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断章之壱

今年最後の更新となります。毎回ゆっくりペースで申し訳ありません。


来年もまたお付き合いしていただけると幸いです。

 それの意識は唐突に覚醒した。彼にとって心から渇望した、父と弟と笑いあって過ごせた日常という夢の中で、予兆無しに目醒めさせられた。感覚としては、寝起き時の頭がぼーとするのを除けば、瞬きした時とあまり変わりない。故に、彼が現状を把握するには少し時間が掛かった。彼が眠らされる前から数えれば、現代は数千年という長い月日が立っている事を彼は知らない。しかし、現時点で彼自身が居る場所の風景を見て少し考えれば、自分は長い間眠らされていた事を理解した。

 今自分が居る場所は、家の中にある部屋の中だ。だが内装は、現代では普通とされているが彼にとっては未知以外のなにものでもなかった。部屋の住人からしてみれば、得体のしれない彼がいきなり現れたように見え、そちらの方が異質な光景なのだが、住人が騒ぐ様子はない。

 彼にはよく分からないが、部屋の壁紙は明るい色にされており、可愛らしいファンシーなぬいぐるみが飾られている。また女子が好みそうな小物もいくつか確認でき、現代に生きる者ならば幼い女の子の部屋かなと予想できるだろうが、彼にその知識はないのでただただ不思議な空間に思えた。部屋を見渡していると、部屋の主であろう女の子を見つけた。ベッドに横たわっていて、眠っているのか起きているのか分からない。彼は部屋の主を無意味に恐がらせてはいけないと思い、この場から去ろうとした。この部屋に居てはいけないのは自分だ。何故目醒めたらここに居たのかは分からないが、居てはいけないのは分かる。恐らく部屋を出て外に行けば、彼が知っている世界は無いだろう。現代の建物の森にへと進化したこの世界を彼はどう見るか。それは分からないが、彼は出来るだけ人に関わりたくないので軽く躰に力を入れた。昔のトラウマもあるが、自分が人と関わったら迷惑しかかからないと己で理解している部分があるためだ。彼は脚を動かさなくても移動できる手段がある。が、躰に力を入れる必要があるのだ。そして力を入れたのだが、普段あまり負荷がかからなかった床は、彼の巨躯が動いた事によって悲鳴のように、ギシリと音がした。

「……誰か居るの?」

 音に反応し、実は起きていた部屋の主は躰を起こした。それに伴って彼は他事呂いた。やはり相手は子供。子供が自分の躰を見て大丈夫だろうか。

 彼の躰は黒かった。顔はのっぺりとした薄い黒色の面に覆われている。面には、眼の辺りに緑色の勾玉が左右二つずつはめ込まれている以外なにもない。茶色短髪が生える頭には、角にも見える三角の突起物が二つあった。身長は二メートル以上あり、躰は黒い鎧と肉体が一体化したようになっている。数少ない肉体の部分も、鋼の如く鍛えられた筋肉を纏っている。体格に似合うだけの野太刀を背負っており、躰の至る所に読む事ができない文字の様な模様がある。その模様は、呪いの呪言のようにおどろおどろしいものであった。

 子供が見たら怯えそうな見た目だが、意外にも女の子は無反応で、自分が出した質問の返事を待っているようであった。何故少女は何も反応しないのか。それは少女の眼に包帯を罷れていたからだ。

 少女の名は田神碧たがみみどり。彼女は盲目であった。更に、下半身不随であり、ここ半年自分の足で歩いた事が無い。よく見ればベッドの隣に車椅子が置いてあった。碧は生れ付き盲目ではなく、半年前までは歩く事も出来た。彼女の眼が光を失い、下半身がいう事を効かなくなかったのは、半年前にあった交通事故のせいだった。朝、碧が小学校に行こうと市から出されているバスに乗った。これは碧の日常では当たり前の事で、いつも通り少し早めの時間にバスに乗り、余裕を持って登校していた。クラスメートよりも早く学校に行き、誰もいない教室で、自分が一番だと優越感に浸るのが好きだったのだ。しかし、その日はそんな習慣のせいで事故に巻き込まれた。

 バスの運転手のちょっとした目眩。それが事故の原因だった。目眩のせいで一瞬かまたは数秒意識がそれ、対向車と衝突した。衝撃は強かったが衝突事故による死者はなく、運転手も含め乗客の殆どは無傷だった。怪我を負った者も居たが軽症、但し碧を除いては。

