20話 異世界で無惨
その集団が現れたのは、朝の事だった。無防備な社には、作務衣を着た人間しか居らず。防げるような人間はほぼ居なかった。居たとしても、怪異との戦いはできても人間と戦う事はできたかどうか。頼綱の精神は、ぎりぎりの所で平行を保っている。目の前には、大事な人を殺すであろう悪鬼たちが迫りくる。
助けて。そう叫ばないのが不思議なくらい。
「頼綱。逃げなさい。彼らの狙いは、私です」
「駄目です。媛さまも一緒でなければ」
銃撃と人々の絶叫が響く。惨劇は、今も尚続いていた。必死に防戦する陰陽士たちだが―――
「うっ」
銃弾による狙撃は、防げない。如何に霊的な結界を張ろうとも、敵である人間の使う物は物理攻撃なのだ。それをまともに受ければ、死ぬのが道理である。当然のように、殺しを行う彼らに戦慄すると共に反撃には、短銃が弾を放つ。銃弾の応酬からして、専門分野から離れるのだ。相手からすれば、貧弱な火力に映ったであろう。
消音器をつけていた相手だが、ここにきて形振りかまわない攻撃が始まる。手榴弾だ。閃光を放つ物も使い始めて、立て籠もる側は崩されていく。
ここは、鳳凰院の誇る霊場。
木花咲耶媛を奉る修行場でもある。と、同時に日本を守護する為の結界を維持する一角である。その為に、狙われたか。頼綱は、銃弾に倒れる仲間の童を見てどろりとした沼に浸かる思いだ。物心ついた時から媛に仕える事になって早四年。ずっと一緒に媛を守っていこうと誓いあった仲間たちだ。隣には、おかっぱの少女が肩を寄せる。
「あはは。こりゃあ、覚悟を決めた方がいいかもね」
「諦めないで」
葉子だ。その隣に、重康がいる。
「他の皆は?」
「とっくに、逃げ出したさ」
「媛を置いてか?」
「しょうがないだろ。俺たちみたいな子供には、無理だよ。幾ら訓練を受けているからって」
同意しかねた。守るように訓練されたのは、こういう日の為だ。守らずに逃げるなど、言語道断といえる。媛に仕えるに値しない人間だったのだ。そう思えば、ここで激昂する事にも耐えられる。右を向いても左を向いても、敵の感覚が伝わって来た。ぴりぴりとするような刺激のある殺気だ。そうした感覚には、奮い立つのが男子というもの。
ごつごつとした銃を手に、応射する。突入しようとした人間の頭が、真っ赤な花を咲かせた。
「ひっ」
媛は、恐怖で顔面が蒼白だ。それでも、気丈に振る舞っているから大したものだ。後ろからも、前からも横からも敵意が遅いかかってくる。それを鋭敏に捉えてしまうから、手が震える。
「大丈夫?」
「うん」
心配そうに見つめる葉子も、同じように銃を構えている。頼綱たちが立て籠もる本殿は、入口から奥に至るまで死体が散乱している状態だ。そんな中で、頼綱たちが生きながらえているのは何故か。それは、葉子の持つ能力が関係している。物を硬化させる異能の持ち主で、畳などでも簡易的なシールドとして使える。
加えて、重康は接近戦に長けている。近寄られても、短刀で相手を仕留めてきた。そして、頼綱には銃の腕がそこそこあった。それが、幸いにも生き残らせている。敵は、捕えた人間で遊んでいるのか。攻撃の頻度が落ちてきている。
「そろそろ、逃げよう」
三人は、頷き合う。向かうのは、奥にある隠し扉だ。掛け軸の後ろにあるような代物だが、一見してわからない。震える媛を立たせて、その中に入る。がちゃりとした音がして外の音も聞こえなくなった。
「大丈夫です。きっと、助けが来るはずですから」
「そうそう。大丈夫ですよ」
嘘だ。しかし、嘘でも本当になる事がある。状況は、絶望的だ。それでも希望を捨てて、やけになられるよりはましである。震えていた媛は、涙をぬぐいながら、か細い声を出す。
「と、友だちがね。援軍を送ってくれるって。だから、安心してって」
エア友達だろうか。日光子が友達を作ったなどという話は、初耳であった。そういう話をした事もあるが、何処にいるのか。という風に尋ねれば、「遠い遠い所にいるの。だから、会いに行けないけど。いるんだよ」という。
