十二支英雄見聞録・第一章・陽組編第八節
ガタンゴトンと、時折揺れる電車に躰を持って行かれ、同じ方向に躰を傾けた。人が少ない時間帯を狙って乗ったので、この車両には将斗と戌月を含めて五六人くらいしかいない。椅子に膝立ちして乗り、窓の外を見てキャッキャッ言ってはしゃいでいる戌月を、小言で注意した。因みに戌月は、勿論常人に姿を見えないようにしている。
この電車に乗るのも苦労した。将斗の予想通り、昨日の走り込みにより、太ももやふくらはぎは見事に筋肉痛。立ち上がれば膝が笑い、一歩を踏み出せば凄まじい痛みに襲われた。家の中では自分より低い身長の霊慧丸の肩や頭を借りた。意外にも、霊慧丸の頭の位置は肘を置く場所にちょどいいのだ。実際そんな事をしたら腿パンされた。腕力が無い為、普段なら痛みは殆ど感じないのだが、今は事情が違うので痛かった。駅に行くのにも、戌月に支えてもらいながら移動するのは辛かった。なんというか、色々な意味で辛かったのだ。
電車に揺られて数分、目的の駅に到着した。電車の扉が閉じるギリギリで降りる事に成功した将斗は、詩織に渡された住所を目指す。ここは隣街、あまり土地勘はない。戌月の高い嗅覚に頼ろうとしたが、現代は匂いが強過ぎて、あまり鼻が効かないらしい。目覚めたばかりの時は、強い匂いのあまり一瞬気絶したと言っていた。役に立たない戌月に支えにしながらも、大して高くないコミュニケーション能力を最大限に活用し、道行く人に住所の場所を聞いたりして歩き回った。
辿り着いた場所は、木嶋屋という和菓子店であった。年期が入った建物は中々に大きく、近隣住民に愛される老舗、といった風貌だ。将斗が木嶋屋の前で立ち往生していたら、従業員らしき、二十代前半くらいの若い女性が出てきた。どうやら将斗達に気付いて出てきたようだ。笑顔で現れた女性に、戌月は尻尾を振って反応した。
「理音さん! お久しぶりっス!」
「ホントにねぇ。昨日ぶりくらいかしら?」
なんだか、ん? となるような会話をしながら、理音と呼ばれた女性は戌月の頭やら顎を撫でる。戌月は眼を細めて身を委ねていた。 その様子から余程懐いているのが伺える。一通りナデナデタイムが終わると、戌月が将斗に紹介した。
「将斗様、こちらは木嶋理音さん。最近までお世話になってた人で、詩織さんのお姉様っス」
あれから戌月は、将斗の呼び方を変えていた。もう名前を知ったので、名前呼びだ。
「ども……ってアレ? なんでコイツが見えて…」
「あぁ、私昔から見える体質なのよ」
見える。大抵この言い回しは、霊的なものが見えるという意味だろう。しかし、十二支達は見えない状態の時は、霊体とあまり変わらないのだろうか。
「将斗君ね。もう皆集まってるわよ」
そう言って、将斗達は木嶋屋の居住部分にへと通された。どこか懐かしい雰囲気の廊下を進むと、広間へと着いた。
そこには、寅の十二支と契約者の寅果と詩織、辰の十二支と契約者の辰雷と美空、知らない組合せの人物がそれぞれ並んで座っていた。将斗達は理音が指示した場所に腰を下ろした。理音が居なくなると同時に、美空が立ち上がって入り口のすぐ近くの畳に何かを仕掛けていたが、関わりたくないのであまり見ないようにした。
座って数分、十二支達を見ていた将斗はある事に気付く。これは陽組の顔合わせの筈だが、二組足りない。その事を戌月に小言で聞くと、彼女は暗い表情をした。
「一組は遅れてるかもですが…もう一組は…」
戌月が言葉を詰まらせながら語ったのは、申の十二支、申太の死。特別に強い狐狗貍が復活した可能性があり、その者達が殺したかもしれない、と。十二支が死ねば、勿論契約者も厄介な様々な記憶を残したまま普通の人間に戻ってしまうのだ。
