ふたつめ。
人の波が、くずれる。
乱れて、ざわめく。
追っ手たちが崩れる樽の山に気を取られたその一瞬に、キアラはマーリを抱えて水路沿いの通路に駆け込んだ。
一瞬遅れて。
ばらばらと追いかけてくる人影が、三つ四つ……ざっと六つ。
「行きなさい、マーリ!」
背後にマーリを逃がし、キアラは追っ手の前に立ちふさがった。
背中に負っていた大剣をはずし、布にくるんだまま、両手で柄を支えたまま地面につく。
大地の民が用いる大剣が、街中でふりまわすには物騒すぎることは百も承知だ。
マーリの軽い足音が、ぱたぱたと遠ざかっていくのを、耳だけを動かして確かめる。
視線は追っ手に据えたまま、動かすことはしない。
これ、ちょっと危なくない?
思わずそんな感想を抱いたものの、表情には出さずに瞳を眇めて追っ手を見やる。
挑発するときのあねさまを真似てみたのだが、果たしてうまくいったかどうか。
心持ち顎を上げるのがポイントなのよ!と確かあねさまは言っていたような気がする。
大地の民の戦闘能力が高いのは周知の事実だから、たとえ力量がたりないと自分で悟っても、相手を威嚇することでびびらせようという作戦なのだとか。びびって引いてくれれば御の字。もし引かなくても、恐れを呼び起こすことが出来れば、数割は力をそぐことが出来るらしい。
だけど、あねさま。
どう贔屓目に見積もっても、この力量の傭兵6人相手はきついです……
ていうか、ムリだから!!!
互角に戦えるのは二人まで。
三人だと、負けないように立ち回るのがなんとか。
それ以上だと、死なないように逃げられればいいなーという感じだろうか。
「邪魔をするのか、大地の民よ」
リーダー格らしき髭面の男が一歩前に歩み出る。
マーリはもう、隠れただろうか。
これは逃げるふりじゃなくて、本格的に逃げないとまずそうなのだけれど。
うまく隠れることが出来ただろうか。
内心でマーリの身を案じつつ、キアラはふんと鼻を鳴らして見せた。
「邪魔も何もないわ。あなたみたいないい年したおっちゃんが、あんな小さくていとけない子供を追い回すなんて悪趣味が過ぎるわよ」
「悪趣味だろうがなんだろうが、仕事は仕事だ。受けたからには全力で当たるのが本職だ」
「ということは、自分でも悪趣味だって思ってるってことね」
くす、とわざと煽るようにキアラは笑う。
「私たちの剣は、弱者を虐げるためのものじゃないわ。剣を持つものとして恥を知ったらどうなの。本職なら本職らしく、強者と戦う剣を持ちなさい」
まぁ、キレイごとで世の中渡っていけないらしいけどね。
あねやあにが、自分にそう諭したあとでいつも自嘲的に呟く言葉を胸の中で呟いてみる。
雇われて剣を振るう以上、意に染まぬ仕事もあるし、時には誇りを殺して汚れ仕事を引き受けることもある。――そう、マーリのような幼子の命を奪うことさえ。時にはあるのだろう。
「ろくに仕事を引き受けたこともないらしい新米の傭兵か。いつまでそのきれいごとを通せるかみものだな」
吐き捨てるように返した髭面が口許を歪める。
どうやらキアラが思っていたよりも、まっとうな傭兵だったらしい。
自覚している汚さを衝かれて、その頬に自嘲がもれていた。
「金をもらった以上、どんな仕事でも全うすべきだ、幼きもの――その幼さに免じて、素直に退くなら見逃してやろう。下手な義侠心は怪我のもとだぞ」
髭面はたぶん、ちょっとばかり格好をつけた。
その言葉は確かに正しくて、そんなことはキアラにだってわかっている。
髭面が思っているよりも、大地の民ははるかに傭兵家業に精を出す一族なのだ。
時には雇われ主がちがうがために、兄弟ですら剣を交えるほどに。
キアラはにっこりとくちびるを笑みの形にひいた。
うまい具合に髭面が乗ってくれたおかげでいい時間稼ぎが出来たと思う。
後ろの傭兵たちが焦れて攻撃してこない間に、次の段階に進むとしよう。