十二支英雄見聞録・第二章・玄武討伐編第一節
今回もだいぶ遅くなってしまい申し訳ありません。今年初更新です。今年もまたゆっくり更新になりますが、よろしくお願いします。
若干スランプ気味なので、描写が薄く後半駆け足ですが、本編をお楽しみいただけたら幸いです。
将斗と戌月が現代で再会してから、カレンダーが一枚切り離された。季節は夏に入る。蝉はまだ騒がしくはないが、嫌気さすような熱気が空からも地上からも感じられた。年々酷くなる地球温暖化のせいか、太陽が特別気合いをいれているのか分からないが、どうでもいい。既に熱中症で何人か病院送りになったそうだ。
蛾の狐狗貍を最後に、将斗は狐狗貍に遭遇していない。元々数が少なくなってきていたのもあるが、陽組の管轄の地域の狐狗貍は美空と詩織が積極的に滅殺しているのもあった。
このまま何もしなくても将斗はいいかと思っていたが、戌月による将斗の肉体改造はだいぶ前から始められていた。もしもの時対応できるようにと、戌月は古臭い方法で将斗を鍛えた。将斗がいくら嫌がっても、戌月はこれだけは譲らなかった。おかげで運動不足は解消され、躰はしっかりとしてきた。将斗にとってはありがた迷惑以外のなにものではないが、霊慧丸が契約者なら必ず通る道だからとたしなめられて渋々従っていた。できればトレーニングの成果を発揮する機会が来なければいいと、将斗は毎日祈っていた。勿論就職活動そっちのけなので、宗光には心配をかけている。因みにトレーニングに行くとき、三人で遊びに行ってくると嘘をついて家を出ている。
特訓では二人の上下関係が逆転しているが、家ではやっぱり戌月は将斗にべったりで、色々と問題を起こしていた。
休日の今日もまた騒がしい日常になる筈だったが、意外な訪問者によって変わる事になる。
将斗が足音荒く廊下を歩き、今や女子部屋になっている元空き部屋のドアを少々乱暴に開けた。そこに居たのは勿論霊慧丸と戌月。二人とも夏服になっているが、相変わらず霊慧丸は学校指定のサイズが会っていないハーフパンツに『国士無双』と書かれたTシャツを着ている。長過ぎる髪はうざったいのかポニーテールにして、前髪をヘアピンで止めている。戌月は家に居る間ほぼ毎日、キャミソールとホットパンツというかなりの薄着なので、主に宗光的意味で将斗にベタベタすることを自粛させられている。その為戌月はストレスのせいで、尻尾の抜け毛が酷いとか酷くないとか。
戌月に用があった将斗だが、戌月が霊慧丸と向き合って難しい顔をしているのが気になった。
「……何してんの?」
「ん、オセロ。というか将斗君、女の子の部屋に入る時は三回ノックしてから返事をまって、許可がおりてから入りたまえよ」
女の子部屋というには些か汚過ぎる気がするのだが、と将斗は思った。床に投げ捨てられた菓子の袋や空き缶、脱ぎ捨てられた衣服。天然パーフェクト超人の宗光よって整理整頓され、綺麗な状態が保たれていた森重家では珍しい光景だった。将斗も彼のDNAを少なからず受け継いでいるので、比較的に部屋を綺麗にしていたため、はじめの頃女子部屋を見ると絶句していた。今では女子部屋は、抜き打ちで宗光のチェックが入るようになり、汚過ぎると食事抜きなどの折檻が実行される。それでも二人は懲りずにずぼらを貫き、毎回痛い目を見ていた。
汚い部屋を見回してから、戌月が凝視しているオセロ盤に視線を送る。試合はあと数手でゲームが終わるところまでいっており、黒が圧倒的で白が数枚しかない。しかも試合がどう進んでも盤が真っ黒になるのは目に見えていた。
「色はどっち」
「黒」
「し……白っスぅぅぅ……」
こんな戦況でよく続けれるものだ。結末が分かっていないのだろうか。
「なんでこいつこんな必死にオセロやってんの。しかもどう見ても詰みっしょ、これ」
「三時おやつの紅白饅頭賭けてんの。戌月が勝ったらワシの分やる、ワシが勝ったら戌月の分はワシが貰う。キッチリとした賭けじゃよ」