そういう話を聞いてしまうと、気分は落ち込むし、現実的な死の恐怖を感じてしまう。二人共どことなく落ち込んでいると、見知らない二人組が近づいてきた。1人はオールバックの男で身長が高いうえに筋肉質だ。美空より高く、外国のバスケットボール選手並にある。もう一人は少女で、対称的に小さい。霊慧丸よりは高いが、それでも小さい部類だ。染めているのか地毛なのか分からないが、薄い銀髪だ。その小さい少女は、大男の後ろに隠れていた。
「よっ。三世紀ぶりだな、戌月。相変わらず契約者にべったりか?」
「あっ、お久しぶりっス。空午兄様」
分かりやすく気落ちしていた戌月は、声を掛けてきてやっと気付いたらしい。空午と呼ばれた大男は午の十二支、小さい方は契約者のヴァン・レイドという。
「ヴァン・レイドって…外国の方っスか?」
「うん、まぁ…外国の血筋だが、日本産まれだ」
薄い銀髪は地毛のようだ。契約者は大抵日本人で、将斗を含めた殆どが黒髪なので、ヴァンの方が十二支に見えてしまう。と思ったが、辰雷も黒髪なので髪の色で判断はしない方がいいのかもしれない。
初めて雄の十二支を見たので、好奇心を持って空午を見つめた。
「なんだ、どうした。…えーと…わりぃ、今の名前なんだっけ」
「将斗です」
将斗が相手に敬語を使う場合は、相手が目上か、相手にびびっている時である。今は後者だ。もし空午のような人物と道で肩がぶつかったら、速攻で土下座をして謝るだろう。
「あぁ将斗さんか。愚妹がお世話になってます」
「これはご丁寧に。お世話してます」
「ちょっと兄様、さりげなく愚って付けるの止めてほしいっス。馬鹿とかその類いは聞き捨てならないっスよ」
頬を膨らませてプリプリ怒る戌月を無視して、男二人は話を進めた。因みに将斗は、十二支関係で霊慧丸の次に友好な関係を築けそうだと思ったそうだ。
「やっぱ雄って肩身狭いんですか?」
「まあ…そうなるかなぁ。雌、つーか女はどこ行っても強い。十二支の上も姉貴が多いんだわこれが」
「そう言えば、空午さん。空午さんって無いんですか? その、動物の一部みたいなの」
「あんなもん人間態では邪魔なだけだよ。戌月みたいに好んでだすの、十二支の中でも陽組の三人だけだよ」
十二支達は戌月のように、動物の一部を出す事もできるが、消して完全に人間態になれる。そうすれば人間社会に溶け込めるのだが、戌月はあまり消したくないと言う。いや、秋葉原なら溶け込めるだろうが。戌月に理由を聞いてみた。
「なんでお前、耳とか尻尾出してんの?」
「ふっふっふ。そんなの愚問っスよ将斗様。無ければ落ち着かない! ただそれだけっス!」
ようは彼女にとって、耳と尻尾はおしゃぶりと似たもの、ということらしい。彼女にとっては大切な事なのだろうが、将斗からは大した事ではないので、これからは耳と尻尾を自重させる事に決めた。というか、今回も自重させていれば移動も楽だった気がする。
寅果には耳と尻尾、辰雷には角を出している理由を聞いてみた。
「あー…ボクはアレだよ。片腕ないだろ…だから…何か出してバランスとろうかなって……」
なんだか聞いてはいけない事を聞いてしまったようだ。どことなく顔に影が差している気がした。
辰雷は美空の十二支という事で、将斗的には話し掛け辛い印象があるが、動物の一部について話していたら彼方から会話に交ざってきた。
「私のはねー、成長させなきゃいけないから出してるんだよー」
「えっ? 成長って…」
「私の角は皆の髪や爪と一緒で、成長するのだよ。そんで生え変わりもする。重要な資金源だからねー、しっかり成長させなきゃいけないんですわ」
