十二支英雄見聞録・第一章・陽組編第四節
ども、就活組も進学組も大変な時期ですよ、仮面3です。
更新が遅くなった理由はコレですよ、ふふふ…、夢も希望も、私の眼には見えません…。
神器を覚醒させに来た、そう告げた木嶋詩織に連れられ、将斗は近くの裏山に来ていた。
将斗が暮らす街にはそこそこ自然があり、名もない山なんかもある。しかし、この山はゴミの不法投棄等等があり汚なく、一ヶ月に数回役人が来る程度。一般人が来る事なんて滅多に無い。
開けた場所に着き、足を止めた詩織に将斗がなんでここに来たのか、と聞いた。
「だって、ここなら人の目を気にする必要ないじゃないですか」
「いや、もろ人いんだけど。ほらそこに寝てるじゃん」
と言って指差した方には、確かに人が居た。青年が今にも壊れそうなベンチに寝転がって、ボーと空を眺めている。将斗達の会話が聞こえたのか、此方に向かって手を振ってきた。
「あぁ、彼も僕らの同類ですよ。ちょっとこの辺りとその他を見張って貰っているんです」
「見張ってる? あいつ寝転がってんのに、どうやって見張るんだよ? つーか空見てんじゃん、どこ見張ってんだよ」
「この街と北海道、青森県と秋田県、そして岩手県と宮城県です」
「…………なんですと」
信じがたいが詩織の言った事は本当である。
「確か貴方、戌月観察手記という日記を持っているらしいですね。だったら書いていませんでしたか? 辰の契約者の〝神威〟」
そう言われ、将斗は何度も読み返した戌月観察手記の内容を思い出した。
神威とは、十二支守護獣と契約した者に与えられる異能、人間が本来持ち得ない力を開眼する事ができる力だ。現代で言えば超能力に目覚める感覚だ。その能力は十二支それぞれ、とは言えず、少々偏っている場合もある。何にせよ、契約者は十二支守護獣の力の鍵という役割だけではなく、闘う武器と能力を与えられているのだ。ただし神威は体力の消費が激しいため、乱用はできない。その武器が、今から覚醒させようとしている神器である。
因みに辰の契約者に与えられる神威は〝千里眼〟。どんな場所でも、どんな角度でも、契約者が望めば観る事が可能だ。といっても、実際観ている訳ではなく、脳が形を捕らえている程度なので、そこまで細かく把握はできない。なので犯罪行為には適していない。一応解像度を上げる方法があるが、それは見える範囲と距離をかなり狭くする必要があり、体力をより消費するためあまり乱用できない。そして千里眼という名前だが、距離は関係ない。契約者の脳の処理が間に合えば、今の契約者の様に広範囲で、一気に様々な場所を別々に把握できる。なので、現在の契約者の能の処理速度と許容量が、常人を逸している事が分かる。
「まあ、記憶が蘇っていない貴方には神威開眼は難しいでしょうから、今は神器の覚醒に集中しましょう」
「つーかやるって一言も………なんでお前、記憶の事…」
詩織に記憶の事を言った覚えはない。
「彼が見てましたから。貴方の犬が目覚めてからずっと」
またも会話が聞こえたのか、空を眺める辰の契約者がVサインを送って来ている。
覗かれていた事実を知って、将斗の血の気がさぁと引いていった。
「あー、大丈夫ですよ。彼の千里眼は敵の監視に適していますが、覗きには向いていませんのでご安心を。」
「じゃ…じゃあなんで記憶の事…」
「盗聴器を仕掛けたそうです」
家に帰ったらやる事は決まった。盗聴器を探そう、と将斗は心に決めた。
「今は神器です、じ・ん・き」
「やっ、だから」
「一応知識があるでしょうが、僕が少し教えて差し上げましょう」
ことごとく無視をして、無理矢理話を続ける詩織に、将斗は久しぶりに本気で苛ついた。戌月に感じた苛つき並みである。
「神器は契約者ごとに形が違います。それだけではなく、転生する度形を変えます。根本的な形はそのままですが、転生する度、何かに影響されて、少しずつ形や大きさが変わっていくのです。まあ、大抵守護獣に影響されるので、守護獣の固有武器に似通った物になるんですがね」
