第38話 彼女と一緒なら、何だってやれる。やってみせる
「く……く……クククク……」
シンと静まり返った玉座の間に、乾いた笑い声が響く。
我が父、スルト帝のものだ。
この反応は予想外だった。
「戯け!」と一喝されるか、冷たくあしらわれるものだと思っていたのに。
傍らで見ていたバーナードは、「ヒュウ♪」と口笛を吹き鳴らした。
帝国近衛騎士達を呼んで、俺を取り押さえるつもりはないようだ。
「フェンよ。我がヨルムンガルド帝国において、皇帝に求められるものは何だ?」
「『強さ』だと仰るのでしょう? 分かっています」
政治力、統治力、外交力、戦争の上手さ。
それだけではなく、戦士として個の武力も求められる。
弱き者に、帝国民はついてこない。
「分かっているのならば、その力を示せ」
スルト帝は玉座の後ろから、二振りの剣を取り出した。
その内の一振を、鞘に納めたまま投げて寄越す。
俺は皇帝から目を切らぬよう注意しながら、剣を受け取った。
帝国一般兵達が使う、軍の支給品。
特に魔法などは付与されていないし、飾り気もない地味な鋼鉄製の長剣だ。
しかし頑丈で、耐久性は高い。
「玉座が欲しくば、力づくで奪ってみよ! 若造!」
帝国の鬼神の気迫に、謁見の間が震える。
スルト帝は暴風となって駆け抜け、一瞬で俺の眼前へと迫った。
流れるように抜刀。
抜き身の剣が、振り下ろされる。
俺も剣を抜き放ち、辛うじて相手の剣を受け止めた。
あまりの衝撃に、骨と脳が軋む。
さらに皇帝は、嵐のような連撃を繰り出してきた。
一撃一撃が恐ろしく速く、重い。
刀身で受け止める度に、火花が飛び散る。
焦げ臭い空気が、鼻から流れ込む。
護衛騎士選考会で対戦した、ヘルフレイム卿やサブロゥ卿とは次元が違う。
ああ、羨ましい。
帝国でもヴァルハラント王国でも持て囃される、雄々しき烈剣。
皇帝に相応しい剣。
俺も父のようになりたくて、幼い頃より剣の修行を怠らなかった。
だが、なれなかった。
父のような剣士には。
皇帝に相応しいと、周囲から認められる男には。
「どうしたフェン! 守りを固めているだけでは、欲しいものは手に入らんぞ! 『引きこもり皇子』の二つ名は、返上したのではなかったのか!」
少年期。
俺は人前に出るのが嫌だった。
ひとつ歳下の弟が精悍な容姿になっていくのに、俺は全然そうはならなかったからだ。
むしろ母アルベルティーナに似て、どんどん女性的な顔立ちになっていった。
男からは、「女顔のナヨっとした奴。皇帝に相応しくない」と陰口を叩かれた。
貴族令嬢達からは、「あんな顔の隣で、お嫁さんやれないわよね。第1皇子でも、絶対嫌」と避けられた。
陰口を叩く男達は、勉学や剣でねじ伏せれば大人しくなった。
しかし、女性に避けられるのはどうしようもない。
俺は女性全体に、苦手意識を持つようになる。
いつしか社交の場に出る機会が減り、「引きこもり皇子」と揶揄されるようになっていた。
内政面で父の仕事をサポートする機会が多くなり、執務室に籠ってばかりになったことも要因だ。
俺がヴァルハラント王国への潜入任務に志願した本当の理由は、周囲を見返したかったから。
国外での危険な任務を完遂することで、「引きこもり皇子」の二つ名を返上したかった。
皇位に相応しいのは弟の方なのかもしれないが、能力では決して負けていないと証明したかった。
「くそっ!」
戦いの最中だが、思わず悪態をついてしまう。
激しい斬撃の前に、反撃の糸口が見つからない。
これが俺ではなく弟のバーナードなら、スルト帝の剣にも打ち負けたりしないのだろう。
あいつの剣は、父親にそっくりだ。
それに引き替え、俺の剣は邪道の剣。
技術でのらりくらりと受け流し、誤魔化すだけの弱者の剣。
