133話 負けられない転移者 (異世界人)
「(負けられない。死んでたまるかよ。マリー、レイコ、ベリル。絶対に、絶対にだ)」
浅い夢を見ていたのか。朦朧とする意識を何者かの声が呼び起こす。
オイッ、オイッ。
少年の身体を揺さぶる声が室内に響く。
ゆっくりと目を開けたマサキの前に広がったのは、忌まわしい天井だ。ここは、勇者として認定されたマサキたちが復活する聖堂でもある。死ねばここへと送られるのだ。細い肩を痛みを覚えるほど揺さぶる男の名は、シュウ。雷剣のシュウなどとも呼ばれるが、本名は鈴木集という。
使う剣に乗せる魔術と、振るう剣技の見た目から雷剣のあだ名がついた。
幸運にも、シュウは冒険者として活躍し、迷宮を探索してはその実力から勇者として認められる事になる。
マサキの仲間であり、共に死ねないゾンビ兵のような兵器である。かつて二ホンから異世界へと強制転移させられた被害者の一人であった。冷たい寝台の感触がごつごつとして身体に痛みを呼ぶ。外から聞こえる冷たい風が吹いてきて、急速に意識を浮上させていった。
磯部真樹は、仲間の呼ぶ声で目を開ける。
「起きたかマサキ。公爵がお待ちかねだ」
「俺は、負けたのか? 他の奴らはどこだ」
マサキは、起き上がりながら裸の身体に衣服を纏っていく。仲間であるシュウの前では、口調も乱暴な物から丁寧な喋り方へと変化させる。貴族たちの前では、殊更に乱暴な口調で話さねば尻の穴が危険なのだ。
年齢相応な表情と口調でマサキは、シュウから話を聞く。
「バルドの奴は未だに行方不明。ギースにドルカス、ライは先に起きているぞ」
「バルドが戻らない? どうしてだよ」
マサキには不思議だった。勇者として認定されれば、誰もがここに戻って来る。そう固く信じていたからなのだ。ギースを筆頭に仲間の顔を頭に描いていく。
「知るか。ま、わからないとしかいいようがない。復活も絶対って事は無いって事だろう。これまでがそうであったからといって、今回もそうだと思っていたのは過信という奴だな」
「公爵が嘘をついていたって線は?」
「嘘をつくメリットがない。それに沈着冷静な公爵が慌てふためく様といったらなかったぞ」
鬼畜狸めと吐き捨てたい気分であったが、それは隠すほかにない。公爵。シュピッツァ公爵の事であろうとマサキは推測し、しわがれた老人の顔を思い出す。件の公爵は悪人面をした善人。それがあたふたとする様に吹き出しそうになる。シュピッツァ公爵といえば、近隣に並ぶ事のない大貴族なのだ。評判とは裏腹な人物に、また笑いを誘われるのだが、本人はいたって真面目でそれがまたおかしい。
というのが、マサキの観察眼によるところなのだ。
他の人間に言った処で、無礼を咎められる事は必定である。
そんなマサキは、内心を表情に見せないままシュウに向かって不満を露わにぶつける。
「ふーん。で、俺たちはまた出陣って訳かよ」
「そういうな。所詮は人間兵器って奴さ。使い潰そうがどうなろうが公爵の懐は痛まないしな」
起き上がって、服を着たマサキが部屋を出る。二人そろって行動するのは久方ぶりの事だ。
ハイデルベルの風は、冷たく温暖な気候が好みなマサキにとっては辛い国である。隣を歩くシュウの方は、まるで気にした様子を見せないのが腹立たしい限りであった。
「所で、俺。寝言で何かいってなかったか」
「ああ。言ってたぞ。恥ずかしいセリフを。俺だったら枕を抱いてゴロゴロするくらい糖度の高い奴を」
「はああああっ」
思わずしゃがみこみ、地べたで身悶えする羽目になる。マサキは、頬が真っ赤に染まっている感覚を感じさらに頭をわしゃわしゃと掻く。見ればシュウは吹き出すのを必死でこらえようと眉を寄せて踏ん張っているが、じきに風船が割れたような爆笑を漏らした。
これだから、マサキにとってシュウは天敵とも言える存在だった。
ハイデルベルの夜が更けるのは、特に早い。一しきり笑ったシュウが星を眺めようと上を見れば、月がその姿を現していた。実に、故郷の星空に似た星座が見えるのが不思議である。その星の配列から未来を占う『星詠み』等という職業もあるのだ。それが関係するのは、マサキたち自身であったりする。夜空に輝く月は白い月だけだが、見える者には色々な月が見えるのだとか。