 碧の座っていた席はバスの入り口付近にあった。碧が座ればちょうど正面に手すりがあり、衝突による衝撃のせいで躰が大きく動き眼の上の辺りを手すりに強くぶつかった。それのせいで眼の神経のなんらかを傷つけてしまったのか、視力を失ってしまった。大きな手術をする他に視力が回復する見込みはなく、碧が大手術に耐えられる体力が無いと判断され手術はできないでいる。更に不幸は連鎖した。眼の上の辺りをぶつけた時に、首にも衝撃が伝わり脊髄の一部がずれ、中の神経伝達をする部分を傷つけたのか、下半身まで動かなくなった。視力と同じ理由もあるが、この手術はかなり難しい為治る確率は略ない。事故によって生まれた重傷者は田神碧ただ一人。碧の今の生活は、その日から始まり、終わることなく今日まで続いた。

 そんな事は知らない彼は、問いの返事を待っているであろう少女を、少し観察するように観ていた。何も言わず出ていけば良かったものの、なんだか少女を放ってておいてはいけないと思ったからだった。

「泥棒? じゃないよね……」

 碧は彼の存在を確信していた。眼が見えなくなったら、耳や鼻が良くなるのはよく聞く話だ。碧もまた、彼の呼吸音や、初めて嗅ぐ体臭を感じていた。

 彼にとって、碧が発する言葉は未知の物だった。彼が眠ってから言葉はかなり変わっている。それほど永い年月、彼は眠らされていたのだ。普通なら対応できないかと思われたが、意外にも彼はちゃんと碧の言葉を理解出来ていた。泥棒、それは簡単に言えば他人の所有物を許可なく持ち去り、自分の物にする罪人。彼は眠りながらも、人々の会話を聞いていた。それが睡眠学習のような働きをした為、彼は言葉を理解出来ていた。

 この現象は十二支達にも当てはまる。十二支達は自らを物に封印し、次の闘いまで眠りにつく。その間に人々の言葉を、時代にあわせながら眠りながらに学習し覚える。その為、十二支達は目醒めても、新しい時代に産まれた契約者とスムーズな会話ができるのだ。

「なんで何も言わないの? もしかして泥棒じゃなくて、オバケ?」

 碧は少し怯えた様子で言った。今のは冗談ではなく、彼女なりに真剣に考えたものだった。そこは子供と言えよう。

 彼は自分の躰を忌々しめに見た。そして溜め池を吐き出すかのようにして呟いた。

「オバケ。すなわち幽霊。それは死者の魂。憎悪に身を任せた魂は悪霊と呼ばれる。……俺は生者、霊ではない」

 彼の声は重々しく籠もったものだったが、どこか聞き取りやすい、若い青年のような声だった。故に碧は彼の年齢を上手く予想できないでいた。

「じゃあやっぱり泥棒?」

「泥棒。盗人。他人の物を許可なく強奪、自分の物にする罪人。俺はまだ強奪行為をしていない。よって俺は盗人である事を否定する」

「じゃあ貴方は何?」

「俺は俺を理解している。だが、幼子に俺を理解させるのは困難だと判断した為、説明を拒否する」

 彼から帰ってくる機械的な返事に、碧は困ったような表情をした。包帯が罷れている為表情は分かりにくいが、顔の筋肉の動きと口の形から彼は判断した。

「ならなんでもいいから私の話相手になってよ。暇なんだ。私に危ない事をする気がないならね」

「君に危害を加える理由はない」

「だったらいいよね」

「……了解した」

 暇をしていた少女は表情を緩め、やったと明るく声を上げた。この状態になってから、彼女の趣味は殆ど無くなったと言ってもいい。本は読めなくなったし、ボードゲームやテレビゲームは操作が困難になった。スポーツも自由に出来なくなってしまった為、暇を潰す事ができない。

 学校もこの状態になってから行っていない。心配性な親が行かせてくれないのだ。学校の友達も最初の頃はお見舞いに来てくれたりしたが、今では忘れられたように誰も来てくれない。興味対象が移ろいやすい子供だから仕方ないと言えるが、いかんせん本人は寂しくてしょうがない。

 久しぶりの他人との会話。最近では親とも話をしていない。得体の知れない彼との会話を純粋に楽しみにしている事から、碧は元々社交的な女の子かもしれない。それに反して落ち着いている雰囲気を纏っているのは、事故の影響だろうか。

