ザクセン・クリィパイプ
◇◇◇
ザクセン・クリィパイプ。
王国騎士団長の長子であり、彼自身も剣の才能に恵まれており、将来は親子二代続けて騎士団長になるのではと目されている人物であった。
彼は常々、人生で必要なものは強さと友情と真実の愛であると考えていた。
自身はその全てを持つと考えていた彼は、その現状に、大いに満足していたのであった。
将来は騎士団長かと噂されるほどの強さを持ち、ベテルギウス王子やシャリク達との間には友情という固く結ばれた絆があった。
真実の愛にしてもそうだ。
ザクセンはロゼとの間に確かな愛情を感じていたのだ。
彼女は、誰よりも己をよく見ていてくれた。
自身がスランプに悩んでいたとき、ロゼは「ありのままのザクセンくんでいてね」「背伸びし過ぎると疲れちゃうよ」と彼の胸中を慮ってくれたのだ。
ありのままの自分───これまでそんなもの誰も求めてはくれなかった。
家族ですらそうだ。
父も軟弱さや惰弱さは唾棄すべきであると、彼に対していつだってさらなる強さを求めた。
疲れに効くと毎度怪しげな薬を用意する母もそうだ。ザクセンは休めとは一度たりとも言われた覚えがなかった。
ありのままの自分───生涯でその言葉を投げかけてくれたのは彼女───ロゼ一人であった。
ザクセンは彼女を愛していた。
ロゼもザクセンを愛しているに違いない。
ザクセンは二人は全く同じ気持ちを抱いているのだと何一つ疑ってはなかった。
しかし悲しいことに、ロゼは、親友であり敬うべき存在であるベテルギウスの最愛であった。けれど、それで構わなかった。
肉体を重ねることは出来ないけれど、生涯を通して、互いに心の奥底から愛し合うことが出来ればそれでいいではないか。
それに勝る、幸福などあろうはずもない。
彼にとって、その想いこそが彼なりの真実の愛であった。
だからこそ、クリスティーナの存在が気に障った。
いつだって、なんだって飄々とこなす彼女が、ベテルギウス王子の、ひいては自分達の側をうろちょろすることで、ベテルギウス王子も、シャリクも、ブライツも、彼の仲間達全員が、つらい思いを強いられた。
首席を目指したベテルギウスも、将来の彼の右腕たらんと努力を続けるブライツも、身内であるゆえに劣等感を抱かざるを得ないシャリクも───ザクセンの友である三人は、クリスティーナ一人によって多大なる精神的な圧力を与えられ、何度となく辛酸を嘗めさせられたのだ。
それにザクセンは知っていた。
クリスティーナの表情を見ればわかる。
彼女は、あの澄ました表情の裏で、自分の振る舞いがベテルギウスやブライツ達の自尊心をズタズタに傷付けていることを知っているに違いなかった。彼女はそれにも関わらず、あえてその功績を見せつけているのだ。ザクセンは、性悪なあの女ならその位当然だろうと決めつけていたのだった。
しかし、そこまでなら何とか我慢が出来た。
けれどクリスティーナは一線を越えた。
ロゼとの関係が深くなるなかで、許されざる、この世の中でも最も醜悪な事実が明らかになった。
クリスティーナがロゼに嫉妬し、虐めているというではないか。
大鷲の化身の様な女性であるクリスティーナからすると、小動物の様なロゼはまさに、眼光だけで射殺せるだろう。
クリスティーナ───彼女はどうしてその様な非道を行えるのだ。
自身の仲間のみならず、ロゼすらも傷つけるのか。
ザクセンはもはやクリスティーナが許せなかった。
だから彼が、ベテルギウス王子がクリスティーナと正式に婚約破棄することに賛成し、彼の背中を力強く押したのは、当然の話であった。
◇◇◇
ベテルギウスが婚約破棄を告げた夜から、あれよあれよという間に彼らは最南端の辺境で否応なく身を固めなければならないことになった。
ザクセンは准貴族家であったものの、その他のみんなは由緒正しい貴族の人間であった。
しかし、それは過去の話であった。
何故か自分達のことを誰も覚えていないのだ。
もはや、彼らは貴族ではなかった。
しかし、貴族から落ちたからと、彼らが平民に混じって生活するというのは土台無理な話であった。
だからザクセンは四人を養うべく、傭兵となった。
傭兵といっても、街の外にいる害獣の駆除がメインの仕事だ。
これまで剣を振って生きてきたザクセンにとって天職であったのか、彼は傭兵になるとメキメキと頭角を現した。
そして、あっという間に名うての傭兵となった。稼ぎも十分にあり、慎ましやかに暮らせば何とか五人でも暮らせるだけの収入はあったのだった。
しかし予想通り、他の三人には苦難が待ち受けていた。
もちろん、彼らも初めは頑張ろうとした。
ベテルギウスもブライツもシャリクも、それぞれが出来る仕事を求めた。けれど、駄目だった。三人が三人、平民に対等に話されることに我慢ならなかったのだ。
ベテルギウスなどはその最たるものであった。
「私はこの国の王子だぞ!」
彼は、就業初日に彼の指導に付いた同僚を殴ってこう言い放ったのだった。それは立派な暴力事件として扱われ、彼は三日もの間、牢で繋がれることとなった。それ以来、彼は、何かを割り切った様に、家から一歩も外に出ることなく、気味の悪い笑みを浮かべて、ふんぞり返って生活している。