そうして城内を歩く間に、一際豪奢な扉の前に立つ。
シュウが扉の両脇に立つ兵士に挨拶をすると、
「開門」
兵士の合図でゆっくりと開いていく扉。それを中へと進んでいくと、赤い絨毯の先に先ほどからマサキの笑いを誘発する元凶の姿が見える。
「ようこそお帰りになられた」
一礼をし、片膝をつくマサキとシュウ。それを見つめる老人の眼光は鷹の如き鋭さで。
慇懃な態度とは裏腹に、泰然自若としている。
マサキは、同様に片膝をつくドルカス、ライ、ギースといった面々の顔を伺う。
が、どうも待たされたという表情だけがマサキの方へと帰ってきた。
当然の反応だった。
何しろこの城は、寒い。冷暖房が利いているわけでもなく、吹きすさぶ寒風で城内は吐く息が白い程である。そんなマサキを置いてシュウが詫びの口上を述べている。
「この度の敗北面目次第もございません。つきましては」
「よい。それよりも今後の身の振り方を考えるべきであろうな」
これである。敗戦の罪を問われなかっただけマシとも普通は考えるのだが、公爵の思惑は世間で噂されるそれとはまるで違うものである。
それを心配するのであろう。シュウが尋ねずにはいられないと口を開く。
「ですが、公爵様の方は宜しいのですか」
「うむ。それについては、殆ど目的を達しておる。志半ばで散った兵士たちを思えば、心痛も激しいがな。彼らはハイデルベルの明日を作らんが為に散ったのだ。これで、我が方へと着いた貴族どもを悉く排除する事が出来る。儂は、古いやり方しかしらなんだ。ゆっくりと改革を進めるには、陛下も儂も歳を取り過ぎた」
ゆっくりと老人は周囲の部下を見やる。かつては、多くの貴族たちが明日の大勝利と新しい王国に祝杯を上げた。そんな大ホールには、少なくなった腹心とも言える家臣たちだけが参列している。
内々の会談なのだ。とも言えるが、実際には敗北した為に私兵を引き上げた貴族は国王側に寝返ろうと泡を食って奔走しているのであろう。マサキは自然と表情が憮然とした物に代わる。
公爵の方は、それすらも織り込み済みであり、帝国が勝てば帝国の余勢にすがろうという小国ならではの処世術を行ったのだ。
老人は、思い返すような表情を浮かべながらはっきりとした声量で話を続ける。
「思えば、そなたらが我が領地に現れたのは天啓であった。数々の功績を何と言って表せばいいのか言葉に尽くせぬほどだ」
「ありがとうございます」
マサキの感謝の言葉が終わると同時に、シュピッツァ公爵が手を叩く。
すると、家臣たちが大きな袋を持ってマサキたちの前に立った。
その中身に、訝しんだシュウが疑問の声を出す。
「これは?」
「褒賞金だ。君らは、これから自由に生きて欲しい。無論この国では、石を投げられる事もあろう。しかし、他の国に行けば冒険者として迷宮に潜り冒険をする事も可能だ。とはいえ、逃げれば君らに追手がかかる事だろう。この国に留まり、石を投げられながらも耐えるという道もある。選ぶのは自由だ」
勝手な物だとマサキは憤激するのである。が、周りの人間はと言えば感極まった表情であった。
ドルカスに至っては、零れ落ちる涙をぬぐおうともしない。
巻き込まれた民衆は一体どうなるのか。しかし、それとても必要な血であったといわれれば納得するしかないのが家臣という物だ。
胸の裡から湧き上がる物を押さえられなくなったマサキもつい感情に任せた声を上げる。
「今更ですが、もっとやりようはあったのでは?」
「うむ。儂も陛下も急いたのは否めん。だが、それ程に帝国の手は長かったという事だ。知らぬ間に、多くの密偵が入り込み多くの貴族を扇動していた。気が付けば抜き差しならぬ状況でな。であれば、逆にこの状況を利用してやろうというのが貴族の矜持という物だ」
そう述べた公爵は、押し黙る。長い沈黙は、その後の行く末を暗示させるには十分だった。
つまり、この老人は敗戦の責任をとって毒でもあおろうというのか。頑固な老人は一見すると野心に満ちた悪人顔をしている。しかし、内実は不器用な善人なのだ。
そういう事もあり、マサキには全く死ぬ気もなければ、ここから逃げ出すという選択も取りえなかった。
取れない理由は他にもある。
