137話 牛の迷宮3
「君は、全てを捨て去る覚悟はあるかい」
こう問われて捨て去れると即座に応えられる人間はいるだろうか。
その中に自らが含まれていて、即答できる者はいないであろう。
何故なら、大抵の人間は自分が一番可愛い物だからだ。
第二次世界大戦でも多くの兵士が特攻していったように、日本人には誰かの為に命を賭けられる。
誰かの迷惑になる位ならひっそりと人生に幕を降す。
だからこそ、世界でも有数の経済大国でありながら自殺率はTOP10にランクインしていて。
生活保護は何故受けられないのか。
税を納めている日本人よりも、外人が優先であっても黙っている。
そんなお人良しばかりだ。
そんな日本人の一人であったユウタだからこそ、その問いには頷く。
妹の為に死ぬのは、消滅する事になるのは止む得ないと。
過去を変えれば、現在の己が消えて無くなるだろう事を薄々と気が付き始めていた。
勿論、変わらない可能性もあり妹の生存とユウタの自我が両立する可能性もある。
だが、誰か。ユーウ、爺、ユウタ自身。そのどれかは消えて無くなる確率は高い。
もう二度と会う事も無くなり、今の内に知りえる事は全て学習していくつもりであった。
だから、爺とユウタは。
「もちろん」「うむ」と返事をするのだった。
◆◆
ユーウたちが向かった先は牛神王の迷宮である。
その地下深くには、使いきれない程の宝がありそれを守るボスモンスターがいると言われていた。
現代人の感覚を持つユウタは、そこでクレタ島の奥深くにあると言われていたミノタウロスの迷宮を連想するのだ。果たしてそこも迷路のように入りくんだ作りをしている。
壁は、レンガのように赤茶けた壁をしており光る石英にも似た石が発光して灯りをともしていた。
が、場所によってはそのような灯りがない階層もあり松明や魔術による照明の確保は必須事項だった。
「五階の攻略ですが、今回のボスは大きなミイラですわ。古く腐った死体というそうですが。タイプ的には、遠距離で仕留めるのが楽ですわね。柔らかい上に、火に弱いのでユウタの攻撃ですぐに沈むと思います」
「そうだな。油断はしないように。包帯を使った攻撃で全滅するパーティーが無い事もないらしいからな。気を引き締めていくぞ」
と言うフィナルとアルの話を聞く。
セリアやロシナは、武器の手入れに余念がない。
出会うモンスターは、襲うどころかセリアに真っ先に襲われて倒れている。
ユーウは、警戒しながら出会うであろうモンスターの種類や数を告げるだけでよかった。
「襲ってくる冒険者は居ないのですねえ。僕はちょっと試したい魔術があるのですが」
ユーウは、催眠系の魔術にも手を出している。ので、新技といっては人に試し撃ちをしていた。専らその犠牲になるのはセリアで、ユウタは何となくではなく彼女が暴力的なのを理解する事ができた。ユウタがユーウだとわかればイジメを返すというべきか、仕返ししてやろうという気持ちになるのだ。
ヘタレないユーウは、酷い奴になりそうである。というよりも、その片鱗が確信にかわるのにも時間はいらない。そもそも、最強といってもいい位の幼児だった。その上で、セリアやアルを育てているのだが全くといっていいほど卒がなく。
歩く事が大変な点もユーウは改善している為、深く広い迷宮を彷徨ったとしても疲労で死亡する事もない。加えて、ユーウは空間魔術であっさりと帰還する事も出来る。他の冒険者たちが、迷った挙句に野垂れ死にする事というのにだ。糸や、目印でもない限り各階層には十分な食料を備蓄した休憩ポイントを設営しないといけない。
そういった意味では、アルがユーウを厚遇する理由がわかるというものだった。欠点らしい欠点が見当たらない上に、扱い易いのである。王国の食料事情を急速に改善しているユーウを手放したり、他国へと逃亡させるような事態は防がねばならない。幼児だというのに、爵位を授けてみたりするのもそういった事情がある。
とはいえ、実際に騎士爵を持つ父親がいるので周りの貴族たちからしてみれば面白くはない。
荒れた大地が貸与される形になるのも、そういった点を含んでいるのだ。
爵位の授与式などは書面でのみ行われている。子供が貴族として爵位を持つという前代未聞の事件であるが、王国の長い歴史の中では何件か存在した。それが、フィナルやエリアスの先祖であったりするのだ。
「ここら辺の敵には、飽きたぞ」
「素材も採れませんしね」
「稲妻無双突きはⅠからⅡに進化するのか否か気になるな。この階は、匂いがきつい。早く抜けたいです」