「ねえねえ、貴方って兄弟とか居る?」

「なぜその質問を選択した?」

「なんとなく。というか質問を質問で返さないでよ。あとその喋り方止めて。なんか話にくい」

「分かった。俺には弟が居た。恐らく歳はあまり離れていない。俺はこの図体だが、反対に弟は小さく可愛らしい外見だった」

「へー。いいなぁ、私も弟か妹欲しいんだよね」

 碧は兄弟姉妹が居ない。親は共働きであり、家に居ても一人の場合が多く兄弟姉妹が居たらなと空想する事が何度もあった。兄弟姉妹が居ない者にはよくある、現実ではありえない理想の妹や弟を妄想してみる事もよくあった。

 しかし両親の仲はどこか冷めている部分がある事を、碧は子供ながらに感じていた。だから無理かと諦めているていもあった。

「弟さんはどんな人?」

「心優しい子だ。虫も殺さぬ子であった。俺と違い人に好かれる子であった。外見は童と変わらないかもしれない。が、俺のせいで変わってしまった。もう俺は会う資格はない。会ってはいけない。絶対に会ってはいけない」

「……?」

 碧は彼の声の抑揚がほんの少し変わったのに気付いた。今まで声に感情が籠もっていないような感じだったのだが、最後の辺りでは少しだけ声のトーンに変化が感じられた。視力を失ってから聴力が上がったらしく、人の声の微かな変化にも気付けるようになった。

 子供とは思った事を直ぐに口にしてしまうもの。落ち着いた雰囲気を纏っている碧さえも、例外ではなかった。彼の声の抑揚の意味を深く考えずに言い放った。

「もしかして……中二病設定?」

 子首を傾げる仕草をして少女の言葉の意味が分からず、彼もまた首を傾げてしまった。流石に中二病まで学習できなんだ。

 もし碧が彼の姿形をその眼で捕える事ができれば、彼の言葉の重みの片鱗を予想はできただろう。彼の抱えているであろう何かを、微かに感じられた可能性はあった。だがしかし、見えていないのが現実。寧ろ今も、見えていないから会話をしているといっても過言ではない。自分に危害を加えないと言ったから、知らない人物と話している。この危機感の無さは、自分を守ってくれる部屋に居続けたせいかもしれない。自分に敵意を持つ者はここに来ない、未知の相手は自分に危害を加えないと言った、それなら安心できるという安直な考えだった。これもまた、中途半端に大人っぽくなった子供の甘さであった。

 碧が言い放った中二病の言葉の意味を考えて、フリーズしてしまったかのように沈黙した彼。碧は言ってはいけない事を言ってしまったのか、と考え場を切り替えよう思い別の話題を提示した。

「わ、私なんで包帯を巻いていると思う?」

 言葉を発した瞬間、碧はしまったと思った。この話題は、碧の中でも暗い話題になってしまうワードだ。何故言ってしまったのか、それは焦りと言ってしまえばそれで終わりだが、相手のツッコんではいけない部分を触ってしまった感があったので、反射的に自分の触れにくい部分を言ってしまったのかもしれない。彼は律儀にそれを拾い返答した。

「眼を怪我をしているか、視力に問題があるため」

「あ……うん。事故にあってね、脚が動かなくなって眼も見えないの。でも酷い怪我はしていないんだよ。ただ、お母さんが見てるの辛そうだったから、自分でね」

「辛そう、とは?」

「お母さん、私が事故にあってからね、なんだかよそよそしくなっちゃってね。お母さんはそう思ってなくても、見えなくなっちゃった私の眼を見てると、泣きそうになってるみたいに感じて。それが嫌だったから眼を包帯で隠したんだけど、それからお母さんあまり話し掛けてくれなくなって、理由分かんないけど距離を置かれてるみたいで……ホントよく分かんなくて。これって被害妄想っていうのかな」

 彼女の予想は全部ではないが、確かに当たっていた。母親は、突然若くして視力と歩く事を奪われた娘が不憫でしかたがなかった。未来明るい筈だった娘を見ると気分が落ち込み、どうにかしてやれないもどかしさに涙を流した。包帯を着けてから話し掛けられなくなったのは、母親が娘に心閉ざされたと思ったからだった。碧が良かれと思って着けた包帯が、母親には壁に見えた。不甲斐ない自分の拒絶する白く薄い、それでありながら強固な防壁の幻影に、母親は怯えぎくしゃくとした関係になってしまった。お互いがお互いを思ってしまったが故の結果だった。因みに父親は仕事と言ってよく家におらず、その為関係を修復するためのきっかけを与える者が少なく、状況は悪化し続けている。