マサキたち認定された勇者が受ける聖堂の加護は、まさに反則といってよい。
迷宮でモンスターに食われようが蘇れる。不意を突かれ、今回のように死亡しても五体が復元。
失われた物といえば、配下と装備くらいで。
そんな異常な力を易々と手放すというのはどうかしているのだ。
とはいえ、公爵は敗北を認めておりこの後は王国に降る段取りをつけることは間違いなくある。
「帝国の援軍とかは期待できないのですかねえ」
「それは、あった。連中は、王城を襲撃したようだ。が、それも失敗している。あまり余計な真似をされると困った事態になるのだがな。収拾のつかない泥沼の展開など、儂も陛下も望んではいない」
それでは、それでは貴方の兵士は一体何の為に戦ったのか。
そんな思いを他所に、自説を滔々と説く公爵は随分と感傷的に見える。
下がったマサキたちは、今後の身の振り方を話し合うのだが。真っ先に苛立ちを表したのはドルカスだった。
「でえ、どーすんだよ」
「どうするもこうするも、俺は戦うつもりだ。まだ終わったわけじゃあない」
「お前もよくやるよな。俺ぁ、抜けさせてもらうぜ。なんつっても、このまま残ってりゃルーン・ミッドガルドの連中に縛り首にされちまうんだろ」
「けど、逃げた先で捕まって縛り首ってのもぞっとしない話じゃないのか」
「どうすっかねえ」
ドルカスが地を出して話している。マサキとシュウは反応しているが、ライとギースは押し黙った。
「んなこたあわからねえだろうが。んでもって俺ぁそもそもこの戦いの大義を信じた口だし、このまま戦って死ぬのもわるかねえって思ってる。でもよお、お前ら故郷の事二ホンの事が気にならねえのか?」
「戻りたいさ。けれど、戻り方を研究してくれている公爵はこうして失脚。最悪自害する事も考えれば、俺達が取りえる手段は少ない」
ここにいる人間の総意は、一重に元の世界へと戻る方法を探す。そういう事なのだ。
でなければ、森で犠牲になったクラスメイトが浮かばれない。
そういう背景があったから、半分は不本意ながらも戦いを決意した。
今では、たったの五人。ナオは好き勝手にやった為、処分する方針である。
王都の住民を相手にとり、暴虐非道の限りを尽くした彼を許すつもりはないのだ。
他にもナオに対する怒りがある。マサキたちを見捨てて自らは、王都でぬくぬくと過ごしていたというのだ。その際の会話を思い出すとマサキの脳髄は沸騰するかの如き熱を帯びる。
学生の多くが犠牲となって抜け出した。その森を抜けて、冒険者として自立していくには更に多くの困難が待ち受けていた。
まず、この異世界では言語が通じない。
これにはマサキたちも参ってしまった。ナオのようにわかり易いチート武器を授かった訳でもない。
そんなただの高校生たちが異世界を生き抜くには、この世界は余りにも残酷であった。
女子は、奴隷として売り飛ばされた者も少なくなく。森の中でモンスターたちの犠牲になった者も多い。頼りになる筈の大人は、逃げ惑うだけであったし。そんな中で、マサキたちは運良く切り抜けた方であると自負をしている。
いきなり盗賊に捕まって、奴隷へと身を落とした者が少なくなかった為だ。
そこで、自分たちのクラスだけが転移したのだとマサキは考えていた。しかし、それが間違いであると思い出した時には胃に食事が通らなかった。そして、今もその過去の光景が頭によぎりった。強烈な嘔吐感をもようおして、頭を左右に振る。
闘技場で儚く命を散らしたクラスメイトもいた。道端で花売りをする女子もいた。
なんのかんのと自らに宿る力に目覚めた人間であっても、今だに生き残っているのは少ない。
冒険者ギルドに加入すれば何とかなるという風に考えていたのも甘かった。
そもそも、街に接近した時点で言葉の喋れない奴隷として扱われるなどファンタジー溢れる異世界でもかなりハードだっただろう。
今でこそまともな対応を受けているが、それでも黄色い人種という事でマサキたちは迫害の対象だった。剣奴となったクラスメイトは、殆どが命を落としている。その地獄のような戦いの日々から這いあがったのがマサキで。
剣で生きたからこそ、相対した相手の力量がはっきりとわかる。
