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5話〜四神

少女が押さえた傷からは、流れ出る血の勢いが止まっていた。

………だが、それは決して傷が治ったことを示しているわけではない。

それは単に、流れるだけの血液が彼には残っていないだけのことだった。


「どうして…………?」


銀色の瞳を涙で濡らしながら、震える声で彼に問いかけた。

残された最後の力で、彼は片手で少女の涙を拭うと静かに微笑んだ。

血の気のなくなった蒼白の顔で、それでも愛おしげに。


「………どうか………どうか、人を憎まないで、欲しい……」


掠れた声。

消えようとする意識を必死に保ち、彼は自分のせいでヒトではなくなってしまった少女に言った。

それに、少女は首を振る。

それは無理だ、と。

たとえそれが、彼の最後の言葉になるのだと分かっていても、少女は首を振っていた。


「…………どうして?」


再び、問い掛ける。

自分と同じく、裏切られた筈の彼は、死の間際においても優しげに微笑んでいた。

いや、死の間際だからこそ微笑んでいるのだと、少女は知った。


───恵まれている筈など、なかった。

信じて、騙されて裏切られる。

その繰り返しだった人生に、少女は憎しみしか持つことは出来なかった。

だが、彼は違った。

争いを繰り返し、利己的でしかない人間を、彼は憎んでなどいなかった。

それだけが少女の疑問であり、怒りでもあった。

そして彼も、少女の表情から全てを察し、それでも微笑む。


「………人の絆は、そんなに……簡単に、壊れたりは、しない……傷つけて………傷ついて……それでも、人は………前に進んでいくんだ………」


これが最後とばかりに、小さく息を吸い込み、彼は続ける。

少女の握った彼の手に、一度だけ力がこもった。


「……だから、どうか………人を、憎まないで欲しい………」

「……………………」


彼の言葉に、ようやく少女が静かに頷いた。

頷いた拍子に、涙が数滴頬を伝った。


「今は、許すことは出来ない。それでも、いつか。いつかきっと、許せる時が来るのを、信じている。そなたに誓おう。わたしは、人の進む未来を見届けている。これから、ずっとだ」


