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十二支英雄見聞録・第一章・陽組編第ニ節

ども、最近知った医学で一番恐かったのは自殺頭痛(名称忘れた)、仮面3です。


今回は後半の描写が微妙かも……前半で力つきちゃいました。申し訳ありません。

 午後の予定(昼寝)を変更し、調べものに時間を割いた結果、必要な情報は得られなかった半分、得られた半分だった。部屋に置いてある、使用用途が暇潰しに動画サイトを見るくらいしかないノートパソコンを起動させ、インターネットに繋いだが、戌月達について何も情報が出て来なかった。キーワード、十二支守護獣、狐狗貍、その他諸々。手記に載っている重要そうなワードを打ち込み、検索をかけてみたが、ヒットするのは精々昔から知っている十二支だけ。まあ当然か。こんなのが本当にネットの海からサルベージできたら、それこそ今までの常識がひっくり返ってしまう。しかし、目的は果たされた。

 この戌月観察手記には断章が存在し、その年に起きた自然災害が記されてあった。その年号を検索し、実際に起こった事かどうかを調べたのだ。此方は見事ヒット。これでいい、十二支守護獣等は只のオマケだ。これにより、この手記に書いてある事実はどうあれ、年号は合っている事が判明した。あんな小娘が、こんな事まで事細かに調べて書き記すなんて芸当、できると思わない。寧ろあんなふざけた見た目で、ハイスペック少女なんてそれこそ漫画やラノベ、メアリ・スーが横行する世界の設定だ。他の者が手を貸して制作した可能性もあるが、根本的な問題はそこじゃない。

 何故自分がこんな古い文字を読めるのか。国語や古文が得意なわけではないのに、何故。これが戌月の言う、前世の記憶のおかげなのか。だとしたら、この手記の信憑性は一気に高まる事になる。信じたくはないが、十二支守護獣や狐狗貍の存在が事実という事になるのか。

「しっかし……狐狗貍とか悪食魔王とか…ネーミングセンスどうなってんだか」

 狐狗貍ならまだしも、悪食魔王とは。RPGのクソゲーにも出てこない様な名前だ。しかし、そんなヘンテコネームが敵の総大将。封印前に、瞬きをする間に国一つを滅ぼした、という究極チートラスボスだそうだ。

 狐狗貍達は昔、陰陽師達の策により封印されたらしい。手記には陰陽師の語も多数記されていた。悪食魔王に最も強い封印式を使い封印、その他の狐狗貍も同時封印。だが、悪食魔王の力が強過ぎたため、封印が解けるのは目に見えていた。なので封印が解けた狐狗貍から、順に滅殺する事を命じられたのが十二支守護獣。

 ここまでは手記に書いてあったのだが、一番気になる部分がやはり無い。最後のページに書いてあった通り、十二支守護獣と狐狗貍の誕生理由が書いていない。理由無くして、こんな奴らが生まれるわけが無いのだが、前世の自分という人物は知り得なかった。どうやら子を司る鼠の小僧という奴を問い詰めればいいのらしいが、前世の自分はことごとく失敗したようだ。鼠の小僧はだいぶ口が固いとみた。

 ノートパソコンの電源を切り、ベッドに横たわった。横になりながら足を組み、戌月観察手記を開く。よく三世紀の間で、この程度の劣化で済んだものだ。軽いカビ臭さに顔を顰めるが、外から嗅覚を刺激する糠臭さよりはましだろう。

「おい…もう来んなっていったろ」

 視線だけを部屋にある一つだけの窓に向け、隠れているであろう糠臭娘に告げた。何故隠れているのが分かったかは至極簡単、臭いだ。いくら窓があるといえ、密閉しているわけではないのだがら、臭いが部屋に入ってきたのだ。本人は慣れて分からないらしいが、やはり強烈な臭いにかわり無い。

 将斗が言葉を発してから数秒後、窓の下方から犬の耳がぴょこっと出てきた。さらに、苦笑いしている戌月の顔も。戌月観察手記を閉じ、ため息をつきながら将斗は立ち上がり、窓に近づいた。このままにしておくわけにはいかないので、仕方なく窓を開けた。その時、戌月が外側の壁に張り付いる姿を見て少々驚いた。ル●ン三世みたいな奴、そう思ったが戌月は人外の未確認生物。ならばこんな芸当をできるのも、納得せざるおえない。窓を開け、入ってくるよう指示すると、戌月は安堵の笑みをしていた。許可が出たので、軽い身のこなしで再び部屋に入った戌月は笑顔を将斗に向けた。

