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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

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余命わずかな悪役令嬢は、盲目の天才に「ドブ川の色」を教え込む。~退屈な世界を、私たちの色で汚してあげる~

作者: 文月ナオ

※本作はビターエンド/メリーバッドエンドです。


主人公たちが【社会的・生存的】に救われる物語ではありません。


独特の恋愛観や背徳的な関係性に基づく『破滅的な結末』を含みますので、あらかじめご了承ください。


※苦手な方はここでブラウザバックをお願いいたします。


 王都の郊外、広大な森に囲まれたバーンスタイン侯爵邸。


 その敷地の外れ、雑木林に飲み込まれるようにして建つ白い離れがある。


 『鳥籠』。


 そこで暮らす私は、世間的には「儚く美しい、病弱な令嬢」ということになっていた。


 だが、実態は少し違う。


私は、清廉潔白なこの家にとっての『異物』――ありていに言えば、世界を汚そうと画策する悪役令嬢だ。


本来ならヒロインを虐めて断罪される役回りらしいけれど、そんな体力も興味もない。


……まあ、そう自称しているだけの、前世の記憶を持つ元・画家の卵なのだけれど。


 前世の私は、美大の油絵科で留年を繰り返し、アルバイト先のコンビニ弁当のプラスチック臭と、アトリエに充満するテレピン油の匂いの中で死んだ。


 過労だったか、栄養失調だったか。


 あるいは、間違って筆洗液でも煽ったのかもしれない。


 とにかく、そんな薄汚れた前世を持つ私にとって、この転生先の貴族社会というのは、あまりにも綺麗すぎて反吐が出そうだった。


 磨き上げられた大理石の床。


 染み一つないシルクのドレス。


 計算され尽くした庭園のバラ。


 どれもこれも、彩度は高いけれど明度が足りない。


 まるで、チューブから出したばかりの絵の具を、そのままキャンバスに塗りつけたような安っぽさだ。


 もっと、こう。


 生活排水の混じったドブ川のようなグレーとか、ガード下で錆びついた鉄骨の赤茶色とか、そういう「ノイズ」の混じった色が恋しくてたまらない。


 だから私は、夜な夜な『鳥籠』を抜け出すのだ。


 監視のメイド?