「それは、安心ですね。葉子も期待が持てます」
葉子は、信じているふりだろう。しかし、隣にいる重康が反応しない。源の姓を賜っている由緒正しい家柄なのだが、いささかぶっきらぼうな対応をするのだ。
「駄目、かもな。もうすっかり味方の気配はしねえ。それに、連中も人払いに死人繰りまで使ってやがる。こっちは、全滅に近い。此処が見つかるのも時間の問題だろ」
感覚を研ぎ澄ませれば、各所で息絶える命の鼓動がわかる。陰陽師の端くれであるところの己にもわかるくらいだ。媛が泣いているのも、それらの絶叫を聞いているからかもしれない。ここで、死ぬ。その事について、よくわからない。もっと先まで行ける筈であったのだ。無惨にも、ここで終わろうとする命が痛ましくあった。
銃撃の音が止み、それからは淫猥な水音と打撃音が響く。拷問が行われている事に疑いはなく、力の限り敵を倒して果てたい。そんな衝動も、隣にいる重康を見れば同意できるというもの。
『これだけ探して、見つからねえ。どこへいったんだ?』
『もっとよく探せ。ほれ、お前等も遊んでねえで』
『へへへ。ちょっと味見で』
『もう死んでいるだろうが』
真っ赤な霧が、目の前を覆い、銃身を握り締める。そこで、葉子に肩を押さえられた。今うって出るのは、連中の思う壺である。それ位の事は、判断できる。それでも、握りしめられた拳のやり場がない。
『こっちだ。ここが、怪しいな』
こんこん。と、絶望を呼ぶ音がした。
手には、緊張で汗が滲みでている。一体どうして、こんな事になっているのか。死んだ大人たちですらそれをわかっている人間がどれほどいるのだろう。しかして、死は突然にやってくる。近代兵器の力には陰陽師たちの力も無力。同じように武器で戦えば、負けるのは必然だ。
赤い光が、扉を削っていく。賽は投げられた。
「うおおおっ」
「なんだっ。餓鬼じゃあないか」
三人の男が立っていた。スーツを着て、それぞれが武器を構えている。長銃に、短機関銃。それに青竜刀だ。
躍り出たが、待っていたのは痛烈な反撃だった。放つ銃弾を易々と躱しながら、相手は蹴りを返す。手からは、黒光りをする得物が失われた。武器を失っても諦めきれない。当然、近接格闘だ。
「やっ」
「温いんだよ。子供は……ああ、そんな趣味の奴もいたな。殺すなよ」
「ふざけるなっ」
隣にいた男には、重康が。葉子が捕まっている。突然、身体が鉛のようになった。目の前には敵が居るというのに。
「他愛ないねえ。餓鬼、といえども始末しておくべきか」
「やめ、やめろおおおぉ」
重康が顔面を何度も殴られている。葉子は、両の手を縛られる恰好で吊り上げられた。そして、肺腑をえぐるような足刀がやってくる。
「ぐえっ」
ヒキガエルが潰れるような声だ。とても己の口からそれが出たとは、認めたくないものである。
「ま、こんなもんだろ」
「こいつらがいるって事は、対象はその中かな」
「だろうよ。ちょっと、可愛がってやるか」
神は、いる。だから、必死で願った。術を行使するよりももっとずっと。死んだなどとは思いたくない。どこかにきっといて、見守っていると。踏みつけているであろう男の靴で、激痛が走る。何度も何度も。それでも、転がって立ち上がらずにはいられない。
「なんだよ。まだ、諦めてねえって面だな」
「……」
「いいぜ。もうちょっと、遊んでやらあ」
長い銃の銃身が、腕をへし折る。躱すには、体力を消耗しすぎた。あばらの骨が折れた。ぷらりとなった腕が、力なく曲がる。それでも。
「ここは、通さない」
「いいねえ。こいつは、嬲り甲斐があるってもんだ。どれだけ耐えられるかよっ」
男のどす黒く立ち上る霊気を視ても、足掻きつづけるのだ。きっと、無駄ではない。
◆
向かったのは、本殿となる場所だ。探せばいると。
