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十二支英雄見聞録・第一章・陽組編第七節

 リビングに電子音や、ボタンを素早く押す音、アーケードスティックのレバーを弾く音が響く。ガチャガチャと、平日の昼過ぎから電脳遊戯に勤しむ二人の背中は、現在流行りの自宅警備員を思わせた。

 地上デジタル放送に対応した、そこそこ大きいテレビは今、格闘ゲームの舞台となっていた。筋骨隆々でボロボロの道着を着込んだ大男と、スーツを着こなした殺し屋風の優男が、プレイヤーが素早く入力したコマンドに従い己の業を繰り出す。

 スーツ男が跳び上空から攻め、大男が大技を繰り出して応戦していた。徐々に両者の体力が削られていく。

 残り時間が十三秒になった時、大男が空中のスーツ男に向かって跳び、コマ投げ(コマンド入力で行う投げ)をし、スーツ男の胸ぐらを掴んで地面に叩きつけた。残り少ない体力は、コマ投げにより削り取られ、大男の勝利となった。画面にKOと表示され、勝利者キャラクターの名前も派手な演出とBGMと共に表れる。

 大男のプレイヤーだった将斗が、アーケードスティックから手を離し、大きくガッツポーズをした。

「しゃあッ!」

「だぁーっ! クッソ負けた!」

 逆に、敗北したスーツ男のプレイヤーである霊慧丸は、両手で髪をグシャグシャと掻き乱す。

 霊慧丸が将斗の家に住み初めて早一週間。彼女と将斗はすっかり打ち解け、長年の親友のような関係になっていた。職探し中の将斗は殆ど家に居るので、霊慧丸とよくゲーム等をして遊んでいる。覚えの早い霊慧丸は直ぐにゲームのやり方を躰で覚え、格闘ゲーム上級者の将斗と互角に渡りあっていた。

 因みに霊慧丸は、親兄弟と生き別れ宿無し、ホームレス●学生状態なので、どうか面倒を見てほしい(勿論嘘である)と宗光に頼み込んだ。寛大な性格をしている宗光は、快く化け狐に住む事を了解してくれた。

 現在の彼女の格好は、巫女服もどきではなく、昔将斗が中学生の時に使っていた学校指定の、小豆色をしたダサいジャージを着ていた。男二人暮しだった森重家に女物の服等が有るわけ無く、将斗のお下がりを代用していた。それでも彼女には大きいのか、ジャージはぶかぶかだった。

 宗光に金は貰っているのだが、霊慧丸に今の服等はよくわからず、下着以外は将斗のお下がりを着用している。

 小豆色のジャージを着ている霊慧丸は、前髪をヘアゴムで結びちょん髷にしていた。その見た目で将斗と並んでゲームをする姿は、なんというか、引きこもり気味の妹と引きこもりの兄が一緒に遊んでいるようにも見える。

 霊慧丸は、将斗が予備として買っていたアーケードスティックのレバーを弄りながら、ため息を吐く。

「はぁ…、いっつもいいとこまで行くけど、勝ちゃあしねぇや…」

「始めて数日の奴に負けねぇよ」

 互角、といってもいつも勝負の軍配は将斗に上がっていた。

 驚異の伸びを見せる霊慧丸だが、底力は将斗の方が上という事か。

「ぐぬぬ、このワシが若造なんぞに…またCOMレベルMAXトレーニングモードの一夜漬けだな」

「おいおいたまちゃん。そんな事したら、また父さんに怒られるぞ」

 ゲームにハマった霊慧丸は、すぐさまジャンキーになりかけた。昼も夜も、暇があれば電脳遊戯の世界に浸かりこんだ。たびたび現代の文化を見たことがあった霊慧丸だが、こうやって今の遊戯をやってみると面白いのなんの。昔ながらの遊びとは、刺激が違う。

 だが、直ぐに宗光の雷が落ちた。自重する時は自重する将斗と違い、枷が無い霊慧丸はどっぷりとハマり、宗光の顔色を伺い損ねた。簡単に何が起こったかを説明すると、めちゃくちゃ怒られた。霊慧丸から見れば宗光はかなり年下。年下に本気で説教され、好いている宗光に怒られるのは、二重に凹んだ。

 説教に懲りてか懲りずか、今では宗光の目を盗んでちまちまとゲームにいそしみ、将斗との対戦を楽しんでいた。

 森重家ルール、その一。ゲームは一日一時間三十分を二回まで。三十分と二回は宗光の良心によって追加されたものだ。

 もう時間なので、将斗がゲーム機を片付け始める。名残惜しそうに見つめる霊慧丸が、ふいに口を開いた。

「………なあ、将斗よ。戌月に逢いたいとは思わんか」

 時折出る、霊慧丸の古臭い言葉遣いから発せられた名前に、将斗はぴくりと反応した。

「逢いたくないよ、別に。他人だし。逢う必要ないし」

 一週間前には確かにあった、謝罪したいという感情。それは既に薄れ、興味対象外。このまま忘れてしまいたいとも思っていた。考えてみれば、あんな厄介の塊、関わりたくはない。