「私を入れてくれたって事は、思い出してくれたんスね御主人様!」

 子犬の様に、両手を振ってはしゃぐ戌月。

「いんや、全然。つか何を思い出せばいいんだよ」

「そんなぁ…」

 元気にはしゃいでいた気は一気に失せ、がっくりと肩を落とした。色々と忙しい奴だ。

 実際、将斗は前世、戌月と闘っていた時の記憶を思い出してはいなかった。ただ手記を読んでいると、懐かしいという気分にはなる。

 うなだれる戌月をそのままにし、将斗は先程まで調べものをしていた机の椅子に腰掛けた。

「思い出してはいない…が、アンタの言うこと、もとい手記の内容は信じてやる」

「まじっスか!」

 将斗の発言に、先程うなだれていたにも関わらず、今度は尾を振りながらその場でぴょんぴょんと跳ね、全身で喜びを体現していた。やはり、忙しい奴だ。どうせ、また前世のように共に闘う、という展開を期待しているのだろうが、世の中そう甘くない。前世の自分がこのワンコロにぞっこんだったのは分かる、だが過去は過去、今は今だ。

「だけど、狐狗貍と闘う気はない」

「え゛っ」

 今度は表情が凍り付いた。本当に忙しい、しかし見ていて飽きない。

「お前ら十二人居るんだろ。じゃあ俺一人が欠けてもいいだろ。もしくは別の奴と契約しろよ」

「それは無理っス…契約者は変えられない。最初の契約者の魂を持つ人以外じゃ私達は〝再会の契〟を結べないっス! それに、もう御主人様には獣印がでかかってまス」

 戌月が将斗の右手の甲をを指差した。甲のシミは先程より大きくなっている。忌々しげにシミを睨み付けたあと、すぐに戌月を見据えた。

「関係ないね。過去がどうあれ、こんな呪いみたいに闘う運命なんて、俺は認めない」

「呪いだなんて…! 私が一番最初に出会った貴方は、進んで私と契約したじゃないっスすか!」

「知らんね。昔とか知らんし。今の俺は勇敢じゃないの」

 食い下がらない戌月に、だんだんとイライラしてきた。しつこい、というよりこの必死さがうざったく思えて仕方がない。

 この後も、何度も似たような内容の会話を繰り返した。自分の気が短いとは思っていないが、こいつと話しているとイライラしてしょうがない。。こうやって言い合っても、何時終わるか分からないので本年を言う事にした。言う事にしたというより、出てしまった感じなのだが。

「なんで俺が他人の為に頑張なくちゃいけねぇんだよ! 狐狗貍と闘ったら、下手したら怪我じゃすまねぇんだろ。なんで俺がしなきゃいけない? 前世がなんだ、ふざけんな!!」

 急に怒号を上げられ、戌月はキョトンとしていた。声は部屋中に響き、出した本人もびっくりしてしまった。戌月がいずらそうに視線を泳がせた後、おずおずと口を開いた。

「なんで…頑張るの……イヤなんスか…?」

 こいつ、いきなり核心をついてきやがった。手記には馬鹿馬鹿と書いてあったが、変な所は鋭い。

 隠してまごまごするより自分の考えを言ってしまい、再び出ていってもらうのが一番だろうと将斗は考え、語りだした。自分が他人の為に頑張っても、感謝されず恩を仇で返されることばかりだった事を。例えば、道を教えたら財布をすられていた、などのベタなものから、詐欺まがいの事もあった。最初は真面目な面で聞いていた戌月だが、徐々にまたキョトンしだした。その表情に将斗は、再び苛立ちを感じた。

「……なんだよ」

「いえ、ちょっとおかしいなぁって……」

「ハァ? おかしいって、何がだよ?」

 今の何がおかしい、と顎に指を当てて考えるポーズをする戌月に食ってかかった。物事の考えなど人それぞれ。理解してもらいたいなどと思っていないが、昔の経験から得た考えを簡単に否定されたくはない。人は自分の考え、もとい常識を否定されると強い怒り、もしくは恐怖を感じるものだ。

 なのだが戌月はそのタブーに触れて、将斗のデリケートな部分を侵してしまった。

「人助け……ていうか他人の為に頑張るって、見返りを求めていいんっスかね? そうゆーのって、無償で、良心が訴えてやるものじゃあ…? 御主人様も見返りなんて考えず、ただその人を思えばい――」