資金源、という単語に、将斗は子首を傾げた。寅果等も興味を持った様子だ。相変わらず何かの作業をしており、此方を見向きもしない。詩織は興味自体がないのか、じっと一点だけを見ている。
「辰、資金源ってどういう事かな?」
「あんれ、言ってなかったっけ? 私の角、何故か純金で出来てるんだよ」
「!?」
美空と詩織意外の、全員が驚いた。今目の前に、まさしく金の成る木があれば、当然か。二十センチ強の角、太さは人差し指と中指を合わせたくらい。しかし生え変わりをするので、ある周期で手元に金が手に入る事になる。
「だいたい二週間に一回くらいで生え変わるね。そろそろ取れる頃――」
自慢気に語る辰雷は気付いていない。自分を取り囲む者達が、何を見ているのかを。
ポキン。
何かが折れる音がした。音の中心に居た辰雷は、分かりやすくクエスチョンマークを浮かべた。そうすると、寅果の手にある光る物を見付けた。次に、無意識に自分の頭を触る。すると違和感を覚えた。二本有る筈の角の一本が消えていたのだ。ここで辰雷の意識は、やっと現実を認識した。
「あ゛あ゛ぁぁぁ!! 折られたァァーー!?」
「ごめんよ辰。お姉ちゃん、人間っぽく汚れちゃったよ。金の不思議な魔力に逆らえなかったよ」
謝罪する寅果は、ただひたすら無表情だった。実行したのは寅果だけだったが、他の者も残った角を狙っていると思うと、ある意味底知れない恐怖を感じた。
「い、戌月ちゃん! き、君なら、純粋うりの君なら金の魔力に負けてないよね!?」
「辰雷姉様。私、玉葱の入ってない大きいハンバーグが食べたいっス」
「それただの肉の塊だから! つーかなに、私の角売ってバカデッケェハンバーグ食いたいってか。ふざけんなよ! もっとスケールのデカいもんにしろよ。純金舐めんなコラァ!」
「姉貴、ツッコミどこ間違ってると思うぞ」
と言う空午も、辰雷の残った角を狙っているのであった。
その後、正気を取り戻した寅果は謝罪したが、折れた角はもう元に戻らない。それに中途半端の片方だけ残ってしまってバランスが悪いと言われ、もう片方も圧し折られた。今では辰雷は、ただのチャイナドレスを着た女性になってしまっている。生え変わる寸前に角を折られて、膝を抱えて涙目になっている彼女は、将斗から見ても哀れだと思った。
事態が鎮静化し始めると、今まで何かの作業していた美空が声を上げた。
「おい! 最年長様が来たみてぇだぞ!」
足音かなにかで分かったのだろうか、作業を終えて未だ角を折られたショックに沈む辰雷の隣に座る。その顔は、いつもより口角を上げて笑うニヤケ面だった。彼の笑顔に人一倍敏感になっている将斗は、何か嫌なモノを感じた。いや、常に嫌なモノを感じているのだが。
最年長とは、単純に考えて長男の子の十二支だろう。子の十二支、全ての秘密を知っていると言っても過言ではない存在。一体どんな人物なのか、将斗は少し緊張しながら襖を見つめた。そして数秒後、襖が音をたてずに開かれた。
「皆、久しぶ――」
今日三回目になる久しぶりの言葉が聞こえたかと思うと、急に途切れた。襖が開かれて霊慧丸くらい小さい者が現れて、急に消えた。消えたというより、転けたのだ。先程一瞬で起こった事態を脳内再生して思い出しても、入ってきた人物が何も無い所で転けた、くらいしか分からない。
腹を抱えて笑っている美空以外、皆が頭の上クエスチョンマークを浮かべていた。だが、転けた人物が何時までたっても立たない事、じたばたしている手足にまとわりついている粘着質な物にだいたいの予想がついた。全員が気付いた時、開口一番にツッコミを入れたのは辰雷だった。