 右手の甲、戌の字。彼女の名前の頭文字。まるで行きすぎた愛により、女の名前の一部を刺青の様にして刻み込まれた気分だ。

「喧嘩、したんだろ。謝りたくないのか?」

 今謝りたくないと考えていた所なのに、改めて聞いてくるとはうっとおしい。

「話は聞いたが、戌月も悪いが、お前も悪い。喧嘩両成敗だ。ちゃんと謝りな」

「仲直りしたら、再会の契ってのしなきゃいけないんだろ?」

 脈絡無く、将斗は言った。自分はそれを心配しているんだ、と。

「まあ…場合によっちゃあな」

「それが嫌なんだよ。そんなのしちゃったら、巻き込まれるの確定じゃん。嫌だよ、そんな非現実的かつ危ないの」

 ――と、それらしく繕ってはいるが、実際は違った。

 ただ純粋に、戌月に逢いたくなかった。地雷を踏んだのは戌月だ。しかし、爆発したのは将斗本人。自分の人生で学んだ事を否定されて、子供のようにキレた。別にそれはいいんだ。それなら少し恥ずかしい失敗、でかたがつく。

 戌月に申し訳ない気持ちは、無かったと言えば嘘になる。なにもビンタをしなくても良かったと、反省はしていた。

 なのだが、会って謝る。これはしたくなかった。これでは、戌月の言い分が正しいと認める事になってしまう。何があっても、無償で他人の為に働きたくない、という考えを自分で否定したくはない。この考えだけは、変えたくない。

 将斗は子供だった。

「ガキ」

 一週間、将斗と時間を共有した霊慧丸は、彼がどういった人間かを理解しているつもりだ。故に、目の前のガキの腹の内が、大体想像し、皮肉を言った。

 ガキと変わらない。意地っ張りで無駄に頑固なクソガキ。自分の考えが正しいと思い込んでいるガキに、何を言っても無駄だ。霊慧丸は、何か考えておかなくてはなぁ、と呟いた。

 彼女の皮肉を聞き流し、ゲーム機を持ち上げた。そろそろ宗光が帰ってくる。今日の晩飯は何かな。


 ――いい加減にしろ。


 頭の隅で、誰かが告げる。

 すると将斗は、硬直し、ゲーム機を床に落としてしまった。派手な音を出して、ゲーム機が激突する。

「? おい、どうしたぁ」

 霊慧丸が驚き、怪訝な表情でゲーム機を拾い上げた。見たところ外傷は無く、取り敢えず安心した。

 次に将斗の顔を見上げた瞬間、眼を見開いた。まるで見てはいけない物をみてしまったようだ。将斗の顔に変化はない、いつもの将斗だ。眼が何かを捜し求めるかの如く動き回る眼を除いて。

「…捜さなきゃ…逢わなきゃ…あいつに……!」

 ぶつぶつ呟きながら、挙動不審者に近い動きで将斗は家を飛び出した。

 呆然としている霊慧丸は後を追わない。呆然としながらも、これはチャンスかもしれないと思い、止まったのだ。これで確実に、将斗は戌月と出会えるだろう。そうなるように、アイツが仕向けた筈だ。

 霊慧丸が嫌悪する存在が、なんとか吉となってくれる事に賭けた。



 走る。走る。走る。

 何度か転びそうになりながらも、将斗はアスファルトを蹴って走り続けた。

 学校のマラソン大会、体育祭でも本気で走ったこともなく、最近軽く運動不足だった将斗は、比喩ではなく、本当に死にそうになりながら走っていた。脇腹が痛い、激しい呼吸で口が乾く、喉の奥が血の味で満たされる。

 それでも足は止まらない。止まってくれない。糸に引っ張られる。違う。背中を押される。それも違う。直接脳の回路を支配され、機械が如く動かされていた。疲れと苦痛で、涙が零れた。

 自分は今、どこに向かって走っているのかは分からないが、何を目指しているかは理解していた。戌月だ。将斗は今、無償に彼女を求めていた。逢いたくない筈だったのに何故かと、自問自答を繰り返しながら。

 空は既に暗がり、星が暗闇で煌めいていた。

 徐々に、自分が何処を向かわせられているのか分かってきた。山だ。霊慧丸と出会った山とは違う。遠く離れた山だ。自分でも、よくここまで走ってこれたと感心してしまった。しかし、半端ではない足の疲労が蓄まっている状態で、山登りなんて勘弁してほしい。

 そう思っていたら願いが通じたのか、山に足を踏み入れると走る事を止めてくれた。

 止まってしまえば此方のものだ。それきたと言わんばかりに、その場に仰向けに寝転んだ。夜の空気に冷たくなった地面が、火照った躰を冷ましてくれて気持ち良い。どっと流れる汗も、土が吸い取ってくれた。故に肌や衣服が砂埃で汚れたが、気にせず夜空を仰ぎ見た。

 森の静寂に、将斗の荒い呼吸音が吸い込まれていく。当分動きたくない。横になっているのに、膝が笑うのを止めない。

 一度大きく息を吐いた時、近くで物音がした。驚いたが、まだ躰が言うことをきかないので、目線だけ音がした方に向けた。

 現れたのは、白髪に犬の耳と尻尾が生えた少女、戌月。当然か。彼女を探してここにまで来たのだから。彼女は最初、キョトンとしていたが、直ぐに将斗を認識し、駆け寄って膝をついた。

「えっ…御主人様!? なんで…?」

「俺が知りたいよ……クソッ」

 まだ感じる肺の痛みに耐えながら、吐き捨てるように呟いた。

 戌月の躰は、約二週間前、将斗と別れた時と変わらない、綺麗な状態に戻っていた。あんな悲惨な状態で傷を残さず回復するとは、馬鹿みたいな治癒能力を有している。将斗がそれを知ったら、戌月の事をより怪物視するだろう。

 憎々しげに、彼女を見つめる。そんな冷たい瞳に、少女は泣きそうな顔になった。嫌われるのが好きな奴はそうそう居ないが、戌月は特に敏感だった。長年付き添ってきた彼の魂を内包する彼に嫌われるなんて、それこそ死にたくなるような強いショックであろう。