 パァンという、張りのある肌を叩いた音によって戌月の言葉は遮られた。

「え……?」

 既に赤くなり始めた右の頬を押さえながら、戌月はいつの間にか立ち上がり自分を叩いた将斗を見つめた。目の前に立つ将斗の呼吸は荒く、眼は軽く血走っている。

 戌月の瞳が、遅れてやってきた痛みと共に潤み始めた。自分の主人が、自分をぶった。軽い悪戯をして怒られた事はあるが、ここまで怒りを露にしながら叩く事なんて今まで一度もなかった。彼女の中で、モヤモヤとした何かが顔を出す。なんだかとても嫌な感じがする、そう感じた時、ヒリヒリと痛む頬を涙が伝う。

「なん…で…?」

「なんで…だと? お前が簡単に俺を否定したからだよ! 見返りなんて考えずに? 感謝してほしくて何が悪い! 感謝の言葉のひとつ欲しいのが、なんでダメなんだよ! それで悩んでた俺を…お前は否定したんだ! そんな事で悩むなって、お前は嘲笑った。ぶたれて当然だろっ!! このバカ犬がっ!!」

 まるでだだっ子の子供の様に、将斗は怒鳴り散らした。簡単な言葉の羅列で、人は簡単に爆発できるのだ。人の気持ちを簡単に語る奴ほど、そいつを腹立たせる。人の気持ちを酌まない奴ほど、そいつの気持ちをぐちゃぐちゃに踏み躙る。大切なのはちょうどいい距離感。戌月には、それが足りなかった。子供っぽい将斗の、安っぽいプライドを戌月は土足で汚してしまったのだ。彼なりに悩み、苦しんで得た考えを否定した。それは鋭いナイフで肉と血管繊維を裂いて、肉体を抉るか如く人の心を傷付ける行為に等しい。少なくとも、将斗にとっては。確実に、今戌月が感じている頬の痛みより、心が痛い。例え他人から見てくだらなくても、そいつ自身にはとてつもなく重たいモノだ。重く重くのしかかる、心の重荷。解れ! なんて無茶は言わない、だが怒りの感情が爆発した。叩いたのも、反射的な行動だった。罪悪感も背徳感もない、ただただ頭に血が昇っていた。

 ぽろぽろと涙を流す戌月を尻目に、将斗は苛立ちを発散させるかの如く、深く息を吐き出し椅子に深く座り込んだ。

「出てけよ……出てけ!」

 有無を言わさず、といった様子で窓を指差した。自力で二階まで攀じ登り、張り付いていた運動能力があるのだからここから降りても平気だろう。

 頬を押さえながら、すっかり意気阻喪の戌月は何かを言おうと口を開いたが、直ぐにつぐんだ。今は何を言っても、火に油と理解したのだろう。何も言わずに窓枠に足を掛け、一度だけ将斗を見てから、音もなく窓から飛び降りた。直ぐに着地したような音がしたあと、足取りの重い足音が聞こえてきた。



「糠所に入っていた石?」

 戌月を追い出して数時間後、夕刻の時となり将斗の父親、森重宗光もりしげむねみつが帰って来ていた。

 戌月がダメにしたであろう糠所を、自分がひっくり返してしまったと嘘を付き、彼女が憑依していた石について聞いた。

「ああ、あの石か。あれは私の祖父が家宝として大切にしていた物だが、どうも私には普通の石にしか見えなくてな。祖父が他界したら、何故か私が引き取る事になって……捨てるわけにも行かないので悩んでいたのだよ。そんな時、ふと思い付いたのだ。そうだ、糠と一緒に漬けてみよう、ってな。家宝になるだけの石なのだから、なにかしら御利益があると思うだろ? いざやってみたら前より美味く感じてな」

 この父親は基本的に堅物なのだが、どこか抜けているところがあった。

 現在宗光は夕食の支度で、エプロン姿で台所に立ち包丁と俎板でリズミカルな音を出していた。宗光の妻、将斗の母親はいない。将斗が幼い頃、交通事故だか病気だかで死んでしまったらしい。将斗は詳しい事は覚えていない、それだけ幼かったし、過去の事には興味がない。

