とおと、ふたつめ。
「君は殿下と知り合いなのかい?」
いつまでたっても、地面に張り付いた足は動ける気がしなかった。
心にぽっかりと大きな穴があいてしまったかのようだ。
気持ちはすかすかとして、ちっとも埋まらない。まるで失敗して膨らみすぎたパンのよう。
そんな自分を黙ってみていたカッツェがようやく話しかけてきたのは、充分に時間が過ぎてからのことだったと思う。少し視界がうるんでいたから、目も少しくらいは赤かったかもしれない。
カッツェは気まずそうに目を細くして、さりげなくおうじさまが去っていった方角へと視線をずらした。
「殿下って、おうじさまのこと?」
「君の王子様が誰かは知らないけど、さっき傭兵を引き連れていた、布を被った怪しい男のことさ」
「……さっきのひとは、おうじさまだとおもう」
顔を見たわけではない。
声だって、昔とは随分違っていた。
でも。
だけど。
確信めいた予感がある。
さっきの彼は、昔約束をしたおうじさまだ。
「まぁ、詳しくは知らないけどさ。とりあえず殿下が王子様だったのは、先々王の時代までだよ。それから3年前までは、王弟殿下。今、彼はロータス国王陛下と呼ばれることになっている。言うなれば、この国の頂点に立つ男さ」
こくおうへいか。
耳慣れないその言葉を、キアラは口の中でそっと転がした。
長老様のようなものだろうか、という疑問は思っただけで口には乗せないでおく。
そういうことは、ジィンに聞いたほうが馬鹿にされないで教えてもらえそうだ。
「大地の民が人間の権力争いに興味があるとも思えないから、ざざっとはしょるけれども。先代の国王陛下って言うのが、ロータス殿下の兄君にあたる方でね。大変すばらしい方だったんだが、3年ほど前に崩御なされた。まだ50代とお若いのに、突然なくなってしまわれたのだ」
宿屋の方へと歩を進めながら、カッツェはゆっくりとした口調でそう語った。
もしかすると、カッツェは前のこくおうへいかが本当に好きだったのだろう。
「あまりに突然身罷られてしまったから、いろんな噂が流れたんだよ。中でももっとも有力なのが、さっきの殿下が、兄である国王陛下を……というものでね。事実じゃないのかなぁと私なんかは思っているわけなのだが」
なんとなく促されれば、地面に張り付いた足もようやくはがれた。
カッツェの悲しみが、さみしい。
淡々と語られる、その言葉が、ひとつひとつ悲鳴をあげているような気がする。
「本来なら、母君の身分が低いロータス殿下は王位を継承しないはずだった。けれど、先王陛下の第一王子がまだ幼いというので、一時的に、殿下は王位を継がれたのだ。中継ぎ国王、とでも言おうか。先王陛下はよい治世者だったけれど、独裁者でもあった。指揮を突然失って、混乱した国を、殿下はよく治めたと、言えなくはないんだけれど」
ふう、とカッツェはひとつ溜息をついた。
「先王陛下を、弑したかもしれない彼を、私は許せないんだよ。突然お倒れになった陛下を、顔色ひとつかえずに見下ろしていた、殿下を――。弑していないと、なぜ言えるのか」
弑する⇒王・親など目上の人を殺すこと、らしいです。
誤字修正しました。10/30