「おまっ、なんか仕掛けてると思ったらネズミ取りかコレ!?」
「ヒャッヒャッヒャッ! せいか〜いヒヒヒ!」
辰雷がツッコんでる間に、寅果達十二支は長男に駆け寄った。勿論美空のネズミ取りに気を付けながら。
「だ、大丈夫っスか兄様!?」
「いやこれ、どうみても大丈夫じゃないだろ! 既に痙攣しとるし。姉貴早く取ってやれよ! こんなかで姉貴が一番腕力あるだろ!」
「気にしてる事だからあんま言わないでぇ……えっなにこれ。剥がれない? なにこの衰えない粘着力! というか子乃様もなんか喋ってくださいよ! 怖いです!」
契約者達は蚊帳の外。最早兄妹達が長男を救おうとする様を、見ているしかない。というかあの輪に入っても手伝える事があるのだろうか。
子乃と呼ばれた子の十二支は応えない。更に顔面もくっついているので、喋るのは不可能だろう。喋るのが不可能という事は、必然的にアレも出来なくなる。
「……かひゅ………こひゅ…」
そう、呼吸が出来なくなるのだ。子乃の遮られている口から、新鮮な空気を求める音がくぐもって聞こえてくる。そのせいで十二支達はより焦った。
「姉貴、本当にヤバいから急いでくれ!」
「無理っ! これ以上力加えたら、皮膚ごと剥がれそうなんだけど!」
「えぇ!? そんな…皮膚が無い子乃様とどう接すればいいんスか?」
「安心しろ戌月。それ以前の問題だ」
どうやら力技で剥がすのは無理らしい。混乱しているのか、素なのか、戌月はとんちんかんな事を言っている。
辰雷は美空に剥がし方を聞いた。答えないかと思われたが、意外にもあっさりと教えてくれた。
「たぁーくさんの水かけりゃあ取れんぜ」
美空お手製ネズミ取りの外し方を聞いて、辰雷は一瞬渋い顔をしたが、背に腹はかえられないと言わんばかりに小夜衣を召喚した。
本来なら外し方を知って喜ぶのが普通だが、子乃は水の単語を聞くと暴れ始めた。それでもネズミ取りからは脱出できなかった。酸欠状態に近い筈なのに、よく動けるなと思える程だ。
「むー! んー!」
「ごめんよ。にーちゃんが水嫌いのは知ってるけど、今は我慢して…! 泣き崩れろ小夜衣!」
*
鼠の死亡理由は老衰は勿論、人間に駆除対象になったりなどが多い。だが、やはり自然の猛威に襲われて死亡するのが最も多いだろう。その中でも、洪水等の水関係の被害も少なくない筈だ。ハーメルンの笛吹き男しかり。鼠の中には泳げる種類が居るが、泳げない種類にとって大量の水は脅威でしかない。
子乃はどちらかは分からないが、過去に水のトラウマがあったのは間違いないだろう。
ネズミ取りから助けだす為、一度、小夜衣の水牢に捕われた子乃の髪や服はびちゃびちゃに濡れていた。
「はぁ…死ぬかと思った……ハワイのビーチが見えた…」
「何故にハワイ?」
「数年前に旅行に行ったら、思いのほか楽しかったから」
「にーちゃん現代エンジョイしてんね」
十二支の長男。子を司る子乃。見た目はやっと十になったくらいの子供とかわらない。長男と呼ばれていたので、もっとゴツゴツとした体格をした者を想像していたが、将斗でも余裕で勝ててしまいそうだ。顔も幼く、いじめたくなる可愛らしい物だ。年長者程、若々しい見た目になるのだろうか。
子乃は現在、寅果が持ってきてくれたタオルで髪を拭いている。
「あれ? そういえば赤音ちゃんはどうしたんです? 居ないようですが……」
「あぁ、うん。今日はちょっと用事があるって」
「本当は?」
「………遠いし、めんどくさいから来たくないって」
「またですか…」
