(5)海の魔法
「なにって」
セスの問に少年は首を傾げた。何があるかと言われても、今やここはどこまでも続く荒野でしかない。『死の呪い』がやってきたために、滅んだ街や村の廃虚くらいならあるかもしれないけれど。あとは、そう。
「ずっと西には悪い王の宮殿があったって、おじいちゃんが言っていた」
「悪い王の宮殿?」
「うん」美しい女神さまにものを教えられるのがうれしくて、少年は胸をはった。「むかし、そこに悪い王様が住んでいて、大地に死の呪いをかけたんだ。だから、大地はどんどん死んでいく・・」
最後は消え入るような声。少年はいまの窮状を思いだして、うなだれる。
作物はもうほとんど採れない。村の近くを通っていた小川も干上がって何年にもなる。頼みの綱の井戸の水も枯れはじめた。人も例外でない。目端のきくものたちはとっくに滅びかけた村を見捨て、出ていってしまった。どこにもいくところがなく、また生まれ育った土地を捨てられずに残った村人たちは絶望の中、ただ無為な日常を送り、死を待っている。もうすぐ、彼の村も死の呪いに飲み込まれてしまうだろう。
「死の呪い」
かみしめるようにセスはつぶやいた。
(「呪いあれ! 呪いあれ!」)
ふいに父の末路の言葉がセスの脳裏にこだまする。
(まさか)
セスはほんのりと紅い花びらのような唇を噛んだ。その呪いをかけたのは、父だと言うのか?
海の女王はなんと言った? 父と同じ過ちをくりかえすか、と。
父の犯した過ち。それがこれだったというのか。『大地』を死に追いやる呪い。
「ねえ」
セスは目を見瞠った。あどけなく問いかけた少年の顔が見る間に年老いていく。少年から青年へ。青年から成熟した大人へ。そして、老人へと。
これは海の魔法。移りゆきながらも、本質を変えぬ海の『時の魔法』。
からりと乾いた音を立てて、少年だった老人が崩れ折れる。地面に白いものが転がる。目を射るほど白い髑髏。
「女王、これはあなたのしわざか」
不毛の荒れ果てた土地。わずかにあった枯れ草すら姿を消す。地面にころがっていた岩もぼろぼろに砕かれ、やがてさらさらの砂となり、風に飛ばされていく。そうして、残ったのは『無』。命のあった痕跡すらない、空恐ろしいまでに絶対の『無』。
(これが世界の行く末か)
「ねえ、どうしたの? 気分悪いの?」
蒼く険しい顔をした美しい女神に、少年はおそるおそる声をかける。さっきから様子が変だ。もしかしたら、死の呪いで大地が弱っているように、女神も弱ってしまっているのかもしれない。そう思う。
「あなたは死の呪いから、みんなを助けに来たのではないの? 女神さま?」
女神と呼びかけられて、セスは我にかえる。まわりは元の荒れ果てた地。少年も幼いまま。海の魔法は去ったのだ。ただ遠く、西の彼方の死の気配だけが去らない。
「女神? わたしのことか?」
こくりと少年は一つうなずいた。
セスは苦笑する。大地の女王の次は女神か。またずいぶん格があがったものだ。
「ちがう。わたしは女神なんかじゃないし、みんなを助けに来たわけでもない」
「だって、大地の女神さまは金の髪に緑の目をして、みんなを救ってくれるって」
セスは自分の金の髪を一房、白く細い指ですくいとった。
「髪の色や目の色なら、偶然だ。第一、こんな目の色、髪の色のものなど、いくらでもいるのではないか」
たしかに、金の髪、緑の瞳自体は珍しくない。けれど、かの女のように鮮やかに美しい人を彼は知らなかった。とても自分たちと同じ人間だとは思えない。純金の輝きを放ちながら、流れ落ちる長い髪。宝玉のようなうるわしい新緑の瞳には、見ていると怖いほど強い煌めき。それが、よりいっそうかの女を人間離れしてみせている。
ただきれいというだけでは足りなさすぎる。
うまく説明できないで苛立ちながらも、少年は自分の語彙で精いっぱい反論を試みた。
「そうだけど、あなたは違うもの。あなたみたいな人、どこにもいない」
セスは思わず自分を見降ろした。どこか自分には変なところがあるのだろうか。『天空』育ちのため、『大地の民』と異なって見えてしまうのだろうか?
「私は異国育ちだから、そんなふうに見えるのだろう。だが、お前と変わらぬ『大地の民』だよ」
少しかなしげな口調でいう。私は、そんなに違ってしまったのだろうか。
「だけど」
少年は納得しかねる顔で言いかけたが、ふいにぱっと顔を輝かせて笑った。「うん、わかった。みんなには内緒なんだね」
なぜだかめまいが感じて、セスは額をおさえた。