 将斗が怒ったあの時の事を、何度も思い返し、再会できたらちゃんと謝ろうと決めていた。寅果には将斗も悪いと言われたが、自分に非があるとしか思えなくなっていた。彼女は馬鹿が付く程、真面目なのだ。

 自分から逢いに行きたかったが、気まずくて、ちょっと怖くて逢いに行けなかった。ジレンマに挟まれた二週間。辛くて、胸の内がモヤモヤに苦しんだが、チャンスが巡ってきた。

 だが、場は沈黙。言葉が喉に詰まって出て来ない。将斗の眼に見つめられて、怖じ気ついてしまう。また自分の失言により、怒らせてしまったらと、嫌な未来図ばかりが浮かぶ。

 緊張により、額に汗が浮かんだ。その時。

「ほっぺた叩いて、悪かったな」

「………へ?」

 突然の謝罪に、間抜けな声を出してしまった。右手で顔を隠している将斗を、驚きながら見つめる。

「え…あの……私こそごめんなさい! 貴方の気持ち、考えてなくて…御主人様傷つけて…」

「別にいいよ。他人の気持ちなんて、他人には分かんないし。俺も初対面の奴にキレちゃったし」

 将斗の言葉を最後に、また沈黙。しかし先程と違い、戌月の表情は明るくなった。先に何かをいってくれた。つまり、歩みよろうとしてくれたんではないか、と彼女は受け取ったのだ。

「……あーあ…謝る気なんて無かったのにな…」

「え……?」

「なんか知らんけど、急にお前に逢わなくちゃと思って、躰が勝手に動いた。そんでいざお前と逢ったら、急に頭の中がごちゃごちゃしてさ」

 先程の沈黙は、頭の中が混乱していた為らしい。今まであった感情とは違う、大量の想いが湧水のように現れ、思考をめちゃくちゃに掻き回した。

 謝罪する気なんて失せていたのに、想いを吐き出そうとしたら、謝罪の言葉が出ていた。不快だが、なんだ気分がスッキリとしていた。つっかえていた物が外れた気分だった。

「気付いたら謝ってた。……最悪。だけどスッキリしたわ」

 なんでだろ、と。

「ごめんなさい」

「謝んなくていいってば、もう」

 それでも彼女は、謝罪の言葉を言い続けた。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいと。壊れた機械の如く呟いた。辺りに沈んだ感情が籠もった言霊が飛び回った。

 謝罪なんていらない。それなのに繰り返す彼女に、将斗は苛つき始める。

「なんなんだよ…」

「ごめんなさい…私、こんな時なんて言えばいいのか分かんなくて……」

 なんて言えば分からず、謝罪を続けていた。これも、彼女が周りから馬鹿な娘と言われるが由縁だろうか。

 言葉で感情を彩るすべを知らない。それでは幼い子供と同じではないか。上手く感情を言えず、言葉よりも行動で想いを吐露する。今は行動ですら表現できていない。本当に数千年、眠りと目覚めを繰り返し生きている生物なんだろうか。その割りには、精神面がとても頼りない。

 だから原初の自分は、この娘を好いて、信頼したのかもしれない。綺麗な言葉で嘘を吐き他人を騙す輩よりは、まだ信頼に値する。感情を言葉で表現できないのは、裏を帰せば正直に人と接する事が出来る、ということではないだろうか。そう思うと、彼女の印象が良くなったような気がした。

 なんとか上半身を起こし、未だ謝罪を繰り返す戌月の頭に手を置く。

「もういいってば。謝るなよ。怒ってないから」

 そう言って、彼女の頭を撫でた。

 今までにないくらいの穏やかな顔。戌月は生まれ変わった主人の優しい表情を、初めて見た。

 それは涙が出るくらい嬉しくて、心より安堵できた。輪廻転成と繋がり、巡る魂の拠り所となる彼の躰は、見た目と性格は毎回違った。だが、根本的な物は一緒。それを今、確かに感じ取れた。自分を見つめてくれる瞳も、また懐かしい。思わず目尻から、涙が零れ落ちる。

 急に泣き出した戌月に驚く将斗。頭に置かれていた手を取り、両手で包み込んだ。まるで〝握手〟をするように。

「やっと…逢えましたね……!」

 涙を流しながら、声を震わせながら、本当の再会を心より喜んだ。

 将斗も、闘うのは嫌だが、彼女だけなら認めてもいいかもしれないと思い始めていた。これも、霊慧丸が嫌悪する存在の介入により生まれた、将斗の心境の変化かもしれない。

 ふと、少し違和感を感じた。戌月の手から淡い光りが、いや彼女の手に包まれている将斗の手が光りを発している。ぎょっとし、戌月の手を振り払うと、確かに光っていた。甲に刻まれた戌の字が。

 なんだか嫌な予感がする。

「あっ、完了したみたいっスね」

「完了って…なにが?」

「再会の契っス」

 点点点、と分かりやすい沈黙。

 何故将斗が沈黙したのか分からず、子首を傾げる戌月に、何も言わずに手刀を彼女の脳天に振り下ろした。一瞬戌月の頭が沈んだように見えた。

「きゃいんっ!」

「再会の契っス、じゃねーよ。何してんの? なんで契しちゃてんの? 何があって完了しちゃったんだよ!」

「いたた……。再会の契はぁ、誠意を込めて握手すれば完了っス」

「契って割りには、お手軽に出来んのね!」

 戌月は許した、が、再会の契をする気は、まったくと言っていい程無かった。契の完了は、わけの分からない闘いへの強制を意味する。

「どうしてくれるんだよ! 俺、契とかする気無かったんだぞ!」

「えぇっ!? そんなぁ…私はてっきり…」

 許してくれ、仲直りしたのだからしてくれるものだと。なんとも甘い考え。しかし都合よく、かつポジティブな妄想を思いつくほど、戌月の頭の中は幸福で溢れていた。嬉しい事があれば直ぐ頭が、良くも悪くもハッピーになるのも、また彼女だ。