「たまちゃん相手に頭脳ゲームで勝てるわけないじゃん。馬鹿だなぁー」
「損得を深く考えずに、本能で行動できるのが戌月の良いところ」
「人、それを馬鹿という」
「うぅぅ〜……」
勿論このあと、戌月の完敗。オセロ盤は予想通り真っ黒に染まった。戌月の腹におさまる筈だった饅頭は、彼女の実力不足により霊慧丸の物となった。悔しさのあまり戌月は泣きそうになりながらオセロを片付けている。敗者が遊び道具を片付ける、それが敗者のルールらしい。霊慧丸が饅頭を一つ平らげ、見せ付けるようにして二つ目に口を付けた。元々あまり大きい饅頭ではないので、食の小さい霊慧丸でも二個食べられる。
「うわぁぁーーっ! 将斗様慰めてくださいっ!」
ちゃんオセロ盤を片付けてから、将斗に抱き付こうとするが、頭を捕まれ阻止された。
「自業自得だ。つかそんな薄着でくっつくなって言ってるだろ」
「ふぇえ……酷いっスぅ。抱き付くくらいいいじゃないっスか。そんなに肌と肌の触れ合いが、おっぱい当たるの嫌っスか!?」
「いや違うぞ戌月。貧乳巨乳の違いはあれど、男はみんなみんなおっぱい大好きだからな。将斗もあれだよ。そんな薄着で擦り寄られたら……なんだ、アレだよ……多分たまってるから……なんやかんやで…………うん」
「言ってる途中で恥ずかしがるなら言うの止めてよ。こっちも恥ずかしいんだから」
饅頭を頬張りながら、少々うつむき加減でこちらチラチラ見る仕草をする霊慧丸。彼女は大胆なのかウブなのかたまに分からなくなる。
「たまってるって言うなら尚更いいじゃないっスか。私はいつでも大丈夫っス」
「寝言が言いてぇなら泣かし付けてやるぜ。主に暴力で」
「フフフ、今の将斗様で出来まスかねぇ。ま、将斗様と触れ合えるならなんでもいいっスけどね! たまちゃんが教えてくれた、えすえむぷれいでもおーるおーけいっス。私はえむだそうでス」
「はいはい」
悪い顔でにやける戌月にうざったさを感じる。
今の将斗に完全に慣れた為か、戌月ははっちゃけた発言が増えた。永い年月を生きている為、性に疎いというのはないだろうと思っていたが、将斗をからかおうとして間違った知識で得た下ネタを言うのは止めてほしい。かなり面倒くさいのだ。
まだ名前をまともに呼んでくれた事がない将斗に構ってほしいが為の発言だったが、将斗に華麗にスルーされシュンとした。将斗もまた、戌月の構ってちゃん発言に慣れた為、彼のスルースキルも強化されていた。
「して将斗。なんか用あったんだろ?」
「あぁそうだった。俺が用あったの……こいつだよ!」
「えっ、私っスか!」
将斗が構ってくれる。そう思って戌月は出していた尻尾を左右に振る。ただし、将斗がうらめしげに頭を掴んでいる手に力を加えているのに気付いていない。
「お前、また勝手に俺の部屋に入ったろ。何回も言ったし、何回も躰に教えたよな」
イライラがはっきりと伝わる将斗の声を聞いた瞬間、戌月の躰は固まり、動きがぎこちなくなる。
「アルェー。ソソソンナァー、ワタシーシラナイッスヨォー?」
「明らかにテンパってんじゃん。尻尾も下で振ってるし。お前は嘘下手なんだよ、その尻尾含めて」
犬が尻尾振るのは喜びを表しているとよく言われるが、実際様々な俗説が存在する。尻尾の高さで喜んでいるのか怒っているのか等が分かれるだとか、右に大きく降れば喜んでいるだとか。最近は色々な地域で、学者が発表しているが言葉を喋れる戌月なら、尻尾の振るパターンで感情が分かる。結局は固体をよく観察しろ、という話だ。
戌月の場合も数パターンあり、将斗はだいたい把握している。例えば今の状況なら、尻尾を下向きに力なく振っている。戌月は嘘をつく時や緊張状態だとこうなる。まあ、戌月の嘘を見抜くのに尻尾を見なくても分かるだろうが。
「お前が構ってほしいのは嫌でもわかるけどよ、禁止してる事はすんなよ。頼むから」
「ウゥー、シラナイッテイッテルジャーナイッスカー」