さらっと自己主張するのはセリア。彼女の得物は、槍であった。
五階の敵は、やはり包帯を巻いた人型ばかり。たまに腐った死体も見受けられる。獣人の幼女が振るう槍でバラバラになっていく。
飛行種は、吸血蝙蝠などの小型もいるのだが。相手としては、既に役不足も甚だしい。
かと言って神級ダンジョンである戦乙女の記憶の方は、強すぎる。
かの迷宮も探索を進めているのだ。
が、ユーウのドッペルゲンガーが現れるとその時点で引き返す事になるのだ。
相手を出来るのがユーウだけなので、他の人間では壁になれない。
巨大過ぎる攻撃力というのも問題であった。
【グラム】を回収し、それを差し込む事で二階へと進んだのだが、それから二階奥にいるボスと相対しては逃げかえっている。相手はジークルーネ。彼女の持つ鎖が厄介であった。今少し、もう少しという処までいくのであるが、ユーウは慎重派である。危険を感じればすぐさま撤退するのだ。
ユーウ単体ならば、勝てるもののそれでは意味がない。手間暇を惜しんでアルやフィナルを育成しているのは、今後の為でもある。味方は多ければ多いほどいいのだし。貸与された領土を開発するのにも、彼彼女の協力なしには立ち行かない。
「今日も包帯くらいしか戦利品はないのか?」
「そうですねえ。せめて、珍獣系がでてくれればいいのですが。狩場でも変えますか」
「いや、素材集めは重要だがな。ここをまず攻略したい。そろそろボス部屋だろう?」
アルが黄金の甲冑を揺らせて、分厚いグローブを振る。
下の階には、獣系のモンスターも出るのだがユーウたちは未だにそこに辿り着いていない。
幼児の集団が迷宮へと潜るのだ。気持ちが焦りすぎているのではないか。
ユウタにはそう見て取れる部分が多分にあるのだが、一行は気にした風もない。
この世界のLV上げるシステムは、誰が止めを刺したか。
そういうボーナスはないようである。経験値は、基本的に均等に振られていた。
これも憑依している際に勝手に調べる事が出来る恩恵である。
そうして歩きなれた迷宮の中を進んでいく。
五階にも、それなりに人影をみる事ができた。
「あれだな。一旦休憩にするか」
「そうしましょう。中では、まだ戦っているようですわ」
ボス部屋に着いた一行は休憩する事になる。巨大な青銅色の扉がそれとわかる印となっていて、そこにはボスモンスターの絵が描かれていた。
「入ったら、俺が囮を務めますので援護をお願いします」
ロシナが宣言する。ボスのタンク役というのは、難しい。後衛に攻撃が飛ばないようにスキルを使う必要があるからだ。ヘイトを管理するなどというゲーム的なスキルはない。従って、如何にボスに対してダメージを最前列で与えるかに掛かっている。幼児だというのにロシナのジョブは剣士Lv四十台。
普通の冒険者では、十にもなれば兵士としての勤務が可能となる。騎士といってもジョブ騎士を持たない人間がなっていたりするのは、その困難さからであった。何しろ、一度剣士なり戦士として六十程度まではジョブLvを上げる必要がある。転職1ともなれば、相応の強さをえるのだから。
九十九まであげるのは、その分の成長度が転職後の能力に加算されるという為だ。モニカがフルまで上げたのは、そういった部分を鑑みての事。
金属の鎧をガチャガチャと鳴らし、準備万端と屈伸運動をするロシナ。遊撃につく為武器の手入れをするセリア。二人の横に立つのは、【グラム】を回収した筈のアル。その手に持っているのは、名剣には違いないがそれではない。
ユウタはそこで確信する。やがて扉の向こうからは喧騒が消え、戦いが終わった事を示すように閂が外れる音が、ユーウたちの耳を打つ。
全員が頷き、扉を押して入る。そこは、がらんとした空間が押し広がり奥に件のそれが鎮座していた。
「あれがボスか。援護を頼みます」
駈け出していくロシナに向けて、フィナルが回復魔術を用意する。
大きな手から幾つもの包帯が伸びて、ロシナを絡め取ろうとした。それを黙って見ているユーウではなく、その先に伸びた所を風の魔術『ウィンド・カッター』で断ち切る。
巨大なミイラは、人型といっても三m程度はある。なので、ロシナが引き付けるのにも一苦労であった。スタイル的に、片手剣と盾を装備したタイプで攻撃している。この場合であれば、剣に火の魔術を付与しミイラの足を止めるといったやり方で攻撃を一身に集めるのだ。
ピンチと言える場面は、ミイラが包帯を使って全員を縛り上げるという動作を見せる箇所であった。
