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この日が来ることを知っておりました。
◇◇◇
「クリスティーナ・エラルク・フォン・シャルパンティエ! 貴様との婚約はこの場をもって破棄させてもらう!
そして、私はその代わりに、ロゼ・ザビー・ド・アムステルダム嬢と改めて婚約することをここに宣言する!」
そう仰ったのは、ベテルギウス・レオ・フォン・ユーリス様───この国の第一王子であり、私の婚約者様でした。
学園の卒業前に行われる舞踏会にて、彼は多くの生徒達、それに貴賓席におられる方々の前で、私に向けてそう告げられました。会場内にざわめきが起き、好奇の視線が私達に降り注ぎました。
「ベテルギウス様……どうしてそのようなことを仰るのでしょうか?」
わかっていたことでも、それが現実のものになるとやはりとても苦しいものです。私を射殺すような貴方の視線に、胸が張り裂けそうになります。
「貴様のような悪女に、私をその名で呼ぶ資格はない。
それに、自分が何をしたか尋ねるとは……世にいう悪女というのは貴様の様な女のことを言うに違いない」
婚約者である私を差し置いて、彼にしなだれかかっている麗しの女生徒───ロゼ様が彼らに見えぬように嘲笑いました。
そうです。それこそがいつものロゼ様のやり口でした。
自身の容姿が可憐であり、健気に見えることを最大限に利用し、何かがあると、彼女はすぐさま涙を流し、相手の不当を男子に訴えるのでした。
思えば初めからそうでした。
ロゼ様は男爵家の主人の不貞が原因で、ちょうど去年の今頃まで平民の家で育てられました。その後、存在を認知され、貴族家へと迎え入れられ、この学園に来られたのでした。
しかし私にとっては、生まれも育ちも関係などありませんでした。同じ学びやで学ぶ生徒であり、共に切磋琢磨する同士なのです。悪意など一欠片もありませんでした。
あったのは純粋な親切心だけでした。
貴族の家の者として学ぶ時間が足りなかったのなら、これから学べばいい。それこそが嘘偽りのない、私達の気持ちでした。
テーブルマナーや、他者とのコミュニケーション時の礼儀などといった一生付き纏うルールは、学べば何とかなります。
学園はそもそも学びの場です。だから、ここで学ぶことが彼女の一助になると、ほんの少しも疑っておりませんでした。
これから過ごしやすい貴族生活を送るためにと、「よかったら、勉強に付き合いましょうか?」とかつての私は申し出ました。
今、思えば、それが私の過ちだったのかもしれません。
ロゼ様は、私から「マナーを過度に厳しく指摘され、無礼だと虐げられている」と、懇意にしている男子達に訴え始めました。懇意にしている男子達───この国の第一王子たるベテルギウス様や、宰相家の一人息子であられるブライツ様、騎士団長の息子であるザクセン様達のことです。
そもそも、ロゼ様は、貴族家のルールに従わず、まるで身内と話すかのような親しさで、彼らと屈託なくお話しになりました。
もちろんそういった態度は、貴族間では、はしたない行いであると見做されてしまい、多くの方から反感を買ってしまう行為です。
けれど、ベテルギウス様達は、その様なロゼ様の態度を、大らかで屈託のない、他の令嬢達とは違い堅苦しくないという態度であるという風に解釈されたのでした。そしてあろうことか、彼らはそれぞれの婚約者方から少しずつ距離を置くようになり、ロゼ様と急速に仲を深めていきました。
婚約者のおられる方と公共の場で、あまり親しげな素振りを見せてはいけないと指摘した私は、間違いだったのでしょうか?