 疲労で躰を震わせながら喚く将斗と、怒鳴られる度びくびくとしている戌月。はたから見れば、癇癪を起こした青年が少女を叱っている図にしか見えない。しかし、ある者達から見れば、可愛い痴話喧嘩と変わらないものだろう。

 騒ぎ、喚く、二人の空間。暗闇で、どこか和やかな雰囲気に、ある人物が割って入ってきた。

「諦めが悪いなぁ。事がなってしまったんだから、流れに身を任せなよ」

 現れていきなり将斗を嗜めたのは、隻椀の女性。虎の印象を受ける耳と尻尾が目に留まる。そして消失している左腕の肩口。露骨に見ないように、物珍しげにチラチラと眼を動かす。

「あぁ? 誰だこのアキバ系」

「猫娘とかなら言われた事あるけど、会っていきなりアキバ系って言われるの初めてだよ」

 戌月の姉にあたる十二支守護獣、寅果が、視線に気付いたのか肩口を押さえながら苦笑する。

「寅果姉様っス」

 戌月が簡単に紹介した。紹介された寅果が軽く会釈をする。

「いやーしかし、転生してまともになってくれたと期待したけど、今度はヘタレときたもんだ。戌月、君は男運ないのかもね」

 会ってまだ数分もたっていないのに、今度は皮肉を浴びせてきた。

 初対面にヘタレと言われ、将斗は食って掛かろうとしたが、口は戌月の方が早かったようだ。

「そんな言い方しなくていいじゃないでスか! 酷いっスよ姉様!」

 自分の主人を言われて機嫌を悪くした戌月が言った。ごめんごめんと、また苦笑混じりに謝る姉に、妹は頬を膨らませてまだ怒っている。

 自分の変わりに怒った戌月に呑まれて、言うタイミングを逃した将斗は黙っていたが、寅果が意識を此方に向けてきた。

「輪廻転生繰り返して姿形中身が変わっても、毎回毎回悪い所が強調されるよね、君も。まあ、今回は性格に難がある奴ばっかりなんだけどね」

 また放たれた皮肉に、ふがっと鼻をならしてしまった。

 性格に難がある。それは美空の事だろうか。将斗はそい思ったが、遠い眼をしている寅果は違う者を考えているようだ。

 軽いため息を吐いてから、寅果は手招きをする。

「おいで。君も巻き込まれたんだ。敵に一度会ってみるといい」

「敵……?」

「ボクらの敵って言ったら、狐狗貍でしょ。今居るんだよ、この山に」

どうやら寅果達は、この山に居る狐狗貍を滅殺しに来たらしい。戌月はそれの手伝いとして連れてこられた、いや、ついて来たのか。手記で読んだ、彼女の少年漫画ような正義感なら、自分で志願したに違いない。

 返事をする前に、将斗は寅果の指示によって戌月に担ぎ上げられた。小柄な彼女にこんな力が有ったのかと驚く。再会の契によって力を取り戻したからだろうか。それよりも、今から自分は怪物の所に無理矢理連れて行かれるのかと思うと、声を上げて暴れたい気分になった。



 薄明かりの月光に、鉄甲の武威が煌めく。

 詩織の鋼の腕。接近戦では攻守共に活躍する万能型の神器は今、役立たずの烙印を押されかけていた。詩織が憎々しげに見つめる先は遥か上空、狐狗貍は腕のリーチでは決してとどかない場所に居る。

 狐狗貍は詩織が取り逃がした芋虫の狐狗貍が、羽化した蛾だった。羽化前と同じ、毒々しい紫の躰に、模様の如く人間の口が不規則に配置されている。口は詩織を見下しているかのように、絶えず笑い声を上げており騒々しい。

 詩織は顔を怒りに歪ませながら、近くにあった木に手を掛けた。半実体化している腕を支えにして、右手を使い木を圧し折る。さらには葉が生い茂る上部も、手刀で折り、簡単な飛び道具を作り上げた。それを槍投げの要領で蛾の狐狗貍に投げ付けた。

 木で出来た槍は、神器によって得た強い腕力のおかげで、凄まじい威力と速度を得ていた。当たれば一撃必殺になりえるが、当たらないから蛾の狐狗貍は未だ生きていた。自身に向かってきている木槍に、丸めていた口吻を向ける。ストロー状のそれから、ビュッと茶色く濁った液体が大量に吐き出されると、木に直撃し煙を上げた。液体は強い酸性で、木を溶かしたのだ。

 残っていた液体が地面や詩織にも降り掛かる。

「チッ!」

 舌打ちをしながら、液体を躱す。

 このパターンを何度繰り返しただろう。この距離感と、あの酸性の液体により有効な一手が決まらないのだ。徐々に詩織の中に、変わらない展開に怒る感情蓄積れていく。液体により焦げた地面を、荒々しく蹴つけ、意味もなく拳を構えた。