やはりこんな剣を振るう者が、ヨルムンガルド帝国の皇帝になど――
『貴女の剣、わたしは好きですよ。素晴らしいと思いました。たゆまなく技を磨き続けてきた者にしか、辿り着けぬ境地だと』
突然、声が聞こえた。
あれだけ聞きたいと焦がれていた、オリビア姫の声だ。
耳に着けていた、【カーラアイ】のイヤリングから聞こえたような気がする。
――そうだ。
邪道の剣だの弱者の剣だの評されても、別に構わないではないか。
彼女は――オリビア姫は言ってくれた。
俺の剣が好きだと。
「……勝負ありだぜ。親父。兄者」
シンと静まり返った謁見の間に、バーナードの声が響く。
一瞬の間をおいて、絨毯に剣が突き刺さった。
巻き技で絡め取り弾き飛ばした、スルト帝の剣だ。
俺は帝国の鬼神の喉元に、剣を突き付けていた。
疲労で息が上がり、切先が揺れている。
「……ふん。我が息子よ、剣は強くなったようだな。心はどうだ? この帝国を治め、国民1人1人の人生を背負う覚悟はできたか?」
「まだ、自信はありません。皇帝に相応しい男なのかどうか。……おそらく、1人では無理です。しかし、彼女と一緒なら」
俺なんか、オリビア姫と比べたらまだまだだ。
彼女は自分を支えてくれる者達を、何が何でも守ろうとする。
それはまさに、王者の器。
彼女は俺に、道を示してくれる。
強さをくれる。
彼女と一緒なら、何だってやれる。
やってみせる。
「そこまでオリビア姫を求めるか……。いいだろう! 姫が欲しければ、奪い取ってみよ! 彼女の素晴らしさがわからぬ、愚かなヴァルハラント王国から! 彼女を絡めとろうとする、不幸な運命から! 行け! 新しき皇帝よ!」
あっさり皇位を譲り渡す、父の発言に驚く。
隣を見れば弟のバーナードも、膝を折り臣下の礼を取っていた。
「父上……。バーナード……。まさか2人共、最初から……」
俺の問いに、先帝は返事をしない。
ただニヤリと、口角を吊り上げた。
「オレも親父もさ、ずっと兄者の方が皇帝に向いてると思っていたんだよ。だけど兄者は、変なコンプレックスを拗らせていたからな。悪く言うのは一部の連中だけで、大部分の臣下や帝国民からは支持を集めてるっていうのによ」
「バーナード。お前、わざと俺を怒らせるような発言をして、皇位簒奪を焚き付けたな?」
「オリビア姫にご執心なのは、聞き及んでいたからな。煽ってやれば、皇位を欲しがるかと思ったんだ。……予想以上に行動早くて、笑いを堪えるのに必死だったぜ」
「この悪ガキめ! ……俺についてこい、【白銀の翼】隊長!」
「仰せのままに、兄者……じゃなかった。陛下」
弟を促し、俺は踵を返して謁見の間を立ち去ろうとした。
――その時だ。
緑色の光が鎖となって、耳元の【カーラアイ】から飛び出してきた。
「フェン!」
「兄者!」
心配する父上と弟を、手振りで制す。
「大丈夫だ。この光は、おそらく……」
二条の光の鎖は、勢いよく謁見の間を飛び回る。
そして俺が手に持っていた、剣に絡みついた。
軍の支給品である、何の変哲もない鋼鉄製の長剣。
それがみるみると、姿を変えてゆく。
神々しい輝きを放つ、宝剣に。
「これが神獣フェンリルの言っていた、【宝剣グレイプニル】なのか……?」
『そうだ。我の力を、貸し与えた』
神獣フェンリルの声が、どこからともなく響き渡った。
どうやら父上とバーナードにも、聞こえたらしい。
『我が完全復活するには、少々時間が足りぬ。それまでは貴様が、我が娘を守るのだ。今代の【神獣騎士】よ』
神獣フェンリルの声に応え、俺は【宝剣グレイプニル】を振るう。
空気を切り裂く音と共に、緑色の燐光が舞い散った。
次回、
第39話 突貫王女は不思議なわんこと共に王国へと殴り込む
明日7月6日、9:00に予約投稿済みです。




