(3)変われど変わらぬ海
女王の私室はあたたかではあったが、落ちつかなかった。テーブルにかけられた粗い生地のクロスも、開け放たれた窓辺でゆれるカーテンの模様も刻々と変化し、つかみどころがなかった。そうして、女王自身でさえその美しさは変わらぬまま、幼児から老婆の姿を移り変わっていく。
「海は移り変わるもの、けれど変わらぬもの」
女王は歌うようにいった。
「それが何を意味するのですか」
セスは海の女王に疑いのまなざしをむけた。
「なにも」
女王はセスに近づくと水かきのあるひんやりと冷たい指で、セスのまざりけのない金の髪をひとふさすくいあげ、かの女の新緑の瞳をのぞきこんだ。女王のけぶるような青い瞳に魅せられたように、セスは動けない。つんと強い潮のかおりがした。
「髪は豊饒の金。瞳は森の恵みの色。そなたは、まさしく大地の現し身なのだな」
そして、セスにも聞こえぬほど小さくつぶやく「『一なる騎士』を惑わすほどに」
女王はセスの髪をほっそりとした指からはなすと身を引いた。ただ、瞳だけはそらさない。射すくめるようにみつめる。その静かな凝視に耐えられずに、セスはなんともなしに不思議に思っていたことを口にした。
「他の人たちは、どこにいるのですか」
この塔の中で他の人間に行きあわなかった。いや、人の気配すらがない。セスには馴染みの無人の寂寥さがあったのみである。海の民もまた天空の民のように肉体を捨て、それぞれの夢に溺れているのだろうか。が、この海の女王の姿は不安定とはいえ、たしかな実体が感じられる。
「他の者たちは守護の眠りにある、大地がその王自身の手によって汚されてより」
「どういうことです」
「『海』と『大地』そして『天空』は三つで一つの世界を型作る、故にどれかひとつが狂えばすべてが狂う」
それはセスも聞かされていた。世界を分かつ三つの領域。『天空』、『大地』、『海』。世界はこの三つの領域の調和のうえに成り立っていた。すなわち、その一つが滅びるとき、すべてが滅びると。
「今や、我らの『海』は死にかけ、我らの生に適さぬ。だが、いずれの日か、大地がその王の手によって蘇り、『海』もまた癒されるときがこよう。その時まで我が民を眠りのなかに守るが我が役目」
ひとり眠らぬがため、この女王の身体には、すでに大きな負担がかかっていた。
けれど、誇り高い海の女王はそんな様子を微塵もみせぬ。何も知らないセスは心中苦くつぶやいた。
(天空の民も海の民もかわらないな。ただ座して待つだけか)
海の女王はそのセスの心を読んだかのようにつづけた。
「我らは『大地』には干渉できぬ。『大地』に息吹を与えるも、けがすも『大地の民』のみ。それは『天空の王』とて同じこと」
「リディウスは――天空の王は――ここで真実を求めよと。でも、私が欲しいのは力だ、復讐のための。世界が滅びようがどうしようが知ったことではない」
「それでは、そなたもそなたの父上とおなじ過ちを繰り返すというのか」
女王の声が冷然と響いた。
「父?」
セラスヴァティーは首をかしげた。
父の犯した過ち?
女王に問いかけようとしたその時だった。はげしい波音が間近にきこえた。今までに増して、強い潮の香りが室内に満ちる。
とっさに窓をふりかえると、さっきまで白い砂丘しか見えなかったはずのそこに、海があった。白い波涛が渦巻く荒々しい海。怒涛のような波が、水の壁となって立ち上がり、あっというまに開け放した窓から押し入ってきた。波はセスを苦もなく飲み込み、宙に舞いあげ翻弄する。
「知るがよい、真実を」
女王の声がはるか遠くに聞こえた。