 立場が逆転し、今度は碧が落ち込んでしまった。自分からやらかしてしまい、不幸自慢に聞こえてしまった可能性もあるため、印象は悪いだろう。そもそも初めて会う人物にする話ではない。それでも自然と口が開いたのは、久しぶりの会話に口が悪い意味で饒舌になったのに違いない。

 だが、彼はそのような事は一切もなく、ただ真剣且つ静かに話を聞いていた。

「包帯はとれるか」

 いきなりの申し出だった。

「え?」

「眼に怪我をしているわけでは無いのだろう。眼を見せてくれ」

 何故自分の眼を見たがっているのか見当もつかないが、断る理由もないしこんな空気にしたのも悪いと思い従った。包帯を解く事はせず、指を引っ掛け上にひっぱり、ずらして外した。久しぶりに他人に見せた少女の瞳は、傷一つない有りふれたものだったが、その瞳は光を捕らえてはいなかった。どこも見てはいない眼、暗い眼、例えようなど幾らでもある。

「…………」

 彼は勾玉の眼で沈黙しながら碧を見ていた。その様はどこか、懐かしんでいる印象を受ける。眼の持ち主は流石に彼が懐かしんでいるかは分からない。

 彼は追憶する。昔、この少女と似た瞳を頻繁に見ていた。淋しそうな眼、悲しんでいる眼。自分が弟にさせてしまった眼に、限りなく近かった。彼は碧の眼を見た瞬間、懐かしい感情と共に、胸の奥から滲み出る表現しにくい気持ちが溢れ出た。そうして彼は思った、少女の力になりたいと。余計なお世話かもしれないし、力及ばないかもしれないが、話を聞いて、眼を見てから碧の事は放っておく事が出来なくなっていた。

 幼い子供に、あんな眼をさせてはいけない。

「母親との関係を修復したいか」

 彼の言葉に、微かな反応を示す碧。はっと声がする方向、彼が立つ場所を見えない眼で見つめたが、直ぐに俯いた。

 期待はした、そして直ぐ諦めた。彼の問いは、関係修復に一役かってくれる提案の前振りだろう。昔よく読んでいた小説に使われていた。まだ会って間もない自分の為に言ってくれるのは嬉しい、しかし、関係に壁を作っているのはこの障害。障害を取り除かない限り、関係は元には戻らない筈だ。だが、彼には少女の心配などどうでもよかった。

 彼は碧に向けて歩く。最初と同じで、床が彼の重みでギシギシとなる。一歩一歩近づくたび、碧は少し警戒していた。今まで距離を開けて会話していたのに、急に近付かれて驚いたのだ。何かされる可能性は、なくはない。彼は碧のベットの横に立つと、静かに腰を屈め膝立ちをし、彼女の小さい手に自分の手を重ねた。

「っ!?」

 彼の行動を見れない碧は、彼のゴツゴツとした手に触れられた瞬間、びくりと肩を震わせた。お構いなしに彼は更に両手で少女の手を優しく包み込んだ。硬い手に包み込まれておっかなびっくりだったが、その優しい感覚と温かさに気持ちが落ち着いた。久しぶりに感じる他人の温もりだった。

「俺は君の眼と足を治す事ができる」

「え……?」

「いや、言い過ぎた。治す、ではなく、見せる歩かさせる、だ」

「どういう……」

 実は彼は世界的な名医で、自分を治してくれるというのか。いやそれは無いだろう。彼の言葉の訂正からすれば、治す事はしないだろうから。

「もし君が俺と共に居ていいと言えば、君は俺の眼を通して三次元的立体空間を脳に直接二次元的映像として取り組む事が可能となり、その足も俺が動かす事ができる。君の話から推測すると、君が悩んでいる母親との関係修復の鍵はその足と眼、特に眼だ。ただの第三者が介入しただけではどうにもならないが、俺が足と眼を治したように見せれば、関係は自然に修復されるだろう」

「でもそんな事……」

 できるわけがなかった。彼の説明が夢物語に近いのは、幼い少女にも分かる。

「できる。俺にはできる、確実に」

 少女が否定しようとしたが、彼は力強く肯定した。彼の自身に満ち溢れた言葉に、碧は少し考える素振りを見せてから、何かを言おうとした。それは彼女の中に芽生えた希望による行動だったが、またそれを遮ったのも彼自身だった。

