106話 アキラの事情 51 (アキラ、ネリエル、ロメル、ユウタ)
立てよとばかりに足に力を込める。しかし、無情にもアキラの身体はぴくりともしなかった。筋肉は痙攣するばかりで、上を向くので精一杯で。
「ふん」
少女が横に払われた。まるで、雑草のように。アキラにはぼんやりと眺めているしかできなくて。悔しい。力があれば、この状況をひっくり返せたはずだ。強奪スキルは、強力無比なスキルだと思った。けれども現実には、敵のスキルを奪うのに条件が、制約がありすぎる。奪ったスキルで有用なのは、【再生】。恐るべき能力だ。
クラブから奪ったこのスキル。手はおろか、身体に穴が開いてもそのまま復元してくれるスキルのようだ。問題なのは、血か。血が無くなってしまえば、貧血と意識の混濁に襲われる事だろう。血が足りなくなる事で戦闘が継続できなくなっているようだ。高校生でも、貧血の知識くらいはあるし、出血多量で人が死ぬ事は知っている。
横目に、倒れたネリエルの姿を見ると。ずりずりと、アキラの方に寄ってくる。
(誰か! 誰か助けてくれよ!)
目蓋の裏に涙がこみ上げてきた。悔しくて。口惜しい。こんな所で死ぬはずがない。
(助けて、助けて。なんだってする。俺の命と引き換えでもいい。力を……)
祈った。誰かではなく、ネリエルの為に。ぷつんと、落ちる感覚。意識を保てない。
「大丈夫か」
頬をピタピタと叩く冷たい手だ。意識が、朦朧としている。スキルは。【再生】を使おうとしたが、胸に開いた穴はふさがっている。それでも、流した血が多いのか。具合は、悪い。アキラは、ウォルフガングを探そうとしたが。
「大丈夫ですよ」
ユークリウッドの声がする。ウォルフガングの姿を探す、と。
「血を流しすぎたんじゃないか?」
「きっと、そうですね」
そうかもしれない。いや、きっとそうなのだ。アキラは、動けない。意識だけが、浮上したように身体が鉛か鉄のようだ。
「このままでは、死んでしまうんじゃないのか?」
「さっき、輸血をしたばかりじゃないですか」
「ああ。しかし、獣人の血を入れて大丈夫なのか? 種族が違うぞ」
「そういえば。そうですね。でも、ほら目を開けているってことは大丈夫って事じゃないでしょうか。これは、元のそれが互換性あるように造ったみたいですね」
互換性。まるで、それでは獣人が造られた生物のようではないか。ユークリウッドは、アキラが知らない事を色々と知っている。これで、現地人というのはいかにも怪しい。出血多量で死ぬのを防ぐのに、輸血してもらったのか。血がO型とか、A型とか。違いがないのなら、アキラに都合がいいけれど。
「ん? 互換性とはなんだ」
「いえ、つまり。ま、大丈夫だからいいじゃないですか」
「無理やりだな」
強引にユークリウッドは話をそらそうとしている。状態がいいのなら追求したい所だ。色々と。
ネリエルとユークリウッドが話をしているようだ。ウォルフガングの気配はしない。口の中は、血の味がした。気持ちわるい。それから、上半身に力を入れようとするが。ぴくりとも動かない。筋肉がぷるぷると震えている。疲労のせいであろうか。アキラの腹筋と背筋は、主を裏切って痙攣したままだ。痛い。
「何か、言いたそうだ」
「きっと、ウォルフガング王を探しているんでしょう」
セリアの姿もない。金狼の姿と銀狼の姿が見えないのだから、何かがあったのだ。口を動かすと。
「あの野郎。ゼッテーぶっ倒す」
血の味でむせ返った。ネリエルは、涙を浮かべながら微笑した。
「それでこそ、ご主人様だ」
しっかりと、手を握っている。アキラは、負けた。しかし、終わりではない。次があるのなら、次こそ倒す。スキルが効かないとか言っていたが、アキラの【再生】には恐れをなしていた。というのなら、それこそが勝利の鍵だ。
「がんばりましたね。僕もびっくりです。1秒も持たないと思っていたのですが」
「そりゃ悪かったな。で、なんでウォルフガングの野郎がいねえんだよ」
「そりゃあ、ネリエルさんを殴ったりしたら見過ごせないでしょう」
白々しい。なんという茶番。しかし、負けるなどウォルフガングと戦うまでついぞ考えた事がなかったのも事実。アキラは、己がばらばらになるような衝撃を受けて真っさらな気分だ。あのような思いをするのなら、強くなるというのもわかる気がする。アキラは喧嘩では負けたことがなかったし、学校では身長が物をいった。
なんといっても身体が大きいのは、大きなアドバンテージだ。アキラが凄めば、同年代でも迫力が有る方だろう。馬鹿は死ぬまで、その馬鹿さ加減がわからないというけれど。ここに至って、初めてわかるという事もある。いじめられっ子の気分なんて、アキラとは無縁の物だと思っていたのだから。
(もしかして、こいつ、狙ってたのか?)
