十二支英雄見聞録・中章・日常編第二節
また更新が遅くなってしまいました。申し訳ありません。できるだけ更新速度を上げようと努力していますが、上手くいかないのが現状です。
こんな私ですが、まだまだお付き合いいただけたらなと思います。
では、どうぞ。
ここは木嶋屋の居間。そこにいるのは戌月と将斗の戌コンビ、寅果と詩織の寅コンビ、辰雷と美空の辰コンビ。契約者にお茶が、十二支達にはオレンジジュースのような液体が出されていた。それぞれ飲み物に口を付けていた。
「なんで僕の家に集まるんですか。いい迷惑なのですが」
「あっはー! ごっめーんね、ちょうどここが集まるのにちょうどいいと思ってさー」
全く悪びれる様子の美空の高笑いが響く。
この召集は美空によるものだった。ある日、将斗の携帯電話に美空から『明日十四時、ワンコと共に木嶋屋に来られたし。来なければ社会的にぬっ殺す』というメールが入った。どうやってメールアドレスを調べたのか分からないが、従わなければ社会的にも肉体的にもぬっ殺されそうだったので、戌月と共にやってきた。会場にされた木嶋屋の住人はこの事を知らされておらず、少し遅れてやって来た美空達に押し入られる形で今にあたる。
理音は店で働いているが、その手伝いをしていた詩織達は中断させられた挙げ句、望まぬ客達を持て成している為機嫌が悪い。詩織に至っては露骨に嫌な顔をしている。その雰囲気に申し訳無さそうにしているのは辰雷だ。今日はいつものおちゃらけた感は無く、小さく縮こまっている。因みに角はまだ伸び掛けでみっともないといって、角を消して黒いニット帽を被っている。服装もそれに合わせたもので、目立つチャイナドレスではない。辰雷曰くチャイナドレスは十二支としての仕事用だそうだ。
「あのー、今日はなんで俺達集められたんすかね美空……さん」
これを言ったのは将斗である。美空は将斗のトラウマ、恐怖対象なので敬語であった。
「よくぞ聞いてくれたクソガキよ。俺様のライフワーク、ちゅーか暇潰しは多数ある。例えば隣の女子寮に住んでいる瀬戸さんの隠れた趣味であるコスプレを覗き見したり」
覗きは犯罪です。思っている以上に重い罰を食らう事になる。
「そんな俺の素晴らしい暇潰しの中に、発明がある。俺様ってば意外と発明好きでよお。機械から薬品まで色んな発明してんだわ」
「被害者です」
主に発明された機械や薬品等の実験台は辰雷だという。挙手する辰雷は、見た人の九割が可哀想という感情に苛まれそうな雰囲気だった。
「因みに辰、どういう物があったのかな?」
「そうだねぇ、最近ので一番二番辛いのは、極度の脱水症状に陥る薬と、躰が血液が作れず新たな酸素が取り込めなくなる薬。まあ薬がいっちゃん辛いよ。アッハハハ」
「いやそれ笑えないから! 全部軽く死ねる奴ばかりじゃないか! なんで君も大人しく実験台になってんの?」
「実験台になりたがる程Mじゃないよ。いやまあ、たまにイジメられたくなるけどさ。機械係はなんとか逃げられるけど、薬係は巧妙過ぎるんだよ。食べ物に混ぜるのは初級編、眠っている時に飲まされたり、トイレットペーパーに染み込ませてたり、ドアノブに塗ってあったりエトセトラ……私の相方変なところで滅茶苦茶頭いいんだよ! 逃げ道があるなら教えてください!」
そう叫びながら、オレンジジュースらしき液体を飲み下した辰雷は、少し泣いてるように見えた。と後に戌月は語った。
「とまあ天才俺様ちゃんは色々作ってるんだぁがぁ、昨日すっげぇの出来たから御披露目しようと思ってさぁ」
美空のその言葉を聞いた瞬間、本人と戌月意外が嫌な予感を感じ取った。これはまさか実験台フラグ…。
「皆さんどうしたんスか?」
戌月は相変わらず空気が読めない。現在能天気に笑っているのは戌月だけだ。普段なら将斗が空気読めとお仕置きするところだが、気を回している余裕はない。
「今回作ったのは、人類の夢である若返りの薬だ。だが、流石に人体自体を急速に若返えさせたら細胞にガタが来ちまうから危険、死んじまう。でも、俺が見たいのは漫画みたいに急激に若返り、その後の姿、だ。だったら相手は人間じゃなければいい。ああそうだ、近くにいるじゃん。人間じゃねぇ規格外の丈夫な生物が。しかもそいつら、何全年と生きてんの。そいつらが若返ったら、面白いだろーなぁ」
この話の途中で、寅果と辰雷は嫌な汗をダラダラ流している。戌月は未だきょとんとしていて、将斗と詩織は胸を撫で下ろしていた。
