むっつめ。
灰色髪の男は、驚いたような顔つきで、歩みを止めた。
「……大地の民?」
大地の民の、特徴的な瞳孔の細い金色の眼差しが、いささか不審げにこちらにむけられている。
「あにさま」
人間には理解しがたいかもしれないが。
大地の民の生活様式というか、生活形態は少しばかり変わっている。
同年代の子供はみなひとつところに集められ。
里人すべてが祖母であり祖父であり。父であり、母である。
いうなれば、個の家族という認識はなく、里ひとつがすべて家族のようなものだった。
つまり。
たとえ、顔も知らない相手だったとしても。
同じ大地の民で、相手が年上の男ならば。それはもう兄なのである。
灰色髪の男を、キアラは知らなかった。
知らなかったけれど、ここで助けをつかまなければ、キアラに明日はない。
同種族にあったのがこの状況下における最大の幸運であるとばかりに、キアラはローブをつかむ手に力をこめた。
「あにさま、私はキアラといいます。お願いです、助けてください、困ってるんです」
はあ、と男は困ったように瞬いた。
髪と同じ色をした、灰色の獣の耳も、動きを決めかねたように落ち着きなく動いている。
「ね、あにさま。困ってるんです」
「……おれは、ジィンと言うんだが。ここじゃ、人の邪魔になるから、すこし場所を移そうか」
促されるままに、キアラはジィンについて、大通りを少し外れた裏道に入る。
ジィンは、もしかしたらキアラの熱い視線に負けたのかもしれない。
懐から出した小銭で、屋台で売っていた冷たい果実水を買って渡してくれた。
「で、キアラ。なんで困ってるんだ?」
冷たくひえた果実水はうまかった。
やさしい甘さに、思わず口元がほころぶ。
「おいしいです」
「……そうか」
結果的に、ジィンの問いを無視したことになるが、かまわないと思った。
こんなにおいしい飲み物は初めてだ。
よかったなと、いささか投げやりに呟いたジィンは、そのあたりに積み上げてあった木箱に頬杖をついて人波を眺めている。
果実水を舐めるように飲みながら、キアラはもう一度ジィンの腕の彫り物をみつめた。
里の誰よりも複雑な紋様が彫られていると思う。
大体が。文様を自分で彫りこむその痛みのために、簡素な紋様を好むというのに、里のじいさまたちよりもずっとずっと細やかでうつくしい紋様がそこにはしっかりと刻まれている。
神代の祈りの言葉が、省略されずにしっかりと彫られているのだ。
「ジィンにいさま。私、お財布をなくしちゃったんです」
紋様は、簡素なものが好まれるとはいえ。
複雑であれば複雑であるほど、いいのである。
それは勇気と忍耐力の象徴であり、誇るべきものだ。
こんなに複雑な刺青をもつジィンは。きっと懐も深い人物に違いない。
多大なる期待をこめて、キアラは果実水を口に含みながら、ジィンをみつめた。
けれど。
聞いていたのかいないのか、ジィンは顎が外れそうなほどの大あくびをしている真っ最中だった。