寅果がため息混じりに呟いた。赤音とは子乃の契約者であり、こういった集まりのサボり常連のようだ。子乃も苦労が溜まっている証ともいえるため息を吐いた。
「赤音は毎度毎度来ないし、今回は珍しく美空が来てると思ったら罠に掛かるし……寅果、僕もう帰っていい?」
「ダメです」
「じゃあ泣いていい?」
「それは良いです」
寅果の許可がおりると、隣に座っていてくれた彼女に抱き付いて泣き始めた。これが長男の姿なのか、それとも苦労がしている長男は妹にすがりついて泣くものなのか、一人っ子長男の将斗には分からない。隣に座っていた戌月に聞いてみると、目醒める度酷くなっているらしい。
案外子乃は早い段階で泣き止んだ。心労で涙を流すのにも慣れているのかもしれない。そう思うと、子乃が凄く可哀想に見えた。既に赤く腫れている眼の子乃は、キリッとした表情を作ったが、様になっていない。
「やっと陽組が全員そろったね。申太の件は残念だったけど、前を見ていこう。いつまでも悲しんでいたら、務めを果たさずに申太と同じ所に行く事になる。だから気持ちを引き締めて五芒魔星と……悪食魔王の捜索と討伐を――」
――貴男を殺して〜私も死ぬわ〜地獄の三丁目まで〜どこまでも追い掛けるわ〜♪
子乃がまともに話し始めたが、なんだか重い歌で遮られた。恐らく携帯電話の着信音だろう。話を遮られた子乃はまた涙目になっている。着信音が鳴り続けていると、辰雷が美空の脇腹を肘でつついた。
「おっ、俺のケータイか」
「いやいや、その変な歌詞且重い歌の着メロは君のしかないっしょ」
この歌詞の良さが分からないとは、などと言いながら携帯電話を取出して、通話ボタンを押し、電話に出た。
「あーはいはい、俺俺、僕ちんでぇーす。どったの? え、俺? 今は変なチビ助の演説聞かされてんの。マジ下らねーし。んで、話遮られて泣いてんの。だ・よ・なー! マジウケっから」
「まだ泣いてない!」
勿論美空は子乃の叫びを無視。
「あ? あっまたぁ? 懲りないねーあん人も。まあわからんでもないがな。あいあい、あーい。りょーかーい。じゃなー」
通話が終わり、携帯電話をしまうと美空は立ち上がる。顔はニヤ面ではなく、少しあきれている。
「よしバカ辰、帰んぞ」
「えっ、なんで?」
「シゲさん、また痴漢して捕まったから」
「えー……またかよ。今月八回目じゃん」
「だよなー。痴漢は最低でも、三人一組でやるチームプレーって毎回言ってんのに、その度先走んのあの人。まっ、国家権力に金積めば問題解決ヨ」
国家権力を舐めきったセリフだが、辰雷の角の貯蓄があれば問題無いだろう。それに金が無くても、美空なら余裕で助けだしそうだが。
「んじゃ、おっつー」
「ごめんねーねーちゃん、にーちゃん。バイバーイ」
止める間もなく、辰コンビは部屋を出て帰ってしまった。部屋の中に何ともいえない微妙な空気が流れる。二人が自由奔放な性格なのは知っているが、美空は確実に悪意があった。というかあの男には、悪意しかないと思うのだが。どちらにせよ不遇な長男を、美空は最後の最後までダメージを与えていったのは確かだ。
「じゃあ僕も」
美空達が居なくなって直ぐに、今まで黙っていた詩織が立ち上がった。彼ら同様に部屋から出ようとした詩織を、寅果は止めた。
「ちょっとちょっと、どこ行くの?」
「僕もくだらない演説を聞く気はないんで」
この発言でダメージを受けたのは、勿論子乃である。
「………くだらないって言われた……今度はくだらないって言われた……まだあんまり喋ってないのにぃ……」
つくづく不遇な長男だ。不憫過ぎる。遠目で見ていた将斗も、哀れみの感情が強まっていった。前の自分も子乃を虐めていたようだが、自分は止めておこうと心に決めた。