相手は、動く鎧だった。しかし、知性の光が両目から漏れているようだった。
話をすれば、わかり合えたかもしれない。だが、マサキ自身が躊躇しなかったように鎧もまた躊躇いの間をつくらなかった。
勝負は一瞬でついたし、マサキとしては次があれば勝つ気でいる。
「で。マサキはまさかあのチートな鎧に復讐とかって考えていたりしないだろうな」
「一応考えたけどな。油断しさえしなければ、勝てる。といいたいが、相手が更に上回っていたりするのが現実だからなあ。こちらが修行して、あちらが油断していればっていう条件付になるな」
単純に剣で勝負するならば、というセリフを省いたのはマサキのプライドのせいでもあった。鎧に剣が触れた瞬間マサキの持つ剣技がその威力を発揮する。そういう淡い期待など、するだけ無駄という物なのだ。
マサキたちの国ハイデルベルで冒険者ギルドにもそういう能力を持った人間はいない。
基本的に冒険者というのが、迷宮を探索して財宝を持ち帰るトレジャーハンター的な位置づけで有った為だ。身の振り方を考えてみても、公爵の配下というのは安定した職であった。冒険者が明日も分からないやくざな商売な為でもある。
剣奴として、闘技場から公爵の手で拾い上げられた。故にマサキにとっては大恩人と言っても良い。
「俺ら全員でかかってどうにかなりゃいいが、聖堂の力をとりあげられちまったらお終いだしなあ。ここの居心地は最高だしよ。ようやく、NAISEIの目途がたってきたってのに敗戦ってのはどうかとおもうんだが」
そううそぶくのはドルカスであった。
「俺は、有利な条件で降伏する方が良いと考えている。ナオは切り捨てる予定で行きたい。皆はどう思う?」
すると、全員が頷く。
「あいつはやり過ぎた。死んだ貴族どもも糞みたいなのが多いし、そこら辺でどうにかならないのか」
「連中を売り飛ばすって事か? にしても私兵を抱えた奴らは多いぞ」
「だからだよ。何とか渡りをつけて、どうにかしたいな。ここを逃げてどうにかなるとは思えない」
マサキの言葉に、シュウが反応する。理性的なシュウは頼りになる兄貴といった風体であり、見るからにおっさんといったドルカスでも信頼を寄せる存在だ。シュウを焚き付けるのは容易な事だ。なぜなら、彼は公爵の娘に入れ込んでいる。
はっきりいって身分違いなのだが、事が戦乱を起こした罪人の娘ともなれば明日はどう転ぶのかわからない。娘の名前は思い出せないマサキだが、容姿は瞼の裏に映る。
儚い花といった容貌をした美しい娘だから。
そして、それだけにシュウだけが狙っている訳ではない。
ドルカスもライもギースでさえも、かの娘を狙っていた。行方しれずとなったバルドでさえそうだったのだから、娘の美しさがわかるというものである。
「ふう、やっぱここは落ち着くな」
「まあなあ、やっぱ一つの所で過ごすのがいいよな」
そういって落ち着いた様子でくつろぐのはライとギースだ。二人ともに悲惨な死に方をしたらしいのだが、それを苦にしてはいない。死ぬのも久しぶりの事であり、後遺症のような物は未だに見受けられない。その為誰もがこの聖堂の力を欲する。
だが、そこには一つの落とし穴がまっているのだ。
一つは、異世界人であるマサキたちのような人間でなければならない事。
二つ目は、公爵の娘である巫女によって聖堂の加護を受けなければならない事。
三つ目は、当人たちが目覚めたチートな力を持っている事だ。
このために、このシュピッツァ公爵領にくる者は引きもきらない。
ハイデルベルでも、随一の都市と言っていいのだ。海に面している事も貿易に有利な点である。普通ならば凍り付く北海も西から流れ込む温流が幸いして、何とか航行が可能だ。ゆくゆくは、鋼鉄の砕氷船でも浮かべて明日を創る予定もある。
必勝を期した戦いであったから、まさかの敗北など全員が予想しえなかった。大将軍であるゴルドーの実力は、まぎれもない物でありその配下である騎士たちも歴戦の勇者たちだ。国の今後を思えばこそ立ち上がったというのが、マサキたちの抱く抱負であり病巣となる存在を退位していただくのが目的だった。
結果としては、碌でもない惨禍をハイデルベルの国土にもたらした。
その後悔がマサキの胸にはある。
