第13話 「主人公が誘拐されるのはロマンス小説のお約束」ってガウニィが力説していたけど、かなり偏った読書歴だと思う
わたしの母シルビアは、とても美しい女性だった。
その美貌で国王オーディン7世を虜にし、側室に迎え入れられたと聞く。
優しい女性だった。
権謀術数渦巻く王宮で生きるのには、優し過ぎるほどに。
わたしが王女としての能力に磨きをかけたのは、母を守りたかったからでもある。
娘が王家に貢献できれば、待遇も厚くなるのではないかと。
それなのに、あのような最期を迎えるとは――
悔しい。
わたしがもっと上手く立ち回っていれば、違う未来もあったのだろうか?
掃除が終わった墓石の前で膝を突き、わたしは祈る。
来世では、もっと幸せになって欲しいと。
「母上。わたしは母上の願ったように、強く生きられているでしょうか?」
それなりに楽しんではいるものの、相変わらずの幽閉生活。
仕えてくれているリルやガウニィには、苦労をかけるばかり。
このまま状況に流されていても、良いのだろうか?
墓石から、答えは返ってこない。
わたしが自分で、決めるしかないのだ。
立ち上がり、空を見上げる。
霊園外壁に囲まれた空は、いつの間にかどんよりと曇っていた。
ついさっきまで、晴れ渡っていたのに――
「ふふっ、また来ます。リルやガウニィ、ポチを待たせ過ぎてはいけないので。次はもっともっと、彼女達の楽しい話を持ってきますね」
踵を返し、墓前から去ろうとした時だ――
「いいや。あんたはもう2度と、ここを訪れることはないぜ。【緑の魔女】」
聞き覚えのない男性の声が、背後から投げかけられた。
ぞわりと全身が粟立つ。
反射的に横っ飛びしながら、背後を振り返った。
立っていたのは、覆面を被った男。
しかも、1人ではない。
仲間らしき2人が、霊園外壁からロープを伝い降りてくる。
何ということだろう。
リルの危惧した、侵入者だ。
捕まれば、死罪は免れぬというのに。
「リル! 助け――」
門の外にいる護衛騎士に助けを求めようとして、躊躇ってしまった。
わたしが呼べば、彼女は掟など無視して霊園の中に飛び込んできてしまう。
緊急事態とはいえ、無罪放免とはいかないだろう。
ダメだ。
リルをここに呼ぶのではなく、わたしが彼女のところまで走るのだ。
わたしは緑の髪を振り乱して、霊園の入口へと駆け出した。
すぐに覆面男達が、追いかけてくる。
わたしは足止めとして、魔法を使った。
男達の眼前に、小さな炎を発生させたのだ。
殺傷力は皆無だが、一瞬怯ませるには充分。
そう思ったのだが――
敵は3人だけではなかった。
周り込んでいた4人目が、わたしにしがみつく。
「くっ!」
男性に触れられると、嫌悪感で吐きそうになる。
覆面男はわたしの口に、ハンカチをあてがった。
反射的に息を止めたが、間に合わない。
この刺激臭、――薬品だ。
頭がクラクラし、身体がいうことをきかない。
「ちっ! すばしっこい娘だ。それに、火の魔法まで使えるとはな」
「素早く縛り上げて、ずらかるぞ。モタモタして捕まったら、俺達も終わりだ」
「【緑の魔女】なんて、触りたくない。報酬の取り分を増やしてやるから、お前が担いで運べ」
「うへえ。マジかよ? 2割増しな。……おっ? こいつちっこいから、軽くて運びやすいぞ」
女性を荷物のように担いで運ぶとは、失礼な!
腹が立つが、抗議しようにも口が動かない。
首筋にポタリと、水滴が当たる感触があった。
雨が降り出したのだ。
ああ。
このままではリルやガウニィ、ポチが濡れてしまう。
「わたしの……ことは……いいから……。みんなは……早く……どこかで……雨宿りを……」
そこまで呟いたところで、わたしの意識は闇に呑まれていった。
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ぱちゃぱちゃと水音を立て、わたしは走る。
一体どこを走っているのか、見当はつかない。
走っても走っても、周囲に広がるのは闇。
足元の感触と水音から、地面が濡れていることだけは認識できる。
わたしは必死で逃げていた。
背後から、何か恐ろしいものが迫ってくる。
助けて――
誰か助けて欲しい。
ふと前方に、見知った背中があった。
闇の中に浮かび上がるのは、長身の女騎士。
その後ろ姿。
結われた長い銀髪は、暗黒の空間でも美しく輝いている。
まるでわたしの進むべき方向を示してくれる、道標のようだ。
「リル! 助けてください!」
美貌の女騎士は振り返り、にっこりと微笑んだ。
同時に周囲の闇が晴れ、花畑が広がる。
咲き乱れているのは、百合の花。
背後からわたしを追いかけてきた何かが、跡形もなく消滅するのを感じた。
わたしは走ってきた勢いのまま、リルの胸へと飛び込む。
……むう。
何というボリューム。
「怪我はないか? オリビア?」
突然呼び捨てにされて、ドキリとしてしまった。
王女と護衛騎士という関係なのに、この呼び方や口調はダメだ。
だが今、他人の目はない。
「ふたりっきりなら、ちょっとぐらいいいかな~」などと考えてしまう自分がいる。
「だ……大丈夫です。リルが守ってくれるから……」
「ふふっ。キミは大事な、私の姫君。誰にも指一本触れさせないよ」
そう言って、わたしの緑髪を慈しむようにすくい上げるリル。
長い指の感触に、鼓動が速くなる。
「あ……あの……。リル?」
「そう、誰にもだ。あの離宮からキミを攫い、遠い異国の地へと連れ去りたい」
それは魅力的な話だと感じた。
王国の力になりたいとは思っていても、わたしは【緑の魔女】。
民からも、忌み嫌われる存在。
先程の誘拐犯達が、触れることを嫌がったように。
ならばわたしはもう、ヴァルハラント王国から姿を消した方が良いのでは?
その方が、国民から喜ばれるのでは?
「髪と瞳が緑というだけで、差別されるなどということがない土地。そこで自由に、穏やかに暮らすんだ。もちろん、ガウニィ様やポチも一緒に」
蠱惑的に囁きながら、リルの唇が近づいてくる。
わたしの唇へと。
「え……あ……ちょっと? リル? このままでは、唇と唇が触れて……」
それはいわゆる、「キス」という行為ではないだろうか?
「何か問題でも? ずっとそうしたかったんだろう? 愛しのオリビア」
「そ! そ! そ! そんなことはありません! 断じて!」
思わず顔を背けてしまう。
嫌悪感があったからではない。
おそらく真っ赤になっているであろう顔を、見られたくなかったからだ。
恥ずかし過ぎる。
嵐のように渦巻くわたしの羞恥心を無視して、リルは顔を自分に向けさせた。
こないだ恋愛小説で読んだ、「顎クイ」と呼ばれる動作だ。
「だ……だ……ダメですよ、リル。女同士で、だなんて……」
わたしはリルの胸に手を当て、押し返そうとした。
「……え? 硬い?」
掌の感触に驚いて、視線をリルの胸元へ。
――無い!