手を握り返し、少女が言った。

それに、彼は安心したように目を閉じた。

静かに息を吐き、肩の荷がようやく降りたように、最後に微笑む。


「ありがとう………きみの幸せを、心から願ってやまない………」


その言葉に、今度は少女は苦笑した。

死の間際において尚、変わらない彼の在り方そのものに。


意識が消える、その直前。

最後にもう一度だけ、



「ありがとう……………伊吹………」




伊吹が目を開けると、そこは見知らぬ空間だった。

白い天井が目に入り、次いで狭くもなければ広くもない部屋全体が視界に入る。

病院…………ではないようだし、自分が意識を失って倒れた道端でもない。

ならばここは、と現在位置を確認しようとしたところで、気付いた。

自分が寝かされているベッドの横に座り、突っ伏して眠っている少年の姿。


────横になった伊吹の腹を、枕のようにして眠っている優斗の姿に。



「んなっ…………!」


伊吹が振り上げた、小さな拳。

そこから繰り出される、細い腕から放たれたとは思えない程の威力を秘めた一撃が、優斗に届くまでさほど時間はかからなかった。


とりあえず、朝の早瀬家に、大きな悲鳴が響き渡ったのだった。





∽四神∽





上を向き、トントンと片手で首の後ろ辺りを軽く叩く。

鼻血はようやく止まってくれたようだが、少し貧血気味かもしれない。


「…………言っておくが」


その言葉に、優斗はベッドから上半身だけを起こしている声の主に目を向ける。

幾分その視線が険しいのは、当然であろう。

優斗の視線に、少女は僅かに罪悪感を感じたが、そんなものはすぐに放り投げた。

ふん、と鼻を鳴らして逆に優斗を睨む。


「そなたが悪い。ひとの腹を枕にして居眠りとは、何様か」


完全に開き直ったそのセリフに、優斗が額にぴきりと青筋を浮かべた。


「おまえな………命の恩人にむかって、寝起きざまに渾身の右ストレートを見舞うか普通」

「な、なにを抜かすか。そも、わたしがあのタイミングで現れなければ、死んでいたのはそなたであろう」

「だから、その点は助かったって、何度も言ってんだろ」


言って、優斗は大きく溜め息を吐いた。

倒れた伊吹をなんとかしようとしたのだが、まず救急車は却下だった。

なにせ病院から脱出するという前科があるし、なにより病院に事情の説明は出来ないし、すべきでもない。

結局、仕方なく優斗は自宅に伊吹を運び、看病をしていたが、そのまま眠ってしまったのだった。

看病の礼が、血の海が出来るほどの強烈なパンチでは、いくら自分の命の恩人と分かっていても文句のひとつは言いたくなるというものだ。


「………いや、まぁいいや。時間が時間だし、学校も休むか」


優斗が時計を見ると、時刻は十時半ごろだった。

伊吹の鉄拳で目を覚ましたのが既に十時近かったし、何故か体のあちこちが痛むので今日は欠席することにした。


「ま、少し遅くなったけど朝飯にするか」

「そうか。ちょうどわたしも空腹だったところだ」

「は?」


不思議そうな声をあげ、台所を漁っていた優斗が振り返った。


「って、おまえ………腹減るのか?」

「? 当然だろう」

「いや、当然だろうって…………不老不死なのに?」

「食事をとらなくとも死にはしない。だが空腹は感じるのだ」


堂々と言い放った伊吹の言葉に、優斗は顔をしかめた。


「かんべんしろよなぁ。ただでさえ、学生の一人暮らしはつらいんだぞ?死なないなら我慢しろよ」

「…………ふむ。我慢しろというなら、出来ないこともないが………」


一旦言葉をきり、なにやら伊吹が考え始める。

やがて一つ頷くと、じっと優斗を見据えた。


「空腹は人を不機嫌にするだろう?」

「んぁ?まぁ、確かにイライラするかもな」

「そうなった場合、わたしの八つ当たりの対象になった奴が可哀想でな。八つ当たりでは手加減は出来んだろうし」

「……………あぁ、そりゃかわいそうだ」

「ふむ。だが仕方ないのだ。それもこれも、腹を空かした女の子を放っておくような輩が悪いのだ。だから許せ」

「あ〜、えっと……………とりあえず、なにが食いたい?」


げんなりと溜め息をつきながら、優斗が泣く泣く聞いた。

八つ当たりであの鉄拳を貰っていてはたまらない。


「そうだな…………」

「って、なんもないや。仕方ない、なんか買いに行くか」

「む、ではチョコパンを頼む」

「って…………あぁ!?おまえなぁ、客人ってわけじゃないし俺の奢りなんだから、おまえが買いに行くとか、せめて一緒に来いよな」


げんなりと言った優斗に、伊吹が再び頷いた。

頷き、僅かに顔をしかめる。


「いや、行きたいのは山々だが、体が動かんのだ」

「あ、まだどっか痛むのか?」

「そうではない。昨夜の戦闘と、傷の治療に魔力を消費し過ぎた」


“魔力”という単語に、優斗は首を傾げた。

昨夜に、オーガやらナイトメアなどといった存在は、現実に直視してしまったが、やはりまだ説明が不足しているため、理解には程遠い。


「なぁ、おまえらの魔力ってのは、結局なんなんだ?」

「ん?なんだ、知りたいか?」

「そりゃ、傷も塞がるし、戦闘にも使ってたんだっけ?とにかく、そんな物は人間にはないんだから、知りたいよ」

「………ほう、そうかそうか。わたしから教わりたいことがあるのだな?」


僅かに口元を笑みの形に歪める伊吹。

それを見て、自分が買い出しに行かなくてはならないのだと優斗は悟った。


「じゃあ………買いに行ってくるよ」

「うむ。早めに頼むぞ」

「………ったく。俺だって体中が痛むってのに」


ぶつくさ言いながら、財布と上着を持って優斗が部屋を出る。

部屋を出て行く優斗の背中を、どこか遠い目で伊吹が見送っていた。





「………で、だ。俺としては、昨日いきなり俺を襲ってきた化け物………あぁいや、見た目はただのひょろい男だったわけだが、とにかく俺を襲ってきた奴についての説明を聞きたいんだが…………」


