8話 アルカディア攻略
「聖騎士三人がかりだ。これで、あやつもお終いよ」
パーシー伯は自信満々だ。
「相手は、一人。だが、仕留める算段をしておくべきだろう」
「例えば?」
「弓矢の準備をしておくなり、突撃用の騎兵を用意しておくとかな」
交差するように、天を衝く雷撃を放って、三方から長剣を構えた騎士が突進する。
雷光二段斬りの連携。
普通ならば、そのような卑怯な手には頼らない。
しかし、このような敵を前にしては綺麗事を言っていられなかった。
ホランドは、一瞬の交差で死ぬ敵兵の姿を幻視する。
「信じられん」
パーシー伯は、瞳孔を最大限まで広げている。
危惧した通りになった。
上段に構えたまま交差した聖騎士たちは、胴と足が分断されて崩れ落ちる。
倒れた聖騎士たちの姿に、パーシー伯も味方の兵も共に茫然としていた。
そこに襲いかかる敵兵。全くの無傷だ。
慌てて味方の指揮官たちが指示を飛ばす。
「弓を射かけさせろ」
「波状攻撃の用意だ。敵を生かすなっ」
そんな生ぬるい攻撃では、効かない。
とっくにホランドがやった手だ。
あるとすれば、味方諸共に魔術で最大火力をぶつける事。
これは、あくまでも最後の手段であり味方を後ろから撃てば非難は免れないだろう。
ついでに、ホランドかパーシー伯の首が落ちかねないのだが。
「どうすればいいのだ。あのような敵は初めてだぞ」
「……毒矢は試しているのかね」
「無論だ。ただ、一本も当たっていないではないか」
「重装甲が意味を成さないからな。どうしたものか。敵の疲労を待つよりも、こちらに来る方が先かもしれないぞ」
見れば、敵兵は真っ直ぐにパーシーの方角へと向かって突撃してきている。
他に続く軍勢は、赤い鎧の騎兵だけだ。が、これまた厄介そうである。
正面に立つ敵をランスで殴りまくっていた。
どちらが危険かと言えば前者だが、後者の方も破壊力では負けていない。
何故か、こちらの陣を回るように走っている。
「何故倒せないのだ。敵兵は共に単騎なのだぞ? 連携もない。押し包んで仕留めろ」
パーシー伯は、必死になって指示を出すが敵の勢いは止まらない。
前方に立ちふさがろうとする者から肉塊に変えられるか、首が飛ぶからだ。
外周を走る敵兵は、敵兵の持つ長大なランスで味方を薙ぎ倒している。
止まったと思えば逆走しだす。
味方は、ボウガンを射かけるのだがこれまた届いていない。
神の恩寵か加護を授かっていると見るべきだろう。
「パーシー伯。敵を止められない以上、撤退するべきだ」
「何だと、ホランド伯。貴公は、おめおめと兵を失って逃げろと言うのか」
「そうだ。生きていれば、巻き返しも図れる。死ねば終わりだぞ」
「ふん。私は逃げない。貴公は、どこへでも行くがいい」
腰抜けという言葉こそ吐かなかったが、その視線は軽蔑した物だ。
ホランドも心苦しいが、誰かがこの事実を伝えねば連戦連敗だろう。
じきに、アルカディア王国が東部に築いたマジノ要塞群。
その南部の守りが崩壊してしまう。
北部には、敵の主力が集まっているのでこちらも相応の将兵を揃えたのだ。
ホランドも無策でいる訳にはいかない。
パーシー伯の傍から離れたホランドは、部下の元へと向かう。
「できたか?」
「はっ。仰せの通りに網を用意いたしましたが、これをお使いになるのですか」
「ああ、魔術師にこれを使って捕獲させるのだ」
「この混戦ならば、或いは捕えられるかもしれません」
出来れば魔術を通した頑強な網が欲しかった。
ホランドの策というよりは、部下の案であったが良策と見たのだ。
獰猛な獣を駆逐するにはどうすればいいか。
投石機は、的が動き過ぎる。魔術は、効かない。
ならば、物理的な攻撃で行くしかない。
「くっ。来たか。我こそは、トマス・パーシーであるっ」
「今だ。やれっ」
パーシーを目前にして、敵の動きが止まったのは好機だ。
ホランドの声で部下たちが、網を投げかける。
が。
「避けただとっ」
獣のように地を駆け、馬上にいるパーシー伯に斬りかかっている。
ぎゃりっという音を立てて、空中にいるままパーシー伯と打ち合う。
敵の間合いは、どれだけあるのかさっぱり読めない。軽業師とてこのような真似は出来まい。