ブライツにしてもそうだ。
彼はめでたく事務仕事に決まったものの、日に日に表情が暗くなっていった。それに、夜眠れないのか、彼の顔には常にクマが見えた。またぶつぶつと独り言をいうことが増えた。
そうして、彼は何とか一月の間耐えたけれど結局は、
「貴様達、ふ、ふふ、不敬だぞ!」
周囲の人が耳を塞ぐほどの金切り声を上げると、職場を飛び出した。その日から彼は部屋から一歩も外には出ない。
けれど、それもまだマシであった。
シャリクは、前世の罪か、今世の咎か、ザクセン達が気付いたときには、男娼となっていた。
意外なことに彼も初めは上手くやっていた。しかしそれも長くは続かなかった。彼は手数料を元締めにとられるのは我慢ならないと主張するようになり、いつからか娼館での仕事が終わると、同僚や雇主には秘密で勝手に顧客を取るようになった。
収入を第一に考え、で来る者拒まずのスタンスであったシャリクは、あっという間に病に感染した。
しかも不幸なことに、それは不治の病であった。
適切な治療を受けて、定期的に薬でも処方してもらえれば、症状は抑えられ死ぬことはない。それでもその治療にはかなり大きな金額を要する。たとえシャリクが回復したとしても、男娼として二度と働けないのはもちろん、通常の仕事が出来るほどに回復するかという点も、明らかでなかった。
ロゼはロゼで、どうやってか平民にしては麗しい身なりを維持し、夜遅くまで営業している大衆食堂で働いているようであった。実際のところ、ザクセン達にとって、それが真実であるかどうかはもはや不明であった。
ただわかっていることは、彼女の稼ぎは彼女自身が全て管理しているということと、彼女の帰りがやけに遅いということと、何より彼女は自分達に気を使うこともなく、そういった匂いを纏ったまま数日に一度気が向いたときに帰宅する、ということであった。
◇◇◇
状況が上向けば───上向きさえすれば、全ては元に戻るに違いない。友も、真実の愛も、その全てが。
ザクセンはその二度と訪れることのないいつかの未来を夢見て、長きに渡って一人で全てを支え続けた。
しかし彼の命運は、あの婚約破棄の舞踏会の日から、およそ二年と半年ほどで尽きようとしていた。
その日彼は、害獣の討伐に失敗し、右手と右足を失った。
皆と連携を取れば問題はなかったはずであった。
ザクセンは、自身の力を過信したのであった。
連携を! と声高に叫ぶ団長の言葉を意図的に無視したのだ。
彼は、この頃になると、近隣に知れ渡るほどの実力者と評されており、自身より弱い団員達の話を、真面目に聞くこともなくなっていた。
正直な話、ザクセンにとって大事なものは、力と友情と真実の愛の三つだけであった。自分より力が劣り、またその三つに含まれない同僚や上司の言葉など、ザクセンにとって聞くに値しないものであった。
◇◇◇
辺境に辿り着いた日に、彼らは馬車の人物から手渡された硬貨のほとんどをはたいてまずは家を買っていた。だからザクセンが働いて、ロゼはめったに家には帰らず、ベテルギウス達三人が引き籠もっていても問題はなかった。
けれど、いまとなってはもはや、ロゼは全く家に寄り付かない。
真実の愛とは何だったのか、ザクセンは粗末な布団に不自由な身体を横たえ、この日初めて自問したのだった。
その日、眠りから覚めたザクセンは、家がやけに静かであることに気付いた。
大怪我を負い、未だに自由に動けない彼は、友人と真実の愛が自らの元に戻ってくるのを待った。けれど、いくら待っても彼らが帰ってくることはなかった。一日と、二日と、彼は待ち続けた。けれど、帰ってこない。彼は既に悟っていた。だから自分を誤魔化していただけだった。
ここにはもう、誰も帰って来やしない。
引き篭もりであった三人は、家にあった貯蓄をかき集めて、四肢に欠損の生じたザクセンを置き去りにして、辺境を去ったのだ。
ザクセンはひたすらに考え続けた。
彼は力と、友情と、真実の愛さえあれば他には何もいらなかった。けれど、今となってはその考えが間違いだったかもしれなかった。
もしくは、そもそも初めから間違っていて、己の手の内にあると思っていた、力も、友情も、真実の愛もその全ては単なる幻であったのか?
───失われた手足を想った。
───これまでずっと支え続けてきた自分を見捨て、この地を去った三人を想った。
───かつて「大好きだよ」と言ってくれたけれど、今となっては怪我をした自分に向けて「貴方とはただの知人。迷惑よ」と言い放った彼女を想った。
そして───何よりも、四肢を欠損し、支えてくれる者もいない自分は、これから先、どうなってしまうのか。
自分は何を間違えたのか。
悲嘆に暮れたザクセンは、大粒の涙を流し、いつまでも、いつまでも考え続けた。
最後まで読んで頂きましてありがとうございます。
『おもしろい!』と思った方は、
ブックマークや『☆☆☆☆☆』から評価で応援していただけましたら幸いです。
次は弟ちゃんです