そういえば、戌月観察手記に昔の将斗の神器について記されてあったような。確か刀、日本刀に近いだとかなんだとか。
「まあ中には、神器の形がかなり変化する場合もありますけどね。例えば柳葉刀型だったのに、双銃型に変化した彼みたいに」
そういって、辰の契約者をチラリと一瞥した。つられて将斗の視線も動く。
「じゃあそろそろ説明を終わりにして、実際に見せますか」
記憶が蘇っていないが、将斗も基本知識を持っているので、早々に説明を切り上げ実際に見せよう、と。 将斗から少し離れ、右手に巻き直していた包帯を外し、獣印を見せ付けるように上げた。すると手の平の寅の文字が薄く光りを放った。その拳を強く握り込むと、光りが飛散し両腕を包み込んだ。文字通り光りに包まれた腕に、少し力を加えると再び光りが弾け飛ぶ。光りが消えると、詩織の右手にはガントレットの様な手甲が装備されていた。黄色と黒の荒々しい虎縞模様のガントレットが、肘から指先まで包み込んでいる。五本の指先には、刃物の如く煌めく爪が生えている。
右手を軽く振ると、金属が擦れる様な音がした。
「おぉ……!」
目の前で起きた非現実的現象に、否定的な将斗も感嘆の声を上げた。十二支守護獣等は信じると言ったが、将斗は自分の眼で見ないと信じられい様なタイプ。実際に神器やら神威も、心のどこかで胡散臭いと思っていたのだろう。将斗は今月一番の驚いた顔をしていた。驚きに眼を開いて、見入っている。
「これが僕の神器、鎧甲・腕です」
自分の鎧甲・腕を見て、今までリアクションの薄かった将斗が良い反応をしてくれたのが嬉しかったのか、詩織が少々ドヤ顔で神器の名前を告げた。
しかし将斗の表情が徐々に目を細めて、ん? という表情に変わっていくのに気付いた。
「……? どうしたんですか?」
「いや、なんか左手にうっすら見えんだけど」
将斗が指摘した通り、詩織の左手には右手の様なガントレットが出現していた。が、色素が薄いのか、肉眼で分かるか分からないくらいに透けていた。
詩織が苦笑しながら透けている鎧甲・腕を、右手で触るとまた金属が擦れる音がしたので、ちゃんと実体化はしているらしい。
「あー…これは……ちょっと僕の相棒に問題がありまして…。強度は弱くなってますが、一応実体化はしています」
神器は各々の名前が示す通り、身体の一部を擬似的に武器へと変換している。但し、再会の契を交わした契約者と守護獣は、鍵と鍵穴の関係、言わば一心同体なのだ。なので守護獣と契約する事で手にできる神器は、武器を模している身体の一部が、どちらかが欠損している場合、上手く実体化ができない。詩織の場合は寅果の左腕が消失している為、左手の鎧甲・腕が不完全実体化しかできないのだ。
詩織からの説明に、へぇーと他人事の様な生返事を返す将斗。実際に見せられて驚きはしたものの、自分には前世の記憶が無い。だから自分自身もこんな武器を出せるとは信じきれないのだ。
「では貴方もやってみてくださいよ。僕のを見て、感覚くらいならなんとなく思い出したでしょう?」
「いや、全然」
速答で返された返事に、詩織はため息をつきながら肩を落とした。将斗のやる気の無さに落胆したのもあるし、記憶が引き継がれていない厄介さにも面倒くささを感じたためである。
「こーゆー非現実的なの興味無いけど、覚醒? させなきゃ帰してくれないんだろ?」
「当たり前です。手柄無しでは面目丸潰れですし」
「面倒くっさ…でも早く帰りたいし。やってやっからよ、出し方とか、コツを教えてくれよ。だったらなんとかなりそうだし」
将斗の自分で考える気無しの言葉に、詩織は鎧甲・腕の爪で傷を作らない様に気を付けながら顎に手を当てた。
「コツ……やり方………ぶっちゃけ無いですね。そんなもの」
「はぁ? いや有るだろ、そんくらい。なきゃ俺が困る」
