ある店主の愚痴。
古い街並みになじむように、決して目立たずにその店は立っている。
町屋を改造して、紫ののれんに「聖堂」と書いてあるその店は骨董屋。
でも少し変わった骨董品を扱う店だ。
気の遠くなるような歴史を持った品の中には、不思議な力を蓄えているものもある。この店では主にそんなものばかりが扱われていた。
そんな店の店主が、最近愚痴をこぼしている。
「本当に、困ったものですね」
長い髪を後ろに結った、着物姿の男が大きなため息をついて眉を顰めた。
ぐるりと店を見渡し、
「貴方たちの言い分も分かりますが、とりあえずはこの店を出てそれなりの働きを見せるのが先じゃありませんか?」
厳しい店主の声に、先ほどまで騒がしかった声が一気に静まり返る。
これで、少しはおとなしくなりますかね…。
店主がそう思ったのもつかの間、
「そんなこと言ってもお客さん来ないと話にならないじゃない」
鈴を転がしたようなかわいらしい声が店主の鼓膜に届く。それと同時に再び店主の眉が顰められた。
「多満喜…」
店主が振り返ると、目の前には色白の美少女が立っていた。まっすぐな腰ほどの黒髪と白い肌のコントラストが愛らしいのに妖艶で、赤い唇が見事に差し色として際立っている。大きな瞳にはほんの少しばかりの闇を併せ持つ。黒地に華やかな牡丹の刺繍が施された和服が、少女と大人の間で揺れる年齢だろう多満喜によく似合っていた。
「だいたいご主人の営業方法が悪いからこんなにお客さんが来ないんだわ」
いつも穏やかな店主の目がじろりと多満喜を睨む。それに対して多満喜は一切物怖じしない。それどころか、店の、いつも店主が座る椅子に遠慮もなく座ってにっこり笑った。
「ねぇ、私も人間にしてくださいな」
少し首を傾げて上目づかいにお願いする多満喜は、きっと普通の人間なら魂を取られてしまうかもしれない。しかし自分が営む店のものに取り込まれるなどありえないし、取り込まれることがあったらそれは末代までの恥だ。
「多満喜…お前を人間にするなんて、世の中の道理に反します」
店主の言葉に多満喜は目を丸くして、白い頬を赤くして怒った。
「なんて失礼な……。じゃあ聞くけど、どうしてシエルだけ人間にしたの?」
「もうあの子をここで売るのに飽きたからです」
これも、嘘じゃない。
だが、人の欲が邪なものでしかなくなってしまった昨今、この店に来る人間は悲しいくらい薄汚れた者たちだ。他人に嫉妬し、地位と金を求め、貶めようとする、そんな客しか来ない。
だから、シエルには今回の主人が最後ではないかと店主は考えた。
それならば、シエルを人間として歩ませ、この店から巣立ってもらおうと考えてあれを人間に変えたのだ。
それが、多満喜をはじめここにいる者たちの機嫌を損ねた。
しかも多満喜はそれに対して一番納得していないようで、自分も人間に変えろと毎日のように抗議してくる。
正直、鬱陶しいですねぇ。
店主は多満喜の顔を見ながら、立ったままでお気に入りのお茶を飲んだ。
多満喜は、「喜びが多く満ちる」と書くが、見事に反した魂だ。
遠い昔、多満喜は多くの大人たちに虐げられ、凌辱され、人間として扱われなかった。挙句無残にも殺されて山に捨てられた。
本来の多満喜の素性は店主にはわからない。ただ、死して狂気の淵に堕ちた多満喜は自分を辱めた者たちを皆殺しにしたという。
それでも多満喜の魂は浮かばれず、惨殺を繰り広げるに一役買った刀の中に吸い込まれた。
刀は今は短刀に形を変えているが、多満喜が宿る刃には強力な切れ味と使うものを狂わせる力がある。
そんなお前を人間になんてできるものですか。あんまりうるさく言うなら焼いてしまってもいいのですが…さすがにこれだけ強い子だと、骨が折れますね。
店主が素知らぬ顔で多満喜のことを考えていると、一人の女性が店に入って来た。
「いらっしゃいませ」
にっこり笑いかけた店主だが、女性の顔を見てその笑顔を消した。
顔色の良くない、今どきの格好をした若い女性。
笑えばきっと美人なのだろうが、今は死んだ者の方がまだましだと思えるほどに暗い顔をしている。
それに、目が狂気をはらんでいた。
「何か、お探しですか?」
店主はいつも通り笑顔になって声をかけた。女性は店内を見回し、少し考えた後、一つの品を指さした。
「あれ、あれが欲しいです」
か細い声と細い指先が示すもの、それは短刀。
「あ、私だ!!」
多満喜の声が嬉々としたものになって店主の耳に届いた。
多満喜の姿は女性には見えていない。店主がゆっくりと多満喜を振り返ると、さっき声を出した者には到底思えない、残忍で暗い闇を全身で放つ姿が目に入った。赤い唇が妖艶に笑んでいる。
やれやれ…またですか。本当に人間というものは…。
店主は心の中で嘆息し、顔では極上の笑みを浮かべて接客をした。
きっとこの女性はよからぬことを考えてこの店に来た。しかし、客としてきた彼女が求めるのなら、求めるものを売らなくてはならない。
それが聖堂の店主なのだから。
丁寧に多満喜の宿る短刀を包んで女性に渡し、店主は深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。また、何かありましたいつでもお越しください」
女性の後をウキウキしながら多満喜は歩いて行った、勿論その姿は店主にしか見えない。
また…はないですね。
「だって多満喜は持ち主の命を糧に美しくなっていくのですからね…」
きっとまた戻ってくるであろう多満喜に、店主は小さく行ってらっしゃいとだけ告げた。
「今日は多満喜がここから出て行きましたよ」
店主は一人、夕焼けに染まる店の佇まいを眺めながら言う。
手には青い宝石のあしらわれた腕輪がある。その腕輪を優しく見つめ、彼は語りかける。
「貴女が生きていらした頃に比べて、今はなんて悲しいのでしょうね。私も…」
夕日を反射して輝く腕輪はいつにもまして美しい。店主はそっと石の部分を指でなぞった。
「私も、貴女とともに逝けたらどれだけ幸せだったか………あ、これは言わない約束でしたね。すみません。でも、今日も、ですが、少し愚痴を言ってもいいでしょうか」
店主はにっこりと腕輪に笑いかけた。
最後まで読んで下さった方に感謝です。
ありがとうございました。