「貴様は、このロゼ嬢に不当な言い掛かりをつけて虐めていたそうじゃないか? しらを切っても無駄だ。証拠は揃っている」
「……証拠、でございますか?」
私の疑問に我が意を得たりと、ベテルギウス様が得意気な顔をされました。
「そうだ。嫉妬心から彼女を執拗に虐めたんだろう。情けないほどに心の汚れた女だ。この性悪女が。全部お前がやったという証拠は揃えてある」
ベテルギウス様は声を張り上げ、有りもしない私の罪をいくつも述べ始めました。さらには正式な裁きの場で口にすれば、鼻で笑われるような証拠とやらをつらつらとあげつらいました。
私がロゼ様を階段から突き落としただとか、ロゼ様の大切な装飾品が失われただとか、彼女の筆記用具などの私物がズタズタに切り裂かれただとか、彼女の上からレンガが落とされただとか、いくつもいくつも、こちらが感心してしまうほどに、身に覚えのない私の罪とやらが語られました。
その証拠とやらもまさに噴飯ものでした。
私の影を見ただとか、その時間帯にいなかったのは私だけだとか、私が彼女に嫉妬心を抱いていただとか、本当にもう、その全てをどう贔屓目に見たとしても、彼の婚約者である私が情けなくなるほどに、お粗末なものでした。
ロゼ様の言葉を一切疑わず、全ては私の咎であると宣うべテルギウス様。彼は、ロゼ様が仰った被害が、本当にあったのかどうかすら調べずに、それどころか襤褸の様な証拠を持ち出し、嬉々とした表情を浮かべておられます。
涙が出そうです。
私は、それほど強くはありません。
けれど、私の芯たる矜持はあります。
だからこそ、私はぐっと、涙を堪えました。
ベテルギウス様のお話を聞き、後ろにおられるいつもの三人組も、さらに視線を険しくしたり、深く頷いたりと、各々の反応を見せました。
「姉様……いや、もうお前は姉様ではない。クリスティーナ……僕はお前のことを心底軽蔑している!」
その中の一人は私の弟である、シャリク・ハインドリー・フォン・シャルパンティエでありました。
私の弟であるはずのシャリクは彼らを諫めるどころか、憎しみを込めた視線を私に向けました。
彼が生まれたときから、私は姉として自覚を持ってきたつもりでした。実際これまでも、私は彼を護ってまいりましたし、その関係はこれから先も変わらず、いつだって彼が苦しいときは力になろう───そう思えるほどには、彼を愛してました。
「国民を護らねばならないはずの王妃という、将来の地位を笠に着て、お前は他人を見下し、不当に貶めた! お前は以前からそうだった。自分と比べられて苦しんでいる僕を見てほくそ笑んでいたのだろう?」
シャリクが私には全く身に覚えのないことを口にしました。
愛する弟の苦しむ姿を見てほくそ笑む───彼は、私のことを何だと思っているのでしょうか。彼と過ごしたあの時間の全ては幻だったの?
「身内であるシャリクには、申し訳ないが、クリスティーナ様は最低な人だ」
将来の宰相と目されるブライツ様が仰いました。
「構いません。アレはもう姉ではありませんから」
けれど、シャリクは構わないと、私が婚約破棄をされ、糾弾されるのは当然だという態度を露骨に表しました。
───姉さん、疲れてない?
かつてのシャリクは、私のことを気遣ってくれる優しい弟でした。彼になら、安心して、公爵家の跡取りを任せていられると思っておりました。けれど、それはもう遠い、過去の話です。
私の内心など気にせずに、ブライツ様が言葉を続けました。
「私は以前から貴方のことを、ベテルギウス皇太子の婚約者に相応しくないと思っていました。
クリスティーナ様、貴方は本当に性根の腐ったお人だ」
たとえ私がどれだけの罪を犯していようと、あまりにも酷い言い草ではないでしょうか。
「貴方は、本当に、他人の心のわからない人だ。学内では貴方のことを《氷の令嬢》だなんて呼んでいる輩もいるようだが、私からすればそれは大きな間違いです。
全てを己の基準でものを考え、出来ない者や持たぬ者の気持ちを考えることの出来ない貴女は、まさに人非人だ。人ならぬものであるからこそ、他者の気持ちを鑑みることが出来ない、こう考えたら腑に落ちるとは思いませんか?」
なら、私の気持ちを少したりとも汲んでくれることのない貴方達は一体何なのでしょう? 私は、人間でないから、何を言ったって構わないと思っているのでしょうか。
「その点、ロゼはまるで聖女の様です」
夢見心地の表情でブライツ様が仰いました。
「彼女は、出来ない者に寄り添うことが出来ます。それに持たざる者に偏見を持たず、自然体で接することが出来る」
出来ない───本当に考えさせられる言葉だと思います。
鳥は空を飛べるけれど、私達は飛べない。
それは仕方のない理由でしょう。
それと同様に、人間である以上、努力では如何ともし難いことは確かにあります。
「ブライツ様、貴方は思い違いをしております。私は、何かに取り組んでおられる方を尊重しております。貴方の仰るようなことは、神に誓ってやっておりません」
私は確かに、他者への共感力が低いのかもしれません。
けれど、だからといって、出来ないと苦しむ者を踏みつけて、唾を吐きかけたことは一度たりともございません。
けれど、私の主張に被せて、ブライツ様が叫び声にも近い声で皆様へと語り掛けました。
「皆様、これです! 見てください! 彼女は平気な顔をして嘘をつく! 今現在皆様が目撃しているこの瞬間こそが彼女が悪女たる所以です! 私は、彼女と同じ学び舎で過ごしてきましたが、彼女が他人の心を解さない悪女であることをこれまでも度々目撃してまいりました! 私こそが生き証人です!」
ブライツ様が言い終わると、彼らの仲間であるザクセン様が声を張り上げました。
「俺も、ベテルギウス様やブライツ達と同じ意見だ!