「そう言われてもですね……僕達契約者は、数千年前にこの神器を与えられて、ずっと使ってきてるんです。最早神器の実体化は僕達にとって、呼吸をする並みに容易いのです。コツなんて考えた事無いですし、初めて実体化した時は昔過ぎて流石に覚えてません」
記憶の劣化。なんど繰り返して再生した映像記録媒体の様に、何度も受け継がれてきた記憶は擦れ、ノイズが走り始める。
両手を軽く上げ、お手上げのポーズをする詩織に将斗は呆れる様にため息をついた。その姿を見て、なんでお前がそんなに上から目線なんだよ、と詩織は内心で毒づいていた。
詩織が将斗に負けないくらい深いため息を吐き出すと、実体化していた鎧甲・腕を光に戻し飛散させる。出していても無駄だと判断したのだろう。根本的にやる気の無い者に、目的を達成させる事は難しい。半ば無理矢理連れてきてやれ、という自分にも非があるだろうが、彼は一応やってやると言ったのに、この他力本願の体たらく。それに今も、虫が口に入っても気付かない様な無気力な表情をしている将斗に、神器の覚醒できるのだろうか。詩織自身の勘が告げている、頗る難しいだろう、と。
綺麗な肌が現わになった手で自分の顎を撫でながら、どうしようか、と呟いていたら、今までベンチに寝転がっていた辰の契約者がムクリと起き上がった。そして気だるそうに二人に歩み寄る。十分な距離まで近寄ると、身長が二人より高い為詩織を見下す様に見た。近くに来た為分かったが、脳を酷使した為だろう、鼻血がボタボタと垂れ流しになっていた。
「標的の正確な場所が分かったぜ。お前がやるつったろ? また移動する前にいけよ」
「でもまだ彼の…」
辰の契約者にポケットティッシュを渡しながら、チラチラと将斗を見る。詩織が気に掛けている当本人は、帰れるかもしれないと表情を明るくした。だが、受け取ったティッシュで詰め物を作り、鼻に押し込んでいる男がそうはさせなかった。
「別にいきゃあいいだろ。この俺様がわざわざ探してやったんだ、無駄にしてんじゃねーよ」
「そうですが……」
「だったらこのガキの面倒、俺がみてやんよ。こっちの方が楽そうだし」
「おい、ガキってなんだよ。俺はもう十九、アンタ何歳だよ」
ガキと言われむっとした将斗が食って掛かる。
「ざぁ〜んねぇ〜ん。俺様はニ十三。お前より四つ大人のお兄様だよ。まだ未成年のクソガキとは、ちげーんだよ」
ムカつく。
実際に辰の契約者と話して数十秒で得た彼の印象は、非常に簡単なモノであった。
軽く睨み付けている将斗を無視しながら、契約者は詩織に早く行けと、顎で指示した。少々渋り気味の詩織は、ニ三度二人の顔を交互に見た後、軽くため息をついた。
「やり過ぎないでくださいよ…貴方は人間にもやり過ぎるので」
「モチコース♪ 俺だって、加減くらいできらぁ」
口角を少し上げながら軽口を叩くこの男に、いかんせん心配を抑えきれない。この男は文字通りやり過ぎる事が多い。例えるなら、人を殺すと宣言したら、翌日には拷問の限りが尽くされ、バラバラに解体しミンチにした焼死体を作り上げる、そういう男だ。できれば将斗と辰の契約者をふたりっきりにしたくはない。
しかし、この場に止まっていたら自分まで何をされるか分からない。それに今回の標的は、自分がやるといきまいて宣言してしまったので取り逃がしたくはない。悩んだ末、流石にこいつでも初心者に大怪我はさせないだろうと考え、後ろ髪を引かれる思いで詩織はこの場所を後にした。
「さぁーて、真面目っ子が居なくなったから自己紹介と行こうか。俺は辰の契約者、美空だ」
「美空……だけ?」
「そっ! 美空だけ」
なんだか姓か名、どちらかよく分からない名前だ。どこか派手な格好をする某歌手を思い出させる。
「そんで歳はさっきも言ったがニ十三。好きな物は林檎と若くてキャワイィ女かっこ二次元も可かっこ閉じ。趣味は……大声じゃいえねぇわな。好きな二字熟語は金銭、盗撮、痴漢、露出、性義。動力源は物欲と性欲と欲求不満。というわけでヨロ〜」
「は…はぁ…よろしく」