 そんな高尚なものはいない。


 私がもう長くはないと知っている使用人たちは、死人の世話などしたくないのだ。


 鍵の壊れた窓から、私は幽霊のように庭へ滑り落ちる。


 向かう先は、本邸の西側にある音楽室。


 そこには、私と同じように「世界から隔離された」もう一人の住人がいるからだ。


 アシュレイ・バーンスタイン。


 この家の次男にして、かつて神童と呼ばれた天才ピアニスト。


 そして今は――光を失った、盲目の青年。


 今夜もまた、窓の隙間から、完璧すぎて面白みの欠片もないピアノの旋律が漏れ聞こえてくる。


 ドビュッシーの『月の光』だ。


 私は窓枠に足をかけ、泥のついた靴のまま音楽室へと侵入した。


 月明かりの下、黒塗りのグランドピアノに向かう男の背中が見える。


 銀色の髪。


 陶器のように白い肌。


 そして、目元を覆う白い包帯。


 美しい絵面だ。


 額縁に入れて飾っておくには最高だろう。


 けれど、その演奏は。


 ……ああ、やっぱり。


 私はあくびを噛み殺しながら、窓枠に腰掛けた。


 曲が終わる。


 最後の音が、静寂の中に溶けていく。


 余韻に浸る間もなく、冷ややかな声が飛んできた。


「……誰だ」


 彼は振り返りもせずに言った。


 過敏すぎる聴覚が、私のわずかな衣擦れの音を拾ったらしい。


 私は悪びれもせず、窓から飛び降りた。


「ごきげんよう。素晴らしい演奏だったわ、アシュレイ様」


 私が名を呼ぶと、彼の肩がぴくりと震えた。


「その声……離れの、カルラか」


「覚えていてくださって光栄だわ」


「出て行け。僕の聖域に、土足で踏み込むな」


 彼は鍵盤に手を置いたまま、私の方を向く。


 包帯の下にあるはずの瞳が、虚空の私を睨みつけているのを感じた。


 拒絶。


 敵意。


 そして、隠しきれない怯え。


 彼は知っているのだ。


 自分が「可哀想な盲目の天才」として扱われていることを。


 そして、周囲の人間が、腫れ物に触るように接してくることを。


 だからこそ、彼は自分の殻に閉じこもり、誰も寄せ付けない。


 ……つまらない男。


 私はため息をついた。


「出て行くわよ。こんな、退屈な演奏を聞かされるくらいならね」


 空気が凍った。


 アシュレイの端正な顔が、能面のように強張る。


「……なんだと?」


「聞こえなかった? 退屈だと言ったのよ」


 私は彼に歩み寄り、ピアノの天板を指先でなぞった。


 埃ひとつない黒塗りの塗装に、私の指紋がベタベタと付着していく。


「あなたの音は、とても綺麗だわ。まるで、誰も使っていない客間のよう。あるいは――スーパーマーケットで売られている、プラスチックパックに詰められた刺身のツマね」


 彼は立ち上がった。


 杖を探す手が、焦ったように空を切る。


 その動きすら、どこか芝居がかっていてイライラする。


「刺身の……なんだと? 何を言っている!」


「わからない? 『人工的で、色がなくて、生きていない』と言ったのよ。あなたの音には、血の匂いも、泥の重さもしない。ただただ、無菌室で培養された寒天みたいに透明で……気持ちが悪いわ」


 言い切ってやると、彼は絶句した。


 顔を真っ赤にして、わなわなと震えている。


 首筋に浮き出た血管が、青虫みたいに脈打っていた。


 ああ、その怒りの色は悪くない。


「き、貴様……っ! 目も見えない人間に、よくもそんな……!」


 出た。


 必殺、「弱者カード」。


 私は鼻で笑った。


「あら。目が見えないことと、世界がつまらないことになんの関係があるの?」


「な……ッ!?」


「目が見えないなら、耳が良いんでしょう? なのに、世界がそんな薄っぺらい音に聞こえてるの? だとしたら、あなたの目は見えないんじゃなくて、最初から『何も見ていなかった』のね」


 パシン、と乾いた音がした。


 彼の手が、私の頬を掠めたのだ。


 叩こうとしたのだろうが、目測を誤ったらしい。


 私の髪飾りが床に落ちて、砕けた。


「……出て行け!!」


 彼は叫んだ。


 喉が張り裂けんばかりの絶叫。


「二度と来るな! 僕の前に現れるな!」


 私は落ちた髪飾りを拾わず、そのまま背を向けた。


「ええ、さようなら。……せっかく、本物の『色』を教えてあげようと思ったのに」


 捨て台詞を残し、私は窓から夜の庭へと躍り出た。


 心臓が、ドクドクと高鳴っている。


 怒り?


