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ブライツ・ノベル・フォン・カンタビレ

◇◇◇




 ブライツはクリスティーナという女が嫌いだった。

 彼女は何をやってもすまし顔でそつなくこなす。

 そんな彼女が憎くて憎くてたまらなかった。


 それと同時に、彼女のことを愛してもいた。

 文武両道のみならず、魔術にも優れ、それだけに飽き足らず見目も美しい彼女のことを心の底から愛していたのだった。




◇◇◇




 ブライツは幼少期より神童と謳われた。

 どのような学問であろうと彼は同学年の者には負けたことはなかった。けれど、それもクリスティーナが現れるまでの話であった。


 学校に通わずに、独自の学習を積んできた彼女が、初めて彼らの前に姿を現したのは彼らが十歳の頃であった。


 そこから、彼は一度たりともトップに立ったことはない。

 幼い彼にとって、クリスティーナの存在は目の上のたんこぶであった。


 どうすれば、彼女に勝てるか。

 どうすれば、彼女を負かせるか。


 幼いブライツの頭の中は常にクリスティーナのことでいっぱいであった。


 憎い憎い、だけど気になる。

 気になって気になって仕方がない。

 

 そんな状態が四六時中続くのだ。

 ブライツがクリスティーナのことを女性として意識するようになっても何ら不思議なことはなかった。


 ただ、彼は拗れていた。


 十五にもなると、彼は己の内なる欲求に気付いていた。

 己より優秀で、誰よりも美しいクリスティーナを自分だけの物にしたい。

 そして、彼女とならさぞや優秀な子供が出来るだろう。


 ブライツは部屋で一人になるといつも、彼女との将来を夢想し、机の引き出しから折りたたんだハンカチを取り出すのだ。


 彼は壊れ物を扱うようにハンカチを広げる。

 そこにあるのは彼女の落とした金糸の様な一本の髪だ。

 ブライツは二本の指で優しく摘むと、鼻腔いっぱいに彼女の香りを吸い込み、いつか彼女が自分の物になることを妄想し、楽しむのであった。





◇◇◇




 しかし現実はブライツにとって厳しかった。

 クリスティーナはベテルギウスの婚約者となってしまった。

 その話を耳にしたブライツは、二人で隣り合って立っている大地に大きな亀裂が走ったビジョンが見えた気がした。



 ブライツは否定するだろうが、クリスを攻撃するようになった切っ掛けは彼女のベテルギウスとの婚約であった。


 自分のものにならないのなら、壊れてしまえばいい。


 あまりにも歪んだ思考であったが、幼少より挫折経験が少なく、叱咤されることがほとんどなかった彼には己が間違えているなどとは想像もつかないのであった。




 しかし、ブライツにもチャンスが訪れた。

 ある日、ベテルギウスが「真実の愛を見つけた」と言い出したのだ。ベテルギウスがロゼなる女性と仲が良いことは知っていた。

 けれど、知性も品性の欠片もない、彼女のどこにベテルギウスが惹かれたのかブライツには全く理解が出来なかった。


 けれど───


 ブライツの思考は急速に回りだした。


 そうして弾き出された答えは、全てが丸く収まり、彼女───クリスティーナは完全に己の物となり、幾度となく夢想した、叶うべくもなかった妄想が現実の物となる未来であった。


 ベテルギウスがクリスティーナと婚約破棄をし、彼は新たにロゼと結ばれる。そうすると、性根が悪くロゼを虐めたという前科によって、彼女は誰とも結ばれずに一人でいることを強いられるだろう。そこで手を回せばいい。


 とはいえ、ブライツにも名家の娘との婚約があり、それを反故にするわけにもいかなかった。けれど、何も問題はなかった。将来的にクリスは誰からも相手にされず寂しく暮らしているはずであった。そこにつけ込み、彼女を手中に収めるなど赤子の手をひねることより簡単なことだろう。


 そうなると、クリスティーナは側室だな。


 度々、ブライツはあり得ない妄想に身を委ねて、思考を溶かした。



 けれど結局のところ、彼の思考には、クリスティーナの感情などこれっぽちも考慮されていない。彼女が自分をどう思っているのかという基本的なことから、婚約破棄を突きつけられた彼女が傷つくのではないかというところの、一から十までがブライツの頭の中には存在しなかった。