ホランドとしては、斬り合いを避けるべきと動く。
次の瞬間には、終わっていた。
「がっ。がはっ」
敵兵が離れると、パーシー伯の胸から血が噴き出す。
至近距離で、一体何を仕掛けたのか。
ホランドには、目にも止まらぬ一撃としかわからない。
訳が分からない内にパーシー伯の身体が馬上から落ちる。
「か、閣下を守れっ」
「パーシー伯を下がらせろっ」
混乱した状況が加速してしまう結果になった。
パーシー伯とて、伊達に将軍職を預かっている訳ではないのに。
剣でも、槍の馬上試合でもそれなりの結果を出してきた兵士だ。
無論、目の前にいる化け物とは比較にならないだろうけれども。
「止むえん。引くぞ」
全体として、敗北したも同然だった。
指揮官が重傷を負い、敵兵はたった二人だというのに三千からの軍がなす術もなく敗れる。
悪夢というしかなかった。
退却する味方の兵を指揮しながら、側近と共に逃げるホランドは誓う必ず勝つと。
ロシナは、勝利を確信した。
敵には、大した相手がいない。というよりも、ユーウのような相手でなければ楽勝だ。
数段下というよりも、ゴキブリを相手する人間の気持ちだ。
手応えが全くといってない。
敵は、叫び声を上げているが腰が抜けている。
今日もランスの冴えは、快調だ。
敵陣を崩壊させるのは、セリアの役で無理だと思われた戦いも一方的に推移している。
味方を基準に考えるから間違ったのだ。
ユーウのような暴力を持つ人間などそうそういる筈がない。
ロシナの固有能力もこういった戦闘向きだ。
味方の兵士たちは、こちらの様子を眺めているだけで終わるだろう。
敵の攻撃は、ロシナに届く前にその威力を失うのだ。
危なげなく敵を処理して殴殺していく。
通常のランスと言えば突くものだが、殴るという方向でもいけるように改造が施されている。
兜のバイザー越しに見る敵兵は、どれもこれも屈強な兵士たち。
それが、右往左往で逃げ惑う様はロシナの嗜虐心を強く揺さぶるのだ。
「これは、いけないな」
常に、戒められている事だ。
弱そうな相手を嬲るのだけはいけないと。
だが、敵は長槍でもって抵抗してくる。手加減しては、失礼というものだ。
ロシナは、再度大きくランスを振り抜く。
そこからは、機械に徹して敵兵を薙ぎ払っていった。
と。ヘルムに取り付けられた思念石がぶるりと震えて音を出す。
「ロシナ。聞こえるか」
「っ。この声は、アル様ですか」
「うむ。実は、相談があるのだ」
パーティーで使う念話ではない。これを使うという事は、内密の話だ。
「それは、どのようなものでしょうか」
「それが、な。ユーウと風呂に入りたいのだが、上手く取り持ってくれないだろうか」
「背中を流し合うのですか。宜しいのではないでしょうか」
男同士なのだし、別に悪い事ではない。そういう意味でロシナは告げた。
どうにも歯切れの悪い部分は引っかかったが、それ以外は気になる所ではない。
が、どうしてこのような場所で時間で告げるのか全く理解できない。
「あの、どうしてこのような話を?」
「うむ。セリアに聞かれては不味いからな。で、どうなのだ」
「どう、とは。……わかりました。今日にもセッティングをしましょう」
「そうかそうか。よろしく頼むぞ」
ヘルムに取り付けられた思念石による通信は、切れた。
ロシナは、冷や汗をかいている。敵は、目の前だけではなかった。
目の前の敵よりも、尚の事に難事だ。というのもアルにはホモの気がある。
ユーウは、それを気にしているようだし。
ロシナとしては、主君の命とあらば地獄の果てでも行ってみせる覚悟はある。
だが。
「なんてこった。よりによって、風呂だとっ? ハッテンバにでもするつもりか」
通信は切られている。
敵の軍勢は、弱すぎた。ここに来るまで、味方の死者は数人だ。
あとは、馬が死んだ位である。セリアは、未だに変身もしていない。
ロシナも余力を残したままで、ユーウの出番は有りそうもなかった。
敵兵を追い回すセリアが、中央の将に取り付いたようである。
と、同時に敵兵が本格的に敗走し始めた。退却のラッパが鳴っている。
敵の将は、パーシー伯。アルカディア軍でもそれなりの剣士と噂されていた。