そこで一旦言葉を切り、げんなりとした表情で伊吹を見た。

黙々と、今は優斗がコンビニで買ってきたおにぎりやらパンやらを食べ続けている伊吹を見て、深々と溜め息をつく。


「………………いつまで食ってんだおまえは」

「む?」


優斗の言葉に、伊吹が顔を上げる。

手と口は未だに動いているのだが。


「いや、ここしばらく食物など口にしていなかったからな。止まらんのだ」

「今までのツケを今清算してんじゃねぇよ!」

「よいではないか。これだけあるんだし」

「三日分はあったんだよ馬鹿やろう!」

「………なに?それほど重要ならば先に言ってくれれば………ふもむむご?」

「だから食うなーッ!!」


優斗が涙目で叫ぶ。

こいつ本当は鬼とか魔とかではなく、貧乏神の類ではないのだろうか。

財布の中身を見て、今月どうしよーと悩む優斗を知ってか知らずか、伊吹がようやく手を止め………最後にペットボトルのお茶を飲み干してから優斗を見た。


「さて、聞きたいことがあったのだろう?財布を見て泣いている場合ではあるまい」

「あ………あぁ、そうだった」


軽くなってしまった財布を、ぽーんと部屋の隅に投げ捨てる。

どうにかなるさと半ば現実逃避ぎみに伊吹に向き直った。


「えっとだな………まずは、昨日俺のことを襲ってきた男について聞きたいんだが?」

「む?だから、あれがナイトメアと呼ばれる存在だ。見た目は人間となんら変わらんが、魔力の量からしてかなりのレベルであろう」

「あぁいや、そのナイトメアってのは分かってるんだよ。実際に目の前で事実も突きつけられたし、おまえの言っている事も嫌でも信じさせられた」


優斗の言葉に、ふむと伊吹が頷く。

実際に突きつけたのは死の気配でもあったというのに、優斗の状況を受け入れる早さはなかなかのものであることを内心で認めながら。


「だから、俺が知りたいのはナイトメアってのがなんなのかってことなんだよ」

「それも説明したであろう。あれは、絆を失った人間の最果てだ。人に裏切られ続けたが故にヒトを憎み、ナイトメアになったのだ」


伊吹の説明に、優斗は昨夜の男の姿を思い出して納得した。

たしかに昨夜の男は、理由や動機とは別の物で動いていることは、なんとなく理解していた。

だが、と優斗は再び首をひねる。


「なら、おまえはなんなんだ?おまえは……えっと、オーガだっけか?とにかくおまえは、ナイトメアってやつじゃなくって、人も襲ってないんだろ?」

「…………そうだな。そなたら人間と、オーガやナイトメアの違いは説明した通り、魔力の有無であると言えよう。だが、オーガとナイトメアの違いは、人間でなくなった瞬間にある」

「人間で、なくなった瞬間………?」


オウム返しに聞き返す優斗に、伊吹が頷く。


「そうだ。絆を失い人間でなくなった瞬間に、ヒトを怨んでいるかどうか。人間を憎み、復讐と殺戮の権化となればナイトメア。絆を失っても人間を憎めなかった存在がオーガとなるのだ」

