第37話 その場所を俺に寄越せ
俺は急いで、オリビア姫の部屋へと駆けつけた。
侍女や執事、メイド、帝国近衛騎士達が、行方不明になった姫の痕跡を必死で探し回っている。
皆、表情に焦りを浮かべていた。
だがこの場で最も冷静さを失っているのは、俺なのだろう。
状況に絶望し過ぎて、目眩がする。
「オリビア姫が残したという、書き置きはどこだ?」
「はっ! こちらに」
侍女が渡してきた書き置きは、確かにオリビア姫の筆跡だった。
『王女でなくなったわたしでは、貴方とは結婚できません。ごめんなさい。相応しい身分の方と、幸せになってください』
そう書かれていた。
読んだ瞬間、心が凍りついた。
溢れそうになる涙を、必死で押しとどめる。
そんな。
身を引くにしても、いきなり姿を消すだなんて。
優しい貴女にしては、残酷な仕打ちをする。
そこでふと、気が付いた。
彼女の行動は、あまりにもらしくない。
「……しまった! そういうことか!」
思えば昨日、夜会の帰りから姫の様子はおかしかった。
俺からのプロポーズに、戸惑っているものだと思っていたが。
おそらく、聞かれてしまったのだ。
飛空艇の甲板上で交わした、諜報部員との会話を。
ガウニィ・スキピシーヌ伯爵令嬢が、王国軍に捕らえられてしまったことを。
姫は単独で、救出に向かったのだ。
「くそっ! 飛竜や飛空艇の発着場だ! 探せ!」
頭のいい姫君なのだ。
陸路で帝国を出るはずがない。
そんな移動手段では、ガウニィ嬢の処刑に間に合わない。
俺の知らない、特殊な移動手段を持っていたとしたら話は別だが。
「やはり、空から探す必要もあるか……。【白銀の翼】に、協力要請を……」
【白銀の翼】は帝国の旗艦たる飛空艇の名前であると同時に、それを運用する特殊部隊を指す。
彼らの協力があれば――
「そいつは越権行為だぜ、兄者。【白銀の翼】隊長として、拒否させてもらう」
背後。
部屋の入口から浴びせられた声に驚き、振り返る。
開け放たれた扉の先に、大男が立っていた。
父親そっくりの厳つい顔立ち。
軍服の上からでも分かる、筋骨隆々とした体つき。
赤茶けた髪は、短く刈り込まれている。
それが似合っていて羨ましい。
俺も「女性っぽい」と言われるのが嫌で一時期短髪にしていたが、似合わないので諦めた過去がある。
同じ父と母から生まれたのに、俺とは違い過ぎる存在。
「バーナード。帰還していたのか……」
「弟が長期の軍事演習から帰ってきたのに、それどころじゃないって態度だな」
「すまんが緊急事態なんだ。落ち着いたら、話を聞かせてくれ」
「こっちも急ぎの要件だ。親父……スルト陛下からのご命令で、兄者を呼びにきた。謁見の間に、馳せ参じるようにだとよ」
「くっ! こんな時に!」
陛下のご命令とあらば、従わないわけにはいかない。
俺はバーナードと共に、早足で謁見の間へと向かった。
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謁見の間では父スルトが、玉座に座り書類を眺めていた。
「フェンよ。各部署へ通達した、ガウニィ・スキピシーヌ嬢救出の協力要請……。お主の権限を、越えているものが多いようだが?」
ちっ!
まさかもう、見つかってしまうとはな。
陛下から止められる前に、各部署を動かしてしまいたかった。
ガウニィ嬢を救出した後ならば、俺が処罰されても構わない。
「馬鹿者が! お主の私情で、国を振り回すでない!」
凄まじい剣幕だ。
普段母上の尻に敷かれている男と、同一人物だとは思えない。
さすが帝国の鬼神という雷喝。
俺が腰を抜かさずに済んでるのは、夢の中で会った神獣フェンリルよりは幾分かマシだからだ。
「今のお主を見たら、オリビア姫はどう思うだろうな? そんなことだから、逃げられるのだ」
姫の失踪について、陛下はもう知っているのか。
この皮肉は、怒鳴られるより何倍も堪えた。
確かにオリビア姫からも、叱られてしまいそうだ。
私情で国を振り回すなど、彼女は絶対に許さないだろう。
「まあよい。フェンへの叱責は、後回しだ。……バーナード。長い演習から、帰ったばかりで申し訳ないが……」
「ええ、分かってますよ。国境での度重なる軍事的挑発への報復として、ヴァルハラント王都に強行偵察飛行をカマしてやるんですね?」
何だと?
確かに王国は、国境線での大規模軍事演習など挑発行為を繰り返してきた。
両国の国境警備軍による小競り合いは何度も起こっているが、ヴァルハラント側が発端になっているものばかり。
しかし報復で、王都への強行偵察飛行とは。
つまりは【白銀の翼】で、ヴァルハラント王宮の上空を通過するということ。
宣戦布告に等しい。
「王都上空を通るのか? 頼む! バーナード! 私も【白銀の翼】に、乗せてくれ!」
飛空艇なら、オリビア姫を追いかけることができる。
ガウニィ嬢も、直接救出に行ける。
「ダメだ。軍に籍を置いていない兄者を、【白銀の翼】に乗せるわけにはいかねえなぁ。そうでしょう? 陛下?」
弟が、やけにニヤニヤしているのが腹立たしい。
陛下は弟の問いかけに、深く頷いた。
クソ……。
2人して、なぜ俺の邪魔をするんだ?
考えろ。
考えるんだ。
何とか【白銀の翼】に乗り込み、オリビア姫を追う方法を。
ガウニィ嬢を、救出する方法を。
「まあ兄者はこの宮殿で、大人しく待ってろよ。オリビア姫は、俺が見つけ出して保護してやるからよ。そしたら姫は、頼もしいオレに惚れちゃうかもな。ワハハハ……」
俺の中で、何かが切れた。
怒りで我を忘れたのとは違う。
頭はむしろ、冴えてゆく。
そうだ。
俺は何としてでも、オリビア姫を連れ戻したい。
彼女が欲しい。
誰にも渡さない。
そのためには、手段を選んでなどいられるものか。
「……陛下。我がヨルムンガルド帝国では古くから、皇帝自ら前線に立つことが多いですよね?」
「その通りだ。兵士達の士気高揚と、強い統治者をアピールするためにな」
「皇帝は制度上、軍属ではない。しかし軍を動かせる。【白銀の翼】を率いることもできる」
「……それで? フェンよ。お主は何を望む?」
俺はゆっくりと右手を上げ、人差し指を父親に突き付けた。
「俺に皇位を……その玉座を寄越せ。スルト・レテ・ヨルムンガルド」