赤子の手をひねるように倒されたようだ。
落馬する豪華な兜をつけた騎士がそうなのだろう。
ロシナは、これ以上敵を殺す意義を見出せないでいる。
とはいえ、敵は敵だ。数を減らす事は味方を生かす。
そういう意味を込めて、雑にランスを振るっている内に味方が突撃を開始してくる。
五百だった兵が、倍に増えた。敵兵を吸収したりした訳ではなく、味方の増援が追いついただけ。
ロシナにとってもセリアにとっても邪魔だったりするのだが、アルの判断だ。
王子としての決断に、異議を唱える訳にもいかない。
ロシナの固有能力には、味方が邪魔だったりするのが欠点だったりする。
なので邪魔なのだ。普通は、多い程楽なのだがそうではない。
増えてきた味方に、結界を緩めるしかないと。同時に、身の危険を感じる。
魔術も飛び道具も異能の前には無力なのだが、無敵ではない。
ユーウ程も飛び抜けた魔術でもなければ、セリア程の格闘能力に異能を身につけている訳でもない。
だから。
「全軍、突撃せよっ」
アルの言葉を耳にしながら、ロシナは後退する。
下手に前に出ては、狙い撃ちにされかねない。
セリアは、余裕で追撃に移っている。このまま、要塞まで落としかねない勢いだ。
一方的な展開に、ロシナは溜息を吐く。また捕虜が増えるのだろう。
貴族の子弟は、捕虜交換に使われたり身代金をせしめたりと使い道が多い。
が、雑兵は別だ。彼らを食わせるだけの食料はない。
従って、ブリタニア軍同様に食料を現地徴発でもしなければ食わせられないのである。
ユーウに言えば何とかしそうであるが、それでは糧秣を担当する魔術師の存在がばれてしまう。
ミッドガルド軍の弱点は、この糧秣担当官が暗殺されやすい事にあった。
すると、険しい山脈を越えて移動した軍も退却を余儀なくされるのだ。
歴史書には、ミッドガルドとアルカディアの両国を挟む上下の国境を巡っての戦いだったと記されている。その中でも、基本的には北部の平原地帯が主戦場になる事が多い。
しかし、今回は南部からの電撃作戦である。
中部には広い経路があるのだが、要塞群がひしめいており、包囲している間に敵の援軍が来ては撤退を余儀なくされるというパターンが殆どといっていい。
ならば、という事で発案されたのが狭い隘路を通っての侵攻だ。
降伏した敵を殺して埋める。
そういった事をしないがために、アルの軍勢は要塞を目前にして敵といえる相手に出くわす事になった。数日の時間が経過してしまったのには、敵兵の処理に手間取ったせいだった。
武装を解除し、食料を与えて魔術による呪いをかける。
この処理には、どうしても時間が必要になった。
「敵兵をスキタイ流で追い立てた方がよかったんじゃないか?」
セリアを始めとするお馴染みのメンバーが先頭に立っている。
口を開いたのはロシナが先で、ユーウは黙って居た。
「馬鹿ね。そんな事をしたら、敵の憎悪を駆り立てるだけよ。待っているのは、終わりの見えない戦いじゃないの」
「勝てばいいじゃないか。勝っていけば、敵はいなくなるだろうよ。ユーウのやり方は生ぬるすぎるぜ」
ロシナの意見に、エリアスが反対してくる。
ユーウは、後方で敵の治療をして解放するなどという事をしていた。
少々、やり過ぎである。魔術で縛るとはいえ、敵兵をそのまま返してやるなど、理解しがたい。
こちらの強さと、恐怖を宣伝させるというやり方らしいのだが。
「生ぬるいが、今後の統治を考えればありだろうよ。それよりも目の前の敵だ」
セリアは、鼻息が荒い。というのも、アルの背中を流すユーウが気にくわないのだ。
何故気にくわないのか。ロシナには、ホモにしか見えなかったのに。
ユーウは、黄色い蜥蜴の喉くすぐって遊んでいる。
ロシナが見た所、マジノ要塞群の南側の守りを預かる将は馬鹿ではないようだ。
敵にも出来る人間がいるという事だろう。遠目から見えるが、前面に立つ兵の脅威は伝わって来る。
剣士が二人。魔術師風が二人。歳は、十五、六といった所だろう。
殺すには惜しい人材にも見える。出来るなら捕獲したいのが、本音だ。
が、そうもいかないのが戦場である。
「ふっ、問題ない。私に任せていただきたい」
「ふむ。敵は四人だが、いけるか?」