 ブライツの思考には、自分だけだ。


 自分が出来ると思うから出来る。

 自分が好きだから相手も好きに違いない。


 彼の性格こそが、極めて自己中心的かつ独善的であり、無意識の内に、自身で自身を正当化する、酷く(いびつ)で曲がったものであった。





◇◇◇




 辺境での仕事はプライドからすぐに放り捨てた。

 こんなもの大した仕事ではない。

 それに自分は本来貴族であり、王都で返り咲けばいい。


 生活のほとんどはザクセン任せであった。

 友人だから仲間を助けるのは当然だろう。


 怪我をしたザクセンを捨てて王都へと戻ることにした。

 共倒れするよりは、マシだろう。

 それに彼は友人なのだ。泣いて喜んでくれるはずだ。


 一事が万事、ブライツの思考はこのようなものであった。

 だからこそ、王都でのクリスティーナの反応は彼の想像とは真逆のものであった。







「あ、ああ。少し、思い出して欲しい。ブライツ……ブライツという名前に聞き覚えはないか?」


 牢の中から彼はクリスティーナに尋ねた。

 彼女なら自分のことを覚えているのではないかという微かな自信があった。


「ごめんなさい……本当に、わからないのです……」


 彼の自信はあっという間に打ち砕かれた。


「私の名前は、ブライツ・ノベル・フォン・カンタビレだ! 王国の元宰相は私の父だ! 私をここから出してくれないか? そして父を呼んでくれ! そうすれば必ず親子であることを証明してみせる!」


 頭まで下げたのだ。

 クリスティーナなら許してくれるはずだ。

 そして、牢から出してくれるはずだ。

 けれど、ブライツの予想はことごとく外れた。


「もしやとは、思いますが……貴方様方は三年前の学園の舞踏会の日に王宮に侵入した賊ではないでしょうか?」


 あろうことかクリスティーナは、宰相の息子であり、ライバルであった自身のことを、賊ではないかと問うたのだ。

 怒りが身体を満たした───けれど、何とかそれを抑え込み、クリスティーナへと願い出た。


「私達は、賊ではない。どうしてこのようになったかわからないが、誰も彼もが私達のことを忘れてしまったようなのだ……だから父に会わせてさえくれれば、私が彼に必ず全てを思い出させてみせる! だから───」


 クリスティーナが駄目でも、これまで慈しみ育ててくださった父や母なら思い出してくれるはずである。それなのに───


「失礼ですが、三年前のあの日、一番憤られていたのがカンタビレ宰相でした。見つけ次第に殺すと物騒なことを仰っていましたが、もし、それでもよろしければ……」


 ブライツは父の恐ろしさを知っていた。

 身内には穏やかで優しい父であったが、敵には苛烈で容赦なく振る舞い、ときには簡単に命すら奪うことも……知っていた。


「あ、あああ」


 ブライツは言葉を失った。

 だったら───眼の前のクリスティーナこそがやはり最後の救いの手であったのだ。自分がこれだけ愛しているのだ。彼女も自分を愛しているに違いない。愛しているのなら、たとえどれだけのリスクを取ろうと、父と己との仲を取り持ってくれるに違いない。

 ブライツは息を吸い込んだ。そして───


「ならば、クリスティーナ嬢! 貴女が口添えしてくだされば!! どうか貴女から父上にお取次ぎください!! 『これは貴方の本物の息子です』って!! お願いだ!! お願いだから!! お願いだからぁぁぁぁぁ───」


 彼は力の限り叫び、懇願したのだった。

 しかし、クリスティーナは眉一つ動かさない。 

 彼女は平素と何も変わらない様子で応えた。

 自分がこれだけの感情をぶつけているにも、関わらずだ。


「申し訳ありませんが、私では貴方のお力になれそうにありません。貴方の様な格好をした───素性の知れぬ者を宰相様に会わせることは出来ません」


 信じたくはなかった。

 彼女の瞳に自分は映っていない。

 万一映っていたとしても、それは路傍の石を見る目と何ら違いはない。



 ブライツはその後、己の弟であるユベルが、本来なら自分がいるはずのポジションにしっかりと収まり、全てが上手く回っていることを教えられ、ショックで号泣したのであった。

 そして幼少期の頃の様に、「パパ」「ママ」と何度となく呟いた。全ては過去のもので、彼は思い出に逃げるしかなかった。



 ブライツは兵に両脇を抱えられ、いち早く罪人として扱われることになった。けれど、もはや思い出の世界の住人となった彼は辛くなかった。彼の隣には記憶の中のパパとママがいた。彼はもう寂しくはなかった。


 そうして彼は、裁かれるその最後の瞬間まで、「パパ」「ママ」と呟き続けたのであった。




 






最後まで読んで頂きましてありがとうございます。

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[良い点] 更新ありがとうございます。 [気になる点] 生活のほとんのはザクセン任せであった。 →生活のほとんどは もはや思い出の世界の住人となった彼には、記憶ののパパとママがいた。 →記憶のパパと…
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