第6話 「子ども扱い」
私は、祖父母が大好きだった。
両親がいないことに、劣等感がなかったと言えば嘘になる。
だけど、祖父母とは深い絆があったから、大して気にしてなかった。
よく知りもしない両親より、2人の方がずっと私によくしてくれてたから。
ずっと大好きでいられたら、私は死のうとなんてしなかったのかもしれない。
……あの日は、傷が痛くて痛くてたまらなかった。
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「いったぁ……」
ベッドの中で、小さく蹲る。
集中的に蹴られた腹部が、ずきずきと存在を主張していた。
おじいちゃんとおばあちゃんと話してる時は痛みを誤魔化せたけど、1人になるとどうしても意識がそっちに向いてしまう。
今日はいつもより酷かったな……。
お風呂で確認したら、痣になってた。
びっくりして、しばらくはその場で立ち尽くしてた。
これまでも何回か痣になったことはあったけど、あんなに大きい痣は、初めてだった。
最初の頃は、暴力よりも物を隠したり、壊したりすることの方が多かった。
なのに、いつの間にか暴力主体のいじめに切り替わってしまった。
……どんどんエスカレートしてる。
それでも、あいつらは絶対に服で隠れるところしか狙わない。
周りの大人にバレないための工夫なんだろうね。
馬鹿だよ。
私が報告すれば、バレることなのに。
……いや、あいつらは知ってるんだ。
私は報告しないし、できないということを。
自殺騒動なんて起こさず、いじめに耐えきって中学を卒業するんだということを。
苦笑が漏れる。
私は、あいつらの手のひらの上でずっと藻掻いてる。
何をすれば正解か、あいつらを突き出すことができるかなんて、分かりきってるのに。
実行できない。
悔しい。
悔しいよ。
だけど、どうにもできない。
先生に相談しても「悪ふざけ」の一点張りだし、味方をしてくれる友だちも、もういない。
クラスメイトはいじめに加担するか、見て見ぬふりをするだけ。
学校にいる全員が敵だ。
祖父母にも、心配かけたくないから相談なんてできないし……。
警察とか教育委員会とかの外部の人に頼って、大事にする勇気もない。
私は、弱虫だ。
あー、やめやめ。
こんなこと考えてたら、ずっと寝れない。
集中しなくちゃ。
明日も学校なんだから。
目をぎゅっと瞑る。
カチ、カチ、カチ……。
静寂の中。
秒針の音と、自分の呼吸音だけが聞こえてくる。
……なんだか、急かされてるみたいだ。
カチ、カチ、カチ……。
「ああ、もう! 無理。いらいらする」
がばっと起き上がる。
大人しく目を瞑っていることが、苦痛でたまらない。
満足に寝ることもできないなんて、なんて情けないんだろう。
こんな小さな音にいらいらするって、どれだけ神経質なんだろう。
あいつらのことを考えて心が落ち着かないなんて、どれだけ、どれだけ弱い人間なんだろう。
次の瞬間、涙が溢れてきた。
大嫌いだ。
私も、あいつらも。
「……おばあちゃん、起きてるかな」
ふと、おばあちゃんの顔を見たくなった。
あいつらに「お前は愛されてない、金食い虫のお荷物だ」って、散々言われたからかもしれない。
そんなことないよって、言ってもらいたい。
安心したい。
目元の涙を乱暴に拭って、ベッドを抜け出す。
それから、おじいちゃんを起こさないように忍び足で廊下を歩く。
リビングのドアの隙間からは、明かりが漏れていた。
よかった。
まだ起きてたんだ。
ほっと胸を撫でおろす。
寝支度を始める前に、早く話しかけよう。
そう思ってドアノブに手を伸ばす。
だけど、手は空中で止まった。
ドア越しに、おばあちゃんの声が聞こえてきたのだ。
「――雅子。あなたの願い通りに、詩音ちゃんは元気に育っているわよ」
雅子。
私のお母さんの名前だ。
ってことは、仏壇に話しかけてるのかな。
それじゃあ、話終わるまで待とうかな……。
そんなことを思ってると、またおばあちゃんの声が聞こえてくる。
「お父さんが働いてくれてるけど……どれくらい詩音ちゃんに財産を残せるかしらね。将来が心配よ」
え。
思わず目を見開く。
お金に困ってるの?
