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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

最初に世界を呪ったのは、誰

作者: 津籠睦月

「テスト勉強やった?」「全然」

 このやりとりを、あと何回()り返さなければいけないのだろう。

 繰り返されるたびに、嫌な感じの違和感いわかんおそわれる。

 まるで「勉強なんてするな」と牽制けんせいし合っているようだ。

 あるいは、周りの人間のダメさ加減かげんを確認して、安心したいみたいだ。

 

 勉強なんて全然していない、と言いながら、本当はテスト前、焼け石に水のような勉強をしている。

 これくらいは「勉強をやった」うちに入らないからと、自分で自分を誤魔化ごまかして「勉強なんて全然してない」と口にする。

 だけど、それを口にするたびに、嫌な感じの罪悪感に襲われる。

 俺は、うそをついているのだろうか。アイツらをだましているのだろうか。

 

 仲の良いクラスメイトとの、何気ない日常の中、ふと感じることがある。

「勉強なんて、つまらない」「努力なんて、くだらない」「お前もそう思うよな?」

 直接言われたわけじゃない。だけど、そう言われているように感じることがある。

 おどされているわけでも、強要されているわけでも、そもそもハッキリ言われているわけでもない。

 だけど、さからえない。

 逆らって「勉強だって大事だ」なんて言ってしまったら、その瞬間に全てを失ってしまう気がして。

 

 俺だって、べつに勉強が好きなわけじゃない。

 だけど、やらずにテストでひどい点を取れば、親からの長い説教が待っている。

 そんなに長々時間を取るなら、その時間で勉強させた方がまだ有意義ゆういぎなんじゃないかと、毎度疑問に思う、ただ苦痛なばかりで無意味な時間だ。

 そんな拷問ごうもんのような時間から、わずかでものがれられる可能性があるなら、多少のテスト勉強くらい我慢がまんしてもいい。

 それに、行きたい学校へ行くためには、どうしたってある程度ていどの成績が必要だ。

 つまらなくても、好きじゃなくても、やらなければどうしようもないもの……俺は“勉強”を、そんな風に思っている。

 

 だけど、他の奴らの前で、そんなことは言えない。

 裏切り者だと思われたり、空気の読めない奴と思われたり……何より、真面目まじめな奴と思われるのが怖い。

 同年代の間で、真面目という言葉が良い意味で使われることなんて、滅多めったに無い。

 それは“つまらない奴”と言われているのと同じだ。

 

 普通、友達といれば楽しいはずなのに、時々、妙な息苦しさをおぼえる。

 俺の思っていることと、周りの“空気”が合わない時――その合わない空気を、無理矢理押しつけられているように感じる。

 何かがちがうと感じても、それはマズいんじゃないかと思っても、受け入れないと仲間でいられなくなるような……そんな、妙な圧力を感じることがある。

 これは、俺の気のせいだろうか。勝手にそう感じて、勝手に苦しい気がしているだけだろうか。

 それとも、周りの空気に馴染なじみきれない俺は、最初からそこにいるべきではないのだろうか。

 

 いつからだろう。

 真面目さや、正しさや、ルールや努力を、目のかたきにして、嘲笑わらって、馬鹿にするようになったのは。

 やらなければならないことをやりげるより、他人がやらないタブーをおかす方が「スゴい」と、もてはやされるようになったのは。

 

 俺だって、型にはまった生き方は嫌いだし、ルールやモラルを窮屈きゅうくつに感じることはある。

 だけど、皆が度胸試どきょうだめしのようにみ込みたがるタブーの先に“超えてはいけないライン”があることくらいは、ちゃんと分かっている。

 そこをうっかり踏みはずしてしまえば、待っているのは奈落の底だ。これまでにニュースをさわがせてきた数々の炎上事件が、それを物語っている。

 慎重しんちょうな俺は、いつもそれを警戒けいかいして、自分の行動にブレーキをかける。

 周りに合わせて遊んでいるようなフリをして、ほんの何パーセントか保険をかけるように、焼け石に水の努力をする。

 我ながら、いじましく、みみっちい保身の仕方しかただとは思う。

 