「何か有益な情報が有れば、後で貴女から聞けば良い話でしょう。僕は姉の手伝いをしなければ行けないので。では」
どこか冷めた眼で寅果を一瞥すると、他の者へ浅く会釈して部屋を出た。今の会話を聞く限り子乃の演説よりも、姉の手伝い、というより姉の方が大切のようだ。当然といえば当然なのだろうが、先程の眼を見るかぎり寅果との仲はあまりよろしくないのかもしれない。
「寅果も大変みたいだね……」
「はい…。あの子、お姉さん以外はだいたいあんな感じで、たまには愛想は振りまく時はあるのですが…というか、何故かボクには人一倍冷たくて……」
それから長男と次女は黙って俯いた。
将斗にとって意外だったのは、他の十二支が契約者と必ずしも仲が良いというわけではない事だった。自分は前の記憶が無いため、どうしても戌月を受け入れられない部分があり、霊慧丸のように直ぐには仲良くなれない。寧ろ記憶が無いのがネックになっていると言ってもいい。他の契約者は記憶があるのだから、仲が良いと思っていた。現に空午にヴァンという少女は懐いているし、辰の二人は凸凹コンビを見ている気分になる。しかし詩織と寅果を見るかぎり違うようだ。詩織の我が強過ぎたのかどうか分からないが、寅果と仲が良くないのは事実。寅果の発言と、詩織の眼を見れば簡単に分かる。子乃も契約者には苦労しているようで。人間関係とはどこに行っても一筋縄にはいかないのだ。
空午に契約者に苦労した事はあるのか、子乃の演説が再開されそうにないので、隣の人とのお喋り感覚で苦労について話をする。
「俺は……ないっちゃ無いなぁ。基本的にコイツは懐いてくれるし。昔コイツ偉いお家柄に生まれた時は、色々と大変だったがな。俺よりも、そういうのは戌月の方が心配無いだろ。大抵契約者は犬好きだったしな。将斗さんもだろ?」
「いや、最近俺…犬より狐の方が好きかもしれないっすねぇ」
「え゛っ!?」
好きと言っても、霊慧丸の影響による。この場合は好みというより、友達としての好きが正しい。犬も嫌いではないのだが、今天秤にかけると狐の方が上だ。戌月からしてみれば、どちらにせよ面白くない話なのだが。
その後、子乃の演説は再開される事はなかった。場もぐだぐだになり、子乃の興が完全に失せたのか今回はこれでお開きになった。こんな終わりで時間の無駄になったのは否めないが、空午と知り合えたので良しとしよう。ヴァンは一言も発していないので人柄はよく分からなかったが、悪い娘ではないと思う。帰り際に子乃と寅果のメールアドレスと電話番号を渡された。緊急連絡用らしいが、十二支が文明の利器を使いこなしている姿は、将斗にとってはなんだか変に思えた。最初の頃は霊慧丸がゲームをしている姿にも違和感を覚えたものだ。どこかで昔から生きている生物を、昔の時代の生物と勘違いしているのかもしれない。
帰りも筋肉痛で大変だったが、家に帰るともっと大変なイベントが待っている。それは戌月の入居許可を、宗光に承諾してもらうことだ。何故か、霊慧丸の時より苦労をしそうな気がする。足取りがより重くなった将斗は、憂鬱な気分で帰路を歩いた。
*
家に着いた時には、既に宗光が帰っていた。昨日おあずけにした戌月の入居承諾をしてもらうため、宗光に話をした。リビングに将斗、宗光、耳と尻尾を無くした戌月の面子で、霊慧丸が前にした嘘を使って説得したのだが。
「認めません」
「あぁ、やっぱりですか…」