「しらをきんなよ。お前が部屋入れば大抵わかんだよ。匂いで」
「えっ! 私の匂い覚えてくれたんスか!」
犬にとって、匂いを覚えてくれたというのは嬉しい事だ。犬に限らず嗅覚が優れている動物にとって、匂いはかなり重要な物である。同族を認識する物であったり、命を脅かす大型動物を察知したり等、用途は計り知れない。
「いや、お前まだ糠臭いし」
「うぇえ……」
「うぇえ、じゃねぇよ。俺もびっくりだよ。ちゃんと風呂入ってんのに、なんで匂い取れないかな」
だてに宗光によって、封印されていた石を数十年も、糠床に漬けられていたわけではない。石の中に居た戌月に臭いが染み込むとは、宗光の腕の良さが伺える。
「というわけで、お前が部屋入れば大抵糠臭さで分かります。主に布団から。なんでかなー?」
「いやー、だって将斗様、構ってくれないから寂しくて……匂いが染み付いているお布団に包まっブフゥ!?」
変態予備群な発言をしかけた戌月の脳天を、将斗のチョップが捕えた。
「お前、気持ちわりぃからホントに止めろよ。そのうち未●日記のヒロインみたいになりそうで怖い」
「まだパンツの匂い嗅いで興奮したり、シャンプーの中によだれいれたりしたことないから大丈夫っスよ!」
「てことはヤンデレにはならないかもしれないけど、もう少しで変態になるレベルになるかもしれないじゃないか!」
またも戌月に振り下ろされる将斗の一撃。そんな二人のやり取りを呆れた様子で眺める霊慧丸。二人はこういったやり取りを、ほぼ毎日している。幼い獣のじゃれあいと変わらないそれを毎回見せられる霊慧丸は、少々飽きていた。しかも戌月が将斗によくじゃれつくので、一緒にゲームをして遊ぶ時間が短くなって寂しかった。
饅頭を食べ終わった霊慧丸は静かに部屋を出た。あの状態で将斗の気を引いたらまた戌月に威嚇されるので、宗光に構ってもらうことにした。軽い足取りで一階に降りる。すると、普段この家に無い人間の匂いを嗅ぎとった。歳をとっているが犬科の動物、匂いは戌月程ではないが分かる。匂いは無駄に甘ったるい香水に包まれており、思わず顔が歪んだ。恐らくこの強い匂いは戌月も気付いているだろうが、嗅いでいたくない匂いなので無視しているのだろう。もしくは無駄に将斗に抱き付いて、匂いを誤魔化しているのか。匂いの元は居間から漂ってくる、玄関を見ると見慣れないハイヒールが。二階の部屋で騒いでいるうちに客が来たのだろうか。
こっそり居間を覗くと、見慣れない女性と宗光が向かい合って話をしていた。宗光は難しい顔をしている。これは第三者が関わってはいけないと感じ取った霊慧丸は、退散しようとしたが宗光に気付かれてしまった。宗光は何も言わなかったが、女性が宗光の視線を追い、霊慧丸を発見した。
「誰? あの娘」
「家庭の事情で居候している将斗の友人だよ」
「ふーん……」
あまり興味が無い様子で遠慮なく見てくる女性に、一応会釈をする。派手な格好な女、霊慧丸が嫌いなタイプだ。
「ちょうどよかった。たまちゃん、将斗を呼んできてくれないか」
「たまちゃんって、随分仲がいいのね」
「ああ、なんでも本名が好きではないらしくてな。本名は霊慧丸だ」
「うわぁー、時代錯誤以前にださっ」
「すいませんねー、親が日本オタクのDQNで」
言い方にカチンと来て、宗光に使った嘘の設定をわざと聞こえるように言った。性格もまた、霊慧丸の嫌いなタイプのようだ。
女性の変わりに宗光が霊慧丸に謝った。いちいち悪態に深く怒るほど子供でもないし、そこまで歳もとっていない霊慧丸は軽く頭を下げてから、二階へ向かった。
女子部屋ではまだ二人がじゃれあっていた。いつだったたかは忘れたが、戌月が将斗のツッコミを躱さない理由を聞いた事があった。理由はいかにも彼女らしいもので、簡単に躱せるらしいが、構ってもらえてるから躱さないらしい。前々からMっ気があると思ったが、それは確信になった。将斗に宗光が呼んでいると伝え、知らない女性の事を手短に聞いたが、将斗も知らないそうだ。
