6.対ゴブリン
ソイネスは白いシャツとズボンを着ていた。上等なものではなく荒い衣服だが、俺のような腰巻だけではない。履いている者もサンダルではなくちゃんとした靴を履いている。俺に勝利した少し後から姿を見なくなっていたので、噂通り中位ランクに上がったと思っていたが、思った以上に上がっていたようだ。
「ガイリトスさんも中位ランクに上がってきたんですね。実力はあると思っていたのでもし生きていれば、その内と思っていたのですが、予想以上に早いです」
「それはお前の話だろ。中位ランクに上がってからそれ程経ってないはずだが、その服を見ると、随分と上がってるみたいじゃないか」
「中位ランクの上の人たちが買われて、一気に居なくなってしまった為ですよ。幸運があったのです」
俺の考えでは幸運も実力の内だ。ただ、幸運に頼るようでは先が無いとも思っている。
ソイネスはそう思い上がっている様子もない。相変わらず、付け入る隙が無いな。
現状はランクナンバー入りしており7位まで上がっているそうだ。個人部屋で生活しているため、さっきの大部屋では見かけなかったようだ。ついでなので、中位ランクでの対戦についてもアレコレ聞いておいた。
「それではガイリトスさん。再び対戦となっても勝ちは譲りませんよ」
「お前が強いのは知っているが、俺も成長するんでな。またな、ソイネス」
「はい。またです」
想定外に情報を入手することが出来た。それに見知った奴と話しすることが出来たのも幸運だろう。初めての所で俺も気を張っていた所があったが、その緊張が少し解れた気がする。ソイネスは俺と別れて、食堂に入っていった。
ヒガンは興味あり気にソイネスを眺めていた。
「前にお主が戦った奴じゃの。今のお主なら勝てるのではないか?」
「アイツが前と同じならな。勝てるかどうかは、アイツがどれぐらい強くなったかによるだろ」
俺が成長しているように、ソイネスも成長している。いや、大多数の奴が日々成長していると思った方が良い。今の俺はヒガンから貰った力で、優位に立っているに過ぎない。元々、俺の能力は高くないのだから、努力を怠れば直ぐに置いていかれるだろう。置いていかれれば、死ぬ確率は高まるだろうし買い手も出てこないかもしれない。気を引き締めなければな。
「ヒガン。もうちょっと見回ったら、今日の所は大部屋に戻るからな」
「わかったのじゃ。もう少ししたら私も引っ込んでおくからの」
中庭から見える空が徐々に暗くなってきた。今日はメイネレスとの対戦から中位ランクに上がったりと色々あった日だった。明日からは、中位ランクとしての対戦の日々になるだろう。
ただ、やることは変わらない。戦うことだけだ。
次の日には、早速予定が組まれていた。朝は主に下位ランクの対戦が行われ、中位ランクは昼から行われる。想像するに、上位ランクは夕方か夜なんだろうな。
今回、俺と対戦するのは……ソイネスから話は聞いていたが、魔物と戦わされるらしい。中位ランクのランクナンバー無しの間は特殊な対戦ばかりで、一対一の対戦もあるが少ないとのこと。さて、俺は勝ち残れるかね。
いつも通り「頑張るのじゃぞ」と声を掛けてくれるヒガンの頭を撫でて控室を出る。
今日は一段と日差しが強い様だ。昼の熱気のせいか、決闘場の空気が歪んで見える。その歪んだ空気の先に檻が付いた箱があった。
「本日の挑戦者はガイリトス。中位ランクの新人です! 新人への試練として、今回はゴブリン3匹を用意しました!」
おお。下位ランクでは淡々と戦わされるだけだったのに、アナウンスから紹介がはいったぞ。ちょっとこれはやる気が出てくるってもんだ。しかしゴブリンか。外から来た奴隷剣闘士に話には聞いたことはあるが、初めて見る。
「ならば説明しよう!」
「おわ!? いきなり出てくるなヒガン」
「いや、なんとなく説明しなくてはならない気がしてじゃな」
説明してくれるのは助かるが、初めて決闘場に出てきたから驚いた。ヒガンは俺以外には見えないはずなんだが、多くの観衆の前に出てこられると、本当に大丈夫なのかと気になってしまう。ヒガンは気にした様子もないし、誰も騒いでいる様子が無いから大丈夫なんだろうけどさ。
「ゴブリンとは下級で小型の人型魔物で、あらゆる弱者に強い加虐傾向がある、略奪を基本とする種族じゃ。単体での実力は弱いの」
「弱いのか。そりゃ良かった。楽に勝てそうだな」
「弱いのだが、人を傷つける忌避感といった躊躇というものが無い。躊躇の無い攻撃というのは思ったより脅威となる。弱いと感じても油断してはならぬぞ」
誰であっても、子供でも、剣を振るって体を斬りつければ俺は死ぬ。特に俺は腰巻を纏っているだけで、防具なんて無いんだ。躊躇の無い複数の刃というのは、確かに脅威だろう。
「わかった。万が一でも死なない様にするから、その時は頼む」
「うむ。這ってでも生き残るように。それじゃの」
ヒガンが去った後、前にある檻が開かれようとしていた。ゴブリンが今か今かと鉄格子を小剣で叩いている。その高音が俺には不快に聞こえ、顔を歪ませた。
「それでは、対戦開始です!」
銅鑼が開始の音を響かせ、アナウンスの声と共に、ゴブリンを閉じ込めていた檻が開かれた。