「………ん?つまりオーガってのは、裏切られて絆を失ったのに、人間を憎まなかったってのか?」

「そうなるな。オーガは基本的に、秘密を知ってしまった人間を仕方なく抹消することはあるだろうが、ナイトメアのように無闇に殺すようなことはないのだろう」


伊吹が頷くのを見て、優斗は少し安心した。

昨夜、自分を命懸けで助けてくれた少女が、殺戮の化け物とは違うのだと知ることが出来た。


「なら、おまえも────」

「あぁ。それは勘違いだ」


優斗の言葉を、伊吹が遮った。

腕を組み、不遜な笑みを浮かべて優斗を見る。


「わたしの場合は些か例外だ。わたしはそなたら人間を憎んでいる。人間を殺すことに躊躇などしない」

「な………お、おかしいだろそんなの!?だっておまえはオーガで、人を助けてるんじゃないのか!?」

「別段、オーガとて人助けをしているわけではないがな。とにかくわたしは人間を憎み、今まで生きてきた」


伊吹の言葉に、絶句する優斗。

けれど、死にかけた自分を助けてくれた少女が、どうしても昨夜の男と同じとは思えなかった。

いや、優斗自身にも理由は分からないが、思いたくなかったのかもしれない。


「…………なぁ。ならなんでおまえは、人間を憎んでるのにナイトメアってやつにはならないんだ?」

「先程も言った通り、わたしは例外だった。人ではなくなる瞬間に、オーガであり続けることを誓ったのだ」

「なら………それなら、おまえはどうして人間じゃなくなったんだ?おまえが人間じゃなくなる瞬間に何があったんだよ」

「さてな」


言って、伊吹が静かに目を閉じる。


「遠い昔のことだ。とうに忘れた」

「………んなわけ、ないだろ。人間じゃなくなるほどのことをされて、それをあっさり忘れたってのか?」


優斗の言葉に、伊吹がじろりと銀色の瞳で優斗を見据えた。

睨むように優斗を見て、重く口を開く。


「黙るがよい。仮に覚えていたとして、何故わたしが過去のことをそなたに話さねばならんのか」

「何故かって………?おまえな、俺だってわけの分からない事に巻き込まれてんだ!もしかしたら俺だって同じ境遇になるかもしれないんだぞ!?」

「………よいか?わたしがそなたにここまで説明したのは、わたしの善意があったからだ。そなたにだけ記憶の書き換えが効かなかった時点で、そなたを消去するという選択肢も存在したのに、だ。オーガであろうとも、通常ならあの場でそなたを殺していた」


睨み合う二人。

優斗は、自分にこれから降りかかるかもしれない事として必死だった。

そしてなにより、自分を助けてくれた少女が人間を憎んでいるということを、どうしても納得したくなかったのだ。

───だが、不意に優斗が大きく息をはくと、そのまま伊吹に頭を下げた。


「………悪かった。たしかに、話したくない過去を無理やり言わせるのは間違いだった。おまえが人間をどう思っていても、俺を助けてくれたのは事実だもんな。………その、ごめん」