「薬がどういった原理で躰を若返らせるのか、それはお前等じゃあむつかし過ぎて分かんねぇから説明せんわ。だが薬の見た目だけ説明してやる。その薬は何故かある果汁のような甘味と酸味があって、色がオレンジジュースその物なんだわ。いやごめんねー、俺様特別だからー」
寅果と辰雷は既に話を聞いておらず、行動に移っていた。喉の奥に指を入れ、先程飲んだオレンジジュース薬を吐き出そうとゲーゲー言っているが、薬は出てこようとしない。戌月はポカンとしていが、やっと状況を把握して同じ事をする。
「その薬は即効性。飲んで二三分で躰に吸収されちゃって、効果を発揮するんだよね。だ・か・らぁ、無駄無駄ァ♪」
「……!? イッタ…イダダダダダダダダ!?」
「なんだ…これ…!? 激痛が…い〜いったぁ…!」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃ!!」
急に痛みを訴える三人。今三人は、自分の躰が無理矢理伸び縮みするかのような痛みを感じていた。躰の急速な若返りとは、自然が生み出した法則の一部を抗うということ。それを人工的にしてしまえば、それなりにのリスクを伴うのは当然なのだ。
「はぁいスモークでぇーす」
痛みを訴える三人を無視して、美空は懐から球体状の物体を取出しスイッチを押した。球体状のそれからは舞台演出のように、白く濃い煙が吐き出され視界を覆う。これはそれらしい雰囲気を作り出す為、美空が用意したものであった。ただ、さほど広くなく、窓を閉めている木嶋屋の居間では煙が直ぐに充満し、全員がむせた。用意した本人までもがだ。十二支達は痛みに苦しみながらむせるのだからたまったものではない。家で好き勝手されていた詩織が窓を開け、換気をして煙を外へ出す。煙はしつこく残っていたが、三十秒もしたら視界が回復してきた。煙が消えると、第一声をあげたのは美空だった。
「あっはぁ♪成功だぁ」
人体実験は成功した。美空、詩織、将斗の視線の先には寅果と辰雷が。だが、寅果は勿論、将斗より高い身長だった辰雷すらも見下ろす事になっていた。二人は美空の薬により若返り、子供の姿になったのだった。
すらっとしていた手足は短く縮み、顔もどことなく丸みをおびている。ぶかぶかになった大人の時の服に埋もれた辰雷と寅果は、六七歳くらいの背格好になっていた。二人共きょとんとしているが、表情に違いがある。大人の姿の時はどことなく冷めて、疲れている眼をしていながら堂々としていた寅果がおどおどとして、自分に自信が無い挙動不審な地味娘ちゃんのようだった。辰雷はあまりかわり無いが、瞳が大人の時より大きい。今もそうだが、子供の頃はより好奇心旺盛だったことが伺える。
二人は自分の躰の変化に気付きに、服の袖から出ていない手で躰を触って確かめた。自分で現実を知って、顔を見合わせる姉妹。それからベタに一声を上げるかと思いきや二人は、何も言わず同時にガックリとうなだれた。変わりに二人の契約者が声を漏らした。
「すっげぇ……」
「本当に若返るとは……いやこれは、縮んだ?」
感嘆する将斗達を尻目に、美空は縮んだ辰雷の頬を引っ張ったりして遊んでいた。
「いやー、正直成功するとは思ってなかったわ。試したマウスみーんな死んじまったから。でもこれ調整すれば売れるんじゃね? 新薬『ロリロリdeドキドキToLO●Eる』って名前で」
「そんな売れない漫画兼著作権を害する名前じゃお客様は惹かれないよー……」
大人の時のより高い声で、辰雷は呟いた。薬と毒は表裏一体。その曖昧且つ繊細な境界が少し崩れれば、良薬は人を簡単に殺す毒薬へ姿を変える。只でさえ激薬に部類されそうな美空自作の薬は、商品化するのには難しいだろう。
ネーミングセンスの悪さを指摘された美空は、辰雷の頬をより大きく引っ張る。恒られる頬は赤くなり、辰雷が悲鳴を上げた。
「あれ、アイツどこだ」
二人ばかりに眼が行っていたが、将斗はもう一人居たのを思い出した。自分の相方を捜すと、戌月の服がモゾモゾと動いているのに気付いた。元々小柄だから辰雷達より小さいのだろうか、服から頭が出ない程に。しかしそれにしても小さ過ぎる。自分から服を捲ってみる手もあるが、素っ裸の幼女を発見したくはない。将斗の心配を無視して、戌月らしきそれは自分で出て来た。
「わん!」
「…………は?」
出て来たのは白い子犬だった。つぶらな瞳と表現できるそれで将斗を見つめ、もこもことした白い毛を揺らしながら近づいてくる。
「え、犬? アイツは? いやアイツも犬だけども。これガチ犬だし……」