将斗は戌月を置いていこうとしたが、引っ付いて離れようとしなかった。流石に客が来ているのでこれはいけないと、霊慧丸の協力を得て離す事に成功した。だが霊慧丸と一緒に隠れて話を聞くようだ。霊慧丸も気になっていたらしく、戌月と手を組んだ。
居間に着いて女性を見たが、やはり将斗は見覚えがなかった。宗光は将斗を隣に来るように指示すると、女性の事を紹介してくれた。が、それは将斗にとって、少なからずの衝撃を与えた。
「将斗。この人は大海原愛奈。一応、お前の母親だ」
宗光が告げた言葉を聞いた将斗は、無表情になりフリーズする。数十秒の間が空き、微妙な空気が充満した頃、将斗はようやく口を開いた。
「え」
絞りだした声は本当に簡単なものだったが、その一声で将斗の心情はなんとなく感じ取れた。酷く混乱しているのだ。
物心つく前から、将斗に母親は居なかった。そして宗光に、母親は交通事故で死んだと聞かされていた。だが真実はどうだろう、今目の前にいる女性が母親だと、宗光本人が言っている。考えてみれば、家に仏壇が無かったり、母親の写真が全く無かったり等、おかしい点は沢山あった。しかし、母親が居ないのが当然だった将斗には気にならなかった。母親が居ない事をつっこまれても、自慢の父親が居るので苦にならなかった。
本当に愛奈という女性が母親なら、宗光が十九年間、将斗に嘘を吐いていた事になる。だが将斗は父親を責める気持ちは全くなく、ただただ混乱しているだけだった。更に将斗が不思議に思ったのは、なぜ宗光が母親が死んだと自分に言っていたかであった。混乱と共にくるその謎に、将斗は頭が痛くなるのを感じた。
「一応って心外ね。その子は私がお腹を痛めて産んだのよ、一応ね」
「おい……!」
愛奈の言葉に宗光の方眉が吊り上がる。睨むような視線を送るが、愛奈は涼しい顔をしていた。
「そういえば、その子には私が死んだって教えていたんだっけ? ならその子の反応は仕方ないか。でも、なんで呼んだのよ。嘘を貫いてればよかったじゃない」
「……いい機会だったからさ。嘘はいつかばれる。将斗ももう大人だ。本当のことを話してもいいだろう」
「相変わらずカターイ。昔みたいにはっちゃけた方がモテるわよ?」
「昔の話は止めてくれ……」
彼女にふられた話題に、何か嫌な事を思い出したのか、目元を手で隠しうつむき加減に呻いた。
それを見て、愛奈はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。愛奈の笑みに、宗光は軽く舌打ちをする。将斗にとって、宗光の舌打ちは母親が生きている事なみに衝撃であり、混乱から解かれた。頭が堅いが天然であり、温和な性格の宗光の舌打ちなんて生まれてこの方聞いた事が無かったのだから。
「ねぇ将斗。なんでアンタが産まれたか知りたい? どうせコイツ、教えてないんでしょ」
確かに聞いた事がない。真面目な宗光が、こんな性格が絶対に合いそうにない女と、どういった馴れ初めがあるのかは気になる。しかし、隣の宗光が愛奈を睨み付けているため、素直に首を振る事ができなかった。
「なによその眼。別にいいじゃない、嘘はもう止めるんでしょ? もう大人なんでしょ。だったら話てもいいじゃない。いい機会、だし」
「くっ……好きにしろ」
「そうねぇ……あれは高校時代だったわねぇ」
愛奈が語りだす宗光の過去は将斗だけではなく、物陰に潜んでいる戌月と霊慧丸も聞き入った。
宗光は高校に入るまで、今以上に真面目だった。なんでも父親が厳格な性格で、大変厳しかったからだそうだ。そんな父親を持てば、勉強やその他に打ち込むようになるのは仕方ない。宗光自身も、自分の現状が当たり前だったから文句は言わなかった。
小学生、中学生とガリ勉だった宗光は高校生になると、ある変化が起きた。ある意味人生のターニングポイントとも言える。高校にもなれば、周りにいろいろとオープンな者が増え、それに引き摺られるように新たな扉を開く場合がある。宗光もまた些細なきっかけで変わる事になった。