そういうものらしい。神社を見る光輝の様相が変わってきたのも気掛かりだ。
建物には結界が張られていて、そこからは人払いを予想させる効能が見られた。そこでそれを気が付かなかった事で顔の熱が増す。
「結界か。この程度ならば」
光輝の腕が動き、それを祓う。暗がりに似た力だ。それを放置して入ってしまうと、中で彷徨う効果を持っていたりする物もある。経験のある無しで、それがどう違うのか。わからずとも、仕組みだけは把握できる。解除する彼の動きを追っていけば、その先にあったのは悪鬼たちであった。
「何奴だっ」
誰何するのは、濁声。脳裏には、烈火のような火柱が立っていた。振るう腕が、人の頭を西瓜のように叩き割り。凡そそれらを駆逐するまで、かかった針子は十を数えるかどうかである。
進んだ先には、バリケードのような物ができていた。その奥にいた少年が声を上げる。ぼろきれのようになった少年少女がいた。特に、男の子はよく生きているというような風体だ。
「うっ」
抱え起こして、回復の魔術をかけていく。人体の損傷が著しい。特に、内臓系の損壊は死に至ってもおかしくない状態。
呻き声をあげて、少年は声を絞り出す。
「ごほっ。ああ、神様は僕を見捨てなかったんだ。貴方たちは、味方……あ。光輝様っ!」
「頼綱くん。どうして、こんな所に? 妹はどうしたんだ」
「無事のはずです」
寝かせたままで、視線の先を読み取る。部屋の奥には、一枚の達筆で書かれた掛け軸があったようだ。もう、残骸しかない。そこにぽっかりとあいた入口が見える。入っていくと。
奥には、縮こまるように震える少女が単衣を着て座っている。上げた顔には大粒の涙が浮かんでいた。駆け寄る光輝の姿に安堵の吐息が漏れる。兄と妹の再会であった。だが、思いに浸る二人を他所に悪意の影が差す。やってきたのは、スーツ姿の男だ。銃を持っているので、余裕なのだろうか。左手で、サスペンダーを弄りながら、
「へえ。まだ生き残りが居たとはねえ―――」
会話に乗じるつもりもない。相手の持つ武器を封殺するべく魔術を放つ。
「っとおっ。おお!? がはっ」
手に持っているのは銃。見れば、マシンガンの類だとわかる。それの攻撃を予想して放った魔術は、あやまたず敵の胴体を破壊した。崩れおちる長髪の男。何かを言いたげに魔術を放った相手を睨んでいる。だが、程なくして動かなくなった。再生して復活するというような技能は、ないらしい。
「雑魚ですね。他にも居そうなので、掃除しておきます」
「ユーウくん。頼む」
頷き、外道たちの掃討戦を開始する。壁にもたれかかるようにして息絶えた男がいる。首を牛刀らしき刃物で切断された女がいる。奥にいくまでに見かけた死者は、これだけではない。頭部が破壊されて何者か判別できないようになった男女の姿は、一つや二つではなかった。
「こいつら、一体何者なんだろうね」
『さあ。あっ食べてもいいかな』
「ちょっとだけ。あと、敵さんのだけにしといてね」
『はーい』
金色に輝くひよこは、死体をむさぼっていく。すると、急速に大きくなった。
「どういう事なんだい」
『ふふふ。ボクの時代がきたって事さ。さあ、がんがんやろうぜっ』
翼をはためかせる。その下には、むきむきになった腕が見えた。そして、どんどん食い始める。死体の掃除と言えば聞こえはいいが、一方では理性が警鐘を鳴らしている。このまま巨大化させてしまっていいのか。というような部類だ。が、言うのも聞かずに人並になった竜は暴れ始めた。
「なっ。なんだあれはっ」
銃を持った相手を見れば、食いにかかる。相手も銃弾を浴びせるが、全く効いていない。全て鱗に弾かれる。動きも銃弾並だ。一足で、十メートルくらいは跳ぶ。そして、拳を叩きつけた。
『ひゃっほー。死ぃねえ』
額に手を当てながら、後悔し始めている。とんでもない奴を野に放ったのではないか、と。
◆ ガーフの一日その2