「ええ」
「とはいえ、相手がどれほどの者かわからん。シグルスとロシナを連れて行け」
「わかりました」
敵軍が展開する前に進んででている敵には油断が出来ない。
敵の所持するスキルを把握できるロシナとしては、相対したくない相手だ。
何しろ、【複写】のスキル持ち。できる事ならば遠距離からさっさと倒してしまうべきであった。
指示を出すアルに、
「お待ちください。アル様」
「ロシナは不満か? いえ、相手の能力が不気味すぎます。こちらの能力をコピーする様子なのではないでしょうか」
「ほう。なら、遠距離でさっくりと仕留めてしまうが吉か。何も苦戦をしに行く手はないな」
藪蛇だ。アルは、軍勢の中から進み出て剣を抜いた。
次の瞬間には、オレンジ色が大地を覆って敵軍はその中へと消える。
魔剣グラムの攻撃を最大火力で出したのだろう。
要塞前に展開した敵兵の姿は、既にない。煙と硝子のようになった要塞の壁が見える。
要塞を潰すのには、ユーウかエリアスの魔術が一番だ。
しかし、
「メテオインパクトですか? 駄目ですよ。中の人まで蒸発しちゃうじゃないですか」
「いや、戦争なんだぜ。死人が出るのは当然だろ。撃っちゃえばいいじゃないか」
「やり過ぎですよ。アル様も、殲滅しちゃうような攻撃はやめましょう」
「うっ。わかった」
アルの攻撃は、過剰だった。一撃で相手を倒してしまえるようでは戦いにならないだろう。
ユーウがずれた事を言うのには、誰もツッコミを入れるつもりはないようだ。
ロシナ的には、英雄とは殺した人の数で決まる物だと考えている。
巨大な壁を誇る要塞を前に、暇をしていた黒龍がつぶやく。
「俺も遊んでいいか?」
「構わないが、やり過ぎるなよ」
砲弾のように城壁に突っ込んだ彼は、蹂躙を開始した。
セリアも同じように駆けていく。ロシナや他の面子も後を追うのだった。
黒龍のやり方は、実に怪獣じみており程なくして要塞は陥落する事になる。
中にいた兵のほとんどが戦意を喪失しており、司令官以下降伏してくる有様であった。
「どうにも、不完全燃焼だぞ」
「そんな事をいったってだなあ。敵に骨の有りそうな奴は、アル様があっさり片付けてしまったし。要塞内の敵兵は、黒龍の攻撃で降伏してくるし。非戦闘員らしい人間しか残っていないじゃないか。何ならユーウと遊んだらどうだろうか」
「そうしよう」
セリアは、忙しそうにしているユーウの元へと走った。
案の定、すげない素振りで振られている。
しょんぼりと肩を落として戻ってきた彼女は、ふて腐れていた。
「暇が、ない。みたいだ。他は雑魚ばかりだし、どうしたものだろうか」
そういうセリアも、アルの護衛の筈である。
だが、彼女はそんな事はお構いなしであった。と、一つの不安がロシナに吹き出してくる。
「セリアは、もしかして知らないのか?」
「ん。何をだ?」
「う、いや。何でもない」
「おかしな奴だな」
おかしな奴扱いだった。知らないならば、知らないでいいのである。
そう、セリアの国で大規模な反乱が起きていたりする事は。
彼女の事だ。いざとなれば、ユーウに何とかさせればいい。
ロシナとしてはなんとかしてやりたいのであるが、さりとて権力がない。
情報だけが、どこそこからはいってくるのだ。
要塞内をくまなく見回る仕事があったので、巡回する事となっている。
手持ち無沙汰になったセリアを伴い見回りに、通路を歩いていく。
軍には、女性の士官はほとんど見受けられない。
女を使うメリットが無いためだ。筋力でも、体力でも女は男に劣っている。
男女平等の価値観を持つロシナだが、実際に戦闘に遭遇すれば嫌でもわかった。
一つは、女が負ければ強姦の危機がある。
なまじ剣の腕が立ち、敵兵を倒していたりすれば尚の事だ。
「あれは、シグルスか。何をやっているんだ。行ってみるか」
「ん、ああ」
ロシナが行った先では、女性の士官が二人ほどシグルスにくっついてた。
何やら捕虜の移送に手間取っているようだ。
「シグルス様。どうかなされたか」
「この方たちが抵抗するものですから、困っています。けれど、大した事はありませんよ。ただ、時間がかかっているだけです」
