第31話 乙女の寝顔を、何だと思っているのですか!
■□フェン視点■□
「……いかん! 眠ってしまった!」
俺は執務机から、ガバッと身を起こした。
くっ。
まだ目がぼやけているが、書類の山は健在のようだ。
しかし、山の数が減っている。
どうやら他の文官達が、手伝ってくれたようだな。
後で礼を言っておかねば。
段々意識と視界が、ハッキリしてくる。
すると緑色の物体が、机の上に存在しているのを見つけた。
これは何だ?
やけに綺麗だ。
まるでオリビア姫の緑髪みたいな――
――姫本人ではないか!
一気に目が覚めた。
なぜだ!?
どうしてオリビア姫が、私の執務机に突っ伏して寝ているのだ!?
視界の端にティーカートを見つけて、納得した。
俺を休憩させるため、お茶に誘ってくれようとしたのだろう。
それで起きるのを待っているうちに、姫も釣られてウトウトと――
それにしても、なんて魅力的な寝顔だ。
瞼を閉じていると、睫毛の長さが際立つ。
いつもは元気いっぱいで、コロコロと表情が変わるのが魅力の彼女。
しかし寝ていて表情が動かないと、それはそれで人形のように美しい。
ふと、罪悪感を覚えた。
男から寝顔をジロジロ見られたら、恥ずかしいのではないだろうか?
風邪も引いてしまうかもしれない。
どうしたものかと悩み、俺は執務室の中を歩き回った。
オリビア姫を起こさないよう、無音歩行で。
かなり早足になってしまったが。
起こした方がいいかという結論に達し、彼女に向かって手を伸ばす。
肩に触れ、優しく揺さぶるのだ。
間違っても、変な部位に触れてはならない。
……ちょっとだけ。
ちょっとだけ髪に触れてしまうぐらいは、許されるか?
この美しい緑の宝石を、指で掬い愛でたい。
体内で暴れ狂う欲望と戦っていると、視線を感じた。
執務室の入り口を見れば、扉の隙間からグレーの瞳が覗いている。
我が母、アルベルティーナ皇后陛下だ。
母上は文字の書かれた紙を掲げ、俺に見せつけてきた。
『待て! 息子!』
「ステイ」……って、俺は犬か?
いや、確かに獣に成り下がるところだった。
危ない、危ない。
母上の掲げた紙から、視線を下に移す。
これまた扉の隙間から、お座りした子犬の姿が見えた。
ポチだ。
何だろう?
無垢な瞳から、やたらと圧力を感じる。
――姫に何かしたら、噛み殺す。
そう言われたような気がした。
ふう。
危なかったな。
覗き犯2人のおかげで、俺はなんとか正気に戻れた。
しかし、オリビア姫はどうしたものか?
触れると不埒なことをしてしまいそうな、自分が怖い。
このまま寝かせておくか?
「……うん……。ああっ……」
寝惚けたオリビア姫が、身を捩る。
そんなに艶めかしい声を出さないでくれ。
理性が吹き飛ぶ。
「父上……。みんな……。わたしを見て……」
悲しく輝く涙が、姫の頬を伝った。
そうか。
わかった気がする。
彼女がヴァルハラントの王女として、必死で自分を磨いてきた理由が。
やはり父親や、兄妹達の愛情が欲しかったのだ。
王女として役に立つことを証明すれば、愛情を向けてもらえるのではないかと期待していたのだ。
健気な少女の足掻きに、胸が痛む。
彼女に触れたいという邪な気持ちは、収まっていた。
俺はオリビア姫の肩に、自分が着ていた上着をかける。
「よし。仮眠して、頭もスッキリした。1時間で、残りの仕事を片付けるぞ」
すうすうと眠り続けるオリビア姫の前で、俺は書類仕事を再開する。
驚くほど集中できて、30分で全部片付いた。
なので余った30分間で、姫の寝顔をじっくり観察させてもらうことにした。
考えてみれば、俺の寝顔だって観察されていたはずなのだ。
これでおあいこだろう。
――そう思っていたのだが、起きたオリビア姫からは「乙女の寝顔を、何だと思っているのですか!」と怒られた。
ぷぅと頬を膨らませて怒る姿がまた、可愛かった。
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■□オリビア視点■□
フェン様に寝顔を見られてしまったあの日から、2日が経過した。
ああ、もう。
思い出すだけで恥ずかしい。
フェン様は、ちゃんと反省しているのだろうか?
わたしが怒ったら、「すみません、責任は取ります」と真面目な顔で返してきた。
責任を取るとは、一体?
現在わたしは、オケアノス宮殿の空中庭園を歩いている。
アルベルティーナ皇后陛下から、「一緒に散歩しよう」とお誘いを受けたのだ。
ポチも一緒だ。
わたし達の足元を駆け回りながら、「わふっ♪ わふっ♪」と楽しげに吠えている。
「ねえ、オリビアちゃん。ヨルムンガルド帝国は、気に入った?」
「素敵な国だと思います。活気に溢れ、技術も文化も発展している。何といいますか、『人間の力』を感じますね」
「うふふ。褒めてくれて、ありがとう。……オリビアちゃん。気に入ったなら、ずーっとこの国に住んでくれる?」
「そうしたいのですが……。わたしはこの国で、仕事を見つけられるでしょうか?」
いつまでも宮殿で、ニート生活を続けるわけにはいかない。
働いて、生活基盤を築かなければ。
「あらぁ。オリビアちゃんには、うってつけの仕事があるわよ。フェンの……」
「母上。お戯れは、そこまでに」
アルベルティーナ様の言葉は、途中で遮られた。
いつの間にか近くに来ていたフェン様が、会話に乱入してきたのだ。
わたしにうってつけの仕事とは、何だったのだろうか?
フェン様の秘書とか?
「オリビア姫。今日は貴女に、お願いがあって参りました」
「は……はい」
何だろう?
あらたまって。
心無しか、フェン様は緊張しているように見える。
「3日後の晩、夜会に出席してはいただけませんか? 私のパートナーとして」




