ベテルギウス・レオ・フォン・ユーリス①
◇◇◇
ベテルギウスは真実の愛を見つけた。
するとどうだろう、それ以外の全てが色褪せて見えた。
将来の王たる自分を支えるために必死に勉強しているクリスティーナも、当然のように単なる嫌味な女にしか見えなくなった。
そこは間違えてますよ。
難しいですよね……私もやりがちなんです。
そこはこうした方がいいかもしれませんね。
よろしければ一緒にやりませんか?
自分は出来るからこそ吐ける何とも可愛げのないセリフだ。
見ての通り、クリスティーナという女は可愛げがなかった。
彼女はいつだって自身の優秀さを見せつけてくる。
その言葉に、一挙手一投足の全てが欺瞞であった。
それに比べてロゼという女性は何と素晴らしいことか。
ベテルギウスの過ちを見つけても、気付かない振りをしていてくれる。
それにいつだって優しく声を掛けてくれるのだ。
「ベテルギウス様ぁ……大好きですぅ」
彼は彼女の声を聞くだけで天にも登る気持ちであった。
「うわぁすごいですねぇベテルギウス様ぁ」
彼女に言われるだけで自信が回復し、何でもやれるような全能感を得た。
「けどぉ、ベテルギウス様ぁ、あまり無理はなさらないでくださいねぇ。わたし、ベテルギウス様が疲れて倒れちゃわないかとっても心配になっちゃいます……」
ああ、愛されている。
己は愛されているのだ。
ベテルギウスは彼女の言葉に、深い深い愛情を感じたのだった。
だからこそ、彼女がクリスティーナから虐げられていると耳にしたときには、どうしても許せなかった。
自身の持つ純白の正義と、真実の愛を護るためであれば、彼は全力をもって抗ってみせる───ベテルギウスはそう決心を固めたのであった。
◇◇◇
ロゼがクリスティーナに虐げられているという証拠は出るわ出るわ、その量にベテルギウスも驚くばかりであった。
それと同時に、ベテルギウスの胸の内には、あの悪女だけは絶対に許してはいけないと愛と正義の炎が燃え上がった。
それにしても、やはり持つべきものは有能な臣下だ。
証拠を集めたのは己の右腕たるブライツであった。彼に証拠を集めよと命じた結果、短期間にも関わらず大量の証拠が集められた。
やはり、ブライツは有能な人材だ。
それに、有能な彼という人材を適材適所に扱える、自分もまた有能なのだろう。
ベテルギウスは何もかもが上手くいっている事実に、己の有能さを再認識することとなった。
さらに彼は、いつも優しく思いやりのある言葉をくれ、自信を取り戻す切っ掛けを作ってくれたロゼにも心の中で盛大に感謝したのであった。
◇◇◇
───真実の愛さえあれば、私達は何だって乗り越えていける
そのセリフはベテルギウスの本心から発せられたセリフであった。
だから、着の身着のまま、硬貨の入った袋一つで遥か遠くの街へ放り出されたとしても、乗り越えられる確信があった。
けれどそれはベテルギウスの思い込みに過ぎなかった。
なぜなら彼は理想を唱えるだけであり、どう乗り越えるのかといったビジョンを全く持っていなかったのだから。
ベテルギウスは街に着いた当初は、自身も定職に就いてみせるという意気込みを見せた。そして彼は持ち前のルックスもあってか、ザクセン、ロゼに続いて三番目に仕事を得た。
しかし、彼は初日から我慢出来ずに同僚を殴り、暴力事件として扱われ、牢に三日間も繋がれることになった。
けれど、全ては仕方のないことであった。
───私はこの国の王子だぞ!