ガーフたちがアルカディアの首都にある隊宿舎を移して、慌ただしく働いていると。客人がやってきた。歳の頃は、ロシナと同じ幼女といっていい。が、容貌は少女のそれだ。大分大人びた言動で、高い声で挨拶をしてくる。
「ごきげんよう。ガーフ様」
「これは、エリアス様。ようこそ、おいでくださいました」
彼女は、魔術界の名門でレンダルク家の令嬢だ。はるばるミッドガルドから足を運んだにしては、疲れている様子がない。つまり、転移魔術でやってきたのであろう。エリアスの後ろには、同じように黒フードとローブを着た集団がいる。彼らが転移装置の調整をやろうというか。
転移魔術といえば、実行不可能と言われているほどの大魔術だ。神族であるアルを除外すれば、ユークリウッドくらいしか出来る人間を見た事がない。
黒い集団が宿舎に入ってくるのを見ながら、
「エリアス様が調整なさるのですか?」
「そうよ。他の子たちでは、難しいし。何より魔力が全然足りないわ」
護衛という事か。ローブの姿に騙されてはいけない。それを脱げば、金属製の鎧に身を包んだ魔導騎士だった。等と言う事はざらにある。魔術騎士の上が魔導騎士と呼ばれる存在で。ジョブレベルを上げて、転職したのがそれだ。並の騎士では傷一つつけるのが難しいと言われるような連中であった。一人討ち取るのに、決死の覚悟を決めた騎士が十は要るという。
魔術で召喚した使い魔などを使役する場合もあり、次元の違う強さを見せる。戦争中でも、その実力を遺憾なく発揮していた。主に、空を飛ぶ兵器に対してだ。有翼族との戦いは、講和に終わっているが。風の壁を作る魔術は、敵の兵器群に対して絶大な威力を見せていた。その中でも、歳若い女魔術師たちで構成される彼女の親衛隊の能力は侮れない。
室内に入り、フードを取った彼女らの姿は目に毒だ。容貌に優れた人間ばかりだったのである。ガーフには、兵士たち好かれるであろう事が想像できた。どうするべきか。早速ちょっかいをかけようとする兵士の動きに目を光らせながら、受付の横で工事を眺める。建物の大きさは、百人程度ならゆうに入ってしまう。しかし、移動も兼ねるようになれば手狭だ。
「時間がかかりそうなのですかな」
「そうね。半日ほどかしら。夕方までには、終わらせるつもりよ。ガーフ様も見学されていきますか」
体よく使わる予感がした。なので、その場を辞去する。
「いえ。私は、迷宮内の探索にも出ませんといけないのです。これで、失礼します」
「あら。そうなのですか。ロシナの奴が帰ってきたら、連絡をくださいね」
「わかりました」
こき使われるのは、ロシナになった。ユークリウッドがいれば、それは彼の役目だ。黒いローブを着た少女たちが室内の改装工事をしているのは、幻想的ですらあるが見ていられない。あれしてほしい、これしてほしいと言われるのがオチである。
宿舎を出ると、そのまま迷宮前へと向かう。宿舎の裏からは、ジョストを行っているのであろうか。打撃音が響いてくる。歩を進めたところ、事前に決めていた隊員がすでに揃っていた。迷宮内に潜ったアークたちが、出た事は確認されていない。何か起きていれば、急報が届くはず。鈍色の鎧を着た隊員が挨拶をしてくる。
「ガーフさん。第一小隊揃いましたっ」
「うむ。それでは、出発だ」
石門を抜けると、そこには気の早い商売人たちが座敷をしいてアイテム売っている。許可した覚えなどなく、それを咎める。
「お前たち。何をやっている?」
「へっ。これは、騎士様。お日柄もよく。この度は、ここで商売をさせていただく事になりました。ボーマンと申します。何卒よろしくお願いします」
「許可は取ったのか?」
「それは、こちらをご覧ください」
商人と思しき男が差し出してきたのは、一枚の羊皮紙だ。中には、綺麗な達筆で商売の自由を認める旨が書いてあった。
「話が、早いな。私の所に来るよりも、先に商売をしているとはな」
「おおっ。では、貴方様がロシナ様ですかな」