アキラは、負けてそれを肥やしにすると。何度でも立ち上がったが、頭を潰される事はなかった。決闘なのだから、そこで殺しても文句は言われないはずで。それなら、アキラの頭を潰して殺す方が手っ取り早い。もちろん、ウォルフガングが手を抜いてネズミをいたぶっていたとも考えられるけれど。
(身体が動かねえ。帰って、寝るしかねえな。けど……)
ネリエルを連れて帰るつもりなのだ。その少女を見つめ返すと。
「そろそろ、ベッドで寝かせてあげましょうよ。転移門を開きます」
「そうだな。ご主人様は、ベッドまで運ぶ」
眠気がして、アキラは意識をまた手放した。
温かい。スズメがちゅんちゅんと鳴いている。天井は、いつもの天井だ。いつものとは、木製の天井。木製。と、おかしい。ユークリウッドの事務所は、木製であったのか疑問が出てきた。記憶が曖昧になっている。ベッドから横を見ると。犬耳の少女と、壁にドアが見える。
(んー。いつもと変わらないように見えるな)
ユークリウッドが経営する事務所の2階。戻ってきたようだ。身体の節々が痛い。身体は、
(起き上がれる、か)
隣にいる犬耳を生やした少女を見て股間が元気になった。高校生なのだ。仕方がない生理といえよう。アキラは、襲いかかりたい。けれど、マールが寝ているので仕方なくベッドから足を地面につける。
(足がついている。再生スキルって、すげえええ)
単純に、腕が生えてくるような感じなのだ。ない物がずるっと生まれるような。どういう仕組みで身体が再生したのかわからないが。仕組みを考えると、ありえない。人間の身体は、小さな擦り傷だって治るのが遅かったりするくらいなのに。それをいったら、剣の通らないウォルフガングの身体はどうなっているのか。
疑問が次から次に生まれてくる。
(なぜ、足がついているのかねえ。不思議だよな。ウォルフガングの野郎は、どうなったんだよ)
レベル150の獣王だけに、また再戦ともなれば死は必ず訪れる。必ず死ぬと書いて、必死だ。スキルが効かないというが、魔力があればスキルが通るような事を言っていた。ということは、魔力、つまりMPがあればスキルは通じるのか。それとも、スキルことSPなのか。それに魔力を上乗せするような技術があるのだろうか。
アキラは、この世界についてまだまだわからない事だらけだ。日本の常識を当てはめて考えれば、おかしい事だらけ。糞だらけの王城とか。ありえない。蟹の大群。ありえない。死体が動く。ありえない。ありえない事だらけで、アキラは自身の認識を一新する必要に迫られていると。そう感じていた。
(とりあえず、飯かな)
何も着ていなかったので、服をタンスから取ると。タンスに目を剥いた。獣人の世界だと、普通に直置きだったりするのだ。ベッドも簡素なものから、木製の立派な物になっている。おかしい。何時の間に模様替えをしていたのだろうか。ぽんっと、手を叩く。
(あ、そうだ。俺がいない時に決まってらあな)
服を着ると、部屋の外にでる。筋肉が痛むが、それよりもユークリウッドに会う必要がある。どうなったのか知りたいのだ。階段を降りると。
「おや、おはよう。勇者アキラ。お早いお目覚めだな」
「おはよう。なんだよ。その勇者って」
勇者だとかロメルには名乗っていない。アキラを見るロメルは、メガネをくいっと上げながら、
「魔王にして、獣王たるウォルフガング王に挑みし勇者アキラ。死闘の果てに、かのお方に認められる。快挙だぞ」
「マジで?」
澄まし顔でいう。マールが寝ているので、事務所にはロメルだけだ。朝食には早い時間だったか。
「ユークリウッド様が言っていたから、本当なのだろうよ。貴様が、勇者とはな。称号であっても、勇者を獲得した事は大きい。仕事も増えるだろうな。ただ、今一つわからないのはどう見ても勝てるレベルじゃあない。疑うようだが、な」
ああ。そういう事なのか。アキラは、わからない。わからないが、試されたようにも見える。死んでいないから言える事だけれども。死んでいたら、この場にはいないしマールともイチャイチャできないのだ。生きている事に感謝こそすれ、勝っただとは思わない。
そして、隠す気もない。過剰な評価をされて後で地獄を見るのもご免だ。