さっきの詩織と違い、妙に馴れ馴れしい。というより、とてもノリが軽い。美空の印象に軟派がプラスされた。
はっはっはっ、と高笑いをしながら、美空は口を閉じようとはせずに喋り続ける。
「いやぁ、話かわるんだけよ。お前のワンコかぁ〜わいらしいなぁおい。俺もあんなのと契約したかったぁ〜。昔の俺は何考えてたんだろーねぇ」
いやそう言われても。将斗は内心で返答に困っていた。
しかし先程から、お前の犬やらワンコやら、まるで戌月が将斗の所有物のような物言いだ。戌月観察手記にそのような記載は無かったが、実際の守護獣と契約者はそんな関係なのだろうか。
「目覚めてからずっと見てたけどよ、お前の匂い辿って部屋見付けたのかな? つーか匂いの本質は昔と変わらんのか…? まっ、いーや。お前の部屋で尻尾振りながらニコニコしててたさぁ。ついよく見たくて解像度上げちまったよ、その後鼻血止まんねーのマジで。ティッシュ一箱使っちまったよ、あっ、下い意味じゃねーからな、ハッハッハッ。なんかワンコ見てたら、自分のバカ辰どうなん? って思っちゃってよぉ」
「はぁ…」
この男はぺちゃくちゃとよく喋る。美空が吐き出す文章の羅列に呆気に取られ、生返事しか返せない。
まあ詩織のようにに神器神器言わないだけ、まだましかもしれないと思っていた。
「あー、ダメだ。あのワンコの笑顔思い出した。あのワンコってホントに」
右手を広げ、顔を隠すように当てると、自分を落ち着かせるように深く息を吐き出した。そして手を離すと、表情が一変していた。軟派で気さくな雰囲気の青年の顔は、酷く歪んだ表情をして舌を出していた。そのかわりように、将斗はたじろいだ。
「気持ち悪りぃって心底思うぜ。なぁ?」
「……はっ?」
「いやぁ、俺って嫌いなんだよねぇ。笑顔ってさ。気色悪りんだよ。だらしなく頬の筋肉と口角上げて、眼ぇ細めて。あんなん好感持てんね。それよりだったら、何も考えられず茫然とした無表情の方が好きさね。あとは、べったべただけど絶望苦痛の泣き顔、とかだね。ヒャッハッハ!」
豹変、いや、もとからなんとなく変わった感じではあったが、笑顔が嫌いと言い切った人間は初めて見た。眼が笑っていない笑みにじっと見つめられと、なんだか嫌な気持ちになる。
「あはぁ? どったの、そんな馬鹿丸出しの顔して。まあそーなるわな。笑顔が嫌いって、ふっつーの奴じゃ分からんだろうし。分かってもらう気もないし。分かる分かるーって、言われてもクソ迷惑だっしー。うざいったらありゃしねーわ」
共感できないのは分かるが、こいつの思想にお世辞でも分かると言う奴が居るのだろうか。居たとしたら、世間様からは変人のレッテルを貼られ、奇人のカテゴリーに入れられる筈だ。
美空が舌を口の中に納め、また瞳が死んだ、だらしのない笑みで将斗を見据えた。笑顔が嫌いと言う割には、よく笑う男だ。
「ハハハッ、これでだいたい俺がどんな人間か分かってくれた? だったら、グロテスクなもん程つい見たくなっちゃう、俺ちゃんの自己紹介しゅーりょー。んじゃま、お仕事いっちゃいましょーかぁ?」
「仕事?」
「そっそっそぉ! 現在屑並に戦力にならない君の神器を覚醒させ、カス並に役立つようにするね。あの優男風味の野郎からぶんどった仕事よ」
この男はいちいち、人の神経を逆撫でするような物言いをしなければ喋れないのだろうか。癇に触った将斗は、わざとらしく舌打ちをした。それに大して美空は更に馬鹿にするような顔をして、将斗を見下している。
「い〜〜〜ねぇ〜。やる気出てきたじゃなぁい?」
「はぁ? 現在バリバリにやる気ないんですけど。つーか、あんたらがしてる狐狗狸との闘いに、俺は参加する気ねーし。断固拒否」
「へぇー、そーなんだ。でも俺、テメーが闘いたくないよーって思ってても、キョーミ無し。拒否権は無いし、闘わなきゃ死ぬだけ。だったら役立てよーよ、テメーのちゃっちぃ力。とゆーわけで、俺ちゃん今からYOUの事ボコるからヨロピコ♪」