「ただし、俺のこの提案に賛成した場合、勿論だが俺と共に居ることになる。俺は不幸を呼ぶぞ。それでもいいか?」

 不幸とはなんなのか、それは彼自身にも分からなかった。彼に関わった生物は不幸になる、そういった類の能力があるわけではないが、ただ単純に彼の力が強過ぎるためである。そのことは彼自身よく理解し、悩んでいるコンプレックスであった。

 しかし問題なのは、彼がその事を詳しく説明しなかった事だ。また説明しても理解できないだろうと判断したからだった。碧を不幸にしたくはないが、どうにかしてやりたい感情が勝り、その不幸から守る気持ちでいた。彼女のため、自分のため、過去の過ちを見てみぬふりをしないため、碧を救いたかった。

 碧は不幸について深く考えずに、先に見据える未来の希望に喜び口を開いた。

「ホントに? ホントに眼と足治るの?」

「約束しよう。詳しくは違うが、君に視力と足が動く事実を与えよう」

「……うん。分かった。お願い。私の眼と足を治して!」

 半信半疑だったが、それでもすがる思いだった。大丈夫だと思わせる自信を発する彼に賭ける気持ちで頼んだ。彼はその言葉を聞くとゆっくり頷き、手をそっと離した。手が離れる瞬間碧は少し寂しさを感じたが、口に出さなかった。

 再び立ち上がった彼は自分の胸に手を当てる。すると、躰が一瞬だけ光り、巨大だった体積が一気に小さくなり、形すら変わった。黒き剣士は影も形もなく、四つの緑色の勾玉が連なった黒い数珠が宙に浮いていた。黒い数珠は引っ張られるように動き、碧の細い手首におさまった。

 変化は直ぐには起きなかった。手首に違和感を感じ、触って確かめたが数珠に触れた事があまり無かったため、何か分からなかった。そうしていると、ふと今まで暗かった視界が、ぼやけているのに気付いた。眼を擦り、二三度瞬きをすると、懐かしい部屋の光景を見ることができた。

「……!」

 最初は理解できなかったが、直ぐに彼が約束を守ったのだと気付いた。眼が見える、その事実に感動した。色がついた世界を久しぶりに見て涙が溢れそうになった。歩く事もできるのだろうが、今は眼が見える喜びにその事を忘れていた。

 部屋の壁、天井、床、勉強机、ベッド、見慣れない車椅子。馴染みのあるものから、見慣れないものまで全てが見える。馴染みのあるものすら新鮮に見えた。

「見える……見えるよ! ありがと! ……あれ?」

 どうやったか分からなかったが、確かに眼を治してくれた彼に感謝しようとしたが、彼は部屋のどこにも居なかった。碧は彼が数珠に変化したのに気付いていない。

「居ない……一緒に居るって言ってたのに、どこ行っちゃったんだろ。名前も聞いてないのに」

 ――ここに居る。傍にいる。

 呟いてから数秒のラグを経て、碧の頭の中に彼の声が響いてきた。それに驚いて弾かれたように仰け反り辺りを見たが、彼の姿は無い。

 ――我が名は、黒猫丸。

 彼が、黒猫丸が数珠となって自分を助けてくれた事を碧が知るのは、その直ぐ後だった。信じがたい出来事だが、自分の眼と足が証明になり、この事実を素直に受け止める事ができた。



 ここは日本のどこかにある高い山。時刻は深夜。人気の無い山であるここには深夜は勿論、休日の昼間にも登山者は来ない。整備もろくにされていないので、余程の事が無いかぎり人が登る事はない。こういった場所は、一般的な観点を持つ人が判断する悪者が利用するのにうってつけの場所だ。特に他者を見下し、自分に絶対の自信を持っているような者が。

 そんな山の頂上に、三つの人影があった。

「そろそろ動く。父殿が目覚めた気がする」

 三人のうち、腕組みをしているリーダー格らしき者が、残りに言った。

 リーダー格は真っ暗闇の中でも、なんとなく分かるほど体色の色が明るかった。その色は豪勢かつ豪華な色、くすみのない黄金色だった。

「気がするって酷く曖昧じゃねぇかよぉ。というか親父が目覚めれば、嫌でも分かるんじゃねぇ」

 軽い調子で語尾を伸ばす喋り方をする方は、若々しい青葉と、長い年月を生きた樹木の色が迷彩柄のように交ざった体色をしていた。

「一利あるな。この中で気配感知に長けている青龍が気付いていないのだぞ」

 迷彩柄をフォローするのは、赤、青、紫が美しく混ざりあった混色の体色の者だった。

「ほんの一瞬。力を感じた。それこそ青龍が気付かぬ程に。そして微力だった気配が完全に失せた。長い年月を眠っとったせいで、力を感じ取りにくかったからだろうや。父殿に最も近い白虎と、我にしか分からぬほど微力。だが微力といえど、力は全く衰えておらんかったや。怖や怖や」