「おいおい、あんまむしゃくしゃすんなよ。気楽に行こうや」

 後方から、詩織が苛つきを感じるもう一つの存在から掛けられた言葉に、さらに彼の神経を逆撫でた。

 己の神器である〝双銃・まなこ〟をくるくると回して持て余している青年、美空がニヤケ面で胡坐をかいて座っていた。

「貴方も座ってないで手伝ってくださいよ!」

「んなこと言ったってなぁ…見てたろ? あいつの鱗粉。心から、イヤ、ぜんっしんっぜんっっっれい! で憎たらしいが、アレのせいで俺の攻撃が通られねぇ」

 美空が銃口で示すのは、蛾の狐狗貍の羽の周囲。よく見ると、キラキラとした鱗粉が大量に待っていた。この鱗粉の壁が、美空の攻撃は防いでいるのだ。

 美空が双銃から撃ちだす弾丸は、元素解放型故に発生させられる電気エネルギーを一時的に圧縮した物だ。一時的と言うのも、的に着弾すると拡散するようにしているので、圧縮というにはとても不安定だった。その不安定な電気の弾丸は、鱗粉の壁に当たると、鱗粉に拡散し、電気が流されてしまうので蛾の狐狗貍に当てる事ができない。現在の美空では攻撃することが不可能に近い状態なのだ。

「あれやればいいでしょう。えーと……」

「超鋼出力射撃?」

「そうそれ!」

「無理無理。あれ最低でも10分くれぇタメなきゃ撃てねぇし。そんな時間ないだろ、おい」

 確かに、悠長に待ってられる時間はない。

 詩織は舌打ちをしながら、酸性の液体を躱していた。蛾の狐狗貍の狙いは詩織らしく、先程から集中して狙っていた。美空はちょっかいを出さない限り無視されている。

「バカ辰…いや、小夜衣が居りゃあな。あんな蛾、ソッコーなんだけどなぁ」

 小夜衣は辰雷の固有武器だ。居れば、ではなく有ればが文体として合っているのだが、美空が良い間違えた風ではない。

 辰雷には既に連絡してある。だが、待てども待てども彼女はこない。寄り道しているのか、それともトラブルにでもあったか。どちらでもいいが、さっさと来てもらわれねば困る。辰雷が居なくとも、やろうと思えば攻略法があるのだが、時間が掛かったり、小夜衣が無ければ意味が無かったり、決定打に欠ける。

 あーめんどくさっ。呟やきながら代わり映えのない展開を繰り広げる、詩織と蛾の狐狗貍のやりとりを眺めていた。考えてみれば、なんで自分がアイツの尻拭いに付き合わなければいけないのだろうか。取り逃がして、今の面倒な場面を作ったのは詩織なわけで、自分は関係ない。それに一度標的を探すのを手伝っているので、これ以上手伝う筋合いは無い。じゃあもういいや、帰ろう。

 十二支の契約者ならば、狐狗貍の滅殺が使命なので手伝う手伝わないも無いのだが、これが彼だ。自分の事を以外、考える必要などない。自己中心的を体言しているのが美空なのだ。

 時間無駄にしたなー、と思いながら立ち上がる美空。すると背中側の茂みからがさがさと音がした。彼の能力なら振り返らずも、だいたい誰かくらいはぼんやりと分かるのだが、敢えて振り返った。

「おほっ、いんりんじゃ〜ん。お疲れちゃ〜ん」

 軽い調子で現れた寅果に挨拶したが、彼女は無視して自分の相棒の様子を伺う。蛾の狐狗貍から吐き出される酸性の液体を躱してばかりで、防戦一方の詩織を見て苦々しい表情をした。

「苦戦してるね」

 無視された事に、わざとらしくショックを受けたように肩を落とした美空が、寅果の後から現れた戌月と将斗に気付く。戌月に背負われている将斗も、トラウマの塊である青年を認識し、顔を強張らせた。

「よぉクソガキ。元気だったか、ヒヒッ」

 また嫌な三日月を見てしまった。よこしまな三日月に脳が刺激され、押し込まれていたトラウマの記憶が沸々と蘇ってくる。美空から隠れるように、自分より小さい戌月の頭に顔を重ねた。まだ消えていない糠の臭いが鼻孔を擽る。

 ふと将斗は、空から大きな羽ばたく音が聞こえて上空を仰ぎ見た。そして、とても驚いた。

「! なにあれモ●ラ!?」

 空を飛ぶ紫色の某大怪獣似の蛾の狐狗貍に目を奪われる。初めてみる狐狗貍、口が沢山付いていたり、躰全体が眼に悪そうな紫色だったり、慣れていない将斗には表現しにくい怪物だった。

 しかし、悲鳴が出るというのは、まだ心理的には余裕があると言うことだ。自称ペドフィリアの河童等で、少しは耐性がついたのだろうか。

「キモい! 主に羽がキモい!」

「うあっ!? 御主人様、耳元で叫ばないでほしいっス!」

 リアル怪獣を見て騒ぐのはいいが、耳元で叫ばれている戌月はたまったものではない。しかも戌月は戌の十二支、聴力が高いので更に大変だ。

 子供のように喚きたてる将斗に、美空と寅果は呆れている。記憶が殆ど無く、これが初見というのも分かっているが、やはり情けない。見ていて見苦しい限りだ。

 大声でキモいキモいと連呼していたせいか、蛾の狐狗貍が詩織だけではなく、将斗達にも意識を向けた。本能で彼らに決定打が無いことに気付いているのだろう、感情を表せない虫の顔だが、どことなく余裕かつ舐めたな表情に見える。