にやぁ、と更に口角を上げて笑うと、両手をポケットにつっこんで将斗にゆっくりと接近する。近づいてくる美空が発した物騒な単語に、将斗は警戒した。というか、色々とぶっ飛んでいる男が近付いてきたら、嫌でも警戒してしまう。不敵な笑みを続ける美空の顔が近づくたび、気圧されかけたが、それを肴に馬鹿にされたらたまったもんじゃないと、表情を引き締めて虚勢を張ろうとした。
「ボコるってなん゛っ!!」
言葉の途中で、いきなり鳩尾に強い衝撃を受けて舌を噛んだときのようになった。美空の爪先が鳩尾にめり込んでいるせいで、虚勢は途切れてしまったのだ。至近距離で放たれた喧嘩キックに、将斗は反応こそはできたが、反射的に防御しようと動いた手を物ともせず、美空の攻撃は虚勢を張り切れなかった青年の躰にダメージを与えた。
爪先を当てている状態で力を入れ、将斗を押し転ばした。代表的な弱点の一つである鳩尾を突かれた将斗は痛みのせいで、受け身を取る事ができず背中を強く地面にぶつけてしまった。背中側から肺を圧迫され、上手く呼吸ができずむせる。さらには鳩尾のダメージで、なんどか胃液が食道を上り掛けていた。
苦しむ将斗に、冷ややかな視線が注がれていた。
「死にかけたり、生命の危機だったり、めっちょダメージを受けたら、力とかが覚醒するのは漫画アニメ小説ラノベのご都合主義全開の王道の定番。ちゅーわけで、早めに死にかけてな? テンション上がって爪剥いだり、目玉に指突っ込んで掻き回しちゃうかもしんないから」
首を左右に振りコキコキという音だしながら、テンションが上がったら、加減しているなかでの本気を出す。彼はそう宣言した。
「弱者な君をデストローイ☆」
悪意と殺意をばらまきながら、美空はウィンクを飛ばした。そのウィンクを将斗は、苦しみながら人生最悪のものとして、海馬に記憶した。
*
昔の主人が自殺したという、少なくとも戌月の中では衝撃的な事実を告げられてから数十分。考えがまとまらないのか、何を言ったらいいのか分からないが、彼女は俯いたままだった。姉二人は、何も言わずに見守っていた。しかし、落ち着きが無い性格の辰雷は、この沈黙の空気に耐えれなかったのか、締まりの無い表情で欠伸をしていた。それを注意するように、寅果は肘で辰雷の横腹をこずいていた。
注意れながらも、辰雷が二度目の欠伸をした時、黙り込んでいた妹が顔を上げた。やっとか、そう言いたげな表情をしながらも辰雷は、猫背を直し胡坐をかきながら背筋を伸ばす。
「決まったかい? また死に誘う可能性を胸に抱きながら、今の主人を愛すか。否か」
まあ、いやでも愛してもらい、共に戦線に立ってもらわなければとても困るのだけどと、寅果が心中で呟いた。NOなんて答えは認めない、渋ったら、言い包めて返答をYESにねじ曲げる。二人の姉はそんな考えを持ちながら、妹の導きだした答えを口にするのを待っていた。
すると突然、戌月が困った様な唸り声を出して、無事である右手で髪をわしゃわしゃと掻き乱した。
「うぅぅ〜〜〜〜!」
寅果は呆気に取られたが、辰雷は冷静にため息をついた。
「どったの? 頭でも沸いた?」
「いやそうじゃないんスけど…ずぅぅっっっと考えても分からなくて」
「と、言うと? 何が分からないのかな」
戌月の言葉に興味を持った寅果が、会話に加わった。
「ん〜、アレっスよ。こーゆーのは、お二方を納得させる事を言わなきゃいけないじゃいスか」
「まっ、確かにね。こちとら根拠の無い御託をだらだら並べ成られて、簡単に納得できないニャス。あったらいいなぁってハナシ」
「それ! それなんでスよ〜、分からないんスぅ、何を言えば納得してくれるかが!」
妹が悩んでいたのは、YESかNOではなかった。その答えを二人に納得させる為の文章を、悩んでいたのだった。未だ悩んでいる為か、まだ唸っている戌月に姉達は思わず数秒沈黙してしまった。
「悩んでたの…そっちかよ。私の退屈な時間返せよ…」