 いいえ、歓喜だ。


 あんなに感情を露わにした彼を、初めて見た。


 あの叫び声のほうが、さっきのピアノよりもずっと、いい音をしていた。


 もっと、汚してやりたい。


 あの真っ白で綺麗なキャンバスに、コールタールをぶちまけてやりたい。


 これは、芸術家としての「エゴ」だ。




 ◇◆◇




 翌日の夜も、私は音楽室にいた。


「……なぜいる」


 アシュレイが、幽霊でも見るような顔で私の方角を向いている。


「昨日の続きをしに来たのよ」


 私は持参したバスケットから、ラベルのない汚れたボトルを取り出した。


 厨房からではない。


 庭師が小屋に隠していた安酒を、失敬してきたのだ。


「昨日はごめんなさいね。言いすぎたわ。お詫びに、いいものを持ってきたの」


「毒薬か何かか?」


「まさか。これは『赤』よ」


 私はグラスにワインを注いだ。


 トクトクと、液体が跳ねる音が響く。


 芳醇な香りではなく、鼻の奥を突くような、鉄錆とアルコールの匂いが漂った。


「……酒か。僕は飲まない」


「飲むんじゃないわ。感じるのよ」


 私は彼の手を取り、無理やりグラスを握らせた。


「アシュレイ、あなたにとって『赤』ってどんなイメージ?」


 彼は眉をひそめ、不快そうに手を振りほどこうとする。


「……熱い色だ。炎や、太陽のような」


「ブッブー。不正解」


 私は彼の手を包み込んだまま、囁いた。


「それは教科書通りの答えね。そんな『赤』は、絵本の中にしかないわ」


「なら、なんだと言うんだ」


「今のあなたに必要な『赤』はね……そう、錆びた鉄条網の色よ」


 彼は怪訝な顔をした。


「鉄条網……?」


「ええ。雨ざらしになって、酸化して、触ると指にザラザラした粉がつく。少し鉄の味がする。怪我をすると、そこからバイキンが入って、熱を持ってズキズキと痛む……そんな、不愉快で、でも生きている証のような『赤』」


 私は、前世の記憶を思い出して語った。


 工事現場の赤いコーン。


 終電間際の駅のホームで見た、誰かの吐瀉物混じりの赤いネオン。


 カッターナイフで指を切った時に滲む、黒ずんだ血の色。


 絵の具で言えば、アリザリンクリムゾンに少しのバーントアンバーを混ぜたような色だ。


「飲んでみて。この安ワインは、そんな味がするから」


 彼は半信半疑で、グラスに口をつけた。


 そして、顔をしかめる。


「……不味い。渋くて、酸っぱい。それに、泥のような味がする」


「でしょう? それが『赤』よ。あなたのピアノには、この渋みが足りないの」


 彼はしばらく沈黙し、それから、ゆっくりと残りのワインを飲み干した。


「……もう一杯」


「あら、素直ね」


 その夜、私たちは安酒を空け、泥酔した。


 彼はピアノに向かい、鍵盤を叩いた。


 それは、昨日のような流麗なメロディではなかった。


 ガン! ダンッ! ジャァァァン!


 不協和音。


 リズムの崩壊。


 けれど、そこには確かに、錆びた鉄の匂いと、安酒の悪酔いのような揺らぎがあった。


「どうだ、カルラ! これが『赤』か!」


 彼は顔を紅潮させ、汗を流しながら叫んだ。


 ネクタイは緩み、髪は乱れている。


 整いすぎていた顔が歪み、汗が滴り落ちて鍵盤を濡らす。


 その生理的な汚れこそが、美しかった。


「ええ……悪くないわ。少しだけ、人間臭くなったわよ」


 私はソファに寝転がりながら、ケラケラと笑った。




 ◇◆◇




 それから、奇妙なレッスンが始まった。


 私は毎晩、彼に「色」を教えた。


 綺麗な色は教えない。


 この世の、汚くて美しい色だけを教えた。


「今日は『黄色』ね。……ひまわりの色じゃないわよ」


 私は彼に、古びた洋書のページを触らせた。


「これは、古本屋の奥で十年売れ残った紙の『黄色』。カビ臭くて、指先が少し粉っぽくなるでしょう? あるいは、二日目の打ち身のアザの色。じわじわと痛痒くて、見ると気分が沈むような、濁った黄土色」