「あ、それ戌月」
「マジすか!?」
大き過ぎる服を引き摺りながら、辰雷が戌月だという子犬に近寄り抱き付いた。
「この娘、私等と違って化けるの覚えるの遅くって、この頃はずっと獣のままだったんだよ。躰が記憶していた若返った姿がこれだったから、犬の姿なんじゃないかな?」
抱き付いて毛の感触を楽しんでいた辰雷が放してやると、走って将斗の足下にやってきた。尻尾を左右に振って後ろ足で立ち、前足を将斗の足に当てながら立った。これは構ってくれ、または抱っこしてくれというサインだ。将斗は膝を折って屈むと、頭を撫でてやる。当然だが人間態の髪とは質感が違い、完璧に犬の毛だ。出会った時に触った尻尾と同じで触り心地がかなり良い。
ふわふわの毛を堪能していると、撫でていた右手に頭を擦り付け、獣印の辺りを舐めた。因みに将斗は獣印を隠していない。十二支の能力と同じで常人には見えない。だから隠す必要はない。詩織が隠しているのは本人曰く『重たい女のタトゥーみたいでキモチ悪いから、あまり見たくない』からだそうだ。
「わん!」
また鳴き声を上げると、先程と同じように立ち小さく跳ねた。その愛くるしい姿に、将斗は思わず抱き上げ戌月の躰を撫でる。普段なら考えられない光景であった。家でのつっけんどんな対応はどこに行ったのか、今は戌月をウェルカムに迎え入れム●●●ウさん宜しく可愛がっていた。戌月も犬ながら理解しているのかどことなく、だらしない顔をしている。現在確認されている動物の中で、顔の筋肉を動かし表情を変えられるのは人間だけ。動物が笑ったり悲しそうに見えるのは人の妄想だ。だがそれを踏まえても、戌月は幸せそうだった。
「どっかギクシャクしてたのに、あのデレデレよう……うわっようじょつよい」
「いんや、アレただガキが小動物好きってだけじゃねーの? 化け狐とも同居してるらしいじゃん。どうかしてるぜ」
「少年ロ●コン説か……」
「いやいや、ロ●コンってガキの動物も含まれんの?」
「私から見れば子供の獣好きもロ●コン。それに現日本はロ●コン多いし、括り広げたっていいじゃない」
「あっ、なるほど。オッケオッケ、理解理解」
辰雷とのやり取りをしながら、美空は寅果に視線を送る。今まで黙っていた寅果は急に見られて、オーバーリアクション気味に肩を震わせた。
「あらら〜? いつも強気ないんりんがビクビクしちゃって〜。どちたんでちゅかぁ?」
ニヤニヤと擬音が聞こえてきそうな笑みを作りしながら寅果の頭を掴んだ。寅果も逃げようとしたが、自分の服を踏ん付けて転んでしまい、簡単に捕まってしまった。
「……っ! んぐ! …………っ!」
「およよ。これだけで泣きそうになってんの? 風格がまるでないねぇ。いやはや、こいつぁ面白い。いんりんが若返ったら、一番おもしぇわ。アッハハハ!」
若返ると子供の頃のようになるらしい。中間管理職のような立場で、姉弟のまとめ役だった寅果の人格は成長と共に身に付けたのかもしれない。
人格が後退した寅果は弱かった。臆病を体現した性格は、夜トイレに一人で行けないのは勿論、おどおどとして何を言っているか伝わらないし、暗闇の中、耳元で大きな音がしただけで気絶してしまう程であった。虎は最初から威風堂々とした強者ではない。それを形成されるには時間が掛かる。寅果もまた、じっくりと成長していったと言う事だ。
美空が寅果の頭を掴んだまま持ち上げた。ギャグマンガのように首から下がプラーンとしているが、本人はかなり嫌らしく美空の手から逃れようとじたばたしている。それも無駄なあがきなのだが。ふと美空が視線を下へ、そこにはずり落ちた寅果の服が落ちていた。当然だろう、体格が違うのだから。今寅果は着ていたTシャツ一枚の格好だ、それでも十分服の役割を果たしていた。
「ロリ寅果のTシャツ一枚姿を想像して、トキメキに近いなにかを感じたら君も同志だ」
今のセリフを言ったのは美空でも、将斗でも、ましてや詩織でもない。いつの間にか現れた五郎左衛門であった。
「いや、なんでいんの!?」
「HENTAIはどんな時、場所でも現れるってお前の契約者がいってたぞ、辰雷。それに、なんか今なら寅果に怒られない気がして」
「答えになってねーよ! 今なんでここにいるか三十文字以内二十五文字以上で説明しろ!」
「答えは求めるだけじゃ分からないんだぜ。あと辰雷、やっぱりちっちゃい方が可愛いな。オジサンに抱っこさせてくれ、頭を撫でさせてくれ、匂いを嗅がせてくれ」
「ウゼェ、そしてキモい。圧倒的にキモい」