「何を仰ってるんスか辰雷姉様! 大事っスよこーゆーの! とゆか、言った方がいいって言ったの辰雷姉様っスよ!」
「いや…そりゃね。言いましたがねがね…」
「君の言い分は分かる。確かに辰が悪いね。戌月を困らせちゃったし」
「ちょ!? わっちが悪いんですかい? 姐御も、そりゃそうだ、みたいな顔してたじゃないすか。わっちだけが悪役ですかい!」
「まあボク達を納得させるさせないは置いといて、結局答えはなんだい?」
軽く狼狽える辰雷は無視、最優先事項は戌月の答えだ。
「そんなの決まってまス! 私はこの命尽きる迄、いや尽きて幽霊になっても現世を留まり、御主人様に忠誠を誓うと心に決めたっス。というか、ずぅぅーーっと一緒に居たいんっス!」
「一緒に居たいって言っても、君は彼の逆鱗に触れちゃって追い出されたからねぇ」
「そうなんスよ。もう私どーしたらいーのか! 悲しいわ辛いわで考えまとまらないし! 嫌われるの嫌っスぅ、ずっと御主人様と仲良くしたいっス〜!」
「おいおい、嫌われたくないって…そんなん偽善っしょ。葉に裏表があるように、陰陽思想に従い好き嫌いがある。つまりどんなに好きなモノでも、嫌いな部分が必ずあるため、嫌われたくないは心理的に考えると矛盾が生じる。それにめちゃくちゃスウィート、甘すぎる。だから戌月ちゃんの言い分は偽善――」
「偽善の何が悪いんっスか! とゆーか、言わせていただきますが、辰雷姉様の言ってる事わけわからないっス! いつもふざけてるみたいな喋り方の癖に、急に難しい事を言いだすし…そもそも! 中身が無いから結局意味が伝わらないんスよ!」
「んなっ!? そにゃ…そりゃないっしょヘイユー! そげん事言うもんじゃないぜマイシスター!」
この言い合いから、軽い喧嘩が始まった。わーきゃーと騒ぎ、まるで子供がする様な口喧嘩。喧嘩に参加していない寅果からしてみれば、騒ぎ過ぎて傷が痛む戌月の事を辰雷が気遣う等の場面があったため、獣のじゃれあいに見えたそうな。
前の将斗が自殺した事を告げた時の重い空気は、既にどこかへ消え去った。そこには仲の良い姉妹が醸し出す、和気藹々とした雰囲気が漂っていた。それにつられて、というわけではなないが、寅果がクスクス笑う。それに辰雷が目ざとく気付いた。
「ちょいちょいちょい、何笑ってんのぉ?」
「いやなに、ちょっとね。相変わらず二人共、馬鹿だなぁって思ってさ」
「はいぃっ!?」
寅果の発言に、二人の声は重なり見事なリアクションをした。二人は一度顔を見合わせる。戌月こそは馬鹿と言われ少々傷ついただけのようだが、辰雷はとても心外だった様子。戌月をビシッと指差し、一言。
「こんなのと一緒ぉぉ!? こんな馬鹿と!?」
「え゛ぇっ!? 酷い! 酷いっスよぉそれは!」
「アッハハハハ」
「笑ってんじゃねーよこのぬこ耳がぁぁ!!」
寅果は喧嘩を止めようとはせず、逆に火に油を注ぐ様な事をした。まるでこの姉妹のじゃれあい、尊いこの瞬間を楽しむように。
口喧嘩のじゃれあいに寅果の相手が加わり約数分。三人のじゃれあいは辰雷の、はいしゅーりょー、の掛け声で幕を閉じた。戌月と寅果をジト目で交互に睨んでから二度手を叩き、ゆっくりと立ち上がった。
「んー、それじゃあ戌月ちゃんと同等と言われて傷心中のたっちゃんは、行くわさ。そろそろバカ空がホントバカやりそうだから」
用事ができそうだから、おいとまする、と。
「分かったよ。もし途中で詩織と会ったら、宜しくね」
「あいあ〜い。んじゃ、寅果ねーちゃんとお馬鹿ちゃんバッハッハーイ」
「ちょお!?」
戌月のリアクションを無視して、辰雷はスタスタと足早に部屋を出た。
姉に散々馬鹿馬鹿と言われ、涙目になっている戌月は、もう一人の姉に頭を撫でられ慰められている。しんみりと耳を垂れさせ、くぅーんと小さく鳴くその姿は、まるで子犬の様だったとか。馬鹿で愛らしい妹。天真爛漫で純粋無垢と言ってもいい性格。嫌われても理屈を考えず、ただ愛する者の傍にいようとする寂しがり屋。できればこの娘が幸せになれますように、また主人と仲良く暮らせますようにと、寅果は心から願った。