将斗の予想通り、拒否された。それもそうだ、森重家には既に霊慧丸という女がいる。頭の固い宗光が、二人目の居候を承諾するわけが無い。霊慧丸は幸運だった、彼女の嘘八百を信じて情に流された宗光を上手く取り込めた故の結果だ。因みに霊慧丸、という名前は親が痛々しかったためこうなった、と言ったら信じてくれた。
いちいち許可を貰わずとも、戌月が見えなくなれば問題が無いように思えるが、それでは少々具合が悪い。見えない戌月が何か問題を起こして、それをフォローする、なんてごめんだ。いつかはボロがでる。
だから面倒をおして交渉したが、今見事に撃沈した。一言で入居拒否された戌月は、ショックで口をあんぐりと開いている。
「そもそも今の話は本当なのか? 将斗を疑いたくはないが…どうもな。それにその娘は何人だ? 髪や眼の色はどうみても日本人ではないだろう」
痛い所を突かれた。確かに白い髪に琥珀色の眼の日本人など居ない。戌月の事は霊慧丸が使ったホームレス設定を借りて誤魔化しながら説明した。しかし、それが墓穴を掘ってしまった。髪を染めてカラーコンタクトレンズ付けている、と言い訳もできるが、ホームレス設定が崩れてしまう。それではなホームレスではなく、家出少女だ。
それに設定の使い回しが悪かった。考えてみれば知り合いが、若い内に二人もホームレスになる確率はどれほどか。つくづく自分の力不足が嫌になる。何か言って、状況を良くしなければと焦りも生まれる。
「私はともかく、他人の若い男女が一つ屋根の下というのもどうかと思う。二人はそういう関係ではないだろう?」
「うん。絶対にないね」
「!?」
「将斗に幼女趣味が無いのは分かっているから、たまちゃんはまだいい」
確かに霊慧丸は小さいが、幼女趣味というのもどうだろうか。彼女はたまに出る年寄り臭い雰囲気のせいで、幼女か小さい女性かのラインが曖昧なのだ。
「しかし、戌月さんは…。何か間違いが起きる可能性は否めないのだよ。世の中何が起こるか分からないからな」
「無い。絶対無い」
否定し過ぎていると、何故戌月を住まわせてくれと頼んでいるのかと、矛盾が生まれてしまうが、今の将斗はほぼ反射で返してしまうのでどうにもできない。
「あと、私情かつ失礼な事を言うが、私は戌月さんが純粋に気に食わない」
「えぇっ!?」
「どうしてかは分からないが、将斗の近くに置いてはいけないと、私の中の何かが告げている。何か邪悪的な物を君から感じているのだよ」
「そんなよく分からない事で私は拒否されているんスか…?」
「よく分からない事ではない! 親としては重要問題だっ!」
「ひぃっ!」
テーブルをバンと叩いた宗光に、戌月は肩を竦めて怯える素振りを見せた。完全に呑まれている。今日の宗光は何故か何時もより恐かった。
これは完全に無理かと、将斗と戌月は諦めかけた時、今まで介入して来なかった彼女が現れた。いつもの引きこもりっ娘の格好で。
「お、お姉ちゃん!?」
現れた霊慧丸の発した第一声に皆が驚いた。宗光と将斗達の驚きは、まったく別のものだが。
構わず霊慧丸は戌月に近寄り、その両手に自分の小さい手を重ねる。
「良かった……お父さんが『散!』って言って離ればなれになって以来だけど、元気そうだね!」
居ない父親の掛け声にも設定にも疑問を持てるが、なんとなく予想はできる。霊慧丸は宗光に、家族とは生き別れたと言っていた。だから今は自分が妹、戌月が姉という嘘設定の茶番劇を繰り広げてこの場を乗り切ろうとしているのだろう。
色々と無理があるが、一番キツいのは戌月だ。果たしてこの設定に気付けるか、気付けたとしても合わせる事ができるか。馬鹿なあの娘がどうでるかに、将斗はハラハラとした。
「う? ………………はっ! う、うううん!」