孤独のせいでどこかが狂った五郎左衛門に辰雷はツッコミ、詩織はかなり迷惑そうな顔をしていた。なんでも彼は美空に『今日来たらロリっ娘三人いるよ。多分』と言われ、不法侵入してきたという。
「へいごろり」
「よおミッソリーン」
呼び方からしてこの二人、かなり仲が良いようだ。少しウザさすら感じる。
「どーよこれ。いんりんの奴子供になるとかくかくしかじか」
「うしうしうまうま。キャッホォォ、猫耳気弱ロリっ娘だぁぁぁ!」
「しかもコレ見てみ」
そう言って指差したのは床に落ちている寅果の衣服。しかしそれはよく見ると、下着らしき物さえ発見できた。当然と言えば当然だが。
「おいおい寅果の下着黒かよ。エロいなおい」
「真面目な奴ほど夜を期待するもんでしょ。これはたまってて、詩織君を誘う気満々でしたな」
「猫ごときに誘われて発情するほど、僕は落ちぶれてませんよ」
「〜〜〜〜っ!!」
辱めに近いものをされて、ストレス耐性が極端に低くなった寅果は、大粒の涙を流しながら声にならない悲鳴を上げていた。普段の寅果ならもう鉄拳制裁をしてもおかしくないが、今の寅果は逃げる事しか出来なかった。因みに彼女の尊厳を守る為に表記するが、彼女の黒い下着は彼女の趣味であって、詩織を誘うために着用していたわけではない。先程のは美空達の妄想である。
決して速くない速度で詩織の元へ行こうとする寅果。だが途中で何度も転んでしまう。足が何度ももつれているので、かなり追い込まれてしまったようだ。更にそれを、美空達がはやしたてる。
「いんりん可愛い!」
「何度も転んで健気に走る姿可愛い!」
「いんりん可愛い、可愛いよぉ!」
「今の動き可愛い!」
「顔真っ赤にして泣くいんりんマジきゃわたん!」
「きゃわたんって何?」
「可愛いって意味。今時のナウい女子が使う言葉」
「きゃ・わ・たん! きゃ・わ・たん!」
「きゃ・わ・たん! きゃ・わ・たん!」
「もうやめて! ねーちゃんのライフはゼロよ! つーかお前等は、可愛って言ってる自分が可愛いと思ってるアホな女子か!?」
馬鹿二人に色々言われながらも、寅果は詩織の元へ辿り着いた。
心のやすらぎを求める寅果は、内心期待をしていた。その期待は将斗の戌月に対する対応の変化を見たため生まれた。将斗は戌月が子供の姿、というか子犬の姿になった瞬間可愛がった。ならば自分も詩織に可愛がって貰えるんじゃないか、という期待だ。彼女もまた一目を気にせず甘えたいのだ。それこそ戌月のように。
だが、彼女は不遇の星の下に生まれた。
「困ったからといって、僕に頼らないでください。鬱陶しい」
詩織は寅果の頭を掴んで動きを止め、いつもより冷たい眼で見つめた。彼女の甘えたい気持ちは、いつも以上に冷たく拒絶された。
「僕の所に来てもどうすることもできませんよ。する気もありませんし。助けて欲しいなら、同じ状況の妹に頼るかなにかしてくださいよ面倒くさい。もしかして戌月さんみたいに、子供になれば扱いが変わると思いましたか? 残念。戌月さんみたいに動物の姿ならまだしも、僕は子供嫌いなんですよ」
まさかの逆効果。寅果の扱いはより酷いものになることが決定づけられた。
救いが無いこの状況に寅果はどう思ったか。答えは、何も思い浮かばなかった。思考が一瞬で凍結し、出たのは溜め池と、無意識が垂れ流して漏れた言葉だけだった。
「もうやだこんな扱い…………」
その言葉は、今の寅果の身の丈にはまったく合っていないが、雰囲気は平日に公園のブランコに乗っているリストラされたサラリーマンとなんだか似ている、と後に将斗は語った。
「おぉ、すげぇな。この短時間で一匹には天国を、一匹には地獄を見せるとはな。自然の摂理を覆した若返りとは恐ろしい」
「自分でやってて他人事とか。あんな風に心折れたねーちゃん初めてみたんだけど……立ち直れるかな? もう眼がダムの決壊みたいになってるし」
「ショック治療ならいくらでも」
「やめたげてよぉ!」
今の状態で美空がショック治療をしたら、それこそ病院のお世話にならなければいけなくなる。辰雷はそうはさせないと、ぴょんぴょん跳ねながら少しヤル気を出している美空を止めた。
「そういえば、お前がちっちゃくなった姿久々にみっけど、色々と成長してたんだなおい。えぇ? たっつぁんよ」
「オイラはずっと小さいままで居てほしかったけどね」
五郎左衛門の一言は勿論辰雷は無視。はっきり言って性格以外子供要素がない辰雷は、五郎左衛門の対象外だったから今まで安心していたが、今は軽く危険を感じていた。
