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(2)海の女王

微睡みをさそう青い光があたりを満たしていた。どこまでもなだらかに続く白い砂丘。打ち寄せ、返す波の音がどこからともなく聞こえてくる。潮の強烈な匂いが鼻をくすぐる。けれど、その源であるはずの海はどこにも見えない。

 天空の王は以前、セスに海を見せてくれたことがあった。

 果てのない青い大海原。輝く波涛。波間に跳ね躍る銀色の魚。それを狙う白い鳥。帆にいっぱいの風をうけて、水平線をめざす船。いつまでも続く潮騒の音。

 磯の香りすらする精巧さであっても、それは本物ではない。

 天空の王が紡ぎだして見せた幾多の『夢』のひとつ。決して触れることのかなわぬ幻像にすぎない。けれど、幼かったセスは驚き、心引かれ、幾度も『海の夢』を王にせがんだものだった。そして、その度に王の紡ぐ『海』は、異なる表情を持っていた。

 彼方に、蜃気楼のように淡く光るものがみえた。空を支えるように高くのびた塔の先端。幻などではないことは、セスにはすぐにわかる。夢幻を友とする天空の民の元で育ったゆえ、現実と幻を見分ける感覚が、自然に研ぎ澄まされていた。

 足の甲までも砂に埋もれさせながらも、セラスヴァティーはその塔を目指して歩きだした。

 ざくり、ざくりと、足元で砂が鳴る。

素足にはいたサンダルの中に砂が入り込んでくる。

 しかし、そのうっとうしさも気にならぬほど、かの女の心の中は狂おしく波だっていた。

 天空の王は何を考えているのだ。

 こんな、何もない、砂ばかりの地で何を見つけろというのだ。

 私が欲しいのは力。復讐に必要な力。

 ひとつの光景が浮かんでくる。十三年前の出来事。片時もわすれない、わすれることのできない記憶。

 広間に多くの鎧姿の人間がひしめいていた。ひとりの黒マントの男が進み出る。

 甲高い声で口上を述べる。そして、その口上をうけるは、王。かの女の父だった。

 王は男に冷たい視線を投げかけた。炎も凍るような。

 と、その手にした大剣がひらめいた。

 紅い鮮血が噴きあがる。

 広間に詰めかけたものどもが、どよめく。

 王自身の胸から、剣がはえていた。否、突き立っていた。

 剣の柄の金色の宝石が、その血を啜ったかのように真紅に変じる。

 王は哄笑しながらも叫んだ。

「呪いあれ! 呪いあれ!」

 ごぼごぼと口からも鮮血があふれだす。血塗れの王は、そのまま自らの王座に崩れおれた。とおくで大地が不気味に鳴動した。

 女がひとりはげしい金切り声をあげて、その死体にとりすがった。

 黒マントの男が進みでると、己の剣をふり上げ、抱いていた赤子ごと女を無造作に切り裂いた。

 とっさに止めようと前に飛び出した少年にも、男の剣に容赦はなかった。少年もその母と同じ運命をたどる。

 男は王の胸に突き刺さった剣をとろうと、手を伸ばしかけた。

 その手が触れるか触れないかうちに、灼熱の炎が剣から弾けとんだ。

 男は反射的に手をひっこめる。

 突然、震動が広間を襲った。天井が、壁が、崩れ落ちてくる。逃げまどう人々。剣から飛び散る炎が、彼らをさらに追い立てる。

 セスは――いまだ幼き王女は――カーテンの襞の中に隠され、その一部始終をおびえながらもただ見ていた。

 動くことどころか、目をそらすことすらできなかった。

 そのとき、黒マントの男と目があった。男はなにか言いたげに、セスにむかって手をのばしかけた。その瞬間、男の姿が煙のなかに飲み込まれた。

 だが、忘れない。

 男の黒い瞳も、髪もその顔も。

 にくむべき殺人者の顔。

 その後、どうやってその広間を抜け出し、天空の王の元に至ったのか、かの女は覚えていない。ただ、その時の記憶だけが、かの女を支配し、復讐へと駆り立てるのだ。


 塔は近づくにつれて、その全貌をあきらかにした。繊細なレース模様は思わせる彫刻が壁面すべてになされ、幻想的な光を発していた。

「ようこそ」

 塔の扉の前に立ってかの女を迎えたのは、ほっそりとした美しい裸身に緑かかった銀髪をまとった女性だった。淡いピンクの花びらの髪飾りが耳の両わきで風もないのにゆれていた。蒼く見えるほど白く美しい顔。けぶるような深青色の瞳が、すべてを見すかすように、セスをみやった。

「ここはどこです。あなたはだれです」

 その人は笑った。翅のように微妙な笑み。耳の横につけた淡いピンクの花びらがまるで生きているようにそよいだ。いや、それは髪飾りではない。水中生活者たる海の民が持つえらであることに、セスは気がついた。

「ここは海の国。わたしは海の女王ミルファ」

「でも、海はどこにあるのです」

 女王はふたたび笑顔を見せた。物わかりの悪い子供にみせるような辛抱強い笑顔。

「空を! あれこそが海です」

 セスは空を見上げた。青い空に金色の縞模様がゆらめき、波打っていた。

 まるで、海であるかのように。

「あれが、海」

 漠然とセスはつぶやいた。ここでは、空こそが海なのであろうか。

「お入りなさい。セラスヴァティー、大地の女王よ」

 セスは身を固くし、女王を睨んだ。『大地の女王』、その言葉はかの女には、なぜか警鐘のように聞こえた。「私はそんなものではない」

「そう、今は……。けれど、約束されしこと」

 ふたりの視線が切りむすんだ。

 やがて、セスは地面に目を落とし、小さく肩をすくめた。

「私が欲しいのは力だ、復讐のための。女王の名など欲しくない」

 海の女王はかなしげにうなづいただけだった。



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