「違うな。勘違いをしているようだが、私の名はガーフ。赤騎士団の第一隊で副隊長をしている。以後会う事もあろう。よく覚えておくようにな」
「これは、失礼しました。歳若いので、見間違えてしまいました。どうもいけませんなあ。ミッドガルドの方は、皆若々しいのが羨ましいですぞ」
歳のいった商人だ。ロシナとガーフは、勘違いされやすいのである。どちらかといえば、隊長のように見られる。慌てて、弁明するのに疲労感が溜まりやすい。
「ふむ。買い取りに関しては、近日中にでもギルドが入ってくる。売り子をするならば、体裁を整えた方がいいな。潜るのに必要なアイテムを商人同士で融通し合う方がよかろう」
「それは、参考になりますな。我々としては、争う事を好みませんので」
「どうせやるならば、外で飲み屋に宿屋を経営する方が先に利潤が上がりそうではないか?」
「先に手を付けて居られる方が居りまして、そちらの方は中々。場所の取り合いでは、コルト商会が強いのですよ」
コルト商会。ユークリウッドの隣がそうである。元は、ただのパン屋だったらしいが。今では、押しも押されぬ王都一の政商だ。経済力でいえば、貴族ですら凌ぐという評判を耳にしている。ユークリウッドの後押しがあったとはいえ、わずか数年でそれだ。もう十年もすれば、王国を牛耳るのではないか。というような噂話さえある。
その商会が、迷宮前に地盤を作ろうと出張って来ていては分が悪い。何より、ロシナとも関係があったりするのである。軽軽に口を挟める問題では、なかった。
「そうか。また、機会があれば相談に乗ってやろう」
「その時は、よしなに」
ボーマンは、揉み手をしながら袋に入った瓶を手渡す。まじまじとそれを見ながら、
「これは、なんだ?」
「滋養強壮薬でございます。疲労に、怪我に、病気に、と効く飲み物ですな。薬師ギルドの鑑定書付きで、ございます。お近づきの印に、どうぞお納めください」
「ふむ。気持ちは有難い。原価は、幾らなのだ」
薬師ギルド。アルカディアでは、錬金術師ギルドの事をそう呼ぶのだろうか。或いは、分派したギルドなのかもしれない。しかし、この時点ではその信頼性も怪しいものだ。
紐を解く。受け取った袋の中には、茶色の瓶が十本程入っていた。
「一万ゴルでございます。が、千ゴルでよろしゅうございます」
「よかろう。賄賂と見られては、首が飛びかねんからな」
「ほほ。中々。噂に聞く清廉潔白ぶりです。それでは、私はこれで」
商人は、身体をゆすりながら去っていく。壁際には、そうした男たちが露店商を作っていた。嗅覚に優れていなければ生き残れないのが、商人の世界だ。そうして、儲けを作るのが上手い。ミッドガルドで、飲み薬といえばポーションと呼ばれるアイテムだ。冒険者ギルドが販売しているそれ。錬金術師ギルドから、販売を委託される恰好であった。
ルート営業に当たるのであろうか。カタコンベ前には、騎士団の宿舎から色々な物が建造される予定になっている。中でも当然のように、冒険者ギルドが入ってきて、色々なしがらみが生まれる。商人たちもそうなのであろう。羊皮紙に書いてあった名前は、アルのサインが入ってあった。つまり、お上が公認で商売を認めるという事だ。他の商人たちとも談合している様子が見受けられる。
金を儲けるには、談合か寡占、或いは独占の体勢が必要だ。でなければ、需要と供給が崩壊して商売が成り立たない。こうした話は、ロシナから口を酸っぱくして言われている。耳に腫れ物でもできそうなくらいにである。先程の瓶もそうだ。思わず受け取ってしまって、頭を抱えた。
どやされる事請け合いだからだ。妻の頭に角が生えた姿を想像するだけで、魔物と戦うよりも恐ろしい事態になる。恐怖は、カタコンベの魔物よりそちらの方が優っていた。
「ガーフさん。それ、どうするんですか」
「買ってしまった物は、しょうがない。中で、要る事あるだろうしな。無駄ではない筈……だ」