そんな素振り、これまで1度も見たことなかった。
むしろ、うちは裕福だとばかり思ってた。
少し強請れば、快く外食やテーマパークに連れて行ってくれたり、服をたくさん買ってくれたりしたから。
もしかして、ずっと無理してくれてたの?
胸のところで、手をぎゅっと握る。
ネガティブな気持ちは、ただの一片もなかった。
2人の温かい気持ちが、私の心に伝わってきたのだ。
大切にされてるんだ。
愛されてる。
私は、2人に愛されてるんだ。
頬が緩む。
分かってたことだけど、改めて実感した。
2人には、感謝してもしきれない。
早く自分でお金を稼いで、恩返ししなくちゃ。
明日からは、我儘を控えよう。
それから、手伝いの量も増やそう。
……本当はおばあちゃんの顔を見たかったけど、もういいや。
十分、満たされた。
おばあちゃんとおじいちゃんがいれば、明日からも頑張れる。
そう思って、部屋に戻ろうと踵を返した時のことだった。
「あの子が18歳になるまでは、ちゃんと責任を持って育てるわよ。約束は守る。だから、雅子は安心して、あの世で待っていてね。すぐそっちに行けると思うわ」
頭が真っ白になる。
責任……?
え、
約束って、なに。
心臓に、冷たいものが流れ込んでくる。
「あと4年ねぇ……」
私が、成人するまで。
え。
そんなに、待ち遠しいの?
お母さんと、約束してたから、
責任があるから、
育てただけなんだ。
全身の熱が、なくなっていく。
なんだ。
あいつらの、言った通りじゃんか。
あれ?
この感覚、どこかでも味わったような。
ついさっきまで、同じような苦しさを、感じてたような。
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何かの音で、目を覚ます。
幸いにもカーテンは閉まっていて、眩しい思いをすることはなかった。
夢のせいで、憂鬱な気分。
なんで、あんなこと思い出したんだろう。
ゆっくりと頭をはたらかせる。
……昨日のことが原因か。
早く、死ななきゃな。
あと1年も、祖父母を拘束したくない。
愛してもない子どもとは、一刻も早く別れたいだろうし。
そういえば、何の音で目が覚めたんだろ。
アラームはセットしてないし、家電の音ってわけでもなさそうだけど……。
不思議に思ってると、まるで答え合わせをするかのようにビニール袋の音がした。
「起きた? 朝食、買ってきたよ」
あ、ご飯買ってきてくれたんだ。
帰ってきたばっかりみたいだし、玄関のドアの音で起きたのかな。
大きな音するもんね。
重たい身体を起こすと、ユージさんは自分の布団の上に、おにぎりを並べ始めた。
「おにぎり専門店みたい」
「……当店には、サンドイッチもあります」
恭しくたまごサンドを並べながら、彼は言った。
あら、和も洋も兼ね備えているなんて素敵ね!
「あと、これはシオが好きそうだなって」
遠慮がちに、いちごサンドが並べられる。
ホイップがたくさん挟まれてて、美味しそう。
「甘いもの、好きだよ」
「よかった」
そう言うと、ユージさんは安心したように息を吐いた。
彼は、本当にずっと気を遣ってくれる。
朝ご飯を買ってくれるのもそうだし、私の味の好みにまで気にかけてくれる。
昨日だって、気分転換を提案してくれたのは彼だったし……。
これも、私が可哀そうな子どもだから……なのかな。
ちょっと、居心地悪いや。
昨日のこと覚えてなさそうだし、私もあんまり引き摺りたくないんだけど……。
一旦、席を外そう。
「お手洗い、行ってくるね」
「あ、ちょっと待って」
「え?」
呼び止められて、足を止める。
どうしたんだろう。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
「……うん」
無理やり笑顔を作って、洗面所へと向かう。
いつもと変わらない言葉。
いつもと変わらない優しい眼差し。
いつもと変わらず向けられる、温かい気持ち。
変わってないはずなのに。
なんか、全然違う。
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洗面所から戻ると、ユージさんがちょこんと座っていた。
おにぎりに手をつけてないところを見るに、待っててくれたっぽい。
「待っててくれなくてもよかったのに」
歯磨きとかメイクとかしてたから、けっこう時間かけちゃった。
申し訳ないな。
「シオと一緒に食べたかったんだ」
「……そっか」
もしかして。
私が食べ物を喉に詰まらせたり、アレルギーを引き起こさないように監視しようとしてる?