弾けるようにゴブリン達が飛び出し、俺に向かって雄叫びを挙げる。その原始的な雄叫びは俺の心に響いた。なるほど、気押されていればこの声だけでも身が竦むだろうな。気押されてはいないと思うが、なにせ魔物とは初めて戦うのだ。念のため、腕を振り身を震わせて、体と心を解す。
「俺の言葉は判るか? 叫んでばかりいないで、かかって来いよ」
俺の知らない言葉で叫んで……いるようには聞こえない。多分、出鱈目に叫んでいるんだろうな、こいつ等は。
与えられたであろう粗末な短剣を掲げて、思い思いに突っ込んできた。
一歩足を引いて、一匹目の体当たりじみた短剣による刺突を避ける。その後頭部に一撃を入れようと思ったが、二匹目三匹目が団子になって襲い掛かってきた。
仕方なしに大きく下がる。滅茶苦茶な攻撃ではあるが、やはり躊躇の無い勢いは危険だな……ふむ、大体分かってきた。
「いくぞ。恨むなよ!」
体制を立て直しつつあるゴブリンに突っ込む。ゴブリンたちは慌てて短剣を振り回し、逆にゴブリン同士で傷つけ合っていた。
一匹目! 真正面からの唐竹斬りでゴブリンは吹き飛んだ。俺の振り下ろした後を狙って、ゴブリンは短剣を突き出してくる。狙いは俺の脇腹だろうか。そのゴブリンに向かって蹴りを入れ、吹き飛ばす。残念だが、リーチが違いすぎたな。
二匹目! その細い首筋を狙って切り上げる。短剣も落として切り裂かれた首筋を押さえているが、溢れ出した血は止まらず、倒れる。
そして三匹目! 蹴りで転がっている所を、胸目掛けて一突きを入れる。ゴブリンは少し呻いたが、そのまま動かなくなった。
聞いていた通り、躊躇の無い勢いのある攻撃は脅威だった。その分、身の守りが全く無い。だから、俺が攻勢に出ると御覧の通りというわけだ。
恐らくゴブリンはもっと大人数で襲うものなのだろう。しかし、この場では3匹しかいないので、この程度だということだ。
ブロードソードを振り、着いた血を払う。この時、俺は油断したつもりは無かったのだが、やはり緩みはあったのだろう。アナウンスがあるだろうと、視線を観客席に向けた瞬間、死んでいたと思った二匹目が突如起き上がり、俺にぶつかってきた。その手には、自らの血で塗れた短剣が握りしめられている。
「あっぶね!」
何か動いたと思った瞬間、身を捩ったのが良かったのだろう。ゴブリンの短剣は、俺の右肩に一筋の赤い線を作ったに留まった。
注意されたのに、まだ油断があったとは、俺も情けないもんだ。それに引き換え、ゴブリンの最後まで足掻き一撃を狙う精神は見習った方が良いだろう。
「済まないなゴブリン。お前を侮っていた」
捻った体を戻す勢いでブロードソードを薙ぎ、ゴブリンの首を飛ばす。ゴブリンの目は飛ばされても俺を睨んでいた。
「ここに連れてこられたその気持ちは判らないが、少なくとも今は俺と戦う剣闘士だったな。お前と戦ったことも覚え続ける」
ここに連れてこられた奴の大半は恐らく不本意だったろう。全ての人が好き好んで、命がけの戦いに日々身を投じる訳ではない。好まないにも関わらずに戦うことになったなら、せめて誇りは持ちたいものだ。散っていく全ての命を覚えていくことはできないが、せめて俺の手で散ってしまった奴ぐらいは覚えておこうと思っている。
「最後の不意打ちを辛うじて躱し、見事ガイリトスが勝利しました! 今後の行く末にもご期待ください!」
アナウンスが俺の勝利を告げ、まばらな拍手が送られる。観客の反応も下位ランクとは違うんだな。一応、剣を掲げて拍手に応えておこう。
控室に戻った俺を待ち構えていたのは、中位ランクのヒーラーだった。
「初めまして! 私は中位ランクのヒーラーを務めさせて貰っているリンです。後ろにいる子は、私の護衛をしてくれているエイス君です。これから宜しくお願いします!」
ぺこりと頭を下げて挨拶する背が低い彼女。元気で好ましい態度なのだが、立場としては俺よりヒーラーの方が上ということを失念してないか?
「ああ、此方こそ宜しく」
「では、お怪我を治しますね。肩の傷以外に痛い所はありませんか?」
リンは消毒液を染み込ませた綿で肩の傷を拭っていく。傷口に異物が無いことを確認した後は綺麗な布を当てて、テープで止めていく。成程、ヒーラーとしては優秀そうだ。
他に傷が無いか目視チェックしている彼女は短い黒髪で、笑顔が似合っている。黄色い看護服に背丈に見合わない胸で……まぁ、色々な意味で人気がありそうだ。
俺としてもくるものはあるが、立場は弁えているつもりだ。下位ランクヒーラーのセレンに対しては口説き文句を何度もかけているが、あれは付き合いが長いからである。
「うん、問題無さそう、って、あ!」
何故かリンが転ぶ。転ぶ際に慌てたのか、俺の傷口を塞いでいたテープを掴んでいる。身構えを全くしていなかった俺は、上半身が倒され、顔面を思いっきりベッドに打ち付けた。
「ぎゃー! また、やっちゃった。ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
「……痛ぇ」
鼻っ柱を強く打ち付けたせいで、涙目になる。塞いで貰ったテープも剥がれて、また傷口から血が出るな。
リンは泣きそうな顔で謝りながら消毒している。涙目で謝っている姿も可愛いが……ああ、彼女はこういうドジを繰り返しては、その姿で許されてきたんだろうなと思った。後で、ヒガンに爆笑される光景が浮かぶな。