1 で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか
オリーブは焦っていた。
今日を逃せば愛するヴェルトと離れ離れになり、もう会うことは叶わなくなるだろう。
しかし、ここは辺境だ。王都と違い伴侶選びは本人の希望が通る。
想い合っているのだ。
ヴェルトさえ望んでくれれば、彼の妻になることが出来る。
オリーブは最後のチャンスにすべてを掛けた。
「ヴェルト様!ちゃんと、誰を妻に迎えたいのか、レィディアンス様の前ではっきり言葉にしてくださいませ!」
「え?」
オリーブの懇願にも似た言葉に、次期辺境伯であるレィディアンスと父、マルーン伯爵が下したオリーブへの宣告を知らぬヴェルトはただ、戸惑っていた。
「誤解が生じているのです!今言葉にしないと手遅れになってしまいます!」
オリーブとヴェルトの未来が完全に失われてしまう。
その言葉にヴェルトはハッとして、オリーブを見た。
オリーブはうるんだ瞳でヴェルトを見返すと、大きくうなずいた。
ヴェルトは王都から追放され、辺境の次期男爵である自分の婚約者となったエボニーをチラリと見ると、何かを決心したようにレィディアンスに向き直った。
「で?」
しかし、レィディアンスはヴェルトが何かを言う前に、静かにその口を開いた。
「そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」
「・・・はい?」
冷たく刺すその視線に全く心当たりがなく、ヴェルトは何を言われたのか理解が出来なかった。
*--*--*
ヴェルト・クルール男爵令息が友人からの手紙を手に、寄親である辺境伯家の令嬢──レィディアンス・ブラッシュの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。
簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民を妻として引き取ってくれ」というものだった。
ヴェルトの後輩でもある彼とレィディアンスが同級生であることから、恐らく『詳細』とはその平民が起こした問題のことだろう。
そういった女性が貴族の後妻や辺境に送られる話は実際にある話だ。
しかしそれは男爵家後継とはいえ、まだ爵位も持たないヴェルトの様な若僧ではなく、生活力と精神的余裕のある壮年の男相手に持っていく話ではなかっただろうか。
しかも相手は貴族ではなく平民の女性なのだ。
(何で俺?)
父からこの話を聞いた時そう思ったヴェルトであったが、一つだけ心当たりがあった。
ヴェルトは男爵家の嫡男だ。しかし嫁を貰い、跡継ぎをもうけるという義務があるというのに未だ婚約者がいない。
たとえヴェルトの実家が最下層の男爵家であっても貴族は貴族だ。その夫人になれるというのに、娯楽の無い『辺境』というだけで嫁の来手がないのだと、手紙の主である後輩に愚痴ったことがあるのだ。
この話に対するクルール男爵家当主である父の見解は「良いのではないか?」だった。
「まぁ、平民とはいえ商家のお嬢さんらしいし、退学になったとはいえ学園に入学できるだけの基礎学力とマナーはあるのだ。中央貴族と違って頻繁に社交があるわけでもない。不足する分はこちらで教育すれば問題はあるまい。
それにお前、彼とは友人なのだろう?その友人に娶れと言うのだ。何か深い考えがあるのではないか?」
(あいつに深い考えが・・・?)
ヴェルトはしばらく考えてみたが、彼は愛する婚約者以外のために行動を起こすようなタイプではない。それどころか『友人であろうとも使えるものは利用するタイプの人間だ』と自信を持って言い切ることが出来る。
はっきり言ってヴェルトはこの話を──というか、その後輩を疑っていた。
それをどう父親に伝えたら・・・と考えていると、ごちゃごちゃ言わずに話を聞いてこいと、父に屋敷から追い出されたのだった。
*--*--*
(今日は良い日だわ)
オリーブ・マルーンは伯爵令嬢だ。学園を卒業してから辺境伯邸に勤めはじめ、今年で五年目になる。
今年二十四歳になるとは思えないほど小柄でどちらかと言えば幼さが残る、可愛らしいと評判の容姿をしているオリーブは、貴族令嬢としてギリギリ許される速さで邸の廊下を歩いていた。
先ほどこの邸に、オリーブと心を通わせているヴェルト・クルール男爵令息がやって来たのだ。彼にお茶を出すのは自分の役目だ。他の者に譲るわけにはいかない。オリーブはお茶とお菓子の準備をしているであろう厨房に急ぎ向かった。
オリーブは厨房にたどり着くと、息を整え偶然を装い、入り口の前を横切った。
「あ、オリーブ。ちょうど良かった。クルール男爵令息にお茶をお出しするの、頼まれてくれないか」
辺境伯家の朝は皆忙しい。お客様のお茶の準備をしていた同僚が、思った通りオリーブに声を掛けてきた。
「ええ、私で良ければ」
オリーブが笑顔で了承すると「助かるわ~」と言いながらお茶とお茶菓子の乗ったカートをオリーブに差し出した。
ヴェルトは男爵家の後継として、オリーブは辺境伯邸の侍女として忙しく働いているので、滅多に会うことは叶わない。
特にヴェルトは、異性に対して奥手で言葉数が少なくなるタイプだ。
その為、彼が積極的にオリーブを誘うことはないし、オリーブも想い合っているとはいえ男性を誘うなどという”はしたない真似”は出来ず、その結果仕事の為にレィディアンスの元にやってくるヴェルトにお茶を出す──この時だけが唯一の二人の逢瀬だった。
オリーブは、応接室に入る前にカートを止めると、軽く身だしなみを整え深呼吸をした。
これからヴェルトの瞳に映るのだ。少しでも好印象を与えたい。
体の大きなヴェルトの横に立つと、小柄なオリーブは言いしれぬ安心感に包まれる。抱き締められたなら、まるでそこがオリーブの在るべき場所であるかのようにすっぽりとその腕の中に収まることが出来るだろう。
仕事中である以上そのようなことが起きることはないと分かっているけれど、抱きしめられずとも「ありがとう」と言葉を掛けられた瞬間に絡み合う視線とオリーブだけに向けられる笑み。
それだけで幸福な気持ちになることが出来るのだ。
オリーブは愛しいヴェルトに会える喜びに目を潤ませながら、応接室の扉をノックするべく手をあげた。
そっと、執務室の中に入る。
ヴェルトは今、仕事中だ。真面目な彼が素知らぬふりなのはいつものこと。
それを邪魔してはならない。
オリーブは少し緊張しながらも頬をわずかに染め、愛しのヴェルトにお茶と菓子を出した。
これから、地獄に突き落とされることになるとは、これっぽっちも思っていなかった。