学内一位の成績で、魔術にも精通しているときた。低い場所で競い合ってる俺達は、貴様からすればさぞや滑稽に見えたことだろうな?」
「そんなことはありません!」
「『そんなことはない』? なら、貴様はどうして授業を受けない? あんな簡単な内容はいらないってか?」
「それは───」
私の言い分を遮り、ザクセン様が言葉を続けられました。
「言い訳は無用だ! 話はまだある! 授業も受けていないお前がどうして学年の首席を取ったというのだ! 本来であれば首席はベテルギウス様のものだろう! それに次席はブライツのもんだろ!」
授業に出られなかったのは王妃教育があったからです。
これまでも厳しい王妃教育をずっとずっと受けてまいりました。
それこそ、多くの者が友と語らい過ごしたであろう時間を、私はベテルギウス様のため、国のためと費やしてまいりました。
そんなことすらも理解されていないことに、改めて絶望を覚えます。私のこれまでの時間は何だったのか……。
それに、王妃教育を受けている間に、授業に出ずとも出席扱いにしていただいたことがそれほど悪いことなのでしょうか?
全てが、全てが、私の予想通りとなり、暗澹とした気持ちになります。
大勢は決したと申しましょうか、国の中でも有力者達とされる貴族家の子息達が、揃いも揃って私を糾弾するのです。
この状況に好奇の視線を向ける彼ら彼女らの多くも、私に非があるものとして、先の展開を楽しむでしょう。
ならば私に残された道は───けれど、それでも、
「ベテルギウス様、五人を代表して最後にお聞きしたいことがあります」
彼はロゼ様には一生向けることのないだろう、憎しみの込められた視線を私に向けられました。
「これが私と貴様の最後だ。このあと貴様を待ち受けるのはロゼを虐げた厳しい罰だからな。だから、まあいい、言ってみろ」
言い終わると、ベテルギウス様が「ふんっ」と鼻を鳴らしました。
「ベテルギウス様は、私との婚約をどのようなものとお考えなのでしょうか? それに破棄した場合にどのような事態になるかご存知なのでしょうか?」
この質問は私から彼らに与えられる最後のチャンスだ。
けれど───
「貴様のような性悪女との婚約は、私の汚点だよ。それなのに『どのようなものか?』だと? 愛も親愛の情の一欠片もない相手との政略結婚だ。それ以上でも以下でもない。『破棄した場合』? どうもしないさ、私は真実の愛を見つけたのだからな」
「真実の愛……ですか」
「そうさ。貴様との間にあった打算以外何物でもない腐れた繋がりとは違う、真実の愛だ」
「ベテルギウス様をはじめとした貴方方は、真実の愛とやらがあれば、婚約破棄によって起こる諸問題は何とかなるとお考えなのですね?」
これが最後の最後───
「その通りだ。貴様の様な卑劣な冷血には一生わからん感覚だろうがな! これから何が起ころうとも、真実の愛さえあれば、私達は何だって乗り越えていける!」
───これから何が起ころうとも、真実の愛さえあれば、私達は何だって乗り越えていける
ベテルギウス様はそう仰いました。
真実の愛さえあれば、というのは、かねてよりベテルギウス様が好んで口にしていた言葉でした。
ロゼ様も、シャリクも、ザクセン様も、ブライツ様も、みんなみんな、満足そうな表情を浮かべております。
「貴方達のことは、理解出来ました」
これまであった迷いが溶けていくのを感じます。
「貴族には、義務があります」
全てはもう決まったのです。
「貴様、いったい何を! 気でも狂ったか!」
この期に及んで貴族について語る私に対し、彼らから罵声が飛びました。
「私達の暮らしは民の労力によって成り立っております。代わりに私達は彼らの安全な生活を護らねばなりません。
ですが、貴方達の仰ったことを要約すると、そういった義務や矜持の全ては必要なく、ただ真実の愛とやらがあれば、全てを乗り越えていけると、そういうことになります」
ですからそれが真実であることを証明してくださいませ。
「何を───」
ベテルギウス様達が呆気に取られた表情を浮かべました。
「《発動》」
私の言葉と同時に、これまで私が準備してきた、王国全土を覆う魔法が起動いたしました。魔法は光となり、私達全てを呑み込みます。
「ベテルギウス様、それではさようなら」
最後まで読んで頂きましてありがとうございます。
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