ベテルギウスが同僚を殴ったときに吐いたセリフだ。
このセリフが事態の全てを表していた。
彼は貴族の中の貴族である王家の一員である。
その身体にはやんごとなき青い血が流れている。にも関わらず、どこの馬の骨とも知れない平民が「緊張してんの? だいじょーぶだいじょーぶ。初めはみんな緊張するもんだからさ」などと馴れ馴れしく話し掛け、あまつさえ彼の肩にぽんと手を置いたのだった。
王族に無礼を働いたのだから斬首されても不思議ではないのだ。
殴られただけで済んで、感謝されこそすれ、牢に繋がれるとは夢にも思わなかった。
彼は牢の中で、指導に付いた同僚や取り調べをした兵達、それに牢を護る看守達を思い出し、絶えず恨みごとをぶつぶつと呟き続けた。
そうして三日にも及ぶ拘束を経たベテルギウスは、牢から解放されたとき、何よりも愛するロゼの声が聞きたかった。
そうしていつものように「仕方ないですよぉ」「無理しないでくださいねぇ」「ベテルギウス様は何も悪くありません。悪いのは全部あの人達です」と慰めて欲しかった。
その一心で、彼は家へと駆け出したのだった。
◇◇◇
しかし、家にはロゼはいなかった。
数日後、ケバケバしいメイクの女性が家へと戻った。
ロゼであった。彼は気を取り直して、自身が暴力を振るい、三日間も拘束されたことの顛末を話した。
いつものように慰めてくれ。
そして「ベテルギウス様は、悪くないですよぅ」と頭を撫でてくれ。それなのに───
「へぇ」「そうですかぁ」「大変でしたねぇ」
彼女の言葉は、感情の籠もっていない空返事であった。
だからベテルギウスはロゼの両肩を掴んだ。
「ロゼ! 私は悪くないよな! 悪くないって言ってくれ! いつもお前が私に言ってくれていたように!」
彼は思わず力を込めた。ロゼは痛みに表情を歪めた。
「す、すまな───」
けれどロゼは、謝罪しようとした彼の手を乱暴に振りほどいたのだった。
「この際だからはっきりと言わせてもらうわ。全部あんたが悪いでしょ」
いつも君はベテルギウス様は正しいと言っていてくれただろう。それなのにどうして今さら───
「どうして我慢出来なかったの?」
我慢? 我慢なんてしなくていいと言ったのは君だろう。
「みんな多かれ少なかれ、そうやって生きてんのよ。何でそんな簡単なこともわからないわけ?」
ロゼは蓮っ葉な表情を浮かべ、呆れた様な溜め息を吐いた。
「本当に、お前、ロゼなのか?」
素っ頓狂な質問に、ロゼは小馬鹿にしたように嘲笑った。
「そうよ。私がロゼじゃなきゃ誰がロゼだって言うのよ。あんたもいい加減に現実を見なさいよ。あんたのせいで私はこんな目にあっているのよ。あんたさえいなければ、私は男爵家でそれなりの生活を続け、それなりの家に嫁ぎ、それなりに幸せにやれたはずだったのに……それを邪魔したのはあんた。全部あんたのせいよ」
ロゼの言葉に、ベテルギウスは息が出来ず、陸に打ち上げられた魚の様に口をパクパクとさせ、何とか言葉を紡いだ。
「私は、君との間に真実の愛を感じた。真実の愛さえあれば───」
「あのさぁ、この際だからはっきり言ってあげる。真実の愛って何? あんたとの間に愛なんてこれっぽちもないから。あんたは顔が良くて、家柄が良いだけ。ただそれだけの男よ」
「だって君は私のことを好きだって、」
「確かに好きだったわ。王家の一員であり、次期王であるあんたのことがね。それよりもさぁ、ねえ、私聞きたいことがあるんだけど」
何だ、ロゼの私に対する興味を失せていないではないか。
この期に及んで、ベテルギウスはそう解釈した。
けれど、現実は残酷であった。
「王族という肩書もなくなって、財産もなく、仕事も出来ない、性格もカスみたいなあんたに一体何の価値があるの?
誰があんたみたいな奴を好きになれるって言うの?
是非ともご教授願いたいものだわ、本当に」
ベテルギウスはロゼの言葉に膝から崩れ落ちた。
「それから良いこと教えて上げましょうか」
ロゼは、傷心中のベテルギウスを見ていると、この顔だけは良い馬鹿で愚かな男を傷つけたいという残酷な感情に支配された。
「あんたは、顔と家柄だけの中身のない男だったけど、そんなあんたをちゃんと見ててくれた人が一人だけいたわ」
ベテルギウスは膝をつけたままロゼの言葉を待った。
「クリスティーナ様よ───美しさに、家柄や品性、それに知性も教養だけでなく、優しさまで持っていた───私の一番嫌いな女。
彼女だけね、あんたみたいなボンクラをちゃんと見ててくれて、その上で一生を共にしようと思ってくれてたのは」
彼はぽかんとした表情を浮かべ、何とか反論を試みた。
「だって彼女はいつも私のことを間違えていると指摘して───」
「指摘したから何なの? 嘘や御為ごかしで誤魔化すことの方がよっぽど簡単だわ。あんたみたいな馬鹿ならなおさらでしょうね。
あの嫌味な女は、貴方と共に歩もうとしてたからこそ、貴方のことを注意していたんでしょう。このバカにそんなことが理解出来るわけないのに……まあ、でも、この男のバカさ加減を把握してなかったあの女も馬鹿と言えば馬鹿ね」
それが現実か錯覚かはわからなかったけれど、ベテルギウスは何かがすとんと腑に落ちた気がした。
ただ、それでも、自分が信じた真実の愛は偽りであり、自分が捨て去ったクリスティーナは自身の中身を見ていてくれた……その事実にベテルギウスは全てを忘れ、自らの思考に没頭した。
ロゼは、跪いて動かなくなったベテルギウスを数瞬だけ見つめると、躊躇うことなく、家を出た。
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