かなり危うい、というより限りなくアウトの反応をしたものだ。キョトンとした顔が、露骨に何かを察した表情に変わった瞬間、流石の霊慧丸も眉を一瞬吊り上げた。
「えーと…お、お姉ちゃんだよー!」
もういいから喋るな。全てたまちゃんに任せてお前は黙ってろ、そう伝えるように将斗は戌月の脇腹をつねる。
「い゛っ!?」
戌月がこの痛みをどう受け取ったかは分からないが、口をきつく結んで黙ってくれたのでよしとする。
だが、これで宗光が信じるのだろうか。正直、霊慧丸と戌月の似ている部分なんて一つもない。あるとすれば同じ犬科という一点だけだ。顔立ちも違えば、髪の色さえ違う。既に戌月がボロを出しているし、よく考えれば将斗の説明とも矛盾が生まれる部分が出てくる。常人なら普通は信じないが。
「二人共将斗君に会って、こうやって再会できるなんて! 凄いね、これが運命って奴なのかなぁ。ねぇ、また一緒に暮らせるの?」
もうアウトに近いのに、未だ茶番劇を続けようとする霊慧丸。見ていて心から頑張れと言いたくなった。戌月は困った表情を浮かべている。よしよし、それがベストだ。
将斗は宗光の様子を伺うと、困惑していた。
「たまちゃんの…姉だと……!」
(信じた!? しかもこんな早い段階で!)
宗光には抜けている部分がある。というより、天然なのかもしれない。昔から場の空気を読もうとして暴走する事があったが、今もその状態なのかもしれない。
将斗はこの茶番劇を信じた父に驚きながら、心中でよっしゃと呟いた。そして眼で、もっと畳み掛けろと指示する。それを霊慧丸はアイコンタクトで返した。
「宗光さん! お姉ちゃんもここに住むの? 一緒に住めるの?」
「え、いやその…ううむ…」
「ダメなの? お姉ちゃん節約上手だよ?」
「いや金銭面に問題はないのだが…」
「お姉ちゃん、私と同じ部屋でも大丈夫だよ?」
「部屋も余っているのだが…」
宗光は稼ぎも良く、金銭面のやりくりがとても上手かったので、金の貯蓄はかなりあった。家も、元々は三人以上の家族が住めるので部屋に余裕がある。
「じゃあなんでダメなの?」
「いやー…それは…だな。なんというか、嫁入り前の年頃の娘と将斗を一緒にするのは些か心配というか…」
「お姉ちゃん、女の子にしか興味ないよ?」
「やはり姉妹は一緒の方がいいだろう。よし、戌月さんの面倒も家でみようじゃないか!」
*
なんというか、その後の展開はトントン拍子に物事が進んだ。先程拒否されたり、気に喰わない等と言っていたのにそれが嘘のようだった。ようは将斗になんやかんやな危害が行かなければよく、霊慧丸に情があったため戌月の入居を許可したのだろうが。
戌月と霊慧丸は同じ部屋に住む事になり、森重家は父と長男、化け狐と化け犬というおかしな家族構成となった。しかし改めて思い返すと、よくあれで許可が出たなとつくづく不思議に思う。自分はあの時、奇跡と遭遇したのかもしれない。
話が終わって部屋に戻っると戌月達も付いてきたのだが、霊慧丸のドヤ顔がとても輝いていた。先程の色々と無理矢理な茶番劇でよくこのドヤ顔が作れたものだ。それでも今は将斗達にとって、敬うべき年長者だ。
「どーよ年の功!」
「御見逸れしましたっス」
契約者と十二支が同時に頭を下げた。初めて二人の息が合った瞬間である。
今回は描写が全体的に上手くいきませんでした。スランプですかね? まあ私のようなものがいっちょまえにスランプなるのはあり得ないと思えますが。
さて、これにて陽組編は終わり、説明編の終わりを意味します。次回は日常編ということで、緩く行こうと思います。では次回も精一杯精進いたしますので、宜しく御願いします。