寅果は戌月の答えを聞いて、安心していた。辰雷はああ言っていたが、戌月が小難しい御託を並べられるとは思っていなかった。だから不恰好で剥き出しな感情をぶつけてくれる事を願っていた。少々予想の斜め上をいってしまったが、まあいいだろう。変わらない妹に、寅果は歓喜を感じていた。だから先程からニコニコしているのだ。最近の起こったある出来事によって、兄弟姉妹がより愛おしくなったから。
落ち込んでいた戌月だったが、そこまでのダメージは無く、比較的直ぐに立ち直った。
「そう言えば、寅果姉様や辰雷姉様の、今の契約者ってどんな方なんでスか?」
将斗の事でいっぱいいっぱいだった戌月も、辰雷達とじゃれた事で心に余裕ができたのか、二人の契約者について興味を持った。前の契約者とはよく知った仲だったが、将斗の様に人間性が大きく変わっている可能性の方が高い。
「ボクの契約者は詩織っていうんだけど、前とあんまり変わってないね。ただ顔が女の子っぼいぐらいで」
「今は詩織さんというんっスね。相変わらずお優しいようでなによりっス」
「うん…優しいっちゃ優しいんだけどね…」
「?」
寅果のはっきりしない言い方に、首を傾げた。
「まあ、良い意味でも悪い意味でも、人は変わるって事だよ。そして辰の契約者だけど……なんていうかな、性格に難ありまくりなんだよね。ボクは苦手だな」
「と、言いますと?」
性格に難ありとはどういう事か、と。
「辰以上にふざけまくった奴。喋り方おかしいし、自分の事『性義のZ紳士』とか『宇宙最強の秋田県民』とか言うし。ヒトの事必ず小馬鹿にしてくるし」
「えー…なんか話聞くだけじゃよく分かんないっス…」
「会ったら嫌でも分かるよ。あいつのおかしいところとか、強さとか」
強さ。この単語を寅果は少し強めに言った。なぜ語調を強くしたのか分からず、また戌月は首を傾げた。
「現世に蘇った辰の契約者は、とにかく強いんだよ。基本スペックはともかく、神器や神威、そして神威による副作用で現れる人間離れした身体能力を総合的にみれば、戦闘能力は〝外之道家〟の人間すら超える程高く、恐ろしく強い、強過ぎる。おそらく現契約者の中最強だよ」
「契約者中最強…!」
寅果の言葉に、素直に驚く。
寅果は滅多に大袈裟な事はいない。比喩表現や相手を茶化す時には、たまにオーバーに言う場合はあるが、今の彼女の表情は戌月を茶化してはいない。つまり寅果は、彼女自身が感じた事実を述べているのだ。
守護獣は全部の十二体、そして対の存在である契約者も十二人。十二人全員が歴然の猛者とは言えないが、何千年と闘いの輪廻を繰り返してきた契約者達は、経験と記憶を有している。経験と記憶を保有している状態で鍛えれば肉体は導かれるように強化されるので、その成長速度は計り知れない。そんな十二人の中で最強。
さらに驚くのは、あの外之道家の人間を超える戦闘能力を有していると言う事。外之道家を簡単に説明すれば、契約者が必ず誕生する家系。契約者となるべく産まれた人間は、赤黒い髪を持ち、神器覚醒、神威開眼をしなくとも驚異な身体能力、戦闘技術を身に宿している。それに神威等の異能もあるので、外之道の契約者の力は人のそれを超えていた。最強であるべき外之道家を超えた、最強の契約者。
強さのレベルが全く予想できない戌月は、思わず固唾を飲み込んだ。
「まあ、そのうち会うことになるよ。その〝最強兼最恐兼最狂の辰の契約者〟に……それより今は、まだ残っている悪い知らせを優先しよう」
なんだか物騒な響きの称号を寅果は呟いたが、悪い知らせを優先すると宣言した彼女は追求を許さないだろう。
寅果は気持ちを整理するように一拍子休むと、右手の全ての指をピンと立て戌月に見せ付けた。数は五。一瞬では、この意味が理解できずキョトンとしてしまった。