二ホンを割って戦いを起こした幕末の志士を気取っていた。そんな風であったからこそ戦えたのである。配下となっていた女たちは、どうしたであろうか。そんな心配がマサキの脳を締め上げる。剣奴から冒険者になり成り上がって、勇者と呼ばれてはおだてられ持ち上げられた。そんなマサキと一緒に戦ってきてくれた女たちがいたのだ。
だから、
「なあ、俺の、女たちはどうなったのか知らないか?」
「ん。ああ、それを今から調べに行く所だ。ハルジーヤでは降伏した兵が武装を解除されているらしいからな。情報収集をする影が居ないのは痛いが、これからは自前の諜報員を育てるしかない」
シュウの答えが暗くなりそうな雰囲気を出した。ライとギースは、ふざけた調子で会話している。
マサキも行きたいのだが、何人も行っては公爵軍の再編がままならない。逃亡してきた兵の受け入れも重要であり、各地に配備されている兵の集結を急ぐ必要があった。今までは物量で押し潰す戦法であったが、これからは質で勝負しなければならない。
もちろん、公爵に出ていけと言われて「はい」と答える程に楽観視してはいない。
逃亡者の末路という物はいつも悲惨だから。
死ぬならば、ここで。
恐らく全員がその事を考えて、この一室で談笑しているのだ。ライもギースも無理して会話をしている事からそれが伺えるという物で。
「じゃあ、俺は行ってくる。後は宜しく頼む」
シュウが出ていくのを見守り、マサキは木でできたコップに水を注ぎこんだ。マサキたちには水を生み出すような魔術は使えない。迷宮に潜ろうとする際には、これが一番の死活問題だった。このシュピッツァ領にも迷宮があり、そこから溢れ出るモンスターを退治するのが冒険者の仕事といっていい。中をきっちり掃除してやっていれば問題はないのだが。
たまに、処理しきれないほどモンスターが湧く時期がある。それが一体どうして湧くのか。迷宮に関する謎の一つでもあった。
「でえ、よお。どうすんだよ。ナルナの方は」
「勝って講和を結ぶ。そういう方針で根回しを進めよう。実際には、全面降伏の案件になるけどな」
真面目な顔をマサキが作り応える。
それにポカンとした表情を顔に乗せるのはドルカスであった。
「それじゃ、勝つ意味あるのかよ」
「勝つといっても最低限の勝ちだ。つまり勝ち過ぎず負け過ぎず。だ。難しいんだよ」
「だから」
「そんなんだからおっさんと言われるんだよ。もっと考えようぜ。相手に損害を出させれば、講和も成り立つ。けど出させ過ぎれば、あのチートな鎧が出てくるだろ。じゃあどうするのかといえば、痛み分けしかない。公爵の自害なんて事を避け、隠居辺りで済まし公爵の娘を当主に据える。そういうプランなんだが、不満か?」
すると、神妙な顔を見せるのはライとギースだった。
「へえ、するとこれからボルドー将軍の手助けをしようっていうのかい」
ドルカスが口を開くよりも先にライの方が早く割り込みをかける。
「そう。そういう事になる。ボルドー将軍は、対決姿勢を強めているのもそういう思惑があるのだろう。でなければ、兄であるゴルド―将軍が降伏した時点で降伏していないのがおかしいからな」
初老に差し掛かったゴルドーの弟がボルドーといい、ナルナの攻略に当たった先遣の部隊でもある。
メイド服を着たライの配下が書類をマサキの方へと手渡してきた。
それに目を通しながら、
「ボルドー将軍は、敗残兵の集結を急いでいる様子だと書いてある。早速だが、向こうに移動を開始するか」
「一旦、家に顔を出したいんだけどよ。それからでいいか?」
見やればドルカス、ライ、ギースの三人は心配そうな思惑が透けていた。
長期に渡って、公爵から与えられた家に保護する人間を置いているのだ。それがたとえ見えざる鎖となってマサキたちを縛る事になっていたとしても。それは、マサキたちにとって生きがいでもあるのだから。気になって仕方がないとも言える。
家に帰れば、以前から保護し始めた女子たちが内職や生産に励んでいる。
そんなだから、ようやくなんとか目途がつき始めた異世界での生活を投げ捨てられない。
マサキは、死んでしまったクラスメイトたちの為にも元の世界へと戻らねばならないのだ。
