第10話 わたしは百合の人……ではない?
■□オリビア視点■□
何だかとても暖かい気分で、目が覚めた。
ポチが隣で寝ていてくれたから――というだけではない。
リルが扉の外で、護衛してくれていたからだ。
夜、近くに誰かいてくれるというのは、こんなに安心感があるものなのか。
素早く作業着に着替え、扉を開ける。
すぐに流れる銀髪が、視界に入った。
後頭部の高い位置で結われた、リルの長髪だ。
朝日を眩しいほどに反射して、とても綺麗。
「おはよう、リル。寝ずの番、御苦労様です」
「おはようございます、オリビア王女殿下。昨夜はよく眠れましたか?」
「ええ。頼もしい騎士様が、警備していてくれたんですもの。安心して、ぐっすり眠れました」
「それはようございました。……その格好は?」
アイスブルーの双眸が、わたしの作業着を不思議そうに見つめる。
庭師のような格好をする王女など、普通はいない。
「これから水汲みや、畑仕事をします。リル、護衛としてついてきてくれますか?」
「殿下……それは王女の仕事ではありません。私めにお任せください」
「ええ? 嫌です。水汲みで体を鍛えたいし、畑仕事は趣味も兼ねているので」
「せめて水汲みは私が。体を鍛えたいのであれば、後で剣士の鍛錬方法を教えますので」
「本当? それはぜひ、挑戦してみたいです。それでは、水汲みはお願いします」
「お任せください」
リルはあっという間に井戸から水を汲み上げ、軽々と運んでしまう。
水をめいっぱい入れた桶は、かなり重いはずなのに。
同じ女性なのに、膂力の差は圧倒的だ。
彼女は骨格が大きいので、当然か。
わたしも幽閉された直後の栄養状態が悪くなければ、もう少し背が伸びたと思うのだが。
水汲みを済ませた後、わたしとリルは果樹園に移動した。
離宮の裏庭に、果樹が所狭しと生えている。
各1本しか生えていないが、種類が豊富なので数はなかなかのものだ。
これも書物から得た知識を元に、わたしが植えたもの。
種や苗木は、侍女のガウニィに仕入れてもらった。
数年がかりの計画だったのに、あっという間に成長して1ヶ月で収穫できてしまったのだ。
「有り得ない……。何ですかこの果樹園は? 今、季節は春。なのに秋や冬の果物が、たわわに実っているなんて……」
美味しそうに色付いた桃を、リルは訝しげに眺める。
「不思議ですよね。なぜかわたしの育てた農作物は、季節に関係なく実ってしまうのです。成長速度も、数倍はあって」
「……それは、他国の農作物と比べてのお話ですか?」
「いいえ。ヴァルハラントの農作物と比べてのお話です」
リルは天を仰いだ。
そういう反応になるのは、当然か。
ここヴァルハラント王国において、農作物の成長速度は他国の数倍だと言われている。
それのさらに数倍なのだから。
おかげで毎日、収穫が大変だ。
「何か特殊なお世話をしているのですか?」
「本で読んだ土づくりの手法や、虫の駆除、魔法による環境の管理などはしています」
「そういったものは、普通の農家でもやっているのでは? ……いや、すみません。私は農業に関して、あまり詳しくないもので」
「それが皆、やっていないそうです。この国では、放っておいても農作物はすくすく育つでしょう? だからみんな、作物のお世話に手は割かないそうです。ガウニィから聞きました」
わたしが本で仕入れた農業関係の知識は、巷で失伝されてしまったものも多いようだ。
土づくりの手法やお世話の仕方、温度管理の魔法などは、ある特定の地域でのみ発展を遂げた技術。
神獣の加護を受けられなくなった地域――すなわち、【緑の魔女】の呪いが降り掛かったとされている地だ。
そういう土地では作物が育ちにくくなるので、農民達は知恵を振り絞って収穫量を増やす努力をした。
しかし、そのまま滅びてしまった村が多い。
呪いで収穫量が激減したのに、国は以前と変わらぬ税を取り立てたからだ。
「勿体ないことです。当時の学者達がせっかく書き記してくれた知識の結晶が、このような廃城に打ち捨てられているなんて」
「オーディン7世陛下は、書物を大切にしない方のようですね」
リルは「ふぅ」と、短く息を吐いた。
わたしも王国の行く末に、少々不安を覚える。
書物を大切にしないということは、技術の発展や継承を軽く見ているということでもある。
高い技術力を誇ると噂のヨルムンガルド帝国に攻め込まれたら、あっという間に負けてしまうのではないだろうか?
リルの手を借りて農作物の世話と収穫をしていると、ガウニィが離宮の外から出勤してきた。
「さあリル。後のことはガウニィに任せて、貴女も寝なさい」
「力仕事を女せ……王族と侍女に任せるわけには……」
ごねる女騎士を、むりやり兵士詰所跡に押し込む。
ここにはベッドが残されているので、リルの寝床とするべくガウニィが準備してくれていたのだ。
リルを寝かしつけた後、わたしはガウニィと一緒に農作物や薬草類の収穫を終わらせた。
そして午前中の空き時間は、図書室跡で読書に勤しむ。
政治や経済関連の書物。
植物学の書物。
他には百合小説とかを、ちょっとだけ読んでみたり。
……女の子同士の恋愛物語は美しいと思ったが、そこまで萌えはしなかった。
なぜわたしは、リルにドキッとしてしまったのか。
自分の気持ちが、少し腑に落ちなかった。