「父さん、その石、貰っていい?」

「む? まあ、いいだろう。私も歳を重ねたら、些か元家宝を糠に漬ける事に罪悪感を感じていたからな。あの石は既に将斗が持っているのか?」

「うん」

「そうか。私と違って、大切にしろよ」

 先程その石に憑依していた奴に、暴力を振るってしまったのだが。取り敢えずの用事が済んだので台所から出ようとした時、宗光に呼び止められた。

「将斗、仕事、見つかりそうか?」

「………微妙」

「そうか。微妙という事は、少なからずヤル気があるということ。それでいい、無気力ではないからな。焦らなくていい、飯は私が食わせてやる」

 将斗は現在、無職だった。高校卒業後、一応は就職できたのだが、彼の性格が性格なので人間関係が上手くいかず最近退職した。なので今はほとんど、ニートと変わり無い生活をしていた。起きたい時間に起床して、腹が空いていれば何かしらつまんでまた眠る。そんな生活を繰り返していた。微妙と答えたが、実はまったく職探しをしていない。自分を男手一つで育ててくれた宗光に、悪い気がしてしょうがないが、今はそれより優先しなければいけない事があるのだ。



 夕食を終え、再び自室。現状で宗光と同じ空間に居るのは、少々辛いのだ。父親には感謝している、だから結果が出せない事も、こんな人間になってしまった事も申し訳なく感じてしまう。

 自室に入った瞬間、深いため息をついた。いい加減、何かしらアクションを起こさなければ、そう思い机に置いてあるノートパソコンを見た。ハローワーク等の情報を調べようかと思ったが、同じように机に置いておいた戌月観察手記も目に入ってしまった。すると、今頃になって罪悪感がふつふつと沸き出てきた。考えてみれば、将斗が戌月を知らないように、戌月も今の将斗を知らないのだ。それなのに勝手に逆ギレしたみたいで。

「カッコわる……俺…」

 何も知らない少女が、軽いアドバイスのつもりで言った言葉が、逆鱗を触った。冷静に考えれば自分が悪いじゃないのか。相手が自分の考えを理解してくれる可能性が少ないのは、昔から分かっていたはずなのに、否定された事に感情的になってしまった。戌月は正論を言った。だから反論ができずに、手を出してしまったんじゃないか。自分の精神年齢が、子供から成長してないんじゃないかと考えたら、嫌になった。

 戌月の様に重い足取りで机に向かい、戌月観察手記を手に取る。繰り返してこれを読んだが、ある意味この手記は戌月への想いを綴ったエッセイ本に近い。見せられない内容とは、赤裸々に記した彼女への想いなのだろうか。もし前世の記憶が蘇ったら、自分は彼女をどんな眼で見ることになるんだろう。 何度目か分からないが、右の甲を見た。シミ確実に大きくなっており、何かの文字を形成しているのが解るようになっていた。この獣印が全て現れたら、前世の記憶が蘇るのか。戌月の事を思い出せるのか。

 自分の胸の奥で、戌月を求め始めている。なんだか変な気分だ。初恋の時のわけのわからない感情が、より一層わけのわからなくなったような。口で説明する事も、文章で書き起こす事もできないの感情に、将斗は突き動かされた。戌月を見つけだして謝りたい訳ではない、ただこの感情を確かめたくて、彼女を求めていた。

 現在、午後九時十二分。真剣に考えて時間を消費するのは久しぶりだ。将斗は戌月観察手記を手に部屋を出た。自分の強い感情で突き動かされ、直ぐに玄関に向かったが、ふと父親の顔が脳裏に過った。時間が時間だ、何か一言言っておかなければ。

 宗光はリビングでテレビを見ていた。ちょっと外に出てくる、そう言った時は訝しげな顔をしていたが、将斗の必死そうな雰囲気が伝わったのか早く帰ってこいよ、と許可してくれた。堅物でどこか抜けている宗光だが、理解力は誰よりもある。将斗はありがとう、と簡単に告げ、家を飛び出した。



 家を追い出された戌月は、宛てもなくフラフラと彷徨っていた。余程ショックだったのか、時間によって凄まじく変化を遂げた現代社会には眼もくれなかった。十二支守護獣は、霊能力等の特殊な力を持った人間以外には自分を見えなくする能力を、全員持っている。勿論同類や契約者等には、どんな状態でも肉眼で捕える事が可能だ。なので、一般人が戌月を発見して騒ぐ事はない。これはどんな時代、どんな場所に対応する為に与えられた能力である。

 何故将斗があんなに怒ったのか、戌月はいまいちよく解っていなかった。あそこまで怒られた事が無かったので、ショックが強過ぎた。自分はなんで怒られたのだろう、追い出されてからずっと自問自答を繰り返していた。だが頬が痛む度、涙が零れ落ちて考えがまとまらない。とうに痛みは引いていた、それでも頬はずきずきと痛んで、悲しくなった。