「あっ、そうだ。辰、小夜衣出せよ」
「なんで?」
「いいから出せよ。出さなきゃ、身ぐるみ全部ひっぺがした素っ裸状態で、〝世界の幼女を見守りペロペロする紳士の集い〟、略してSYMprpr紳士に献上するぞ」
「なにその変態性を隠さない紳士達の団体は。普通に震えが止まらないんだけど」
「因みにごろり、名誉模範会員だから」
「今度は河童を見たら震えが止まらないですけど」
どうやって五郎左衛門がその集いに入会しのかは謎であり、知りたくもない。
ある意味凄まじい脅迫された辰雷は、渋々小夜衣を召喚した。元の状態なら軽々扱えた小夜衣でも、今は小夜衣自体の長さと辰雷の身長が全く合っていない為持つだけでふらついてしまう。そんな辰雷から、美空は例の如く小夜衣を奪い取る。
「小夜衣、解放」
美空の許可によって小夜衣は人間態の姿になる。相変わらず死んだ眼をした小夜衣の隣に、辰雷を立たせた。今の体格差を見ると、二人は歳の離れた姉妹か、顔がよく似た親子に見える。
「なるほど、これがこうなったのか」
美空がしたかったのは簡単な成長図だった。幼女が大人の女になったのを見るだけに、小夜衣を解放したのだ。
「この絶壁が、よくあのメロンを実らせたもんだ。近くで成長見てると分かんねぇもんだな」
「オイラは絶壁の方が良かったけどね」
話題は辰雷のプロポーションが主となった。辰雷のプロポーションはかなり良い。そこいらのグラビアアイドルに勝ってると言っても過言ではない。バランスの良い肢体は、電車やバスに乗ると八割の確率で痴漢にあう程魅力的だった。直ぐ眼につく胸は大きく、通常の寅果と並ぶの胸囲の格差社会を見る。因みに戌月と並んでも寅果は格差社会に泣きを見る。
「ホントによく絶壁が山になったもんだ」
そう言いながら、美空は辰雷の胸を触った。悲しい哉、触った瞬間女性らしい柔らかさは殆ど感じなかった。
「ちょぉ!」
珍しく女らしい声を上げた辰雷だが、何故か美空は呆れていた。
「なーにわざとらしく声だしてんだよ。発情してる時は自分から触らせてくるくせに」
「だからってこんな所で触らなくても、それにそんな事ここで言わないでよ!」
意外にもこの二人の夜はお熱いようだ。
プライベートをバラされて膨れっ面の辰雷は、もう知らないと言わんばかりにそっぽを向き、小夜衣に座るように指示してその柔らかな太ももに顔を沈めた。小夜衣も頭を撫でるなりして慰めればいいのだが、小夜衣は指示された事しかしない。
若返りの薬によって三人の十二支は、一人は幸せになり、一人はより不幸になり、一人は……少し怒る程度で済んだ。そんな中、部屋の戸を開け入ってくる者がいた。
「みんな〜、余ったお菓子持ってきたんだけど……あら?」
ここは和菓子屋。前日余った和菓子を持って詩織の姉、理音がやってきた。客に出す菓子を持ってきただけだったが、そこで胸がときめくものを発見した。
「あらあら〜、寅果ちゃんどうしたの? いつもより可愛くなっちゃって」
両手を胸の前で合わせて分かりやすくはしゃぐ理音。寅果だけの名前を言ったのは、戌月をただの犬、小夜衣を辰雷と勘違いしたのだろうか。二人にはノータッチだった。
泣き崩れていた寅果を優しく抱き上げると、涙の跡が真新しい頬に自分の頬を当て、頬擦りをした。
「寅果ちゃんちっちゃ〜い。どうしたの、また美空君? 躰が縮む薬か、若返りの薬でも飲んじゃった?」
「相変わらずお前の姉貴洞察力鬼ヤベェな」
「だって僕の姉さんですよ。姉さんだから当然です」
「どーゆーことなの」
美空の遊びによって、辰雷に巻き込まれて寅果の躰に変化が起きるという事態は稀にあった。だから理音は慣れて、洞察力に近い予想する力が鍛えられたのかもしれない。
抱かれた寅果は、若返ってから初めて笑顔になっていた。精神も少し後退していたので、こうやって自分を悪意無しで受け入れてくれ、大切してくれた事に心から喜んでいた。大人の時から変わらない、ストレスを受けやすい立場に居た寅果の心の拠り所が理音の存在だった。詩織も大切だが、彼は自分に冷たい。理音も彼の姉で、自分に優しい。そんな簡単な理由で、寅果は理音を心休まる対象とした。シンプルな関係は良い。分かりやすく、対象を信頼しやすい。
「いつもはキリッとしてて大人っぽくて良いけど、今は可愛いね。なんだか子猫みたいで、守りたくなっちゃう」
子猫みたいというが、子猫そのものなのだが。
「いやいや姉さんの方が可愛いよ」