収納鞄にしまう。しかし、手が震えていた。今日の夕食が貧しくなるのは、決定事項になってしまったからで。なし崩しに買わされてしまった。貯金する筈が、今日も散財である。この貯金というのもロシナが教えてくれた概念だ。迷宮の入口に立つ兵士に挨拶をしながら、それについて思いを馳せる。
一日三百ゴルの節約をすれば、三十日で九千ゴル。小遣いは、一月一万五千ゴルだ。とすると、一日に使える金額は大体五百ゴル。弁当代が要らない宿舎住まいでもきつい身代だ。結婚していない人間からすれば、とても苦しい生活のように映るらしい。アルカディアで売っている煙草は、一箱で六百ゴルもする。ミッドガルドの物と比べれば、品質も良くない上に吸い込むとむせ返った。どうもフィルターとなる部分が粗悪のようだ。
迷宮の内部では、煙が流れていく方向が出口という風になっている。従って、煙草があると便利だともいえる。地下一階に出てくる大型の蝙蝠を斬り伏せて、ガーフたちは壁にもたれかかった。この階層には、人が多い。通行の邪魔になるという理由で、壁にもたれかかっているのだ。石壁となっている内部の様相。点々と松明による灯りが作られている。魔物がそこら中に死体となって、放置されていたりした。生物として、剥ぎ取る部分のない魔物などはそのままで酷い匂いになったりするのも問題である。
カタコンベの内部が生きている迷宮ならば、吸収されたりもするが。暫くすると、小型のスライムが這いよりそれを吸収する。そこを叩くと、スライムの体液を回収する事ができる。これも迷宮探索の醍醐味であったりするのだ。湧いてこない場合は、残念ながら進むしかない。
「ふう。敵は、小型ばかりだな。これなら一階が楽だ、というのも頷ける話だな」
「はい。私もそう聞きました」
歳若い隊員だ。正規の騎士となるべき従騎士。彼らを育てるのも仕事である。非常にめんどくさい仕事なのだが、ロシナが忙しい為にやらなくてはならない。スキルの使い方も不慣れである。特に、斥候役もしなければならないのだが―――
「君は、『観察』『見破り』系の技能を持っていたな?」
「はい。それで、選ばれたのですよね」
「そうだ。まずは、そのスキルで迷宮内の地面を見る事だ。罠の見破りに使い続ける事で、スキルの習熟度が上がる。わかるな?」
「はい。迷宮に潜って使うと、どういう訳か習熟度が上がるという話ですよね」
頷く。隊員は、先頭に立つ者とそれを護衛する者と殿を務める者とに分かれて行動している。状況次第では、誰もが同じ働きをできるようにするのが教育方針だ。専門特化するという構想もあるが、それはまだまだ早い段階であった。ともすれば、味方を失う事を前提に探索はしなければならない。誰もが、ユークリウッドのように回復の技能に優れている上に遠近の攻防に長けている訳ではないのだから。
狭い通路を抜けた先には、小部屋のような場所に出る。そこには、黒い骸骨兵が立っていた。そして、いち早く斬りかかる。
「むんっ」
使用するのは、『炎剣』『高速剣』『二段斬り』だ。強敵と見て、持てる最大の技を骸骨の頭に叩き込む。骸骨の顔がニタリと笑ったように動き―――
「ガーフさんっ」
隊員の叫びが木霊する。
炎を纏った大剣の連撃を躱しながら、骸骨兵は反撃を行う。それを同じように身を反らして避ける。骸骨兵の攻撃は、シミターか。三日月のように曲線を描く剣であった。一撃で仕留める筈の攻撃が、虚しく空を斬って手には汗が染み出ていた。じりっと間合いを詰めるのはこちら。黒い相手は、数の劣勢に逃げ腰のようである。当然ながら、逃がす手はない。この場で決着をつけるのが、正しい。厄介な相手ほど、見切りは早いのだ。
「囲めよ」
静かに、隊員たちは半円を作り陣形効果を作る。『ムーンライズ』は、逃げる相手の方向を誘導する効能と打撃、斬撃の強化をパーティー員にもたらす。当然ながら、単独で集団に拮抗しようというのは虫が良すぎる。相手は、魔物でガーフたちにはためらう理由がない。ある者は、上段に構えある者は中段のまま。しかし、油断できない相手である。