 そうやって彷徨っていたら、気が付いたら夜になっていた。その頃には頭も冷えて、これからどうしよう、と悩み始めた。もう将斗の所には戻れないだろう。本当は戻りたいが、あの剣幕だ。きっと迎え入れてくれない。ならば他の兄弟の所に居候さそてもらおうか。しかし、他の兄弟の居場所は知らない。前ならば〝匂い〟で近くに居る兄弟を捜せたが、現代は様々な匂いが充満しており嗅覚をあてにできない。

 哀の感情を背負ってフラフラしているうちに、ブランコやシーソー等のベタな遊具が設置されている公園に辿り着いた。適当にブランコに眼をつけて、腰掛けた。ブランコの使用用途はよくわかっていないが、取り敢えず座れそうなので腰掛けただけだ。キーコキーコとブランコを揺らして、将斗の事を想う。

「そういえば…今の御主人様のお名前……知らないっス……」

 名前を呼ぼうと思ったが、今の名前を知らない事に気付き、更に悲しくなった。

 初めて契約してから、ずっと仲が良かった御主人様。だけど今回は違う、嫌われた、嫌われてしまった。何とも言えない悲しみが、涙腺を刺激して涙を誘う。

 しかし、今回はなぜこんなに記憶の覚醒が遅いのだろう。今までなら自分が目覚めた時には、遅くとも自分が触れれば記憶が蘇っていたのに、どうしてこんなに遅い。答えがでない疑問に、戌月は深い深いため息をついた。このため息と一緒に、こんな気持ちもどこかに行けばいいのに。そう思ったが、気持ちは居座って出ていこうとしなかった。

 帰る場所も、頼れる人もいない。変わり過ぎた現代に、一人でほっぽり出された気分だった。その時、戌月の役に立たなかった嗅覚が、懐かしくもあまり嗅ぎたくない匂いを察知した。血溜まりに何十時間も浸かったような、深く重ねられた血の匂い。戦場に出ていた兵士より濃い匂いを、現代日本で出せる者はいないだろう。戌月は必死に臭源はどこか嗅ぎ当てようとしたが、それは案外簡単に見つかった。自分の真後ろから、匂いがする。

「うっ!!」

 振り返ろうとした瞬間、背を強く押されたような衝撃に襲われた。突っ伏するように倒れそうになったが、地面に手を付け、そのまま蜻蛉返りの要領で飛び上がり体勢を立て直しながら着地した。

 攻撃によって、瞬間的だが背を圧迫されたせいか呼吸がつまり、数回むせた。むなながらも敵を確認しようと、ブランコの方を見た。

「狐狗貍……!」

 一見すれば、人型の豚、オークの様な怪物が立っていた。しかしその姿は、ただの豚の怪物とはいいきれない、酷く不恰好なモノだった。豚の狐狗貍の大きさが2メートル強なのだが、ぶくぶくと肥大化した両腕は、それだけで太さが1メートルくらいあり、長さもかなりあるので地面に付いてしまっている。だが胴体や足はとても痩せ細っており、太さは腕より細い。頭は最早骨だけなんじゃないかと思うほど肉が無く、血管が浮き出ている。眼があるべき部分はボッコリと凹んでいるだけで、何もない様に見えるが、薄く光っているのがなんとか分かる。

 豚の狐狗貍が、ヒステリックな女が出すような甲高い悲鳴を上げると、重々しい両腕を振り上げた。そして自分が前に進む為には、障害物にしかならいブランコに向かって叩きつけた。ブランコは鈍い金属が圧し折れる音を出して、呆気なく潰れた。昼間、子供達が遊んでいたであろう遊具の一つが、なんとも自分勝手な理由で破壊されてしまった。

 見たところ、かなりの力自慢のようだ。戌月が最も苦手とする戦闘スタイルである。呼吸を安定させると、戌月は両手を光らせた。光が止むと彼女の両手に脇差にも似た刀身の短い、固有武器の双剣・花咲を握っていた。

 正直、再会の契を結んでいない状態で狐狗貍に勝てる気がしない。契約者と契を結んでいなければ、十二支守護獣は変身ツールを無くした変身ヒーローと同じ。力が出せないのだ。それでも彼女達の使命は全ての狐狗貍の滅殺する事。獲物を目の前にして、逃走は許されない。