「!?」

「…おいクソガキ、テメェがウゼェから奴さん、こっちをロックオンしちまったじゃねぇか。めんどくせぇなおい…!」

 蛾の狐狗貍に狙われ、恐ろしい美空からはドスの効いた声で凄まれる、将斗は泣きたい気分になった。

 敵が狙っているのは、何も将斗だけではない。相手は空という優位な場所から、比較的安全に攻撃ができる蛾の狐狗貍が狙っているのは、寅果達も含まれている。なのだが、二人とも焦っている様子はない。寅果は、攻撃を躱している詩織を心配そうに眺めているだけだ。

 犬は鼻が利く。虎、もとい猫も犬ほどではないが匂いに敏感だ。故に二人は嗅ぎとっていた、美空が苛々しながら待っていた者の匂いを。

 蛾の狐狗貍は、大して強くはない。前に詩織が言ったように、蟲型は分裂して増殖できる特性があるが、一個体が弱過ぎる。元々狐狗貍は動物がモチーフの個体が主体だ。なのでたまたま生まれた蟲型は殆どが強くはない。まったくの偶然で生まれた蟲型は、創造主に愛される事はなく、力を与えられる事は無かった。

 では何故、戦闘力が低い蟲型の狐狗貍にこうも苦戦しているのか。分かり切っているが、それは高さと鱗粉、この二つによる。蛾の狐狗貍の居る高さは、脳のリミッターが馬鹿になって得た身体能力を用いて跳躍してもとどかない。これにより、神器、神威共に接近戦に特化した詩織は、木を折って投げつけるという非効率的な戦闘を強いられていた。本当なら自分一人で楽しみたかったのだが、どうも具合が悪く美空に協力を求めたが、蛾の狐狗貍の鱗粉と彼の攻撃は相性が悪かった。美空も攻撃をそうそうに諦めたのも、鱗粉のせいだ。本来蛾の鱗粉は蝶の物より量が多いのは、水や蛛の巣から助かる為だ。しかし、大量にある鱗粉は羽ばたく度こぼれ落ちる。その鱗粉が、美空の攻撃を意味の無い物にする。

 ならば逆に考えてみよう。鱗粉は多量に吸い込まなければ無害、ならば蛾の狐狗貍より高く跳べばいいだけだ。酸性の液体も、高く跳んでしまえば問題ない。簡単な事だが、実行が難しかった。だが彼女が来た。

 地球上の生物で、竜より高く翔べる生物はどれくらいいるのだろうか。夜空の星々の光を人影が遮る。将斗は空に、二つの黄金の角と、鈍色の刃の輝きを見た。高く、高く跳躍して、遅れてやって来た辰の化身は、薙刀である小夜衣を蛾の狐狗貍の右の羽に振り下ろした。

 薄い羽に大きな斬り込みが入れられ、蛾の狐狗貍の無数の口が悲鳴を上げた。そんな耳障りな悲鳴を背負って、辰雷はふわりと着地、人懐っこい笑みを浮かべて皆にVサインをする。

「おっまったせぇーっ! たっちゃん只今参上して―――ぶほぉっ!?」

 一度詩織の肩にお疲れという言葉の変わりに手を置いてから、屈託のない子供のように、軽い足取りで皆に近づいたら、立ち上がった美空に腹部を強く殴られた。所謂腹パンである。

「おっせぇんだよテメェはよおォォ! 何してんの? 好みの爬虫類(仲間)でもいて、追っかけてたのか、えぇおい!?」

「やっ…竜とかドラゴン、爬虫類っぽいけど……完璧な爬虫類ちゃうし…おぉ…お腹痛い…」

「じゃあなんで遅れた?」

「純粋に道に迷った、って言ったらどうするぅ!?」

「こうするぅ!」

 と、叫んだ直後に美空のトゥーキックが辰雷の脛にめり込んだ。

「いっぎゃあ!!」

 脛は弁慶の泣き所。そこを強く蹴られた辰雷は崩れ落ちる。口をきつく結び、脛を押さえて情けない顔をしている彼女に、美空は見下し、一緒に地面に落ちていた小夜衣を拾い上げた。元々辰雷ではなく、小夜衣を求めていたので、脛を押さえている馬鹿はこのままでいい。むしろ唾を吐きかけて放置だ。因み将斗は辰雷が想像していたよりまともだったので、安心していた。小夜衣の刃を指でなぞり、柄を地面に突き立てた。

「小夜衣、解放」

 美空の許可が下りると、小夜衣から神器や固有武器召喚と似た光を発せられた。目が眩む閃光、とまではいかなかったが、小夜衣全体を包みその姿を隠す。美空が手を放しても光を放つ薙刀は直立していた。光は膨張していたが、急に収縮し、弾けた。小さな光が当たりに飛散し、しばし幻想的な光景に目を奪われる。

 完全に光が消滅すると、今度は小夜衣だったものに目を奪われる事になった。直立していた薙刀は、倒れている辰雷とうり二つの姿になっていた。長い艶やかな黒髪や顔立ち、金に輝かく角はまったく同じと言っていいが、衣服は違う。辰雷は翡翠色のスリットが深く入ったチャイナドレスだが、彼女と似た女性は薄着の着物のようなものを着ている。そして、眼に生気がなく、活発的な辰雷とは対照的にぼぅっとした印象を受ける。

 将斗が口を開けて驚いていると、戌月が説明してくれた。

「辰の十二支は特殊なんっスよ。契約者が元素開放型と言えど、辰雷姉様は電気と水、二つの元素を操れるし、固有武器を人間形態にできたり」

「お前もできんの?」

「いやいや、私も含めて辰雷姉様以外、誰もできませんよ」

 苦笑する戌月。やはり辰、つまりは伝説上の竜だけあって特別なのだろうか。話をもう少しよく聞くと、何故小夜衣が人間形態になれるのかは、どうしても教えてくれないのだという。