「いや私じゃなくてね? いつも大人っぽい寅果ちゃんも、こうなったら可愛らしさがアップしてて可愛いなぁって」
「寅果がどうなったって姉さんの方が可愛いに決まってるから。ううん、可愛さ以外の全ても勝ってるって」
「あのね詩織。そういってくれるのはとっても嬉しいんだけど、ちょっと恥ずかしいから止めて欲しいなぁ……なんて」
「馬鹿な! 僕は事実を言っているだけなんだよ? たかが虎娘が子供になっただけで、可愛い可愛いって言われるのがおかしいんだ。姉さんが言っている事を否定したくはないけど、可愛いなんかの言葉は姉さん以外の対象に使って欲しくないだけなんだよ」
姉を褒めちぎる詩織は、まだあまり親しくはない将斗から見ても意外だった。寅果やその他にも興味が無い素振りをする詩織だから、姉にも似たものだと思っていたが、まったくの正反対であった。子犬の戌月を堪能していた将斗が今の詩織を見て、先程と違い過ぎて思わず唖然とする。理音と話す詩織は、どこかイキイキとしていて輝いている。
「木嶋……あいつっていわゆる?」
「シスコンってやつだべ。しかも重度の。かーっ、ありゃ病気レベルだな」
という美空に、殆どマッドサイエンティストと変わらないお前よりましだよ、と思った将斗は絶対に言わないように口を堅く閉ざした。本音を言ったら自分にも被害が来るのは、容易に予想出来たからだ。
寅果と同じように、詩織の心の拠り所もまた理音であった。詩織にとって理音とは、戌月にとっての将斗と考えた方が分かりやすい。詩織のシスコンの片鱗を見た将斗は、前に寅果が契約者は転生するたびに悪い点ばかり強調されている。今回は性格に難がある奴ばかりだと言っていたのを思い出した。しかし、美空に比べればシスコンなんて軽いものだと言っても過言ではない。
「いやー、結構面白い結果だったけど飽きたな。そろそろ毒は終わり、次は解毒剤を試す番だ」
美空が懐から、紫色のカプセルを三つ取り出した。それは若返らせた躰を元に戻す、解毒剤だった。解毒剤と言うからには、本人も若返りの薬がほぼ毒だと認めていたのだ。
カプセルが美空の掌の上で転がした瞬間、一番反応を示したのは、やはり寅果だった。この状況から抜け出したいのは寅果なのだから、当然か。耳をピンと立て反応し、理音の腕から抜け出した。腐っても十二支、躰が縮んでも身体能力は健在で、美空との身長差を跳んで埋めカプセルを一つ奪った。奪ったと言うより、奪わせたのかもしれない。解毒剤を手に入れた寅果は自分の服を回収し、他の部屋に急いで移動した。
「ねぇソレ、というかねーちゃん持ってったアレ大丈夫なの?」
今は小夜衣の膝の上に座り、彼女に抱かれている辰雷は疑いの眼差しで美空の掌に転がるソレを見つめる。
「大丈夫に決まってんだろ。ちゃぁんと水無しで飲めるタイプだ。勿論ぬるま湯、冷水にも対応している」
「いやそこじゃねーよ」
「じゃあどこだよ?」
「ただでさえ縮んだ時に、馬鹿みたいに痛かったんだよ。じゃあ戻るときは……」
――にぎゃあぁあァアああああぁあ!
「あっ、やっぱいいです。今答えが聞こえました。超痛いんですね、分かりました」
寅果の悲鳴は直ぐに途絶えた。悲鳴に子犬の戌月が驚き理音が心配したが、また直ぐに廊下のドタドタと走る音が聞こえてきた。
戸を開け、勢い良く入ってきた元に戻った寅果の呼吸は荒い。疲れているというのは無いだろう。先程襲われた痛みと、酷い興奮状態の為だ。寅果は歯を食い縛り拳をきつく握った。睨み付けるのは美空と五郎左衛門の二人。元の大きさになった寅果は軽く跳躍し、距離を詰め、拳を振り抜いた。
「くたばれどゲスがぁあああーーーっ!」
虎の前足の餌食になったのは五郎左衛門。
「ぬぼぉ!」
顔が少し変形する程のいいモノが頬にめり込んだ五郎左衛門は、簡単に吹っ飛び壁に激突した。それなりの威力はあったが壁に傷一つない。そこは五郎左衛門だけに衝撃を与えた寅果の技量のよるものだろう。
「あがががが……」
一撃で顎を外された五郎左衛門は見事に撃沈。上手く威力が伝わった事が伺える。
五郎左衛門への、取り敢えずの制裁が終わったので、ターゲットを変更する。今回起こった出来事の犯人、美空に拳を向けた。
「おお、怖い怖い。そんな怒んなよ。いつもの俺のダークネスジョークじゃん?」
「せめてブラックジョークにしてくれたら、ボクもここまで怒らなかったかもね! というかあんな辱めを受けたら怒らないわけないよねぇ!」