 彼はその感触を指先で確かめ、鍵盤に向かう。


 低音域の、粘りつくようなトリル。


 ペダルを踏み込み、音を濁らせる。


「……こうか?」


「そう! もっと湿気を含ませて! 梅雨時の、乾かない洗濯物の生乾きの臭いみたいな音!」


 私の無茶苦茶なオーダーに、彼は必死で食らいついた。


 指先が割れ、鍵盤に血が滲んでも、彼は弾くのを止めなかった。


 天才というのは恐ろしいもので、彼は私の抽象的で汚いイメージを、的確に音へと変換してみせた。


 屋敷の使用人たちは、音楽室から聞こえる奇妙な音に怯えた。


「アシュレイ様は乱心された」と噂が立った。


 でも、彼は止まらなかった。


 彼は私に依存し始めていた。


「カルラ、今日は何色だ?」


「カルラ、この音は『青』か? それとも『群青』か?」


 彼は私の言葉なしでは、ピアノを弾けなくなりつつあった。


 私の「目」を通してしか、世界を見ようとしなくなった。


 それは、甘美な共依存だった。


 鳥籠の令嬢と、盲目のピアニスト。


 欠落した二人が、互いの傷口を舐め合うような、歪な関係。


 でも、私は知っていた。


 こんな時間は、長くは続かないことを。




 ◇◆◇




 私の体調が悪化したのは、冬の足音が聞こえ始めた頃だった。


 咳が止まらない。


 ハンカチに、鮮やかな赤が咲くようになった。


 それは皮肉にも、私が彼に教えたどんな「赤」よりも鮮烈で、美しい色だった。


 前世の記憶があるからといって、体が丈夫になるわけではない。


 むしろ、離れの湿気と埃、そして毎晩の夜更かしが、私の寿命を削り取っていたのだろう。


 あるいは、食事に微量の何かが混ぜられているのかもしれないが、今更どうでもいいことだ。


「カルラ、どうした? 声が掠れているぞ」


 アシュレイが、鍵盤の手を止めて気遣わしげに尋ねる。


 私は慌てて血の付いたハンカチをポケットにねじ込んだ。


「なんでもないわ。少し乾燥しているだけ」


「……嘘をつくな。お前の呼吸音がおかしいことくらい、わかる。肺から、ヒューヒューという音がしている」


 彼は立ち上がり、私の元へ歩み寄ってきた。


 そして、私の顔に手を伸ばす。


 その手が、私の熱い頬に触れた。


「……ひどい熱じゃないか」


「平気よ。それより、今のフレーズ、ちょっと綺麗すぎたわ。もっと泥を跳ね上げて」


「そんなことを言っている場合か! 医者は? 薬は?」


 彼の表情は、真剣そのものだった。


 以前の、自分のことしか考えていなかった彼とは違う。


(……医者なんて呼ぶわけがない。侯爵は『金の無駄だ』と私を切り捨て、使用人たちもそれに倣っているのだから)


 ……彼は、私を心配しているのだ。


 それが、どうしようもなく嬉しくて、同時に残酷だった。


 ああ、これはいけない。


 私は彼に「世界」を教えるつもりだったのに。


 いつの間にか、私が彼の「世界」になってしまっている。


 これでは、私が消えた時、彼はまた何も見えなくなってしまう。


「アシュレイ」


 私は彼の手を握った。


 骨ばった、ピアニストの指。


 傷だらけで、少しごつごつしていて、私の一番好きな感触。


「もうすぐ、王都で記念コンサートがあるでしょう?」


「ああ。……だが、断るつもりだ。お前の具合が悪いのに、行けるわけがない」


「行って」


 私は強く言った。


「行って、弾いてきて。あなたが掴んだ『色』を、あいつらに見せつけてやりなさいよ」


「だが……!」


「私のために弾くなら、ここで弾く必要はないわ。 遠く離れた場所でも、あなたの音なら届くはずよ」


 根拠のない詭弁だ。


 でも、彼は私の言葉を信じた。


 いや、私がそう望むならと、飲み込んだのだ。


「……わかった。弾くよ」


 彼は私の手を握り返した。


 痛いほど強く。


「最高の演奏をする。お前が教えてくれた、最高に汚くて、美しい世界を奏でてくる」


「ええ。期待しているわ」


 私は笑った。


 喉の奥からせり上がってくる鉄の味を飲み込みながら。




 ◇◆◇




 コンサートの当日。


 私はベッドから起き上がることさえできなかった。


 視界が霞む。


 手足の感覚が遠い。


 窓の外は雪が降っている。


 世界中が真っ白に塗りつぶされた、私の嫌いな「無」の色。


(アシュレイ、今頃弾いているかしら)