「五種類の元素は互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する。これを五行思想と言う。そして五行思想は春夏秋冬と季節の変わり目を表している。さらに、大きく捕えればボク達十二支をも表す思想であり、現実ではボク達の宿敵といってもいい存在を表している」
他にも陰陽思想と五行思想を合わせた、陰陽五行思想というのも存在している。
十二支守護獣との対存在にして、五の数字と五行を現すモノ。この丁寧に餌の如く罷れたヒントに導かれ、戌月の頭は閃いた。だが、閃いた瞬間すぅと顔の血の気が引いた感覚がし、背中にゾクゾクと悪寒に近いそれが走る。
戌月が気付いた事をなんとなく感付き、寅果は自嘲的な引きつった笑みを浮かべた。
「気付いたみたいだね。そうだよ、目醒めたんだ。奴らが。恐らく、悪食魔王の次に驚異である、五芒魔星が目醒めたみたいなんだよ」
「恐らく…?」
告げられた事実にハッと息を飲む戌月だったが、寅果の確証も、自信もないかのような物言いに語尾が疑問系となった。
「木を司る青龍。火を司る朱雀。土を司る白虎。水を司る玄武。そして、悪食魔王の次に強いと謳われる金を司る、麒麟。分かってると思うけど、確証がない情報なんだ。だけど、裏付けには十分な事件が起きた。それが、最後の悪い知らせさ」
言葉を切ると同時に、急に寅果は苦虫を噛み潰したが如く、苦々しい表情をして右手の掌を額に当てた。 唇を震わせて呼吸をする姿は、哀を思わせる。寅果のその姿を見ていると、なぜか戌月の胸の奥がチクリと痛んだ。胃の上がムカムカして、脳内がネガティブな色に染められていく。嫌な予感しかしない、それ以外思いつかない。次に寅果が口を開けば、自分の中で何かが失われる気がしてたまらない。
聞いてはいけない、だが聞かなくてはいけない。蛇に禁断の赤い木の実を勧められているイヴも、こんな矛盾に苦しんだのだろうか。
聞こうとして口を開けるが、無意識に拒否してまた閉じる。まるで餌を求める鯉のように、口をパクパクさせている戌月の姿を第三者がみれば、それは間抜けに見えたに違いない。
戌月に伝える言葉を解き放つ事を再度決心した寅果は、深く息を吸い、吐き出しながら言霊を放った。
「申太が死んだ」
振動が音に変換され、三半規管を通り過ぎ、脳が処理し意味を理解した時、今度は胸の奥がドキリと強く鼓動したのを感じた。
妹の惚けた顔には触れず、姉は淡々と続けた。
「詳しくは殺された。現代の狐狗狸が申太が殺されるとは考えにくい、だから五芒魔星が目醒めたんじゃないかって……」
申太。申を司る者。戌月はいつもちょっかいを出してくる申太を、少々苦手としていた。
「……分かってた。分かってたつもりだった。ボク達は闘いの中にいる。死は誰よりも近くにいたんだ。だから、いつかはって……でも…」
チクリ、ドキリ、そしてドクンと鼓動が激しくなった。
前の将斗の自殺を知った時とはまた違う心的ショックが、戌月の後頭部をガツンと殴り付けた。
今まで穏和で大人びた雰囲気を崩さなかった寅果が、喉を震わせている。口に出した事で、感情を刺激されたのだろうか、眼が潤み初め、手で口元を押さえ嗚咽を飲み込んだ。実際、兄弟姉妹の一人が死ぬのは、初めての経験だったのだ。耐性は無くて当然だろう。
戌月もどんな反応すればいいのか分からず、唇に歯を立てていた。唇の薄い皮が軽く裂け、血が滲む。
ただ耐えるだけだ。二人に許されているのは、泣き叫び名前を呼ぶ事ではなく、ただただ耐えて、闘いに眼を向け、終わらせる事である。今は耐えよう、感情の濁流に身を流されるように、しっかりとチカラを込めて。
出来たてのお粥や軽いおかずが乗ったお盆を手に、理音が部屋に戻って来た。表情はとても柔らかい笑みだったが、その場に重く沈殿する、なんとも表情し難い空気に気圧され、眉毛を八の字に曲げた。
恐らく次回も更新が遅くなると思います。
それでも、次回も読んで頂けると幸いです。短いでしが、今回はこれで。では!