「アレだよ。いんりんが思ってる程辱めじゃないよアレ。そだね、小学校の高学年なる前の男子が女子のスカート捲って犯罪者に目覚める感じ。その程度の事だったんだよ」
「君にとってはねぇ! だけど被害者のボクには、あの少しの間でも満員電車の中で次の停車駅まで痴漢にあい続けた気分だったよ! だから殴らせろぉ!」
殴らせろというが、寅果は既に行動に移っていた。既に何度も彼女の拳は空振り、対象から逃げられている。隻椀という弱点もあり、美空にはひょいひょいと躱されている。狭い部屋だから二三手躱されてもそのうち当たりそうなものなのだが、部屋が狭いからこそ動きづらい。少し本気を出せば家を壊してしまうから、美空を捕らえられないでいた。
「い、寅果ちゃん。落ち着いて、ね?」
「すみません、無理です!」
「そう言わず諦めて落ち着こうか、い〜んりん。どうせ無駄無駄無駄無駄なんだからよぉ♪」
「無理だ、断る!」
狭い部屋の中をバタバタと動き回り追う寅果と逃げる美空。危険なおいかけっこに巻き込まれない為に、気絶している五郎左衛門以外は隅に避難していた。
「だから無駄だってばよ。つかめんどっちいから、これ上げるから許してよ。たまにロー●ンのパンに貼ってある三十枚くらいで皿とかコップに交換できるシール」
「いやいらんよ! 一枚じゃ意味ない上、これで解決できる程ボクの怒りは安かないよ! ああもう、うざったい!」
「俺様は、うざいくらいが、いい感じ。イェーイ、ごーしちごー!」
「がぁああああ! なんなんだよこいつはぁぁぁァア!」
寅果の怒りは最大限にまで達していた。ストレス耐性が無い年齢で受けたストレスと、その後美空の態度。寅果は怒りすぎて涙が出る程怒っていた。
その少々見苦しい姿に、契約者である詩織は苛立ちながらため息を吐いた。
「図体が戻っても、中身は子供か。いい加減、本当の意味で大人になってもらいたいものです」
詩織はポケットから、密閉できるタイプの袋を取り出し、中から何かの植物を手にした。自分の前を通り過ぎようとした寅果の首根っこを掴んで捕まえ、彼女の手に枝のような物を無理矢理持たせた。
「うく…! こ、これは……?」
それは知識の無い者から見たらただの枝だが、寅果は強い反応を示した。最初は鼻をひくつかせていただけだが、枝の匂いを理解すると顔の近くに近付ける。うっとりとした表情で枝を見つめ、怒っていた時とはまた違った意味で顔を紅潮させていた。口の端から涎まで少し垂らしている。
枝に心奪われていた寅果は我に返ると、どこか焦った様子でまた部屋を出た。先程まで怒り心頭だった寅果の変化に詩織、理音、辰雷達以外は呆気に取られていた。
「いんりんのあの変わりよう……虎、いや猫科が過剰反応を示すものといやぁ、ありゃマタタビか?」
マタタビは猫が匂いを嗅いだり等をすると、酔ったような行動をする事で有名だ。今では粉末状なども販売されている。
「はい。寅果はストレスが限界までたまると、ときたま暴走するんですよ。だから意識を別の物に向ける必要がある。だから猫科が過剰反応するマタタビを持ち歩いているんです。他にもイヌハッカやキャットミントがありますよ」
「うん。じゃ、なしていんりんどっかいったん?」
「あー、それはマタタビが効きすぎてしまって、乱れに乱れてしまうからですよ。コンビニの本棚の一番奥に置いてある学生には売れない本並みに」
「なんだとっ!? それは是非とも大人の社会見学として見に行かなくては」
膳は急げという言葉がある通り、素早く行動しようとする美空だが、そうは行かないと詩織が止める。
「止めてください。別に見に行くのは構いませんが、今の寅果に面会すると更にめんどくさい状況になるので、それこそエロ●●みたいな状況なるんで。というかいい加減に帰ってください」
「俺の股間が●熟王に」
「ならないでください!」
その後、美空達が帰ったのは一時間後だった。帰るまでの間にまだゴタゴタはあったが、殆どは美空が馬鹿をして、復活した寅果がツッコミを入れるのを繰り返していただけだった。最終的に辰雷が美空を引っ張って帰る事によって、事はおさまった。
辰雷も解毒剤を飲んで、激痛と共に元に戻った。辰雷曰く、死んだ申太が見えたと語っていた。ただ問題は戌月が元に戻る事をごねた事だった。元に戻ったら将斗に可愛がってもらえないと思ったからだろう。正しい判断だ。将斗が彼女を愛でていたのは子犬だったから。将斗も元に戻る事を反対したが、寅果に拳骨をもらい黙らされた。結局、戌月は辰雷に捕らえられ無理矢理口を開かれ、寅果に解毒剤を喉の奥に入れられた。元に戻った戌月は涙をぽろぽろ流し、姉二人を怨めしそうに見つめていた。