投擲されるというより、蔓のように全員に向かって伸びるそれを各自が的確に切り落とす。そうした対応も事前に情報を得て攻略している為に、卒がない。行き当たりばったりでは、負ける事もあろう。ユーウには、そうした抜かりがない。
ダメージを与えていく内に、雑魚である小型ミイラを召喚するのも慣れたものである。
召喚主は、ラージミイラとみてよいだろう。ユーウはそれを引き連れていくようアルに指示を出す。
「アル様。雑魚をお願いします」
「わかった」
雑魚を叩いては連れて回る。
そうして部屋の隅に雑魚ミイラを持っていき、ユーウのアイスバインドがそれを縫い止める。
倒すと、また湧いてくるのだ。そうとわかっていれば、対処も早い。
あれに火系の魔術を使うと、爆発するというのがこのボスのいやらしい処だった。
「これで、終わりか」
アルがそうつぶやいた後は、最期まで削るだけであった。
巨体を使う攻撃は先程のアイスバインドで足元を氷漬けにし封じる。そうして全体攻撃を防ぎ、味方の火力で押し潰す。
ユーウが投げたファイアランスは、五発である。連携や攻撃を見る為に調整して、それであった。
ユーウたちは危なげなく、ボスを倒した。
が、やはりドロップは無かった。代わりに、ボスの身体が消えていくと黒い玉が手に入る。
「これは、瘴気の塊か。一応何かにつかえるかもしれんな。とっておくといい」
ひょいと渡されたのはユーウで、インベントリにしまう。
そして、
「アル様。グラムはどうされたのですか」
「ん、あれは。今日は、しまってあるのだ。毎日使っていては、良くないからな」
何が良くないのか。そうツッコミをいれたくなるユウタであるが、ユーウは不信がっている様子ではない。アルは尊大な表情でふんぞり返っているのだ。そんなアルがセリアはおかしいらしく、生真面目な彼女らしからぬ笑いを噛みしめている。尻尾が縦になるので、すぐにわかるのだ。もっともそれにユーウは気が付かない。
どちらかといえば、
「ファイア・ランスよりももっと強力な魔術が欲しいな。となると賢者よりも上のジョブが必要になるかな。上は魔導王だっけ。まあ、EXPがまた大量に必要だなあ。アイスバインドは使えるけど、それだって火力向上にはならないし。出来る事ならバーストフレア辺りがいいよね」
「ユーウくんにそれ以上火力を上げられると、俺の出番がますます無くなっちゃうな」
「そうでしょうか。タンク役には、綿密な敵の連携を崩す役割がありますから。敵を引き寄せる鞭を修練したり、改善の余地は色々ありますよ。パターン化されない対人戦でこそ、その能力が発揮されますからね。硬いので無視されがちですけど、盾役が一人で敵を薙ぎ倒していけるようになれば一流といっていいでしょう」
ユーウはそう言って、ロシナを慰めるのだ。言われた方は、まんざらでもない様子である。アルから下賜された鈍色の鎧でその身を包んでいるが、武器と言えばまだ属性付与された剣なり大剣はない。
タンク役は装備に金がかかるもので、その火力を上げる為には大剣を用意したり防御用の属性装備に切り替える必要がある。オールマイティに使える完全な装備という物は作り難いのだ。
牛神王の迷宮でいえば、火属性であったり毒や闇属性の攻撃が多い。
かつ五階を突破した今、次の六階では幽霊がメインになるため聖属性を付与するかはたまた火属性の武器が好ましい。セリアが修行する無双雷光突きも、そうした属性攻撃をする一環であった。
現在のパーティーでは、ロシナとアドルは属性武器を持たない上にそういったスキルがないのである。 従って、ユーウが彼らの武器に属性を付与していく訳なのだ。
六階の中では、フィナルの聖光が特段の威力を発揮していく。
近づく前に、大抵の幽霊は浄化されていくので前衛は手持無沙汰になる事がしばしばであった。
「ファイア・ランスっ」「ホーリーライトっ」
ユーウとフィナル。二人の術士が放つそれが、現れた動く死体や幽霊に突き刺さる。炎と聖光で浄化されて、現れたモンスターの数だけ経験値として換算されていく。そうして、一日の狩りは時間一杯まで続いた。
薄暗く仄かに漂う蛍火の六階。
魔術職である術士にとっては、最高の狩場であっても前衛である物理職にとっては最悪の狩り場であった。やる事が殆どないので、二人の魔力が乏しくなるまでは待機である。
「少し、休憩してはどうだろうか」
とセリアが言うまで頑張り続けるのだ。探すだけでは飽き足らず、セリアにモンスターを誘導させてきてはまとめて殲滅するという具合に狩る。六階のモンスターは、黒い玉をよく落としたという事もあった。