「ほう。ならば信じよう。お前が嘘をつく理由は無いしな。ところで、その白虎、そして玄武はどうした」

「この辺りにゃ居ねぇなぁ。白虎は約十三里離れた場所に、玄武は約八里離れたとこだなぁ。連れてくるべきだぁろぉ?」

「玄武は話をしたところで理解する頭はない。後で我がよく教えておく。白虎はあの性格だ。もともと我らときゃつは根本的に何か違う。無視しておくのが一番。なんなら青龍よ、貴様が白虎を引っ張ってくるかや?」

 どこか喋り方がおかしい黄金色は腕組みを解き、迷彩柄に向かって手を向け、そのまま流れるような動きでどこかを指差した。

「勘弁。例え朱雀とコンビで行っても、白虎の相手はしたくねぇよぉ。白虎に勝てるのはお前だけだろ、麒麟」

「おお、珍しい事よの。自信家の貴様が、それを認めるか」

「認めたくない現実だわなぁ」

 明細柄はバツが悪そうに頭の後ろで手を組み、そっぽを向いた。その時、長い尾も一緒に揺れた。その姿を見て、黄金色は鼻で笑った。

「父殿も目覚めた。ならば下準備をしなくてはな。兄弟達を沢山殺してくれた十二支共にお礼参りをしてくれよう。十二支二匹を殺す。十二支が居なければ、契約者もまた役たたず。力は使えまい。どちらかが居なければ力を発揮できないのは厄介よの。陽で一匹、陰で一匹だ。だが子、丑、寅、辰には手を出すなよ。きゃつ等を殺し、戦力が激減したらつまらん。子と辰の場合は、返り討ちに合うかもしれんからな」

「かったりぃ。なんでそんなチマチマやるんだぁ? お前が本気だしゃあ全員一発だろぉ」

「麒麟がしたいのは殺戮ではなく、見せしめだ。申の十二支の時同様にな」

「相変わらず良い趣味で」

 黄金色は何事も長引かせる癖があった。さっさとやればいいものを。せっかちな性格の迷彩柄は毎回苛々させられていた。そのたびに混色にたしなめられるのだが、混色とは仲が良いため素直に従っていた。見るものが見れば、迷彩柄と混色は仲が良い兄弟に感じられただろう。

「玄武には陽を狙わせる。青龍と朱雀は陰に行け。子、丑、寅、辰に手を出さず、一匹以上を殺さなければ好きにしてもかまわん」

「麒麟、そして白虎はどうするのだ」

「我は我でやる事があるのだ。白虎は無視する。行け」

「了解した」

「あっ、おい待てよ。置いてくなよぉぉ〜」

 迷彩柄が混色を追うようにして山を降りた。結構高い山にたいして、二人はゆったりとした動きで山を降りるが、それは凄まじい速度だった。

 静寂を取り戻した頂上から、下界を見下ろす黄金色。聞こえるのは吹き抜ける風。そこに、黄金色の声が混じる。

「人間は好きだ。殺し、滅ぼすのは忍びないが、先に裏切ったのは人間達の方だ。人間が父殿を裏切ったせいだ。どうにかしてやりたいが、まだ我は父殿にはとどかない」

 このセリフだけを聞けば、大半の人間が黄金色を良い奴と思うだろう。しかし黄金色にとって人間は愛でようが殺そうが自由の愛玩動物。人間にとってのペットと変わらない。自分のエゴが許される道具が無くなる程度にしか思っていないのだ。

「世界は死体で満々ている。人間が全て死体に変わっても、いまさら世界は文句を言いまいよ」

 人間世界は死体と共にあり。スーパーで半額シールが張られ、小売で売られている肉から、戦場に転がる死体。死体が増えても、いつかは腐り果てる。死体になるのが、早いか遅いかの違い。それを加速させるのが、黄金色達の使命だった。


 黄金色は動き出す。まずは夏。秘密を隠している、嘘つきの十二支を標的にし、揺さ振る為に。


次回、玄武討伐編。


その過程で暗躍する黄金色の麒麟が、子の十二支のもとに出向くとき、子が隠す真実が見え隠れする。

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