第1話 王族なのに公爵家から婚約破棄されるってどういうことですか? ~【緑の魔女】には居場所がない~
「オリビア王女殿下。貴女との婚約は、破棄させていただく」
わたしが12歳になった年の出来事。
王宮で催された建国記念パーティで、多くの貴族達が周囲に居る中。
煌々と輝く、シャンデリアの下でそれは起こった。
6つ歳上の公爵令息であるトール様の婚約破棄宣言に、わたしの心は真っ暗になった。
なぜ?
どうして?
「と……トール様……。理由を……理由をお聞かせください」
本来なら、有り得ないことだ。
確かにわたしは、側室の子。
ヴァルハラント王族の中では、かなり蔑ろにされている。
それでも、王族には違いない。
なのに王家に仕える立場である、公爵家側からの婚約破棄なんて。
確かにトール様の実家であるミョルニル公爵家は、王家でも顔色をうかがわねばならないほどの家格と経済力。
そして王家べったりの立場ではなく、少し距離を置いている。
だから政略結婚で、わたしが送り込まれるはずだったのに。
「理由……? 我が公爵家の情報収集能力を、甘く見ないでいただこうか? ……【緑の魔女】よ!」
頭を鈍器で殴られたような気分だった。
どこでその情報を?
王族ぐるみで、隠していたのに。
「トール! 国王たるわたしが定めた婚約に難癖を付けるとは、正気か!? それに我が娘オリビアが【緑の魔女】だなどと、どこにそんな証拠が……」
「陛下……。証拠をお見せしましょう。……やれ!」
トール様の脇から前に出た従者が、わたしに手の平をかざした。
小さな光の魔法陣が、ポウッと浮かび上がる。
これは……。
【解呪】の魔法!
わたしの髪色が、変化していく。
いや、元に戻っていく。
ヴァルハラント人に多い金色から、鮮やかな緑色に。
眼が熱い。
自分では見えないが、瞳の色も戻っているはず。
青から緑へと。
「き……きゃあああっ! 【緑の魔女】よーーーー!!」
貴族令嬢のひとりが、悲鳴を上げた。
それを皮切りに、華やかな夜会の会場は阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌する。
「髪も瞳も緑……。本物だぞ!」
「災厄を招く、あの呪われし存在が……」
「ひっ! 気持ち悪い!」
ああ……。
なんということだろう。
3日おきに宮廷魔導士から魔法をかけてもらい、髪と瞳を変色させていたのに。
父上からは、「命を賭して秘密にしろ」と厳命されていたのに。
「【緑の魔女】であることを隠して結婚するなど、契約違反です! いくら王族でも、許されることではない! このことは、ミョルニル公爵家当主である父も把握済み。近々、正式な抗議を表明することでしょう」
「うぬぬ……」
我が父、オーディン7世。
ヴァルハラント全土を支配する国王の顔が、怒りで真っ赤に染まっていた。
わかっている。
これは娘が婚約破棄されたことによる怒りではない。
王家の失態が、明らかにされてしまったことへの怒り。
重大な秘密を守り通すことができなかった、役立たずなわたしへの怒り。
まだ12歳のわたしでも理解できる。
今回の件で、父上の受ける政治的ダメージは計り知れない。
貴族達の心は離れたし、公爵家には大きな負い目を作ってしまった。
「……お前のせいだぞ、オリビア。政略結婚の駒にすらならぬのか」
凍てつきそうな視線で、父上はわたしを睨みつけてくる。
理不尽だとは思った。
髪と瞳の色を、魔法で変えることも。
【緑の魔女】であることを隠したまま、公爵家に降嫁することも。
全て父上の案であり、命令だったからだ。
【解呪】の魔法を受ける危険性について進言したことはあったが、「王国のエリートたる宮廷魔導士の魔法を打ち破れる者などおらぬ」と一蹴したのも父上。
「も……申し訳ありません、父上」
それでもわたしには、謝ることしかできない。
【緑の魔女】であるわたしが生きていくためには、王家の役に立ってみせるしかなかった。
それに失敗したのだから。
「父と呼ぶな! 汚らわしい!」
怒鳴られて、肩が震えた。
涙が零れた。
どうやらわたしはまだ、期待していたようだった。
血の繋がった娘として、ほんのわずかでも愛情が残っているのではないかと。
周囲を見渡す。
先程まで婚約者だったトール様は、汚物を見るような目をわたしに向けていた。
見物している貴族達の反応は様々だ。
ただひたすらに怯える者。
嫌悪感を剥き出しにする者。
嘲りの表情を浮かべる者。
そして殺意を向けてくる者。
この日。
世界はわたしの敵になった。
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突然、時間が飛んだ。
建国記念パーティでの婚約破棄騒動から、約3ヶ月後の場面。
わたしは離宮へと幽閉されていた。
離宮とは名ばかりで、実際には廃棄された昔の王宮。
手入れは全くされておらず、物置の方がまだマシな環境だった。
幽閉されたのは、わたしだけではなかった。
王の側室であり、わたしを産んでくれた母シルビアも一緒に幽閉されていた。
【緑の魔女】を産んだという罪状で。
元から父上……いや、陛下はわたし達母娘に冷たかった。
わたしが【緑の魔女】であるという事実が明るみになってからは、完全に罪人扱いだ。
幽閉が決まる直前から、母上の体調は芳くなかった。
婚約破棄騒動の件を、陛下から散々責められたから。
聞くに耐えないほどの暴言だった。
隣で聞いているだけでも、辛くて死にたくなった。
直接浴びせられた母上は、どれだけ心を痛めていたことか。
心労から体調を崩していた母上を、陛下は無慈悲に幽閉した。
医者は寄越してくれなかった。
食事も生き延びるのに、ギリギリ足りない量しか運んでもらえない。
日に日に弱っていく母上を、わたしは見守ることしかできなかった。
そして幽閉から3ヶ月後。
カビと埃の臭い。
そして死臭の漂う部屋で、母上はベッドから起き上がることができなくなっていた。
「オリビア……。最期に貴女の顔を、よく見せて……」
そう言って母上は手を伸ばし、わたしの頬を指でなぞる。
もう骨と皮しか残っていない手だった。
「ごめんなさい……。わたしさえ生まれてこなければ、母上はこんなところに閉じ込められたりは……」
「謝るのは私の方よ。私が普通の髪と瞳の色に、産んであげられたら……。なんでこの王国の人々は、緑の髪と瞳を嫌うのかしらね……? とても綺麗なのに……」
「わたしは好きです。自分の髪と、瞳の色が。母上からもらった、大事な体ですから」
「そう……良かった……。ねえ、オリビア。きっとそのうち現れるわ。貴女の緑色の髪と瞳を、好きって言ってくれる人が。ううん。見た目なんて気にしないで、心を、魂を愛してくれる人が」
そんな人が、現れるはずがない。
わたしはそう思いつつも、口には出さなかった。
「だからオリビア……、強く生きなさい……。いつかきっと出会う、その日……まで……」
わたしの返事を待たず、母上の瞳は光を失った。
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「母上ぇーーーー!!」
涙を散らしながら、わたしは跳ね起きた。
「あ……。夢……」
わたし、オリビア・レイ・ヴァルハルは16歳になっていた。
目覚めた場所は、離宮の一室。
4年前に、母が亡くなったベッドの上。
幽閉という悪夢は、まだ続いている。