「今日は大量でしたね。また、六階で狩りをしましょう」
「いや、ボスを倒して進みたい。あそこは前衛イジメだぞ」
「そうだ。アル様の言う通りだ。私も修行にならないあの階は苦手だ」
帰還したユーウたちが夕食を取りながら、口々に不満を述べている。
今日の夕食は、豚肉をふんだんに使ったラーメンであった。あっさりとした塩味で風味がよく、味わいは豊かなのでアルブレスト家の人間も好物に入っている一品である。もちろんそれを作るのは、ユーウであった。麺から味付けまで細かにこなし、用意した焼き飯のさっぱりとした味つけに麺は毎回替え玉を要求される具合だ。
ずるずるといった音を立てて、頬張っていくのは見た目的に良くないのだが、彼彼女らは全くきにしない。そこに、グスタフやエリザといった面々も加わって喧騒が一層賑やかな物となる。
「王子様がこの家に来られるようになって、本当に賑やかになりましたね。あなた」
「う、うむ。しかし、上座に王子が座られないというのはどうにも不敬に当たるのではないですかな」
「公式の物ではないのだグスタフ。そのような事を気にする必要はない。それに、俺が押し掛けているのだから必要以上に畏まられては困る。珍客が来ている位に遇して貰わねばな」
「はあ」
元より口数の多い男ではないグスタフが、困ったようにユーウを見やる。
アルが最初に現れた時など、片膝をついて動かない有様であった。
まともな応対も殆ど出来ないのだが、それについてもアルは黙って不問にしている。
「ユーウの家は、明るいので住み心地もいいしな。小さい割に、何時までも居たくなるような雰囲気はとても気に入っている。ところで、この灯りを量産する事はできないのか?」
「それは」
ユーウも言葉に詰まった。
家の中は、迷宮を探索中に手に入れた物資でユーウが石英のような物から光を放つ魔灯を作っていて。
それに照らされて室内は昼のように明るい。永続光の魔術が使われているのだが、エリアスに質問攻めになった一品である。元々が、蝋燭で暮らしているような文明度なのだ。当然、天井にとりつけられたシャンデリアのような品物はこの世界にはほとんどないであろう。
王宮でも松明かあるいは蝋燭といった物に火を灯し、薄暗い場所で生活しているのだ。
「未だ、実用化の段階でありまして。エリアスと共同で開発中でありますので、今暫くの時間をいただきたいのです」
「ふむ。時間はいいが、他国に情報を売ったりするなよ。現物も同様だ。これは、王命ととってもらってもいい位に重要だと俺は見ている」
「エリアスばかりずるいですわ」
不満を吐き出すのはフィナルだった。彼女の家は、それなりに権力がある。
といっても、アルほどではないのだ。それとしても、無碍にできないレベルだった。ユーウの家が通りを面する商店の経営面での援助は、多大な物があり金銭では賄えない支援を受けていた。商人ギルドからの暗殺者が送られてこないのは、そういった方面に顔が効く彼女の父親からの圧力であろう。その程度の事はユーウにもわかるようで。
「わかってるって。馬車の改善をちょっと手伝って貰えるとありがたいな。後は、王都周辺の農地を管理する管理官に推薦する位かな」
「まあ、それは嬉しいですわ」
これもまたフィナルの家が領土を返還し、かつ貸与という制度に切り替える為。
その先駆けとなるべく飴を投げる。ユーウは、力で貴族の全てを制圧するやり方もできなくはない。
しかし、その先に待つのは破滅の類だった。かつて、武士を全て消滅させた大久保のやり方を真似る必要はないのだ。あくまでも、反乱を封じるというやり方でかつ戦力を国家に集中させやすくする。そういう点さえ理解させてやれば、戦う必要もない。
「それでは、俺は帰る。セリアはどうするのだ?」
「修行して帰ります」
「そうか。あまり無茶はするなよ」
「はい」
夕食を終えたばかりなのだが、セリアは戦う気満々であった。
アルブレスト一家に見送られたアルがユーウに城まで転移していく。
帰ってくれば、狼耳をピンと立てたセリアが夕闇の中に立っている。
「戦ってくれるのだろう?」
「いいけど。僕は、仕事も多いんだ。余り時間は取れないけど、いいかな」
「ああっ。いくぞっ」
幼児には似つかわしくない棒を構えて、必殺の威力を持つ技を繰り出す。
が、ユーウは易々とそれを半身で躱し同時に少女の腹に蹴りを放つ。
セリアは、豪快に吹っ飛んでいった。