とおと、みっつめ。
「うたがった……?」
髪の上を、おうじさまの手がすべる。
優しく梳いてくれる、なつかしいその感触。
幼子のように目をしばたかせて、キアラはただ彼をみつめた。
「そうだ。本当に、すまない。私が森を出なければいけなかった、あの日。君の姉上が言っていたのだ。妹が――つまり君が。私のもとに来ることはないと」
彼の言葉は淡々と紡がれる。
そこには、憤りも。恨みも。なにもない。
「どういうこと?」
数年前の、あの日。
キアラは確かに約束したのだ。
成人したら、きっと王都に行くと。彼の味方になると。
自分よりもずっと大地の民らしい、姉たちが。
大地の民が約束をする意味を知らないはずがないというのに。
「行きたくても行けないのだといっていた。私はそれを、君がまだ成人していないせいだと思っていた。だから――」
いっそう遠い目をして、彼は少しだけ瞳を伏せた。
腰に回されていた手がゆっくりと下ろされる。
髪をなでていたても、最後に惜しむようにひとなでして。そっと離れた。
「3年たち、5年たっても待っていた。成人すれば、きっときてくれると思って、ずっと待っていた。けれど、君は来なかった。10年たつころにはきっともう来ないのだろうと憤りながらも君を待ち。20年たつころには、待つことに疲れていた。味方が誰もおらず、一番つらい時期はそのころには過ぎていた。王弟として、穏やかな日々を送っていたよ。君のことも、正直忘れかけていた」
いったい、どういうことなのだろう。
時間は誰のもとにも、等しくやってくるはずなのに。
キアラの、わずか数年が。彼には違ったということなのだろうか。
離れた手を、さみしく思った。
昔のように、もっとなでてくれればいいと思った。
けれど。
時間の隔たりは多分。それ以上の溝を、自分と彼の間に生んでしまったのだ。
「兄が王位を継いで。子供が出来て。30年が過ぎるころには、大地の民が棲まう森へ行ったことさえ夢のことのような気がしていた。そもそも、あの、世界樹の森は。人間の立ち入りを固く拒む土地だから。あの日々が、夢だと思ってもかまわないくらいに、平穏で優しい日々だったのだ」
「おうじ、さま……?」
平穏で、優しい日々だったというのなら。
なぜそんなにも、哀しい顔をしているのか。
あの日見たときよりも、ずっとずっと。寂しそうに笑うのか。
「3年前に、兄が亡くなって。平穏は崩れてしまった。かわいかった甥までも、私の命を狙うようになって。部下が甥を追ったら、街中に君がいたと報告してきた。――ねぇ、キアラ」
吐息のように、彼はキアラの名前を口にした。
「どうして、マーリのところにいるんだい?」