「む…………」


唐突に謝られ、伊吹が空回りした。

ばつが悪そうに頬をかき、明後日のほうを見る。


「まぁ、とっさの事態だったが故に仕方あるまい。そなたが特別だったことも、そなたには責任はないのだからな」

「あ………」


はたと優斗が思い出した。

現状の確認にばかりこだわっていたが、自分自身についてのことを全く理解していなかった。

とりあえず、と一番気になっていた疑問を口にする。


「なぁ、りみっとぶれいかー、ってのはなんなんだ?」

「………む?何故、そなたがそんなことを知っている?」

「いや、昨日の男がさ、逃げる前に俺を見てそう言ってたからさ」

「…………………」


伊吹が、何かに気付いたように優斗を見た。

そのまま細い眉に皺をよせ、ぶつぶつと考え込み始める。


「………………そうか。それならば、わたしの魔力が通らなかったのにも納得がいく。いや、だがしかし、再びこの世に現れたとでも……………」

「お、おーい。考えてるとこ悪いけど、少しは説明してくれ。俺としても結構重要っぽいことじゃないか?」


置いてけぼりをくった優斗が声をかけると、伊吹が顔を上げた。

その顔が、異常な真剣味を帯びていたことに優斗が驚き、たじろぐ。


「な、なんだよ。なんか分かったのか?」

「………………………仮説の話だ」

「へ?」


優斗がさらに何かを訊こうとするのを目で制し、伊吹が口を開く。


「遥か昔。鬼や魔の力が拡大してな。それに対抗する存在として、人間は神という存在を崇めた」

「あん?それが一体なんの関係が───」

「黙って聞くがいい」


疑問符を浮かべながら口を挟んだ優斗を伊吹が睨む。

優斗が慌てて口を閉じて黙るのを見て、伊吹が再び話し始めた。


「ある一人の人間がな、四体の神を造り上げたのだ。“朱雀”“青龍”“玄武”“白虎”。人間たちの希望として、一人の男が自らの命を顧みずに生み出した」


そこまでで、伊吹がどこか悔しげに唇を噛み締めた。

膝の上にのせた自らの手を見ている銀色の目が、ここではない場所を見ていることが、優斗にも分かった。


「……………だが。人間は、やはり愚かだった。人間は繁栄した末に、希望として造られたそれらを奪い合い、挙げ句の果てに失ったのだ。鬼や魔に対抗するためだった兵器は、その全てが鬼や魔の手に渡った」