 また秘密か、将斗は心中で呟いた。狐狗貍の深部を子の十二支は秘密にしているそうだし、十二支自体の誕生だってそうだ。秘密ばかり。前の自分と同じで、探究心が擽られる。闘いに身を置くことになるんだろうが、いつかこの秘密が解明できればと、密かに思う。

「さあ…小夜衣。派手に殺ろうぜ」

 無口な辰雷、小夜衣の肩に腕を回すと、美空は舌を出してまがまがしい笑みを作る。それを見て将斗の背中を悪寒が駆け巡った。体が小刻みに震える。戌月は察するが、何故主人が震えているのかは分からなかった。

 美空が小夜衣に何か耳打ちした。小夜衣は何も言わず、右手を差出し、指を鳴らした。すると、羽を切り裂かれ狂ったように叫んでいた蛾の狐狗貍を、大きな水球が捕らえた。辰雷が美空に使った水牢より遥かに大きいものだ。痛みの中、水牢から抜け出そうと蛾の狐狗貍が大暴れしているが、無駄であった。水牢は破られる気配は無い。暴れる度、澄んでいた水は鱗粉で濁る。羽模様の口からはゴボゴボと水泡が漏れていた。自分の真上に巨大な水牢が出現し、呆気にとられている詩織を余所に、美空は双銃の片割れを水の塊に向ける。

「ヒヒヒヒ。チョーシ乗って上から攻撃してた気分はどうよ。最高にテンション上がったべ。愉しいよなぁ、他人見下して、一方的に攻撃すんの。俺も大好きだから、今からしてやるよ。安心しなぁ。一発でやってやんよ。一発で、頭沸騰するみてぇな苦しみ、くれてやっからよォ! ヒャハハハハハハ!」

 美空の高笑いが、暗い森に木霊したと同時に雷の弾丸は撃ち出された。

 眼で追える速度ではないスピードで放たれた弾丸は、直ぐに水牢に着弾した。水が電気を通しやすいのは小学生でも分かる。本当はもっと伝わりやすい液体が在るが、贅沢は言えない。着弾した瞬間、森は一気に昼間以上の輝きに包まれた。水牢の中で、蛾の狐狗貍が死ぬ直前まで苦しめようと、悪意の雷が暴れまわっていた。フラッシュグレネードのような閃光に何も見えなくなるが、バチバチという爆音と、美空の途切れぬ高笑いははっきりと聞こえた。閃光と爆音と笑い声はなかなか終わらない。笑い声はしょうがないとして、爆音は苦しんでいる蛾の狐狗貍の悲鳴のように聞こえて、気持ち悪い。戌月も同じ思いなのか、犬耳を閉じている。

 やっとすべてが終わった。音が止み、眼が見えるようになるまえに、大きいものが落ちる音がした。眼が回復すると、物言わずの黒焦げ死体となった蛾の狐狗貍が居た。意外にも形はちゃんとしている。これのおかげで美空がじっくり焼いたのがよく分かる。先ほどの事で、一般人が気づくのではないかと思ったが、心配いらない、と寅果が言った。そういえば、記憶と情報を操作できる十二支がいたんだったか。

 見事な仕事をしてくれた小夜衣の頭をワシャワシャと撫でながら、美空は復活していた辰雷と口喧嘩していた。辰雷は腹パン等について文句を言っていたが、美空は皮肉で返している。悪口が飛び交う中、いつの間にか小夜衣を元の薙刀の姿に戻していた。

 凸凹コンビの二人を見ながら、この死体はどうなるんだろうと将斗は思っていたが、死体は嫌な音を出しながらゆっくりと蒸発していった。

「自然現象で狐狗貍は生まれなかった。だから命を失うと、世界は跡形もなく彼らの存在を消す。世界は拒絶するのさ、本来生まれなかったモノを。って、僕らのリーダーは言ってたよ。つまり、狐狗貍は創られた存在。あの人が唯一漏らした狐狗貍の情報さ。まあ……どうやらボク達も、誕生を世界に望まれなかったみたいだけどね」

 将斗に説明するような口調だったが、寅果の瞳はとても遠くを見つめている。将斗には分からなかったが、姉弟であった彼もまた、命と共に跡形もなく消えてしまったのだろうか。



「明日、僕の家に来てください。住所はここに」

 そう言って詩織は、将斗に二つ折りにした紙を手渡した。

 既に美空達はこの場に居ない。元々詩織に頼まれて来ただけだ。仕事が終われば、そそくさと帰ってしまった。将斗からすれば、彼の中で簡単に恐怖の象徴となった男がさっさと消えてくれてほっとした。美空が近くにいるだけで、胃に穴が空きそうな程のストレスを感じてしまう。

 情けない事に未だに戌月に背負われている将斗は、彼女の背から紙を受け取った。もう成り行きに任せるしかない、将斗は腹を括っていた。紙を開いて住所を確認すると、隣街の住所だった。紙には住所だけではなく、時間も指定されている。

「先程寅果から聞きましたが、再会の契を結んだそうですね。これでやっと陽組が揃いました。………既に1人欠けていますが」

「え?」

「いえ、独り言なのでお気になさらず。明日は陽組が全員揃った記念として、顔合わせになります。ではまた明日」

「あぁ、また明日……ってちょっと待てよ。こいつどうすんの?」

「戌月さんですか? どうするも何も、再会の契を結んだんでしょう。ならば貴方が飼ってくださいよ。もう彼女は貴方の飼い犬です」

 飼うやら飼い犬やら言われ、戌月はショックを受けた様子だったが、将斗も困っていた。家にはもう狐を飼っているので、戌月をどう説明しようか悩む。そんな将斗を尻目に、寅果が戌月に荷物を渡していた。戌月の服等だそうだ。寅果が妹の為に現代の衣服等を勝って置いたらしい。