 だけど、周りの奴らを見ていると、ヒヤヒヤするんだ。

 まるで奈落の底のがけっぷちで、笑いながら逆立さかだちしたり、飛びねたりしているような感じがして。

 少しでもバランスをくずせば、ころがり落ちて命が無いのに、それさえも見えていない(・・・・・・)気がして。

 

 過去の例を見るに、超えてはいけないラインの判定は、案外ひどくむずかしくて、見分けづらいのではないかと思う。

 そもそも、まだ社会にもロクにれていない俺たちに“世間せけんの目”なんて、きっと分からないのだ。

 どこまでがセーフで、どこからがアウトなのか……仲の良い友達同士のノリや感覚で判断すべきではないのだ。

 なのに、まるでチキンレースのように、ギリギリのラインをめたがる奴が多過ぎる。

 どこまでが本気で、どこからが冗談じょうだんなのかも分からず、俺はいつも、ついて行けない気持ちになる。

 

 だって、俺は自分の人生が大事だ。ほんの軽い悪戯(いたずら)心なんかで、ダメにしたいとは思わない。

 他人に迷惑をかけたいとも思っていない。だって、迷惑をかけた分、何かしらの報復やばつが返ってくる気がするから。

 だけど、そんな正直な心の内さえ、俺は上手うまく言えずにいる。

 周りが盛り上がっている中、水をすようなことを言えば、白い目で見られる気がして。

 

 将来のために、嫌でもやらなければいけないことがある。

 将来のために、やってはいけないことがある。

 それがちゃんと見えているなら、その通りに進めば良いだけだ。

 なのに、それをしづらい“空気”がある。

 いや……それは“空気”と言うより、ドロドロの底無し沼だ。まるで、呪いのような……。

 俺はすでに片足がはまって、上手くけ出せずにいる。

 

 いつの時代からなのかは分からない。

 だけど、この世界には確実に、呪いのような“闇”がる。底無しの、泥沼どろぬまのような“何か”が在る。

 真剣に努力しようとする人間の、足を引っ張り、堕落だらくさせて、底辺に沈めようとする“何か”だ。

 努力ができない人間は、自分が努力する代わりに、他の誰かを引きずり落とすことで、安心を得ようとするのだろうか。

 自分と同じ場所に沈む仲間を増やすことで、安心して、より一層、努力する気を失くしていくのだろうか。

 そうして落とされ沈められた人間は、また別の誰かを引きずり落とそうと、手をばす。

 これは、連鎖れんさする呪いだ。時代を超えて広がり続ける、“正しいこと”や“努力”をゆるさない呪いだ。

 

 人間、誰だって、嫌なことなんてしたくない。

 楽しいことだけやって、面白おもしろおかしく生きていきたい。

 そんな本能的な欲求に、この呪いは寄生きせいし、あおり立てる。

「勉強なんてつまらない」「努力なんてくだらない」「ズルをしてでもラクをしたい」

 そんな本音に同調する仲間が増えれば増えるほど、それはまるで“世界の真実”“この世の常識”のように意識の中に浸透しんとうしていく。

「真面目な奴はつまらない」「必死に努力するなんてダサい」「要領(ようりょう)良くチョロっと結果を出す奴が天才」

 その呪いはそうやって、真剣に努力することを「カッコ悪いこと」「いけないこと」のように、脳にり込んでくる。

 この呪いは、誰かがこの泥沼から脱け出すことを許さないのだ。

 

 この泥沼にハマった奴らも、何割かは、ちゃんと気づいているだろう。

 楽しい“学生ノリ”が、いつまでも通用するわけではないと。

 大人になったら、それを捨てなければいけない時が来るのだと。

 そうして就職活動やインターンシップの時期に入った途端、それまでのノリが嘘のように、急に真面目で誠実な人間のフリをしだすのだろう。

 だけど、それができない何割かも、きっと確実に存在する。

 