動いたのは、骸骨兵だ。腰から袋を掴む。そして、上から下に袋を投げつけようとした。
「甘いっ」
使用するのは『ソードウェイブ』だ。別名を斬撃波ともいう。大剣で使うが、別にそれだけではない。槍でも、長剣、短剣、斧でも刃が付いてさえいればいい。どのような武器からでも使えるのが強みのスキルであった。それを、相手の腕に飛ばす。と、同時に全員が斬りかかる。一瞬の出来事であった。バラバラに裁断されていく。人体であったなら、とても正視できた状態ではないだろう。黒い骸骨兵は、カタカタと顎を揺らして仰向けになった。そして、骨でできた砂の山へと還っていく。
「やりましたね」
「ああ」
強敵を逃がすなど、冒険者ではない。騎士たれば、一対一の戦いだ。相手が、魔物ならばその限りではないのである。荒い息を吐く隊員を他所に、周囲を見渡す。微かに振動が伝わってくる。それは、地下からだ。ずんっと、足にくるような振動であった。と、それはどんどん大きくなっていき、やがては立っていられない程に。足元へとくる―――
「皆伏せろ」
声をありったけの量で絞り出す。轟音をもたらした相手が、
「人が居たか。済まない。少し、急いでいた」
静かに告げる。煙から出てきたのは、セリアだ。迷宮の地下を破壊して現れたようだ。その手には、白い骸骨の頭が握られていた。
「どうなされたのですか。それは、一体?」
「ふ。これか? これは、この迷宮の主でダークロードが一人だな。大した事ではない」
「迷宮の主。という事は、迷宮核も破壊されたのですか」
「それは、勿体ない。床を見てみろ」
盛大に破られていたはず。その床が、生き物のように脈動していた。開いた穴が、急速に塞がっていく。そうして、そこが穴であったかのような事すらわからないようになる。他に立っている隊員たちは、いずれも開いた口が開きっぱなしだ。
それは、そうだろう。迷宮くらいならば、破壊して突破していく。そうであるから、セリアが最強と呼ばれるのだから。仕方がない事なのである。今日に限っては、その子守り役ともいうべきユークリウッドの姿がない。
彼が居ないと、彼女の暴走は激しくなる。カタコンベの攻略に出る意味が、早々にもなくなると。その落胆を見透かしたようにセリアが告げる。
「目玉は、無くなっていないぞ。コイツの配下である処の魔人やらは健在だしな。この迷宮でも、最弱の魔人である一階の黒骨。あいつは、何度やっても蘇るから訓練には困らないだろう」
先ほど、相手をした。一対一では、負ける可能性が存在する。そんな相手だが。
受け答えを曖昧にしておく。
「はあ……。今日は、一人なのですかな」
非常に、珍しい。なので、疑問が普通に湧いてでた。が、彼女を怒らせる始末だ。柳眉を吊り上げながら、口の端を上げる。
「ふ。喧嘩を売っているのか?」
「いえ、とんでもない。ただ、珍しいですから。少しばかり気になりましてね。いえ、ユークリウッド殿はどこにいったのかと」
いつもくっついている印象がある。彼に対する思いは、複雑だ。ロシナに対しては恩義があり、このような美少女に思われているので嫉妬にかられる。美しいものは、どういう風に見ても美しい。その造形は神がかったようで。無論、妻が劣っているとはチラリと脳裏をよぎるのは止む得ない。どうしても比較してしまうのが男の性というもの。年齢的には幼女の分類の筈であるが、それはそれ。
心中で、詫びの言葉を呟いていると。
「それだ。コイツと財宝で、なんとか向こうにいかないとな。ああ、こちらの話ばかりですまん。時間がないので、これで失礼する」
まだまだ、引き止めたかった。必要になる情報が、圧倒的に不足している。地下は、何階まであるのか。とか。少女は、すっと消えた。忽然と居なくなったようにしか見えないのだ。圧倒的に速すぎるために、目に映らないなどという事である。稀に体験する事態。しかし、他の隊員からすれば非常識なのであろう。口から魂が漏れているようにだらしない。