ナオにはその件でも、恨みがある。彼は、一人で助かったのだ。
多くの生徒が巻き込まれた異世界への転移現象は、当初から誰かによって仕組まれた。
そういう風に見ているが、その真実は定かではない。マサキにとっても不可解な現象という風に映っていた。このハイデルベルでは、そういった現象を稀人と呼んで歓迎する風潮はあるのだ。とはいえ、言葉が喋れなければそういう風にも見て貰えない。
一つのクラスではなく、一つの学校が丸ごと異世界へと移動したのである。
生き残っている人間が少ないというのは母体数が大きいからで。
言葉が通じない為にマサキたちは大変な苦労を背負った。
「そうしようか」
「じゃあ、一旦帰ってから支度を済ませてくること。済んだらここに集合な」
「了解ー」
返事をしたマサキは、部屋を後にする。ここでも逃げ出そうという人間は居なかった。
普通は、沈没しそうな船から我先にと逃げ出すのが人なのだ。
シュウたちには、そういう部分がない。とマサキは自嘲気味に俯き歩く。
そして公爵の城から出ようと大ホールに出た所で、シュウと件の娘が話をしているのを目撃する。
「では、お一人でどうしても向かわれるのですか」
「そうなりますね」
断片的ではあるが、どうやら娘はシュウの心配をしているらしい。マサキは娘に興味がない。というよりも、付随する諸々が厄介過ぎて背負うには荷が勝ちすぎる。つまるところ、めんどくさいという一言だ。美しいのだ。それはもう間違いなく、今まで見てきた人間の中でもトップクラスの美少女である事は違いない。
噂に聞くハイデルベルの王女方よりも美しいのではないか。
数年もすれば、至上の美を体現するであろう蕾の薔薇だ。
これ程の美少女がどうしてあの悪人顔をした老人の遺伝子を受け継いでいるのか。
それはもうさっぱり理解できない程違い過ぎた。
「あら、ご機嫌ようマサキ様」
「これは、ご機嫌麗しいようでカグラ様。それでは、これで失礼致します」
シュウは安堵した表情を見せる。彼はわかっていないのだ。そのカグラという女の本性が。
使える者は何でも利用するという狡猾極まりない。属性としては、絡め取る蛇だと睨んでいる。そして、この娘はマサキと浅からぬ縁があった。
つまり、
「そんなに焦って帰らなくても、家の方たちは皆無事ですよ?」
これである。だから、怖いのだ。先を何でもわかってしまう。そんな魔性の女だが、シュウはわかっているのかわかっていないのか。それ程までに、カグラという女はマサキにとって恐怖を与える。死ぬのは怖くない。透明なその笑みは、大抵の男を蕩かす。
そして、それにシュウも援護を送る。
「こう言ってくれているのだ。マサキも少しお茶でもしていかないか?」
ここまで言われては、逃げようがなかった。
恐らくは、二の矢三の矢を用意しているのは違いない。更に言えば、カグラは何か頼み事があると見受けられた。そうでもなければ、奥から玄関へと出てくるというのは非常に珍しいのだから。
「わかりましたよ」
「それは良い判断ね。ほら、さっさといくわよ」
「へーい」
気安い返事を返すのも訳がある。小難しい礼儀に則った会話をこの少女が嫌うからだ。テキパキとした動作で指示を下す。そうしてから、公女が座り次いで二人は左右に座った。
「何か言いたい事があるのならはっきりと言ってくれ」
「あらら、話が早いのね」
そういうとシュウもマサキもじっとその白皙な女の横顔を眺めた。
貴族たちは、競ってこのポジションを得んと大金を積んだと言われている。マサキにしてみれば馬鹿馬鹿しい限りだが、争っている当人たちは熱が入っているのかまるでお構いなしだった。
そして、小さな花びらが動く。
「マサキ、貴方は鎧と戦ったのよね。実際問題として、どうかんじたの。ありのままを教えて頂戴」
「どう、と言われてもなあ」
次は、負けられない。
そう固い決意を抱いてみても勝負の行方は水物だ。
鎧との戦いは、一瞬で勝負が決したのであるし。負けた相手の事をペラペラと喋るのは、気が進まない。が、さりとて話をしなければ逃がさないといった眼差しをマサキに向けてくる。
マサキは、この魔性の女からは逃げられないようだ。
結局、皆彼女の掌の上で踊る人形なのだから。