第32話 星空のダンスパーティ~【緑の魔女】には、居場所ができた~
フェン様のお誘いは嬉しい。
だがわたしは、夜会用のドレスなど持っていない。
3日でドレスが、作れるわけがないのだ。
そう思っていたのだが。
「あら、オリビアちゃん。帝国の技術力を、甘く見ちゃやーよ。マダム・ベッカのお店なら、3日もあれば充分ね」
と、アルベルティーナ皇后陛下は事も無げに仰る。
実際すぐ採寸に連れていかれ、あれよあれよという間にドレスが完成してしまった。
生地や素材、お店の格式から考えて、とんでもないお値段のドレスになったと思われる。
「思われる」というのも、わたしは教えてもらえなかったのだ。
フェン様も店員も、頑なに値段を隠した。
「大した値段ではありませんので、気軽に受け取ってください。急にお誘いしたのは、私の方なのですから」
などとフェン様から言われては、受け取らないわけにはいかない。
固辞すれば、彼に恥をかかせることになってしまう。
ううっ。
ドレスがやたらと重く感じる。
【イフリータティア】のイヤリングといい、わたしのようななんちゃって王女が身に着けていい代物ではない。
そんなわけでわたしは身の丈に合わぬドレスを身に纏い、夜会の会場を訪れた。
フェン様にエスコートしていただき、魔力車から降りる。
「凄い……。何という巨大な船。本当にこれが、空を飛ぶのですか?」
夕焼け空の下、わたしとフェン様の前に鎮座しているのは飛空挺。
この船が、夜会の会場となる。
主催者である、公爵家の所有物だ。
【白銀の翼】みたいな軍用ではないとはいえ、公爵が個人で飛空挺を所有できるのか。
帝国貴族の財力、恐るべし。
――何だか怖くなってしまった。
帝国貴族達の間に、わたしなどが入って行って大丈夫だろうか?
敵対国の王女なのに。
わたしの立場は、「両国の関係改善のため、視察に来ている」という名目になっているそうだ。
だから、いきなり害されたりすることはないだろう。
警備体制も、万全らしい。
それに――
「それでは、参りましょうか? 我が姫」
今夜のフェン様は、夜会仕様。
夜空を思わせる濃紺の礼服。
所々に輝く金糸の装飾は、瞬く星々のよう。
今回、長い銀髪は首の辺りで括られている。
そして耳元には、緑に輝く【カーラアイ】のイヤリング。
何だかいつもより、自信に満ち溢れているように見える。
スッと肘が差し出される。
磁石に吸い寄せられるみたいに、わたしは手を添えた。
――そうだ。
何を恐れる必要がある。
わたしには、頼もしい護衛騎士が付いているではないか。
プロペラを回し離陸準備を始めた飛空挺に向かい、わたしとフェン様は歩き始めた。
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飛空挺に乗り込むと、そこは華やかなパーティ会場となっていた。
天井に煌めくシャンデリア型魔法灯。
それに負けない輝きを放つ、着飾った紳士・淑女達。
わたし達が会場入りした瞬間、刻が止まった。
視線の雨が突き刺さる。
この国の第1皇子たる、フェン様が会場入りしたからか?
いや、それにしては反応が不自然だ。
皆、魂を抜かれたかのように惚けている。
「緑の髪と瞳……?」
貴族令嬢の1人が、恐る恐るといった様子で口を開いた。
今夜はいつもと違い、魔法で髪や瞳の色を変えていない。
フェン様やスルト陛下、アルベルティーナ様から、「そのままで行った方がいい」と勧められたからだ。
貴族令嬢の呟きが切っ掛けとなり、ざわめきが巻き起こった。
――苦しい。
心臓が締め付けられる。
この状況は、あの夜と同じだ。
わたしが【緑の魔女】であったことを暴かれ、婚約破棄された夜と。
フェン様の腕を掴む手に、力が入ってしまう。
「大丈夫ですよ。必ず私が、お守りしますから」
そっと耳元で囁かれて、緊張が解れる。
代わりに耳は、やたらと熱くなってしまったが。
大きく深呼吸をひとつ。
よし、大丈夫。
わたしは冷静だ。
あらためて周囲を観察すると、気付いたことがあった。
突き刺さる視線に、嫌悪や侮蔑を感じられない。
これはまるで――
すっかり失念していた。
この帝国において、緑の髪と瞳を持つ者が何と呼ばれるのかを。
「【豊穣の聖女】……様……?」
貴族令嬢の呟きには、明らかな憧憬の念がこもっていた。
「おい、本物みたいだぞ? 【豊穣の聖女】、オリビア王女殿下だ。ヴァルハラント王国から、使節として来てるっていう……」
「帝国植物研究所に凄まじく有益な技術を伝えたという、あの才女か?」
「なんて綺麗な、髪と瞳……」
「お召しになっているドレスも、素敵なデザインだわ。ふんだんにあしらわれた緑のレースが、おとぎ話に聞く世界樹の葉みたい。散りばめられたダイヤモンドは、朝露を連想させるわね」
「まるで神話に出てくる森の妖精、【エルフ】ね。ご自身も、【エルフ】みたいにお美しいし」
「ねえねえ。【豊穣の聖女】様が着けていらっしゃる、紅いイヤリング。あれってひょっとして、【イフリータティア】じゃないかしら?」
「フェン殿下が、ご自分の瞳と同じ色の宝玉を贈ったってこと? きゃあ♪」
耳を澄ませば、賛辞の言葉ばかりだ。
ちょっとムズムズするが、照れを面に出すわけにはいかない。
割れていく人垣の間を通り、まずは主催者である公爵の元へ挨拶に赴く。
「歩くお姿も優雅で気品に溢れ、素敵」
などという声も聞こえてきたが、わたしは普通に歩いているだけだ。
いや。
王族らしい歩き方が「普通」になるよう、毎日訓練をしてきただけ。
主催者である公爵は、挨拶の時に娘を紹介してきた。
ははあ、なるほど。
婚約者のいないフェン様に、娘を近づけようとこの夜会を開いたのか。
確かに美しいご令嬢だった。
肉感的なボディラインも、男性が好みそう。
しかしフェン様の反応は、実に素っ気ないものだった。
公爵親子への挨拶もそこそこに、わたしはホールの空いてるスペースへと連れ出される。
「踊りましょう、オリビア姫」
フェン様の言葉に合わせたかのように、飛空艇が離陸した。
わたしの体も、ふわりと軽くなる。
同時に音楽が流れ始め、ダンスがスタートした。
頭で考えずとも、足が勝手にステップを刻む。
流れるように体がターンする。
――凄い。
離宮で練習した時も夢心地だったが、あの時以上の感動だ。
フェン様のリードにより、背中に翼が生えたかのよう。
わたしを自由にはばたかせてくれる。
夜会の会場となっているホールは、周囲の壁がガラス張り。
外の様子が良く見えた。
漆黒の海に浮かぶ魔法灯の光が、どんどん小さくなってゆく。
飛空艇の上昇に合わせて、わたしの心も舞い上がっていくかのようだった。
フェン様と踊る、星空のダンスパーティ。
やがて曲が終わり、ダンスのフィニッシュを決める。
上体を逸らした状態でホールド。
周囲の観衆たちから、歓声と拍手が浴びせられる。
「オリビア姫。素晴らしい時間を、ありがとうございます。こんなに楽しく踊れたことはない」
少し頬を上気させたフェン様が、声を弾ませながら言う。
ああ、フェン様は――
ヨルムンガルド帝国は、わたしを受け入れてくれる。
誰からも必要とされなかった【緑の魔女】に、居場所をくれる。




