第29話 「わたし、何かやっちゃいました?」再び。図書館跡で、勉強しただけですが……
遊園地や宝飾品店でのデート……いや、帝都視察から1週間が経った。
その間にもフェン様から、様々な場所に連れて行ってもらった。
オペラを観ては感動し、魔道列車で帝都の景色を楽しみ、美術館や博物館で帝国の文化や歴史を学び、郊外の牧場で乗馬を体験したりもした。
どれも楽しい経験だった。
帝国植物研究所という場所にも行った。
農業や薬草栽培の技術発展を担い、【豊穣の聖女】についても研究をしている施設だ。
なので魔法で色を変えずに、緑の髪と瞳のまま訪問した。
ここで驚くべき事実が判明する。
ヴァルハラント王国にいた頃は確かにあった、植物の成長を促進させるわたしの特異体質。
それが綺麗さっぱり、なくなっていたのだ。
正直、少し焦った。
わたしは【豊穣の聖女】であることを期待されて、帝国へと招き入れられたのだ。
力を失っては、期待に応えることができない。
しかし研究員達の反応は、呑気なものだった。
「あ~、想定内です。ここ帝都オケアノスでは、【豊穣の聖女】様のお力は発揮できないのではないかと考えておりました」
どうやら【豊穣の聖女】の伝承は、帝国東部に集中しているらしい。
ヴァルハラント王国に近い地域だ。
「つまり【豊穣の聖女】様のお力は、ヴァルハラントの大地にかかっていると言われる神獣フェンリルの加護を増幅させるものではないかと推察されます。帝国中央部から西部は、範囲外というわけですな。はっはっはっ」
所長が気楽に笑うが、わたしは申し訳ない気分になった。
「オリビア姫、気に病む必要はありませんよ。元々我々が、勝手に貴女を帝国へと連れ出したのです」
「ですがフェン様……」
「そうだ。代わりに離宮で使っていた、農業の技術を彼らに教えてやってはいただけませんか? 帝国では使われていない手法も、ふんだんに盛り込まれていたようですし」
フェン様に促され、わたしは研究員達に自分の持っている技術を伝えた。
離宮の図書館跡で学んだもので、王国でも失伝されている技術がほとんどだ。
わたしはそれをベースにしつつ、独自のアレンジを加えて活用していた。
肥料の作り方。
魔法による温度管理。
虫除け薬の調合方法。
そして植物の成長促進魔法。
植物と農業技術の専門家である研究員達に、語って聞かせるのは気が引ける。
所詮わたしは素人。
彼らから見れば、わたしの知識や技術など児戯に等しい。
現に最初はニコニコと話を聞いてくれていた研究員達も、途中から怖い顔になってきた。
温和そうな所長も、プルプルと震えている。
これはマズい。
そろそろ話を切り上げるか?
そう思っていたら、突然所長が叫び声を上げた。
「大革命だ!」
周りの研究員達も、慌ただしく動き出した。
走って部屋から出ていく者。
ガリガリとメモを取り始める者。
実験サンプルの鉢植えに、魔法を試し始める者。
「え? え? え? 皆さん、どうしたのです? わたし、何かやっちゃいました?」
隣に居たフェン様に、視線を向ける。
彼は天井を仰ぎ、こめかみを指で揉みほぐしていた。
「離宮に居た頃は、気付けませんでした。肝心な部分を、姫は手伝わせてくれませんでしたからね。……なんという画期的な手法。信じられない。帝国の農業を、一変させてしまう。どれだけ生産量が上がるか、想像もつかない」
「そんな、大袈裟な。肥料や【植物成長促進魔法】ぐらい、帝国にもあるでしょう?」
「あるにはあるのですが、オリビア姫のものほど効率が良くはありません。特に【植物成長促進魔法】の魔法式は、芸術的だ。論文として発表すれば、帝国宮廷魔導士へと推薦されるでしょう」
「あわわ……。わたしはただ、離宮に廃棄されていた本から学んだだけで……」
あの離宮という名の廃城は、宝の山だったというわけか。
実に勿体ない。
研究員所の所長は興奮してわたしの手を握り、何度も上下にブンブンと振った。
やはり男性に触れられるのは、ちょっと苦手だ。
「所長。隣国の姫君に対して、無礼であるぞ」
フェン様が低い声で凄むと、所長は慌てて手を離し謝罪した。
「も……申し訳ありません」
「分かればよい。オリビア姫が伝えて下さった技術、帝国のために役立てるのだぞ。貴君とその部下達の働きに、期待している」
「ハッ! ありがとうございます」
何だろう?
王侯貴族への無礼に怒ったというよりも、わたしに触れたことに対して怒ったような?
まさか嫉妬?
いやいや。
そんなことは、あり得ない。
フェン様から少し優しくされているぐらいで、思い上がるな。
自意識過剰というものだ。
「やはり貴女は、【豊穣の聖女】だったようですね。不思議な力などなくても、帝国の大地に大いなる恵みと祝福を齎してくれる。積み重ねた知識と経験、技術によって」
「あ……」
フェン様の優しい言葉に、不意にポロリと涙が零れる。
決して無駄ではなかった。
離宮に幽閉されてからも、勉強し続けたことは。
自分を磨き続けたことは。
このヨルムンガルド帝国には、それを認めてくれる人達がいるのだ。
フェン様が、そっとハンカチを貸してくれた。
いい匂いがする。
「帝国民を代表して、お礼を申し上げます。我が帝国へと来てくれてありがとう、オリビア姫。帝国民を幸せにしてくれる、【豊穣の聖女】よ。努力と研鑽を怠らない、気高き姫君よ」
嬉しかったのだが、何と答えていいのかわからない。
言葉が出てこない。
わたしはフェン様のハンカチで涙を拭いながら、無言でコクリと頷くしかなかった。