最初は付き合いを考えて誘いに乗って遊んでいた程度だった。誘ってきたのがクラスのトップグループになりそうな集団であり、静かな高校生活をしたいなら従うのがセオリーである。賢い宗光はそうやって切り抜けてきたが、今回はそうはいかなかった。そのトップグループの生徒達に気に入られたのだ。元々物静かな二枚目だったので、主に女子に気に入られた。
遊びに頻繁に誘われた。しかしだんだんと嫌気は無くなり、これが楽しいと認識してしまった。家の門限は守らなくなり、成績が悪くなり始めた頃には、髪を染め流行りの髪型にした宗光と父親がよく衝突していた。今まで真面目だった分、反動で所謂不良になるのも早かった。酒も飲んだし、タバコも吸った。クスリ以外は、遊び人タイプの不良がやりそうな事は全てやった。だが根は真面目な為か、高校は止めず、卒業ギリギリのラインの成績を保っていた。
そして宗光のターニングポイントはもう一つあった。宗光が十八歳の頃、酒の勢いで同じグループの女子と交わり、子供が出来てしまったのだ。それが将斗であり、相手は愛奈なのだが、勿論愛奈はおろそうとした。当然だろう求めて出来たわけではない、遊びの、しかもある意味事故で出来てしまった子だ。なのだが。
「おろすのはダメだ。産んでくれって、コイツが頼みに来た時はウケたわ」
宗光はどんなになっても真面目だった。真面目であり、責任感も人一倍あった。子供が出来た事により、息を潜めていた宗光の本性は戻り、彼に変化を与えた。まず愛奈を説き伏せ卒業後に籍を入れる事を約束させた。
子供が出来た事に父親は激怒した。元々宗光の高校生活で険悪になっていたので、火に油を注ぐ結果になってしまい勘当されてしまった。家も追い出されたが、その際に母親が心配していくばくかの金を渡してくれたので、当面は困らなかった。かなり賃貸が安いアパートにくらしバイトをしながら高校を通い、無事とは言えないが卒業する事ができた。
「もういいだろう」
ペラペラと喋っていた愛奈を止めたのは、眉間に深い皺を作った宗光だった。もうそこまで言えば十分だろうと。この過去は宗光にとって大事な思い出だが、同時に脂汗をかいてしまいそうになる黒歴史でもあるのだ。今まで以上に苦虫を噛み潰したような表情をする宗光を見て、愛奈は肩をすくめて黙った。
宗光の隠された過去と、自分の出生の過程を知った将斗は絶句していた。話は中断されたが、このままいけば宗光はできちゃった婚をする事になるだろう。宗光ができちゃった婚だったなど、誰が予想できただろうか。隠れて話を聞いていた二人もまた同じ気持ちであった。
「これは……なんだか凄いっス。宗光さんのことだから、数十年の一途な恋愛とかしてそうだったのに」
「まぁ……人間だからなんやかんやあるさ……うん」
「あれ、なんか元気無いっスね。やっぱりショックだったスか? 理想的な意味で」
「むう、できちゃった婚はいいんだよ別に。避妊したって妊娠の確率は0にはならないんだから。それにワシもそんな展開になったらなぁ……って」
「………………ん?」
「だが許せないのはあのアバズレだよ。話では酒の勢いのせいみたいだけど、なんで見るからにあんなビ●チと宗光さんがぁぁぁ……!」
どこかずれているところに怒りを感じている霊慧丸を見て、少し引く戌月。正直なところ、戌月はこれよりもたちが悪いのだが本人に自覚症状はない。
「ま、結局ちゃんと籍は入れたんだけど、続くわけが無かったのよね。アンタが産まれたら私は出ていく事にしたの。宗光も息子大好きの頭カチカチ男になってつまんなかったしね」
どこか演技掛かった動きで昔を思い出す愛奈。過去を思い出す彼女は無表情だった。