伊吹が、左手をゆっくりとかざす。

一瞬の光の収束の後、伊吹の左手には少女が扱うには不釣り合いな程の大きな弓が握られていた。


「それが…………?」

「そうだ。四神の内の一つ。青龍の力を宿した“青龍の弓”。不老不死のオーガやナイトメアであろうとも、四神兵器を用いれば滅却することが可能だ」


優斗は、自分が伊吹の持つ弓を、記憶のどこかに引っかかっている気がしてならなかった。

ひとまず自分の小さな疑問は置いておき、現状の確認を優先する。


「で、昨日の男が持ってたのが………玄武、の鎌ってやつなのか?」

「そうなのだ。思ったよりも厄介な輩でな。二度も接触したのだが、二度とも勝利は得られていない」

「二度…………?」


首を傾げる優先に、伊吹が顔をしかめて答える。


「昨夜と、そなたと初めて逢ったあの夜だ」

「………あぁ。って、おまえ二度も殺されかけたのか?」


優先の直球の質問に、今度こそ伊吹が思いっきり顔をしかめる。

というか、口を尖らせる。


「たわけ。不利な状況であったし傷も負ったが、敗北はしていない」

「………………まぁ、いいけど。で?今までの話が、俺の事とどう関係があるんだ?」


拗ね始めた伊吹を見て、優斗が話の進路を逸らす。

否、話の核心へと持っていった。


「…………………よいか?あくまで、仮説の話だ」

「わーってるよ。証拠も確信もないから、確実じゃないってんだろ?で、なんなんだ?」


頷く優斗を見て、伊吹がようやく重い口を開き始めた。


「……………リミットブレイカーというのはな。“神を造りし者”と呼ばれた人間につけられた名だ」

「“神を造りし者”?話の流れからすると、おまえの持ってる弓とかを造った人間ってやつのことか?」

「そうだ。人間の身でありながら、オーガやナイトメアを凌駕する物を造り上げた男だった」

「……………だから、それが俺になんの関係があるんだよ?」


聞き返す優斗に、伊吹が左手に持った弓を霧散させ、やれやれと溜め息をついた。


「まだ分からぬか。そなたが、その“神を造りし者”の生まれ変わりであるやも知れぬといっている」

「はぁ?」

「まぁ、わたしの魔力が人間であるそなたに通らなかったという事実からの推測に過ぎんが………とにかく、今は情報が足りない」


それだけ言うと、伊吹がベッドから降りて立ち上がった。

体に力が入らないのか、ややふらついた足取りで部屋を出ようとする。


「あ、おい。どこ行くんだよ。トイレか?」

「違うッ!…………昨夜のナイトメアを探しに行く。気配からして、未だこの街に留まっているようだから、見つけ出す」

「な………無茶だろ!」


部屋を出ようとする伊吹の腕を、優斗が掴んだ。

そのまま伊吹を自分の方に向き直させる。


「おまえな、魔力ってやつが十分じゃなくて、ふらふらじゃねえか。こんな体で歩き回るのは無理だよ」

「…………ほう。たしかに魔力は未だ、回復とは程遠いが────」

「へ?」


優斗が声を発した時には、目の前にいた伊吹の姿が消えていた。

いや、実際には、優斗の目で追えないほどの速さで伊吹が動いたのだ。

掴まれた腕を外し逆に関節を取ると同時に、一瞬で優斗の両足を払った。

優斗の視点が、ほぼ180度回転する。


「っ、んぎ………!」

「これくらいは容易い」


背中から床に叩きつけられ、息を詰まらせる優斗にそれだけ告げると、伊吹がさっさと歩き出す。


「っ………てめぇ、恩を仇で返すとは………」

「だまれ。だいいち、わたしはそなたの為に言っているのだ。そなたに関する情報を、早々に奴を捕まえて吐かせてやる」

「だ、だから、今のおまえじゃ返り討ちだって言ってんだよ俺は!」


優斗の言葉に、伊吹が額にぴきりと青筋を浮かべて振り返った。


「…………ほう。まだそんな口がきけたとは。ならば、今度はそなたが寝込んでみるか?」

「なーにが“寝込んでみるか?”だ!俺だってな、やられっぱなしだと思うなよ!!」


しゅばっと素早く起き上がり、優斗が伊吹と睨み合う。



───で、数秒の後。



「………ちぃ!無駄に、打たれ強い、奴だ………!」


早瀬家の玄関。

そこに、床に突っ伏したまま伊吹の片足を掴む優斗と、肩で息をしながら、それをげしげしと踏みつける伊吹という、なんだか不思議な光景が出来上がった。


「…………て、てやんでぇ。こちとら、ガキの頃から竹刀で千夏に殴られ続けてきたんだ。打撃に対しての耐性は高いんだ」

「マゾかそなたは。それ以前に千夏とは誰だ」

「………俺の、幼なじみだ」


ふらふらと立ち上がる優斗を見て、伊吹が盛大な溜め息をついた。

呆れたように、半眼で優斗を見る。


「…………本当に、分からぬ奴だ。例え今のわたしでも、そなた程度なら十人いようとも問題ではない」

「うるせえ。俺はあきらめが悪いんだ。少しでも可能性があるなら、絶対にあきらめん!」

「……………この場合は完全にゼロだということに、いい加減気付け。それと────っ、と………」


言葉の途中で、伊吹の体がぐらりと揺れた。

魔力の不足からきた唐突な立ち眩みに、伊吹の体が崩れかけて、


「危ない………!」


とっさに伸ばした優斗の腕に支えられて、床にぶつかる寸前に抱きかかえられていた。


「…………む。はなせ、馬鹿者」

「…………あ〜、ってか本当に手放してやろうかこの野郎」


抱きかかえたまま、何をしていいか分からず、とりあえず言葉を交わす二人。

無言の沈黙。

ゼロ距離のまま、半眼で見つめ合い続けるという体勢のまま膠着状態になり、



「ちわーっ!馬鹿は風邪をひかないって説を豪快に覆した早瀬は生きてるかー!」

「うるさいわね。あんたもあんまり人のこと言えないでしょうが。っていうか、一応優斗も病人なんだから、あんまり大声出さない方が────」


次いで転がり込んだ状態に、優斗は頭を抱え込みたくなって、しかし両手は伊吹を支えているので諦めた。

とにかく、うっかり家の鍵をかけ忘れて、なおかつ呼び鈴すら鳴らさずに勝手に家に上がり込む来客二人に、今度は優斗も激しい目眩を感じて、



『なにぃぃぃぃぃ!!!!』


客観的に見て、抱き合った姿勢のままの優斗たちを見た来客二人が、早瀬家における本日二度目の絶叫を上げたのだった。

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