 人間、そんなに急には変われない。

 努力や真面目さを嫌い、とことんラクに、ズルをして生きてきた人間が、型にはまった社会人の生き方に、馴染なじんでいけるはずもない。

 あるいは真面目なフリでやり過ごそうとしても、身にみついた学生ノリが、無意識に出て来て、立場をあやうくする。

 そうして皆、自分が呪いの泥沼にハマっていたことにも気づかずに、周囲とのギャップに、生きづらさに苦しむのだ。

 

 周りに合わせ、ノリ良くいながらも、何割かの人間はしたたかに、自分の人生に保険をかける。

 嫌でも向き合わなければならないものに、しぶしぶながらも目を向けている。

 社会に出る前に身につけておかなければならないのは、知識だけじゃない。

 むしろ“嫌なこと”と、どう向き合っていくか、どうしてもけられない人生の難題、やらなければどうにもならない面倒事めんどうごとを、どうやって乗り越えていくか、だ。

 誘惑に流され、してはいけないことに手を出してしまわないよう、自分の心をコントロールする方法だ。

 それを身につけられなければ、きっとごくありふれた平凡な幸せさえ、手からこぼれ落ちてしまうのだろう。

 

 真面目なだけでは堅苦かたくるしくて生きづらい。

 だけど、真面目さを全て排除はいじょしてしまっても、きっと生きていけない。

 そのことに気づかず、学生のうちのノリだけで、人生を全て乗り切れると信じ、破滅していく人間を、皆、どんな目で見ているんだろう。

「あいつ、馬鹿だなぁ」と、おろか者でも見るように嘲笑わらうんだろうか。

 自分も呪いの泥沼の中で、他人の足を引っ張っておきながら、他人事ひとごとのようにその失敗を嘲笑わらうのだろうか。

 

 俺の周りの人間が、どこまで物を考えて生きているのかは分からない。

 だけど、急に「ちゃんと将来考えてるか?」なんていても、説教と警戒けいかいされるか、余計なお世話と思われるだけな気がする。

 そうして一人、焼け石に水の努力をしながら、テストのたびに罪悪感に襲われる。

 俺は、アイツらを裏切っているのだろうか。

 呪いの泥沼に沈みそうなアイツらを、見殺しにしようとしているのだろうか。

 

 この世界には、いつごろからか、真面目なことを言えない空気がある。

 真面目なことを言い出すと、ヘンな目で見られる空気がある。

 本当は胸の奥に真面目な部分をかかえていても、ノリだけでは生きていけないと悟っていても、それを表には出さず、かくして生きている。

 まるで「楽しいことだけやって、ノリだけで生きていける」と、そんな“幻想”を、集団に植えつけられているみたいだ。

 そしてそんな幻想をこわそうとする人間を、許さないみたいだ。

 

 この呪いは、一体いつから始まったのだろう。

 本やドラマでしか知らない、ずっと昔の時代は、むしろ真面目さの方が尊ばれていた気がする。

 今の時代のこれ(・・)は、その反動なのだろうか。

 いつかの過去に、真面目に生きられずに苦しんだ誰かが、この世界を呪い始めたのだろうか。

 

 呪いにみ込まれないように、必死にん張りながら、いつも頭のどこかで、誘惑にさらわれそうな自分を感じている。

 嫌なことを我慢して頑張がんばっても、むくわれるとは限らない。逆に、好きなことだけやって成功したという人間もいる。

 何が本当のことなのか、何を信じれば良いのか分からない。

 それでも呪いにあらがっていられるのは、俺が自分の人生をギャンブルにけられない小心者だからだ。

 

 焼け石に水の努力で、ギリギリ自分を守りながら、甘い幻想を信じて呪いの沼の底におぼれていく人間を、横目に見ている。

 この世界はいつから、こんな風になってしまったのだろう。

 これが本当に呪いなのだとしたら、恐ろしく根が深く、絶大な効果を持つ呪いじゃないか。

 この呪いの連鎖は、いつから、どこから始まったのだろう。

 この世界をこんな風にしたのは……最初に世界を呪ったのは、一体誰だったんだ。

Copyright(C) 2021 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.

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