話によると将斗の親権で争った様子は無い。宗光が押し切ったか、愛奈が将斗に親としての意識が薄かったのか、あるいはどちらもか。母親は子が産まれれば変わる者もいるが、実際は愛奈のように子供に興味を持たず、捨てる母親も多い。それならばここに残るより、別れた方がいいだろうと判断したのは宗光であった。
「勝手よね。孕ませといて、産めっていったり、籍入れさせたり、別れたり。まあ、別にいいけどさ」
「…………いい加減本題に入ったらどうだ。私の事をなじりにきたわけではないだろう? それに、別れたいと言ったのはお前の筈だ」
「そーでした。実はね、お金、貸してほしいのよ。もうどこにも借りれないから」
この女、愛奈は見た目や性格から分かるだろうが、遊び癖が半端ではない。男に貢がせて金を得るのは日常茶飯事、金融関係の人間からはブラックリストに登録されている。金を要求する彼女に、悪びれた様子はない。
「…………そんなことだと思ったよ。もういい将斗、部屋に戻ってなさい」
「え」
「ちょっと、なんで今更よ。なんで今更、そんなこと言うわけ?」
愛奈の言い分に、将斗も同感だった。最後まで同席させてもらえるものと思っていたからだ。
「実の母親を教えようと思ったが……やはりお前は将斗には悪影響だ。金はやる気はない。帰れ」
「はぁ? 何それ。勝手過ぎ。何かにつけて将斗将斗って、だから私らも上手くいかなかったんじゃない!」
「私にも非があったことは認めよう。だが、男遊びや金を消費することしか頭に無かったお前の言葉は、何の意味もない」
「なにその屁理屈。アンタが私の事を縛り付けたんでしょう! 興味無かった子供孕ませて、産ませて、私の自由奪ってのセリフそれ? 私は子供なんか欲しく無かったのよ、邪魔なだけだったのよ! アンタも、将斗も憎いだけよ!」
愛奈が結婚生活時に思っていた事をぶちまけた。将斗本人はあまり衝撃を受けなかった。彼女が将斗に興味がなかったのと同じように、母親に興味がなかったのもあるが、なんとなくそう思っているだろうなと感じていたからだ。今ではこんな母親、珍しいといえば珍しいが、いないわけではない。
しかし、将斗を確かに愛している父親の宗光は、元嫁の物言いにカチンときた。
「っ! 貴様それを――」
「それ本気で言ってるんスか!?」
愛奈のセリフに、感情を押さえきれなくなりかけた宗光の言葉を遮ったのは、戌月であった。隠れて話を聞いていたのが、宗光と同様我慢できなくなって飛び出した。
いきなり現れた戌月は、様々な意味で場の空気を変えた。
「……誰、この娘」
「先程の娘の姉だ」
「はぁ? アンタ達女二人と同棲してんの? どっちかが将斗の女なの。つーか姉妹似てねぇ」
「ただの友達です」
「将斗さんの言い方にはなんだか引っ掛かりまスが、そこの貴方! さっきの本気で言ってるんスか!」
さっきのとは、勿論将斗と宗光に対しての暴言だ。戌月にとっては将斗がメインで、かなり頭にきた。それでも将斗を人前ではさん付けしている辺り、まだ冷静のようだ。
「いやいいから。お前部屋戻ってろよ、話ややこしくなるから」
こういった展開で、長所であり短所でもある真っ直ぐな性格をした戌月が関わるとろくな事にならないと、将斗が彼女を押し戻そうと肩に手を置くが、踏ん張ってそれを阻止した。
「よくないっス! 全然よくないっスよ! お腹痛めて産んだ子に邪魔だったって、憎かったって言ったんスよ。どこも、なにもよくないっス!」
戌月は怒っていた。
戌月が持つ愛奈への印象は霊慧丸と殆ど変わらないが、違うものが一つだけあった。それは尊敬の念。自分の主である将斗を産んでくれた偉大な女性としても見ていた。だったのだが、愛奈が吐き捨てたセリフに宗光以上に反応した。尊敬の念はドブに捨て、押さえきれなくなった感情のままに登場したのだ。
「お前、直接関係ないんだから関わるなって」
押し戻すのを諦めた将斗は、戌月を少し持ち上げて引きずり始めた。彼女の体重が軽いのが幸いし、持ち上げるのは難なくできたのだが、まだ言いたい事が言えてない戌月は将斗が怪我をしない程度に抵抗する。十二支の中で筋力的な力が弱い戌月だが、本気を出せば大の男を一撃で殴り殺す事ができるため、かなり手加減をする必要がある。