 渡す物を渡すと、寅果達も直ぐに帰ってしまった。将斗も諦め、戌月は霊慧丸になんとかしてらおう、と考えながら帰る事にした。戌月に道を教えて、運んでもらうのはいいが、また将斗と一緒に居れて嬉しいのかスキップのように歩く。おかげで帰宅時には首が痛くなっていた。

 取り敢えず、家に帰ると宗光にこっぴどく叱られた。内容は覚えていない。今回は疲れ過ぎた。家に帰った安心感で頭がぼーっとしていたのだ。怒った状態で戌月を紹介で出来るわけはなく、姿を見えなくして貰った。説教が終わると、宗光は心配していたという言葉をくれたが、それも頭を通り過ぎるだけだった。その後、なんとか風呂に入り、自室のベットに潜り込む。足腰の疲労感と精神的疲れが酷い。明日は筋肉痛だろうな、と考える間もなく、意識は睡魔の濁流に飲み込まれた。



 また、夢を見た。前回の夢を覚えているわけではないが、なんとなく初めての感覚ではない。夢は一人称視点や三人称視点等に岐れるが、今回は上空から見下ろすような三人称視点だった。

 そこには傷だらけの少年と、某アニメーションに出ていた山犬のような、大きな白い犬が居た。辺りの風景から、山の中というのが分かる。少年は至るところから血を流していて、白い犬に寄り掛かっている。犬は毛が汚れるのも気にせず、傷口を舐めていた。消毒のつもりだろうか。

 すると将斗は、前回の夢を思い出した。そして、直感だが、この犬は前回の子犬が成長したものだと気付いた。ならば、あの青年はどこに行ったのか。何故青年ではなく、少年が犬に寄り添っているのか。

 簡単に分かりそうな疑問が、何かに遮られて答えが出てこない。ふと、少年と犬が動きを止めた。まるでビデオの一時停止をしたように。彼らだけではない、夢の世界の時間そのものが停止している。更に予兆無しに、時が止まった世界が崩壊する。美麗なるステンドグラスに、岩を投げつけたかの如く、世界は粉々に砕け散った。

 現れたのは、いくつもの映像が高速で再生される世界。ずっと見ていると気分が悪くなりそうな、脳が処理に困る程の速度で映像が再生されている。映像に登場している人物の判別すら不可能だ。

 困惑する将斗はある異形を発見した。世界の真ん中に立つそれは、人にも見えた。身長は将斗と同じくらい。躰は別々の人間から寄せ集めた、フランケンシュタインのようになっている。無数にあるツギハギからは、黒い膿が垂れ流しになっており、顔はおろか、肌本来の色すら分からない。黒き異形は、何故か頭以外を鎖でがんじがらめにされ、封じられていた。

 不思議に思った将斗は接近を試みる。どうして近付こうと思ったのかは分からない。これも直感だ。

 すると膿でのっぺりとしていた異形の顔に、口が出現する。実際には口に見えないが、よくわからない言葉を叫んでいるから、口の筈だ。気味が悪い言葉は、呪咀にも思え気持ちが悪い。将斗が思わず後退った瞬間、異形の腕の部分を封じていた鎖が弾け飛んだ。鎖の破片が将斗の躰に当たる。膿が一緒に飛んできて、痛みと共にベタベタした嫌な感触がした。鎖の一部から解放された異形は、左右にゆらゆら揺れると正面に倒れこんだ。驚くリアクションをする間も与えられず、更に異形は将斗を驚かせた。解放された両手を使い、将斗の方へ這ってきたのだ。

 呪咀は吐きながら、凄まじい勢いで這ってくる異形に、将斗はなんとも言えない迫力と恐怖を感じた。異形が迫った瞬間、将斗の意識は映像の世界から離れた。



「――――――ッ!」

 夏場の蒸し暑い夜中くらい汗をかいて、将斗は飛び起きた。なんだかとてつもない悪夢を見た気がするが、内容は思い出せない。映像の世界の記憶は、またも奪われていた。

 将斗は悪夢を忘れているので、自分が何故大量に汗をかいているのか考えていた。もうすぐで夏がくる季節だが、部屋が暑いわけではない。思考を巡らせていた将斗は、汗だくの理由を発見した。

 ベットの中に戌月が入ってきていたのだ。部屋に戌月用に敷いていた布団から、いつの間にか将斗のベットに移動してきていたのだ。だから暑かった、そうかそうか。理解した将斗は直ぐに行動を起こした。

 生まれたての子鹿状態の足腰に鞭をうって、将斗は戌月を廊下に運んだ。戌月の体重の軽さと、早寝遅起のため眠りの深さが幸いし、案外楽に運べた。勝手にベットに入ってきて罰として、部屋の外に放置。躾は大切だ。

 翌日、どうして自分が廊下で寝ていたのかと、混乱している戌月を見ているのは楽しかった。

またも更新が遅れてしまった事を、後書きで謝罪することをお許しください。申し訳ありません。


さて、お次で陽組編は終了でございます。つまりは説明回の終わりでごいます。将斗が主人公らしく活躍するのは…いつ頃ですかねぇ。

では、次回も精一杯精進致しますので、宜しく御願いします。

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