そうだとしたら、どこまで私を子ども扱いするつもりなんだろう。
っと、イライラしちゃ駄目だよ詩音。
眉間にしわが寄りそうになり、慌てて平静を装う。
純粋に、子どもと一緒に食べたいだけかもしれないじゃん。
……字面だけ見るとロリコンだけど(笑)。
いやいや、全然面白くないから。
「おにぎりの具は何がいい?
鮭と明太子、梅、昆布、ツナ、エビマヨがあるけど」
もしかして、全種類買ってきた?
と思わず聞きそうになったけど、ぐっと堪える。
今は、なるべく会話を避けた方がいい。
聞かれたことだけ答えよう。
顎に手を当てて考える。
どれにしようかな。
1番好きなのは、ツナだ。
小さい頃から愛してやまない存在……。
だけど、ここは無難な鮭にした方がいいかな。
なんかツナって子どもっぽいし。
いやまあ、そんなことを気にしてるって時点で、子どもっぽいんだけど……。
「シオ?」
「……鮭、食べたい」
「分かった」
そう言うと、ユージさんは鮭とツナを渡してきた。
もしかして顔に出てた!?
慌ててユージさんを見ると、彼は苦笑しながら「ツナ、食べられないんだよね。代わりに食べてもらってもいいかな?」と言った。
よかった。
バレてはなかったみたい。
「あともう1つ選んでくれるかな?」
「じゃ、じゃあエビ……」
あ。
ユージさんの具がぜんぶ渋くなっちゃった。
「はい、どうぞ」
彼は顔色1つ変えず……いや、ちょっと微笑みながらエビを手渡した。
なんか、子ども扱いされた気がする。
不覚だ。
「あっ無理して全部食べなくて大丈夫だよ。昼食にとっておけばいいから」
私の視線をどういう風に解釈したのか、ユージさんは安心させるような声色で言う。
「うん」
返事をして、ツナおにぎりを口に運ぶ。
好きなものは最初に食べる派だ。
中学までは最後に食べる派だったんだけどね。
後に残してお腹いっぱいで苦しみながら食べたことや、あいつらにデザートを奪われて捨てられてからは、先に食べるようになったんだ。
それに、今回に限っては別の理由がある。
自分が選んだ鮭を最後に食べることで、“好きなものは最後に食べる派”って、ユージさんに認識させることができる。
最初にがっつくより、余裕ぶって最後まで残してる方が大人っぽいし。
これで、少しでも大人っぽさを感じてもらえるはず。
「この後は、何がしたい?」
この後か……。
どうしようかな。
昨日から考えてるボウリングとカラオケ……他に追加するなら、ショッピングとか?
それは違うか。
大人っぽいものって言ったら、何があるかな。
バーとか?
いやいや、いつ行くの。
悩んでる私を見かねたのか、ユージさんは「シオがしたいことをしよう」と言ってくれた。
そうだ。
大人の対応というのは、こういうやつだ。
自分より相手を優先させる気遣い。
それを悟らせない気遣い。
さすが社会人のユージさんだ。
素直に憧れる。
私も大人の対応がしたい。
なら、ユージさんの行きたいところがいいって言い返す?
いやいや……話が進まなくなるだけじゃん。
じゃあ、せめて大人っぽい場所を……と思うんだけど、考えても全然いい答えが出ない。
もう、諦めて願望のままに言おう。
子どもとか大人とか、関係ない。
悔いの残らない日にするんだから。
好きなように過ごさなきゃ。
子どもっぽいからって甘やかされてるなら、思う存分、利用しよう。
一緒に死ねればいいんだから、
彼の認識をどうにかしようなんて、考えなくていい。
私は、できる限りの笑顔を作って言った。
「ボウリングに行きたい!」
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第7話 「ガターの呪い」
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