「そうですわ~。この方たちには、肉体言語でわからせてあげないといけないのかもしれませんわ」
「さあ、立て。さっさと歩くんだ」
言葉が通じないので、当然のように暴力振るう女がそこにはいた。
まさに鬼母といった風体である。
「ちょっと。やり過ぎです」
そこにユーウが現れた。城内の負傷者に、フィナルと回復の魔術をかけていた筈の彼だ。
足蹴にする感じで扱うシグルスの配下に食ってかかっている。
ロシナも男の捕虜を無碍に扱うのは宜しくないと考えていた。
「手伝うぜ」
「ありがとう」
セリアも釈然としない様子で、捕虜の連行を手伝う事になった。
ロシナの他にも、巡回している人間は他にもいるのである。
捕虜を連れていくロシナの背後では、間延びした声で話す少女が舌を出していた。
―――糞が。
と、声に出して言えなかった。
ロシナの貴族として持つ矜持が邪魔した為だった。
「ああいうのが好みなのか?」
「どうしてそうなるんだよ」
「いや、好色そうな目でまじまじと見ていたぞ」
「違うからね」
「ロシナって、変態だよねえ。年上が好きなの? 少し離れているけど」
「そりゃあ、俺だっておっぱいが大き……」
ロシナは、腹部に打撃を受けて壁にめり込んだ。
鎧は、ばらばらになって弾け飛んでいる。とんでもない威力だ。
腹からは、臓物が零れ落ちるのが見える。
―――こんな所が死に場所か。
「ぐっ」
それがロシナの吐いた最後の言葉になる。
うっすらと暗いとばりが覆ってくるようにロシナの意識は薄れていった。
「ロシナ、ロシナ。起きて」
ロシナは、聞きなれた言葉で起きる事になる。
目を開けた所は、薄暗い穴倉のようだ。
「ここは?」
「ここは、ニブルヘイムだよ。ロシナ、また死んじゃったからね」
「そうか。悪いな、来てくれて、その、ありがとう」
蘇生魔術であるリザレクションを受けると、精神体だけになりここから出なければならない。
即座に施されたならば、ユグドラシルの根に直接行く必要はないである。
ちなみに、そのユグドラシルの根まで行けるのはロシナの知る限り、アル、フィナル、ユーウくらいだ。他の神官であってもユグドラシルに出入りする資格を持つ人間というのは少ないらしい。
また、これを施せる人間は今の処少ないとか。
「うん。立てるかい」
「ああ、で、俺の死因だけど。やっぱ、殴られたせいか?」
「そうだね。セリアには、きつく言ったけど。やり過ぎだよね」
「全く、あの馬鹿に殺されるのは何回目だよ。アドルも俺もかれこれ、三回は死んでるぞ」
「ごめんね。彼女、手加減を知らないから」
「それで済むかよ。……きっちり調教しとけよな」
ロシナは、腐った自らの身体を気にしながら歩き出す。
穴倉の外は、夜のように暗く、明かりはない。
だというのに、ユーウは迷いなく歩いていく。
ロシナの手は、異臭を放っており、鼻が曲がりそうである。
が、ユーウは気にしない風であった。
「またきおったのか」
暗闇にしか見えない。そんな道の端に座る幼女が声をかけてきた。
彼女の名は、アングルボザ。冥界の管理神らしい。
ユーウからキスをしてもらおうと待っていたようだ。
「は。ま、ええじゃろう。あたしも若返るしな。ロシナとかいったかい」
「そうですが、何か」
「ユーウの世話になっておるようだね。けど、あたしとの約束は忘れるなよ?」
「もちろんですよ」
かつては、老婆であった。しかし、今は幼女。で、ユーウの愛人を気取っている。
何でも、接吻で若返ったのだとか。信じられない事だが、時折老婆のような言葉使いになる。
非常に、おかしな神だ。
そんな神で、幼女だが、冥界からは出られないらしく、分身体を送ったのだという。
それが、あれなのだ。あれとは口に出せない。ユーウにも秘密なのである。
かの神との約束で、生き返る度に奉仕を求められていた。
(恋の手助けねえ。ぶっちゃけ無理。って言えたら楽だけどな。はあ……。そもそも分身体がわかんねえんだよ。ふざけんなよな。どないせえちゅうん)
「どうしたの?」
「いや、何でもない」
腐った手を振り、アングルボザと別れる。遠目から見れば、ただの幼女だ。
とても神には見えないが、彼女の力なくしては現世に戻れない。