 私は目を閉じた。


 王都の大ホール。


 着飾った貴族たち。


 彼らが期待するのは、可哀想で美しい盲目の天才の、癒やしの音楽だろう。


 そこへ、あいつは爆弾を投げ込むのだ。


 想像するだけで、愉快でたまらない。


 幻聴が聞こえる。


 激しいピアノの音。


 不協和音スレスレの、ギリギリの均衡で成り立つ旋律。


 それは、かつて私が教えた「色」たちだ。


 錆びた鉄の赤。


 カビた古書の黄。


 深海のような、息苦しい群青。


 意識が、泥の中に沈んでいくようだ。


 ああ、前世で死んだ時も、こんな感覚だった気がする。


 テレピン油の匂いと、プラスチックの匂い。


 でも今は、その中に微かに、彼の残り香が混じっていた。




 ◇◆◇




 数日後。


 あるいは数時間後だったかもしれない。


 窓ガラスが割れる音で、私は意識を取り戻した。


 ヒュオオオオ、と冷たい風が吹き込んでくる。


「……アシュレイ?」


 割れた窓から侵入してきたのは、雪まみれになったアシュレイだった。


「カルラ!」


 彼は叫んだ。


 正装の燕尾服はシワだらけで、裾は泥で汚れ、馬の汗のような臭いがした。


 王都から、馬車を飛ばして帰ってきたのだろうか。


 いや、最後は走ってきたのかもしれない。


 靴が片方、脱げ落ちていた。


「どうして……ここが……」


 私は掠れた声で尋ねた。


 離れの場所なんて、彼は知らないはずなのに。


「匂いだ」


彼は私の言葉を遮って叫んだ。


「鉄と、腐敗と……この白い世界で、お前のその酷い匂いだけが、道標みたいに漂っていたんだ!」


「……ひどい言われようね」


「生きていてくれてよかった」


 彼は私の胸に顔を埋めた。


 冷たい頬。


 でも、その奥には燃えるような情熱があった。


「弾いてきたぞ。……酷いもんだった」


 彼は顔を上げ、ニヤリと笑った。


 それは、今まで見たことがないほど、ふてぶてしく、魅力的な笑みだった。


「客席からは悲鳴が上がった。途中で帰る奴もいた。批評家は『悪魔の音楽だ』と書くだろう」


「ふふ……最高ね。ざまあみろだわ」


「ああ。最高だった。そして、わかったんだ」


 彼は私の手首の内側、脈打つ場所に唇を寄せた。


「僕の『世界』に足りなかった最後の色が、ここにあると」


「……それは、何色?」


「お前の色だ」


 彼は言った。


「僕には、お前の顔は見えない。でも、わかるんだ。お前はきっと……世界で一番、鮮烈で、痛々しくて、愛おしい色をしている」


「……馬鹿ね。私はもう、自分じゃ歩けないくらいのボロ雑巾よ」


「構わない。僕が足になる」


 彼は立ち上がり、私を軽々と抱き上げた。


 視界がぐらりと揺れる。


「どこへ行くつもり?」


「ここじゃないどこかへ。この白い世界の外へ」


「死ぬわよ。外は雪嵐だわ」


「ここで朽ち果てるよりマシだ。違うか?」


 その通りだ。


 私は彼の首に腕を回した。


 泥だらけの燕尾服が、私のネグリジェを汚す。


 でも、それがたまらなく心地よかった。


「ええ、いいわよ。……連れて行って、アシュレイ。地獄の底まで、泥まみれになりましょう」


「ああ、望むところだ」


 彼は私を抱えたまま、割れた窓から雪の庭へと飛び出した。


 冷気が肌を刺す。


 でも、不思議と寒くはなかった。


 彼の体温と、狂ったような心臓の音が、私に伝わってくるから。


 鳥籠の扉は、とっくに壊れていたのだ。


 私たちは雪の中へ消えていく。


 どんなに翼が汚れても、私たちはきっと、どこまでも高く飛べる。


 たとえその先が、泥濘ぬかるみの底だとしても。


 あるいは、たとえ明日の朝、二人凍って、ゴミのように見つかるとしても。

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