「しっかりしろ」
立て直すのに、時間がかかった。骸骨と戦った部屋には、不思議な宝箱が出現している。戦う前には、無かった代物だ。開けると、中からは金貨の詰まった袋が出てくる。カタコンベには、こういう仕掛けがあるのを知ったのは今日であった。ガリオンからは、このような話を聞いていない。なので、先に入ったであろうマリーたち冒険者が倒してしまったのかもしれない。冒険者たちがどのくらいまで潜って行ったのか。そこの所が気になるが、さりとて知りえようはずもなし。
時間一杯まで、潜る予定である。帰りには、同等以上の時間がかかる事を鑑みれば二時間か。往復で四時間経過する事になる。冒険者たちが、収納鞄を持ち得たとして生活するとなれば二、三日は余裕で潜っていられる。この魔術の粋が込められているという鞄は、冒険者が持つには些か高価で。それならば、と荷役の奴隷を抱える人間も少なからずいる。
アルカディアの奴隷市場は、それこそ最低の状態だ。ミッドガルドの比ではなく、それこそ使い捨ての道具のような有様である。人間を盾に使う等という事は当たり前のように行われている。収獲できた素材をすぐに持っていけるように運ばせるという選択肢。騎士団でも魔法のような鞄が貸与されない隊では、そうした変わりに奴隷を持っているという騎士はいるのである。
もっとも、奴隷だからといって弱かったり荷物が持てないようでは困る。いざという時には、戦えるように訓練したりするのがミッドガルド流だ。読み書きも覚えさせたりするのも、最近になって流行りだした。知恵をつけて逃げられる事を恐れるよりも、知恵をつけさせて商売にも参加させるのが上手い手だ。もちろんそうした取り組みも上手くいくものもいればいかない者もいるのが面白い。
只―――見過ごせない光景もある。
「おらっ歩けっ。歩けって」
「あうっ」
これは、見過ごせない。子供を働かせているのは。自然と、剣に手をかけながら近寄る。寄っていった先は、冒険者と奴隷の子供だ。鞭を打つようにして、歳のいかない男の子に荷物を持たせている訳である。その荷物は、子供には酷という物であろう。起き上がろうとして、そして後ろにひっくり返る。頭を打っては、大事だ。支えるようにして、身体を滑り込ませた。冒険者であろう男が見下ろすようにしている。
「君、やり過ぎではないか」
「んだ。おっさん。こいつが荷物を持てねえのがわりいんだよ。民事だ、民事。あっちいってろ」
「いや。見過ごせないな。君が、やっている事は非常に問題がある。もうアルカディアはミッドガルドの支配下にある。奴隷法は、ミッドガルドでの法令が適用される事を知っているのかね」
「ああん? 法令? ミッドガルドのなんて知らねえよ。俺の奴隷なんだからよお。俺が好きにしていいに決まっているだろうが」
いきりたつ男は、剣に鞭を持っていた。しかして、騎士に逆らうなど無知もいい所である。仲間の男たちも武器を手に下卑た笑みを浮かべていた。人数からして、優位に立っていると勘違いしているのだろう。更に、奥から男の仲間と思しきパーティーも現れる。だが言わねばらない。
騎士の矜持なのだから―――
「一つ、それは無知だ」
「何。はあ? 聞こえねえって、ばーか」
「二つ、騎士に対する侮辱」
「俺らとやろうってのか? こいつ馬鹿だ」
「三つ、無知は罪だ」
剣を抜いた相手。その首は、嗤いを浮かべたまま落ちる。
「なっ。おいっ。殺すことぁねえだろっ」
馬鹿だ。とんでもない馬鹿者たちの集団であった。浮き足だった相手に剣が翻る。
「邪悪、斬るべし」
言葉に反応して隊員たちが剣を抜き、斬りかかっていった。
上手く書けるといいなあ。もっと時間があれば。いつか、きっと。気が付くと二年くらい経っているという。閲覧ありがとうございます。