何故、ユーウの事が好きなのかはわからないが、大切な人間らしい。
彼女の気持ちがユーウに届く事は、ロシナとしても応援したいのだが。
―――敵が多すぎる。
少し考えるだけで、セリア、フィナル、エリアスと好意を示す人間がいる。
ユーウの隣家にいる姉妹もそうだろう。
やれる事があるとすれば、せいぜいアドルとクリスの中を取り持つくらいだ。
ユーウには悪いが、神の頼み事をないがしろにはできない。
暗がりをひたすら歩いて、歩いて、歩き続けていく。
すると、巨大な樹が見えてくる。ユグドラシルの木というらしい。
ロシナは、そこでフィナルの姿が遠目に見える事に気が付く。
「あいつも来てくれたのか?」
「そうだよ。万全を期してだからね」
「ふう。でも、ここの事はっきりとは覚えてられないのが難点だったりするよな。神秘的な光景なのに」
「綺麗だよね。でも、このすぐ隣はきついよ」
ユグドラシルの木は、セフィロトの原型であると言われている。
生命の樹は、それだけで世界を握るだけの力を秘めているのだから。
それを握るアルの力は想像を絶する物がある。それに逆らう勇気はロシナにはない。
そういった知識も、ここに来た時だけ思い出し、出ると忘れてしまう。
―――どれだけ歩いたのだろうか。
ロシナは、ユーウと雑談しながら歩いている。
「ユーウってさ。好きな子とか居ないの?」
「うーん、気になる子ならいるけど。あんまり上手くいってないよ」
「誰だよ、言ってみろよ」
「クリスかな」
ロシナは、杖が叩き折られるような音が聞こえた。
そんな筈はないのだが、周囲を見渡しても二人以外には見当たらない。
すると、アングルボザが盗み聞きでもしていたのだろう。
『おい』
「(わかっていますって)」
―――急がないと。
死んでまた死ぬなど、御免こうむりたい事態だ。冗談抜きで、アドルとクリスの中を何とかしないといけなくなった。ユーウには、悪い気がするのだがそれもこれもユーウが悪い。
何もロシナのせいで、こうした事態になっている訳ではないのだ。
適切な返事を返して、ロシナは切り抜けた。
ユグドラシルの麓まできたロシナたちは、フィナルに声をかける。
「只今ー」
「遅いですわよ。それで、ロシナなのかしら」
ロシナの姿を見たフィナルが、顔を背けている。
とても正視できないのだろう。ロシナも自らの手を見たときには、卒倒してしまった程だ。
鏡を見てしまったら、ショックのあまり数日は引きこもってしまいかねない。
「そうだよ」
「それじゃあ。初恋の相手は? 言ってごらんなさいな」
「……」
答えられないような事をさらっと言うフィナル。
殴れる事なら殴りたい。しかし、この世界でのフィナルは絶対の存在といってもいい。
ひとえに、女神の加護の所為だ。
「答えられないような事を言ってどうするの。ロシナがかわいそうだろ」
「あなたが、間違えて連れて来ている可能性があるでしょう?」
「間違いなくロシナだよ。ロシナ、またの名を言って見せればそれでいいよ」
これもまた答えにくい話だ。ロシナは、そっちの方を答える。
「ロシナンテ・ディ・アインゲラー。これでいいか」
「ほら、正解じゃないか」
「そうみたいね。じゃ、行くわよ」
フィナルの作る光の円陣でロシナたちは、木の中へと移動していく。
木とは光だった。その中で、ロシナは全てに溶けていく感覚に溺れる。
何度味わっても、慣れない。覚えている事の無いが、とても気持ちがいいのだ。
全てに勝るであろう快楽に、身をよじりながら光の海に溶けていった。
ロシナンテ。ロシナの父が名付けたのは、ドン・キホーテの愛馬だ。
風車に立ち向かうという話を聞いて、つけたらしい。
如何にも騎士道が好きな父らしいとロシナは、頷いた物だった。
この光の海では、知らない事まで見える事がある。
ロシナの前世だったり、ユーウの過去であったり、他の人間が抱える悩みであったり。
絶対に死ねないという思いが、ロシナを現世へと引き戻す。
「はあ、やれやれだぜ」
「ちょっと、一人で世界を作っていては駄目よ」
二人とも光の膜で覆われて、その表情をうかがい知る事はできない。
ユーウとフィナルに掴まれたロシナは、ぐいっと持ち上げられるようにして浮上していった。