「いや。完膚なきまでに、負けたよ。俺の完敗で、生きてるのがおかしいんだ」
「どういう事だ?」
ロメルが、訝しんでいる。それはそうだろう。自分が聞いた話と違う事を聞くのだから。しかし、言っておかなければ。
「そのまんまだ。雑巾みたいに、ボロボロにされて負けた」
「ふむ。しかし、貴様は生きている。獣王と戦って、その威に服しなかったのはいないのだ。誰もが頭を垂れる。それが、この国の理であり絶対の掟。弱肉強食こそ、ウォルフガルドを構成する国是なのだからな」
金狼と戦うのも弱肉強食も糞食らえだ。しかし、アキラはそうだからマールを手に入れられたのだから苦い味がした。血の味でもある。日本人には、弱肉強食と聞くといいイメージがしない。なぜなら、勝った者がすべてを持っていく経済的なイメージがあるから。でも、友人にそういう話を聞かされてもピンとこない。実体験をしていなかったからだ。
(強けりゃいいじゃんって思ってた。でも、そうじゃないんだ。もし、また、すぐに戦えって言われたら死ぬ。力をつけねえと)
迷宮に行くのがいい。
「まあ、だとしても勇者、だな。生きているのが不思議だ。何しろ、ウォルフガング王と戦って生きていたのは今までただの1人もいない。ミッドガルドがその力を恐れて、スレイプニールの神器を使ったというのは有名な話だぞ」
「なにそれ」
ユークリウッドとセリアは、ウォルフガングと戦っても平然としてる。きっと余裕で勝てるのだろう。でなければ、あの態度はない。止めるのも楽なはず。どういう思惑なのか。
(魔王に勝てない勇者って。ねーよ。それに、ロメルはユークリウッドの力を知らねえのか? 俺も詳しく知らねえけど)
知らない。アキラは、知らない事が多すぎた。誰かサポートで教えてくれる知恵袋が必要だ。友達を増やそう。しかし、アキラにそれができるだろうか。学校では、友達は少なかったから冒険者ギルドでそれを作るのに難儀するだろう。過日もわざわざ相手の方から寄ってきてくれたのに、にべもない態度をとった。考えておくとか、そういう言い方で良かったのではないか。
アキラが、そんな事を考えていると。
「知らないようだな。スレイプニールとは、オーディンの愛馬で八本の足を持つという神馬と言われている。これを騎獣とするのに、スレイプニールの軛と呼ばれた手綱を使ったそうだ。それが、縛めとなって対象を動けなくするという。それで、殺さなかったのは謎だ」
「ふーん。物知りだな」
「さてね。これだって、受け売りだったり本で読んだり、だ。この町には、図書館なんて物はないが本屋はあったりするんでね。そこで、聞いたりするといい。話すだけなら、タダみたいに店主はべらべらとしゃべってくれるぞ」
良いことを聞いたような。アキラは、物を知らない。ポンプの構造から、ポンプの製造方法まで。知らないし、やろうとしたってやり方がわからないので諦めてしまうだろう。今までなら。魔術が下手なら、練習すればいいのだ。気持ちが悪くなったって、地べたを這うよりずっとマシである。死ななかったから良かった。
(さて、今日はどうするかね。俺が、強くならないといけない。……段々、ユークリウッドと思考が似てきたのか?)
「そういえば。こんな物を預かっている。これは、何の文字なんだ?」
アキラは、ロメルから紙を受け取る。そこには、漢字とひらがなが書かれていた。
(何だよ。肉屋に行けってか。それで、どうなるんだよ)
アキラは考えた。しかし、何もわからない。
「肉屋に行けってさ。これ、どういう事なんだと思う?」
「さあ。いろんな種類の肉が売っているから、買ってこいってことなんじゃないか」
ロメルもわかっていないようだ。ネリエルが、降りてくる。目が腫れているような。
「おはよう、アキラ」
「ああ、おはよう」
何か、親しみを感じるような。しかし、ここにいてもいいのか。ネリエルは、実家に帰らなくてもいいのだろうか。わからない。わからないが、いてくれるのならアキラにとってはチャンスである。ユークリウッドと違って、アキラはチャンスをものにしたい。
「飯食ったら、クエストどうよ」
「ふむ。身体はいいのか?」
「もち。で、どうなんだ」
「いいとも」
飯は、マールが出てくる前に用意できなかった。