 戌月は双剣・花咲を逆手に持ち、刃を交差させて構える。

「勝てる見込みが無くても……精一杯やったるっス!」

 先手必勝と言わんばかりに地を駆けた。そして驚いた。自分の全力の疾駆はここまで遅かったのかと。そもそも、ここまで長く契約者と再会の契を結ばなかった事はない。ある意味初体験だった。確実に普通の人間よりは運動能力が高いのだが、本来の自分の力を引き出せない戌月は苛立ち、走りながら舌打ちをした。

 豚の狐狗貍は気分の悪くなる雄叫びを上げ迎え撃つ。重々しい左手を、タイミングを合わせ戌月に向かって振り下ろした。見た目からも分かる通り、あの両腕はかなりの重量がある。いくらタイミングを合わせたといえ、振り上げるのに時間が掛かる。そこを逆にタイミングを合わせてやれば、特に小柄な戌月なら躱す事は簡単だ。躰を大股一歩分ずらし、重量級の一撃を躱した。その一撃は本当に強く、地面に亀裂が入りちょっとしたクレーターを作っていた。そんな事にいちいちリアクションをしていられない、今は本当に気を抜いたら死ねる。再び振り上げようとする腕に飛び乗り、現在の全速力で駆け昇った。狙うは頭。脳天に双剣・花咲を二振り共突き刺しやる。それなら、一撃でかたがつく。

「でやぁぁぁっ!!」

 気迫を込めた一喝を叫びながら跳び上がり、双剣・花咲を振りかざした。最大の攻撃手段であろ腕は、間に合わないだろうし、こんな近くで使えない筈だ。漫画や小説じゃあ、読者につまらないと言わせるほどあっさりと滅殺する。現状で長引かせたら良い事なんて一つもないのだから。

 双剣・花咲が突き刺さらんとした時、豚の狐狗貍と眼が合った。いや、相手は眼がないのに、眼が合うとはおかしな話だが。眼が合った瞬間、戌月の本能が躱せと命じたが、ほぼ足場無しの空中でそれはキツい。豚の狐狗貍の躰の一部を足場にしてもいいが、ギリギリでとどかない。そして、何を躱さないといけないのかも分からない。

 躱さなければいけないもの正体は、豚の狐狗貍の口から姿を出した。紫色のガスのような物が、狐狗貍の口から放たれて戌月に直撃する。

「うあっ!?」

 最初はただの目潰しだと思ったが、直ぐに本当の狙いを知る事になる。まず感じたのは、鼻を貫き脳の思考回路をぐちゃぐちゃにするような強烈な異臭だった。もはやどんな臭いかも表現できない異臭により、頭が真っ白になった。躰に力が入らず双剣・花咲を手放してしまい、力無く狐狗貍にぶつかる。そのまま掴まっている事もできず、地面に落ちた。先に落ちていた双剣・花咲は既に光となり拡散していた。

 敵の前で寝てられないと、気力を振り絞って立ち上がろうとしたが、やはり力が入らず四つんばいくらいしかできない。更には、強烈な異臭の残り香が戌月の嗅覚に攻撃を続けていた。

「……う゛ぇあ……!!」

 ついには耐え切れず、胃の中の物を吐き出してしまった。目覚めてから何も食べていないので、胃液しかでない。それでも胃は中身を吐き出す事を止めなかった。口の中に酸っぱい味が広がり、呼吸ができない。凄まじい勢いで何度も嘔吐したので呼吸する暇がなかった。臭いで脳もやられたのか、酷い頭痛がする。難しい事が考えられない。もう何も臭いが感じられない。一時的な麻痺なのか、目の前にある自分の嘔吐物の臭いが分からなかった。

 立ち上がりたくとも、産まれたての子馬の様に足がガクガクと震え言う事を聞いてくれない。そんな時地面に強く、ひたすら強く叩きつけられた。動けない戌月に向かって、豚の狐狗貍が腕を振り下ろしてきたのだ。全身の骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げた。抵抗する事もできず、地面に大の字に突っ伏した。顔に先程吐いた胃液がつくが、気にする程頭が回らない。

「ああああ……!」

 どこが痛いのか、そう聞かれても答える事はできないだろう。どこが痛いなんて、戌月は認識できない状況にあった。鼻をやられ思考はぐちゃぐちゃ、全身は岩石を落とされたかのように痛い。声が出ない程だ。