将斗の人生に組み込まれた、このドタバタとした新たな日常。人の為に頑張らない少年は、季節が夏に変わる頃に、この日常の裏側であり、真実、本来在るべき姿の一辺を経験する。
*
夢の記憶は夢の世界でしか保てない。だから人は夢を忘れるのだ。将斗はまた夢の世界である、映像の世界に居た。映像は擦り切れ、砂嵐となっていた。
映像の世界で覚醒した将斗は、またもやこの世界で得た記憶を思い出した。真っ先に探したのは黒い異形、どうやらどこにも居ないようだ。安心したと同時に、将斗は初めてこの世界で自分が自由に動ける事に気付いた。しかし将斗は、映像の世界で動ける必要性が分からない。
そう思っていると、将斗は動物の気配に気付いた。振り替えるとそこには、いつぞやの黒い毛の犬と、茶色の毛の犬がいた。どちらも尻尾を振って、将斗に好意的に擦り寄って来ている。茶色の犬に関しては、仰向けになって寝転がり腹を晒し、服従のポーズをしている。なんだかとても懐かしい感じがした将斗は、膝をついてそれぞれを撫でた。
「はは……はははは……懐かしいな、クロ、チャコ」
将斗は犬を飼った事はない。飼いたいと思った事はあるが、それが現実になったことはない。
この二匹を飼っていた事実は無い。だが将斗は二匹の名前も、性格も把握していた。クロはクールなところがあり人見知りをするが、夜は飼い主の隣じゃないと眠らない甘えん坊な部分がある。チャコは人懐っこく、クロと違い甘えん坊なのは人目で分かる。戌月に負けないくらい飼い主に懐いていた。構ってもらえなければ、飼い主を甘噛みして自分に興味を引かせようとしてくる。名前と性格だけではない、この二匹と一緒に暮らしていた時の記憶も、蘇り始めていた。
「クロとチャコが戌月の親代わりだったなぁ。アイツは今、めんどくさいくらい元気だよ。チャコの甘えん坊が移っちゃって大変なんだ」
懐かしむ将斗は積極的に擦り寄るチャコの首に腕を回して抱き寄せた。太陽の光をいっぱい浴びた毛の感触や匂いまた懐かしい。
将斗は記憶に支配されていた。自分であるが自分ではない自分の記憶に支配され、初めて会う筈の二匹を懐かしんでいる。だがそこに将斗の意識は確かにあり、嫌な感じはしない。将斗は快く記憶と二匹を受け入れていた。心地よさに、違和感も矛盾もどうでもよくなっていた。
この世界に来て初めて良かったと感じたこの瞬間だったが、それは将斗自身によって破壊された。
将斗の意識に関係なく、右腕に力が籠もる。将斗が気付くが止める事が出来ず、自然とチャコの首を閉めてしまう。突然将斗に首を閉められたチャコは驚き、逃げようとするが将斗の腕は離さない。将斗は自由が効く左腕でチャコを救出しようとするが無駄に終わった。右腕の力が別人のように強く、どうする事もできない。
チャコはか細い悲鳴を上げる。そろそろ本当に危ない時、クロがチャコを救った。将斗の右腕に噛み付いたのだ。強く噛まれた右腕は痛みによって、反射的に腕が緩んだ。チャコは隙を見逃さず、間一髪で抜け出す事に成功した。
クロは全身の毛を逆立てて唸り声を上げて将斗を威嚇している。チャコは怯えた様子でクロの後ろに隠れた。
「ちがっ……これは俺じゃ」
「この記憶すら、お前にやるのは勿体ない」
「えっ、誰!?」
「また出てこられたら厄介だ。この犬達、記憶からも殺すか」
いきなり聞こえてきた声はかなり近くで聞こえてくる。混乱しながらも将斗は、クロ達が自分の顔の一点を見ている事に気が付いた。それは自分の顔の右側だった。左手で触ってみると、ぬるっとした液体が付着した。それは膿のようだったが、真っ黒だった。
「戌月は私のモノだ。戌月の記憶も、気持ちも感情も髪の先から垢すらも全部全部私のモノ……お前にくれてやる道理はない。嗚呼……はやくコイツを押し退けて、戌月に逢いたい」
クロが吠える。威嚇しているのは将斗であるが、詳しくは違う。それが何なのか把握する間もなく、将斗の意識は黒い膿に飲み込まれた。将斗が飲み込まれると、クロとチャコはどこか寂しげな様子でどこかに消えた。チャコは消える前に、黒い膿に浮かぶ琥珀色の瞳を見た。
*
朝。
陽光が差し込む部屋。将斗は疲れ切った様子で起きていた。また映像の世界の記憶はない。
「クロ……チャコ……」
それでも、将斗はクロとチャコの名前を覚えていた。その名前の意味は分からない。だが絶対に忘れてはいけない気がした。
覚醒の時は、近い。