのだろう。それらを使って、国を富ませるのが帝国であった。真似をするとは。
―――考えたな。
賢い。敵が賢いのは、考えものだ。そういうのは、味方にだけいて欲しいのだがそうもいかないのだろう。
「町が、急速に発展しているのは考えものです」
「確かに、しかしな。迂闊だぞ」
「失礼しましたっ」
キースは、脳がゆるいのか。舌で、災いを呼びそうな部分がある。警護の兵だとか、兵隊を指揮するには持ってこいなのだが。内政をやらせようとした時には、その中身がモロにでてしまうので向いていないように見える。行政の長と軍事の長を分けるか否か。帝国でもいつも議論になる。両方ができる人間なら、そうであるべきだし。
帝国には、元老院があって民会で選ばれた人間がそこで発言したりもする。貴族も多く、民間と半分に分けているけれど。民衆から選ばれた人間が民意を尊重するというが、一方で無責任なところが見える。衆愚政治というらしい。ウィルドもまだ良くわかっていないが、父親は民主主義を否定する皇帝だ。議会制に移すべきか否か。今も迷っているというが。
皇帝が絶対でいい。と、ウィルドは思っている。
「風呂場があるな」
風呂が入り口に至るまで、やけに見受けられる。獣人で地面が見えない。ウィルドたちは、馬を降りて移動するしかないくらいだ。
―――これも奴の力か。
歩を進める事すら難儀であった。
◆◆ ユウタ、一人称オマケ
白いもふもふを撫でまわしているだけで癒される。いいわー。
白い動物たちは、可愛い。たぬきも可愛い。猫も可愛い。残念な事にそれらを一緒くたには飼えないようだ。猫を飼っていると、犬も行ける。犬もいけるからといって、鶏はどうなのだろう。猫に食われちゃう。というより、鶏は、普通に卵を出してくれるので養鶏を産業にできる。唐揚げになっちゃうけどな。
「さあ、たーんとお食べ」
コッコッコッコと鶏が言っているのも癒やされる。
戦闘ばかりだと、気が滅入ってしまうのだ。何より、学校で今更のように勉強するのが凄いストレスになっている。しかも、話す人間が席が近いローエンだけだ。何時間も席に縛り付けられているような物である。地獄かもしれない。地獄とは比べ物にならないくらいにゆるゆるだけど。
ん?
地獄は、もっと大変だ。
「ちょっと、手伝ってくださいまし!」
「あっ。ごめんごめん」
厳つい獣人さんたちが、わらわらと行列を作っている。これがまた捌けない。一体、どれくらいならんでいるのか。見に行ったら、町の外まで行列を作っている有り様だ。中には、寝ている獣人までいる。なので、番号券を配る事にした。俺って、なんて頭がいいのか。なんて思ったりは、ちょっとだけした。まあ、他の日本人がいたら、馬鹿じゃねーのとか言われそうだけど。いいんだよ。ふんっ。
鳥の獣人とか、足が細い。細いというか、なんというか。まんま、鶏の足とかしてたりすることがあるので驚きだ。獣人には、いろんな種類があるようなんだ。ま、かいつまんでいうと常識は常識であってそうじゃないっていうか。そういう感じ。
美人の獣人さんだと、結構うれしい。頭がまんま鳥で、羽の付け根が痛いとかいう。そんなもんですよ。鳥の獣人さんが、なぜラトスクの町にいるのか。深くは、追求しないでおこう。うん。
ヒールで大概、1発なのにどうしてこうも診療所のようになっているのか。隣にいるフィナルなんてのは、とろとろと呪文を唱えながらはあはあと息を荒くしている。たまに顔色が悪くなったりするので、結局のところ俺が1人でやる羽目になっている。手が足りないよ。どうしたらいいんだろう。考えると、考えるほどに手が進まない。手というかヒールが。
「ごめんなさい。今日は、ここまでです」
「ありがとう」
ヒールをかけ続けて、気分が悪くなったフィナルの代わりに神官さんや僧侶さんが入れ替わり立ち代わりでヒールをするけれど。全然、駄目のようだ。何しろ、腕がなかったりするのばかりが来るのだから。再生するのに、魔力がかなりいるらしい。しかも、ただなのだから連れてくる司祭とかも下の方になる。育成が必要だ。という事で、狩りに行きたい。
左右を見ても、まだまだ尽きない列がある。
白い動物は、殆ど効果が無いようだ。困った事に、子供が動物と戯れているくらいだ。白いから犬はシロとかタマとかポチである。鶏は、名前をつけられない。食用なので。
「おい」
列をぶった切るようにして、少年が話かけてきた。少年ではなかった。男装皇子さまだ。おしりをペンペンしても懲りないらしい。しかも、自分で男だと思い込んでる節のある。憐れな子だ。その内、やられてしまうに違いない。エリストールとどことなく系統が似ていて、関わりになりたくない人間だ。呼び止められて、無視しようとすると。
獣人たちと揉みあいになった。
「な、何をする。貴様らー!」
「無礼な!」
走った。無言で、走ってキースの後ろを取る。そうして、関節技をかけた。隙だらけだ。
「貴様!? ぐあああ」
涙目だ。そこに、間隙をいれず電撃を入れる。人間なら、即死クラスだがこの少女はタフだ。普通は動けなくなるというよりも、目から鼻から血を出して死ぬ。だらんと、なったので地面に寝かせてやると獣人たちに組み付かれている少年風のウィルドがいた。立派なマントも台無しだ。この子は、自慢の武器がないと電撃が出せないという残念な子でもある。
地面に同じように押さえつけられた子に、座って目をあわせる。
「このような真似。許されるはずがない! 早く放せ」
「皆さん、落ち着いてください。ちゃんと時間までは、治療しますので。手を放してあげてください」
すると、獣人さんたちは息を荒くしていたけどすんなりと放してくれた。そこで、阿呆の子に後ろから組み付いた。
「なっ? 貴様! 何の真似だ。ひゃっ」
「お仕置きだーべー」
「!?」
息を飲む。強がっていても、所詮は少女。本人だけが知らないのか。アルーシュとは違って、糞のように弱い。武器がなければ戦えないというのは、まさに三下。くすぐり地獄の刑を加えると、
「ひゃひゃああ、あひゃ」
もはや、帝国の皇子だとかそんなもんではない。声は、痴呆じみている。憐れなものだ。
ひとしきりくすぐり地獄を味合わせると、ウィルドは地面に痴態を晒す。いろんな液体が地面に湖を作っているが、あえて言及はしないでおこう。変な臭いまでするし、臭いのだけれど。困ったものである。しょうがないので、運ぶことにした。
後始末は、獣人さんたちがしてくれるようだ。
元の場所に戻ると、般若の顔になった少女たちが立っていた。とほほ。