 生命の最後は、案外呆気ないものだ。自分の最後もこんなものなのか、無意識にそんな事を考えていた。物事が上手く考えられない筈なのに、自分の死だけは冷静に考えられた。十二支守護獣が死んだという話聞いた事が無いので、自分がその第一号になるのだろうか。死ぬのなら、御主人様の隣に居たかった。昔からの考えてた、理想の死に方だ。

 たまたま、目線が公園の出入口を見ていたのだが、霞む視界に何かが映った様に見えた。それは人の形をしているのはなんとなく解ったが、ダメージで視界がぼやけてよく見えない。それはゆっくりと近付いて来ていた。

「……御…主人……様……?」

 戌月にはそれが、将斗に見えてしょうがなかった。本当はまったく見えないのだが、戌月の瞳には今日再会した御主人様が映っていた。人が近づく度、彼女の表情はぎこちない笑顔になっていく。彼が来てくれた、これほど嬉しい事はない。将斗さえ来てくれれば、直ぐ様再会の契を交わし、二人で協力してこの狐狗貍を倒せる。それに、仲直りもできる。もしかしたら仲直りが最優先事項かもしれない。

 彼を求めて、手を伸ばした。よく動いたなと、自分でも思った。だが戌月は将斗の登場で希望を得ていた、そのおかげで痛みを忘れ、頭が回り始めていた。人影は確実に接近してきている、それに比例するように、戌月は手を伸ばす。まだ距離があるのだが、戌月の眼は遠近感が把握できておらずもう近くに来ている、そんな風に見えていた。

 そして、その手を、もとい戌月の左腕を今まで黙っていた豚の狐狗貍の豪腕が押し潰した。ベキバキと、嫌な音がする。

「あ゛……ァァァアア゛アアアアア゛ァ!!」

 腕を骨ごと挽肉にされたかのような感覚。骨が砕け、破片が圧力で筋肉繊維をズタズタに引き裂く。豚の狐狗貍が腕を上げた時、戌月の左腕は眼もあてられない状態になっていた。内出血で腕は紫色になり、所々よく焼いたウィンナーの様に皮膚が裂け血が流れた。

「…あぁ…ぐが…あぁあ゛あ゛……!!」

 悶絶する痛みの中でも、心中で自分の主人を求めた。手を伸ばせなくても、口から苦悶の声しかでなくても、例え幻影の主人でも、心より求めた。

 公園に将斗は向かってなかった。戌月が将斗の姿を重ねた人物はまったくの別人、意識が朦朧とする中で脳が見せた幻影だったのだ。それでも幸せだったろう、主人が自分のピンチに駆け付けてくれたという、ご都合主義展開の幻影を見れて。強烈な異臭や頭痛、痛みが次々と襲った為、戌月の脳は考える事を放棄し、意識を断った。

 敵の前で気絶するなど、殺してくれと言っているような物だ。豚の狐狗貍がそれに応え、三度腕を振り上げた。

「おっと、その犬耳ちゃん、殺されちゃ困るんだわ。だから代わりに、お前が死んでちょ」

 将斗と勘違いされた人物(恐らく男)が、軽口を叩きながら右手を豚の狐狗貍に向けた。右手には何か銃の様な物を持っており、左手にも似た物を所持している。

「しっかし……傍観し過ぎたか? 犬耳ちゃんボロ雑巾じゃん。……あぁ、そうだ。わざわざこの俺が言う事聞いて見張ってたんだ、助けるの遅い〜、とか文句たれんなよバカたつ

「いや私も一緒にいたじゃん。何自分だけ働いたみたいに言ってんのかな君は。てか私は辰雷しんらいだし。バカ辰じゃないっす」

 どうやらもう一人居たらしい。もう一人は戌月の喋り方を真似して反論した。豚の狐狗貍は二人の会話を気にせず、戌月を潰そうとしている。

 男はおっと、とたいして焦っていない様子で呟き、銃の引き金を引いた。銃からは火薬が爆発する音も、撃鉄が雷管を強打する音も出ず、変わりに落雷が落ちるような音が小さく鳴った。銃口からは銃弾サイズの光弾が撃ちだされた。光弾は直ぐに、豚の狐狗貍の額に着弾し、黒い穴を空けた。貫通はしなかったようで、豚の狐狗貍もたいしてダメージを受けていない様子である。構わず戌月を圧殺しようとした瞬間、豚の狐狗貍の頭が弾けとんだ。中で何かが炸裂したかの様に、弾けとんだのだった。〝焦げた〟元頭の肉片が地面に散らばった、その一部が戌月に降り注いだ。血は出ていない、頭が有った場所酷い火傷のように焼き付いて、ある意味傷口が塞がっている。