「将斗さんがあんな風に言われて、黙ってられないわけないじゃないスか! 過去になんやかんやあっても、産まれてきた子供に罪はありません! それなのに愛を否定するだけじゃなく、憎むだなんて……どんなになっても母親が言っていいことじゃないっス!」
この時実は密かに宗光の中で、戌月の好感度がぐんぐんと上がっていた。なんだか将斗的な意味でいい印象が持てなかったが、今将斗の事を純粋に思い自分のことのように怒っている姿に、一種の感動を覚えていた。今の子にしてはなかなか……、と思っているが実のところ戌月の方が宗光より何百歳も年上である。
戌月を連れていこうとする将斗、愛奈に喪の申そうと喚く戌月、密かに感動している宗光、隠れて面白くなってきた展開をニヤニヤしながら見守る霊慧丸。おいてけぼり感が漂う愛奈は、将斗のために必死に怒る戌月を物珍しげに見つめていた。宗光も思っていたことだが、他人のために本気で怒れるというのは珍しい。将斗が止めず、自分がまた何か言っていたら殴りかかってきたかもしれない。最初現れた時は、それぐらいの勢いがあった。
「アンタ……将斗のなんなの?」
「えっ、えぇ〜とぉ〜……? 私はぁ〜」
将斗が自分の御主人様である。とは言えないだろう。では恋人関係? それは将斗に否定され、下手したら宗光に数日間ご飯抜きにされる。だが無関係やただの友達というのは、なんだか嫌だった。将斗の前世の記憶があれば、もっと進んだ関係になっていたかもしれないと妄想するのが日課になっている。
そこで思いついた。将斗と自分の関係を偽りなく、現代風に言ってみようと。周りから馬鹿な娘と言われている戌月が、無い頭をひねって思いついた言葉は、冷静に考えれば、殆どの者が引いてしまうものであった。
「将斗さんと私は、飼い主とペットの関係ですっ」
語尾にハートマークが付きそうな、甘い語調だった。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「え。えっ……えぇ? なんスか、なんなんスか? なんで皆さん黙っちゃったんスか、なんで皆さん、突き刺すような視線を送ってくるんでスか。痛い! なんだか痛いっス、主に心が!」
「……私、帰るわ」
引きつった顔で立ち上がった愛奈を止める者は誰もいなかった。いや寧ろ、戌月の発言のおかげで追い返す事ができたのだが、どうも嫌な空気が充満していた。それもそうだろう、戌月がやらかしたのだから。
愛奈が玄関を出た辺りで戌月は自分の失言に気付いた時には既に遅かった。そもそも頭に浮かんだ時点でダメだと気付ければよかったが、戌月の元々の残念さと、焦りによりドン引かれてしまった。
この後戌月は宗光に説教をくらい、将斗に二日くらい無視されるという簡易的な地獄を味わった。
*
その日の夜、将斗の自室。将斗の表情は不機嫌そのものだった。勿論理由は戌月である。実は将斗も宗光に、二人は一体どういう関係なのかと再確認されていた。その再確認が少し説教のようだったし、今日出会った愛奈に変な性癖を持っていると思われたかもしれない。
眉間に指を当てて、戌月との付き合いをどうしようか悩む。最近戌月は薄着で、露出も多い方の格好をしてボディタッチされるのも困る。色々と戌月問題で頭を悩ませていると、一瞬視界が暗くなった。
「?」
なんだろうと、眼を擦り、二三度瞬きをする。すると後頭部を殴られたような痛みがし、視界がグルリと回ってから暗転した。痛みに呻き、何も考えられなくなる。苦しんでいるなか、将斗の意志とは関係なく口が勝手に動いた。
「あの女……女? 女なのか? 何か気にくわない」
漏れた声は将斗の声質とまったく違う、中性的な高い声だった。
その声には将斗は気付かず、自分の口が動いたことすら認識していなかった。