 頭を失った豚の狐狗貍は、後方に向かって倒れた。それでもまだ生きているのか、ピクピクと痙攣している。

「うわ、まだ生きてんじゃん。きっしょ」

 銃を持った男は、とうに豚の狐狗貍の所まで来ていた。まだしつこく生に縋る豚の狐狗貍に向かって、有無を言わせず銃を連射する。

 男と共に居たのは女で、屈んで気絶した戌月の顔を覗き込んだ。

「う〜ん、私らって契を交してないとここまで弱っちゃうんだ。実際、自分の眼で見ちゃうとどん引きだね。こんな雑魚に、ズタボロに殺られかけるなんて。おねーちゃん悲しいわぁ〜」

 十二支守護獣と契約者は、鍵と鍵穴のような関係。どちらかが欠けては、ちゃんと扉が開くことはない。鍵穴が傷付く事無く扉を開くには、正式な鍵を用いる事が常識だ。どちらも必要不可欠の存在である。

「おい、終わったぞ。あと何匹だっけ?」

 豚の狐狗貍を完全に滅殺した男が、女に話掛けてきた。銃は既に持っていない、どこかにしまったか、それとも戌月の武器のように消してみせたのか。

「たぶん十九匹。まあ〝陰組〟も仕事してるから、もっと減ってる可能性あるけど」

「つーかよ、現世に残ってる狐狗貍弱過ぎじゃね? 前の俺のときにゃあ、もっと骨がある奴居たじゃねぇか」

「今出てんのは、ある意味前座でしょ。今度はあの六体が復活するんだよ? それだけで、かなりの脅威じゃん」

「………五芒魔星と、悪食魔王、か」

「五つの国と破壊と殺戮の神様に、たった二十四人で喧嘩挑むようなもんだねぇ。ビビった? ビビってるっしょ!? ひゃ〜カッコ悪〜!」

「撃ち殺すぞバカ辰」

「うひゃひゃ、私の〝眼〟で私を殺せるわけな〜いじゃん」

 こんな言い合い、二人にとって挨拶みたいなものだ。それは昔も今も変わらない。二人も十二支守護獣と契約者だった。しかも戌月と違って、とっくに再会の契を交している。 

 半ば放置されていた戌月に、十二支守護獣の女が視線を戻した。男もつられて戌月を見た。そして一言。

「……ぶっちゃけ、契約するならこっちの娘の方が良かった…」

「妹に手を出したら撲殺するぞ。特に君」

「いやだって……お前の四倍可愛いじゃん…犬耳尻尾とかリアルな萌じゃん、平面世界からこんにちはレベルじゃん。それに比べたらお前、角ってなんだよ!? わけわかんねぇ…誰得だよ!!」

「五月蝿い黙れ死にさらせ。それより、この娘どーしよ。契約者とこに、今つれてくの得策じゃないし…」

「ウチ……連れていこうぜ?」

 男が今までにないくらいの、キリッとした表情で言った。女は勿論それをスルー。

「どーしよっかぁ」

「なんにもしないから! ちょっと悪戯するだけだから」

「する気満々じゃねーかぁぁ!! しかも君の悪戯は全部十八禁レベルだから、尚更ダメに決まってんだろっ!」

 ツッコミを入れながら、女は戌月を背負った。戌月は嘔吐物や肉片で汚れているが、気にする様子はない。男はまだぎゃーぎゃーと騒いでいるが、女は戌月をどうするか悩んでいた。いったい何処に預けるか。自分が居る所は、馬鹿が居るので駄目。ならば近くに居て頼れる人物は……。頭を使って数十秒、答えとなる、近くに居て頼れる人物を思い付いた。

「そーだ。寅果いんがねーちゃんとこに行こっ」

 彼女は戌月を背負って、夜の道を歩きだした。

十二支守護獣達はそれぞれ固有武器を持っています。名前が無いと寂しいので、昔話や童話をモチーフにしてみました。戌月のは、はなさかじいさん。はたして犬が死ぬ話をモチーフにしてよかったのか…。

というかこれから出る武器にも名前付けているんですが……アイタタタ。


さて、今回で辰雷と寅果という名前が出てきましたが、たぶん分かる方には分かると思います。片方は暗黒龍騎士自宅警備員です。


次回は将斗の記憶が、何故蘇らないかが明かされる……ってなればいいなぁ。


次回も読んで頂ければ幸いです。

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